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六章;黄昏の王

36話

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 「ほぉー……」
「すげぇっ!すげぇぞサツキー!王宮ってこんなとこなのかー!」

 「くぉらお前らっ!静かにせいっ」
 その白く眩い城壁を見上げながら騒いでいる子どもを一喝するラバードの声が高らかに響いた。
「騒がしいのはジルだけやで、おやじ」
「てか、おっちゃんの声が一番でかいぞ?」
 呆れたように振り返る二人の視線に、ラバードは目を泳がせた。が、すぐに咳払いをし襟を正す。
「い、いいかお前たち。ここは王城の中でも王族の方々が住まわれている王宮や。くれぐれも失礼のないように、舞い上がるなよ」
「一番舞い上がってるのは、おっちゃんだと思うんだけどな」
「うるせー、ジル!」
 衛兵たちの死角でラバードはジルファリアを軽く小突いた。

 「それでは、そろそろご案内してもよろしいでしょうか?」
 笑いを噛み殺したような表情で、こちらを見ていた女性騎士が進み出た。
 彼女は確かマリスディアをラバードの家まで迎えに来た騎士だったような気がする。

 確か名前は……、

 「私はマリスディア様の護衛も務めております、タチアナと申します。ラバード殿、その節は誠にありがとうございました」
 タチアナが深々と一礼をすると、後ろで束ねられた鮮やかな赤い髪がふわりと弾んだ。
 顔を上げた彼女は人懐こい笑顔をしており、とても話しやすそうだ。

 「どうぞこちらへ。ウルファス様もマリスディア様もお待ちですよ」
 そう言いながら片手を掲げるタチアナに、ジルファリアは目を丸くする。
「マリアと……ウルファスさまにも会えるのか?」
「こらジル!タチアナ様になんて口の利き方だっ!」
「いいのですよ、ラバード殿。私もマリスディア様のご友人とお話ししてみたかったので、親しみやすい話し方をしてくれると嬉しいです」
 タチアナがにこにこと笑顔を見せると、ジルファリアも顔を輝かせた。
「うん!よろしくな、タチアナ!」
「はい、ジル君。よろしくお願いいたします。ジル君のことは、マリスディア様から何度も聞いていますよ」

 ジルファリア達を先導しながら、タチアナは話してくれた。

 「マリアが?」
「ええ、ハイネル様の屋敷の塀にジル君が登ってきた事ですとか……」
「……ほぉ」
 タチアナの話に、ぴくりと眉を上げながらこちらを睨むラバードの視線が痛い。
 思わずジルファリアはサツキの影に隠れた。そんな様子に気づかずタチアナが続ける。
「後はなんと言っても、馬車でマリスディア様が連れて行かれてしまった時と、裏町での事と。
 ジル君が二度も助けてくれた話はいつも盛り上がりますねぇ」
「盛り上がる?」
「マリスディア様がそれはそれは嬉しそうにお話ししてくださるんですよ」
「……そうなのか」
 なんだか照れ臭くなりジルファリアは鼻を掻いた。
 その様子を見ていたタチアナが微笑む。
「ジル君と出会えたこと、お二人と友人になれたことを姫様は喜んでおいででした」
「お姫さんが?」
 サツキが聞き返すと、彼女はこくりと頷く。

 その笑みは少し悲しそうな表情をしていた。

 「マリスディア様は、小さなときからいつも一人でいらっしゃって、同じ年頃の友人がいませんでしたから。
 我々臣下の前では気丈に振る舞われていましたが、一人になった時にこっそりとお部屋で泣いている姿も見えたのです」

 ジルファリアもマリスディアの寂しそうな表情を思い出していた。

 「マリスディア様には、従兄弟である王子がお一人いらっしゃるのですが、その方も少し歳上である上にお忙しくされていて、なかなか一緒に遊ぶ機会もないのです」
「そういえば、ウルファスさまの妹君ファミールさまに、一人息子がいてはったな」
 サツキが相槌を打ちながら呟く。
 さすが普段から新聞を読んでいるだけのことはあると、ジルファリアは感心した。

 「それに、マリスディア様が同じ歳くらいの子と遊びたくても、相手のかたがどうしても王女であることを気遣ってしまい遠巻きにされてしまって。
 結果、なかなか親しくなれないことばかりでした」
「まぁ、普通は気軽に遊んだりできへんよな」
「そんな中、ジル君がマリスディア様の心に踏み込んで入って来てくれたことが、王女は本当に嬉しかったようなのです。
 今までそんな子は一人もいなかったので」
 心底嬉しそうな表情でタチアナがこちらを振り返ったが、反対にサツキとラバードは呆れ返ったような顔でこちらを睨んでいた。
「まぁ、お前は“普通”が通じひんもんな………、なんつーか相手の都合なんかお構いなしに、ずかずか入り込んでくるっちゅーか」
「全く。ハイネル様の屋敷の塀に登り、なおかつ図々しくも王女に気安く声をかけるとは」
「な、何だよ……」
 二人の視線に耐えかねて、ジルファリアが唇を尖らせる。
「いいんですよ、ジル君のそういう気さくなところが王女には必要だったのですから」
「いやいやタチアナ殿、こいつのこういう所は気さくとかそういう類ではなくて……」
「ふふ、着きましたよ」
 そう微笑みながら、タチアナが辿り着いた扉の前で立ち止まった。

 途端にラバードが口を噤み、その表情には緊張が走る。

 そんな三人の表情を確認したタチアナがこっくりと濃い色をした木製の扉をノックすると「はい」と聞き覚えのある声が聞こえた。
 「失礼いたします」とタチアナが扉を開けると、不躾にもジルファリアは首を伸ばして室内を覗いた。


 「マリア!」
 そしてすぐ見えたその姿にぱっと顔を輝かせる。
 彼女は扉を開けたすぐそこに立っていたのだ。

 「ジル」
 彼女もまた嬉しそうな表情で出迎えてくれた。
 タチアナがすぐに脇に身を寄せると、駆け寄ったジルファリアと一緒に手を取り合う。

 「来てくれてありがとう。サツキも、ラバード様も本当にありがとうございます」
 ジルファリアが向けた手のひらを握り返したマリスディアは、その後ろのサツキたちにも会釈をした。

 恐縮した様子でラバードもまた深々と頭を下げる。
「マリスディア様、このような勿体無い時間を設けてくださり、ありがとうございます」
「いいえ、皆さんにお会いしたかったのは、わたしだけではないのです」

 彼女はジルファリアに目配せをした後、窓際を振り返った。


 「父です」


 その言葉に、ジルファリアははっと息を呑んだ。

 正面の大きな窓ぎわに誰かが立っている。
 差し込む逆光のせいで見えづらかったが、こちらを向いているその人は背が高く、白い衣服を身に纏った男性だった。


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