1 / 81
序章
Overture;凍結した時計
しおりを挟む__それは、とても凍えるような“雪”の夜だった。
常春に近いこの国では非常に珍しい事のようで、真夜中近くまで街中が空からの白い妖精に歓喜していた。
子ども達はそこら中に、雪だるまというなんとも愛らしい不可思議な造形物を作り上げていた。
普段見ることのない雪を恐々と触れてみる者、
物珍しげに口に含んでみる者、
かき集めては空に舞わせる者など、様々な光景が見られた。
露店商も大張り切りで出店がたくさん並び、観光客たちも「聖王国の希少な風景を見る事ができて嬉しい」と、店の親父に笑いかけるほどだった。
だがそんな祭りのような騒ぎも今は落ち着き、城下町にはいつもの静けさが戻っている。
__さて。寝静まったこの街で、ひとつの問題が起きていた。
子どもらの作った雪だるまの群集が特に目立つ__ここは城下町きっての荒くれ者が多く住む“職人街”だ。
木造家屋が所狭しと並び、昼間は活気で溢れている街路も今は人っ子一人いない。
夜更けまで賑わっていた酒場ももう店じまいをしたらしく、町の様子は寂しいというより少々怖かった。
そんな中を荒い息遣いで駆け抜ける者がいた。
黒い外套を纏い、頭からも同じ素材で出来た頭巾をかぶっている。
その駆ける姿はあまりにも速く、まるで黒豹のようだ。
もし見かけた者がいればそういった感想を持ったに違いない。
だが大きな体躯の割に足音が立っておらず、表の世界で生きる者ではないと思わせるには充分だった。
「っと」
思わずその無精髭の間から声を漏らすや否や、彼は近場にあった大樽の影に身を潜ませた。
誰もいないと思っていたが、まだ飲んだくれている者がいたか。
男は小さく舌打ちし、その腕に抱える布に包まれた“もの“を大切に抱え直した。
手触りの柔らかさが自分とは不釣り合いな上等品であると改めて感じる。
目の前の通りを、千鳥足で歩く男達が二、三人といったところか。
呑気に最近の流行り歌を高らかに歌っている。
早く通り過ぎてくれと祈るような気持ちで男は思わず背後を振り返った。
ここで誰かに見つかるわけにはいかないのだ。
この事は自分と“あの方”しか知らない機密事項なのだから。
「……そういやぁよ、もうじきらしいなぁ」
呂律の回っていない調子で、酔っ払いの一人が思い出したように歌を止めた。
「何がだ?」
「リアーナ様のご出産だよ」
その言葉に男は身を固くした。
「おお、そういやそうだったな。聖王様もいよいよ父ちゃんになるってわけか」
「そうさ、誕生したら国中またお祭りだろうぜ」
「へへっ、そうしたらまた美味い酒が飲めるってもんだな」
「お前は酒の事しか頭にねぇんか」
「そう言うなって。こちとら身を粉にして働いても、せいぜい安酒しか飲めねぇんだ。
こういう時こそ王族の振る舞い酒にあやからねぇとな」
「全くだ。王城の奴らは毎日働かずして、いいものを飲み食いしてるんだからよ。いい気なもんだ」
全く好き勝手な事を……いい気な者はどっちだ。
と、男は大樽の影で短くため息を吐いた。
その拍子に腕の中の包みがもぞと動き、男は息を呑んだ。
見れば布の間からくるんとした双眸がこちらを見上げており、ばちりと目が合った。
途端に胸が早鐘を打つ。
ここで“これ“に泣かれてしまっては全てが水の泡だ。
そんなこちらの様子には気付かず、男達はまだ立ち話を続けている。
早く立ち去ってくれと苛立つ気持ちと、何も声を上げるなと祈るような気持ちで包みを見つめた。
「ウルファス様もリアーナ様もとんだ美男美女だ。生まれてくる子もきっと綺麗な顔をしてるんだろうぜ」
「羨ましい限りだ。リアーナ様とうちの母ちゃんを取り替えて欲しいよ」
「そんな事カミさんに聞かれたらまたどやされるんじゃねぇか?」
「おっと、怖ぇ怖ぇ。母ちゃんが起き出す前にとっとと帰ろうぜ」
そうするかと酔いが覚めたような足取りで男達は立ち去った。
どれくらいそこにじっとしていただろうか。
足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、男は長いため息を吐いた。
何とか見つからずに済んだか、とその布に包まれた赤ん坊を抱え直した。
(ひとまず次の手を考える為に職人街へ潜り込んでみたが……)
さぁ、どうしたものか。
立ちあがった男は後ろの石壁に身を預け夜空を仰ぎ見た。
__いつもはそこに輝く星々が、今夜は無い。
思わず眉を顰める。
それが何を意味するのか、彼はよく知っていたからだ。
だからこそ次の一手なのだ。
ひとまずこの赤子を誰にも見つからず、その存在を無かった事にしなければならない。
勿論命を取ってしまう訳にはいかない。それはあの方も願っていることだ。
だが、自分に与えられた選択肢はあまりにも少ない。
自分にはまだ他にも使命があるのだ。赤子の事ばかり手を掛けてもいられない。
ならばいっその事……、
(……捨ててしまおうか)
聖都から少し離れたところにある孤児院に連れて行けば、食い扶持には困らないはずだ。
そのまま他の孤児に紛れて生き続ける事は出来る。
苦い思いで息を吐き出したその時、
「あー」
それがあまりにも無垢な声だったので、男は我に返った。
先ほど目が合った丸い瞳がこちらを見上げており、その澄んだ瞳に男は思わず目を逸らしてしまった。
純粋なものを前に、自分の汚れた心が曝け出されるようで、伐が悪かったのだ。
「ごめんなぁ……」
ぽつりと呟く。
「お前さんは何も悪くないのにな」
慣れない手つきで赤子の頬を撫でる。
今にも壊れてしまいそうなその儚い感触に男は項垂れた。
このような、か弱いものをどうして捨てられようか。
今夜起こった悲劇がこの子の運命を決めてしまったのだ。それだけでも充分同情するところだ。
「私が傍にいてやれたらいいんだが……」
いかんせん、そんな簡単な問題ではない。
自分が置かれている立場はあまりにも危うく、子どもを傍に置けばそれだけ危険に晒すことになる。
男がため息をついたその時、彼の節くれだった指をぎゅっとした感触が包んだ。
見れば、赤子がこちらを見上げながら自分の指を握りしめているではないか。
男は眉根を寄せた。
「……そうだ。そうだよな」
それは覚悟の入り混じった声だった。
「私が……、俺が、お前さんを守ってやるからな」
__命に代えても。
この秘密は墓まで持って行く覚悟なのだと、彼はその赤子を抱いて声も無く泣き崩れた。
しんと降り続ける雪が、彼の背中を静かに白く染めていった。
1
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜
ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。
草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。
そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。
「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」
は? それ、なんでウチに言いに来る?
天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく
―異世界・草花ファンタジー
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから
渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。
朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。
「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」
「いや、理不尽!」
初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。
「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」
※※※
専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる