アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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21~30

(30)勇者魔王

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異世界から呼ばれたスグルは、仲間たちの助けでついに魔王の元に辿りつき……。

勇者×魔王。
軽いですが人を殺す表現があります。
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 静かな夜だ。星もない。風もない。ただただ静かな時間。それが、決戦を控えた夜でなければ、穏やかな眠りにつけていたのだろう。
 薪を突いて火の粉を散らす。少し肌寒いこの世界で火は何よりも美しく、僕たちに安心をもたらしてくれる。だけれども、今の僕にとってはその揺れさえもが心細く、恐ろしくもあった。
「ユウヤ、お前まだ火の番してたのか」
 静寂の中、通る声に振り向くと、見知った顔がこちらを見下ろしていた。
「スグル……。君こそ。まだ寝ていなかったのか」
「あー。なんかこう、妙にソワソワしちゃってさ」
 照れくさそうに笑ったスグルが、断りもなく僕の隣に座り込む。その顔が炎に照らされ、くっきりと僕の目に映る。相変わらず緊張感のない奴だ。
 その顔は出会った時と変わらない。純朴な優しさを湛えた笑顔。それが周りにいる者たちを勇気づける糧となる。
「いよいよ明日なんだな」
 スグルが炎を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「ああ。どうあがいたって時は待ってはくれない」
 明日。そう。明日全てが決する。それももう数刻も残っていないぐらいに迫っているのだ。
「ほんと。こっちに来た時は驚いたよ。まさか俺が勇者だなんて」
 そう言って肩をすくめてみせるスグルは、聞いての通りここの人間ではない。
 この世界は、常に魔王の脅威に晒されていた。人間たちの抵抗も虚しく魔王の支配が及ぶこの国で、魔物たちは好き勝手に振る舞い、人間たちを脅かしていた。
 しかし、人間たちもただ黙ってその侵略を受け続けたわけではない。この世界にいる者では勝ち目がないと悟った賢者たちは、巫女の力を借り、異世界から人を召喚した。そう。この地獄のような世界を変えてくれる“勇者”を。
「ああ。でも、スグルは本当に全てにおいて優れてるから。選ばれただけあるさ」
「ユウヤだって勇ましいって字の如く、だよ」
「そんなんじゃない。言っただろ。僕はただのおまけさ」
 異世界から召喚されたのは何もスグルだけではない。この世界を救える勇者の素質がある者は片っ端から呼ばれたらしい。呼ばれた者は皆それぞれ魔王を倒すべく、パーティを組んで旅に出た。しかし、魔物退治だけでも脱落する者が多く。結局、こうして最終決戦までに残ったのはスグルが率いる僕たちのパーティだけだった。
「おまけって。またそうやって自分を卑下する!」
「だって、本当のことだ。僕はここに呼ばれるはずじゃなかったんだから」
 そう。僕はここに呼ばれたのではない。ただの手違いで、スグルと共に呼ばれたらしいと巫女からと聞かされたことがあった。
「そうだとしても、だ! 俺は、ユウヤがいてくれて良かったって思ってるからな」
 真っすぐな瞳が炎を灯す。ああ。君はやはり勇者で間違いない。誰もが君に縋るのも頷ける。
「ユウヤ。明日はきっと俺たちの手で魔王を倒そうな!」
 正義に燃えるスグル。その伸ばされた手を僕はゆっくりと取る。
「ああ。もちろん。僕たちはそのためにここまで来たんだからな」
「それでこそ」
 目線が合うと、スグルが機嫌よさそうに笑う。それがなんとも心地よい。
 きっと、平和が訪れた後の世界に相応しい笑顔だろうな――。なんて。



「スグル、ユウヤ……! ここはオレたちが食い止めるから、先に……行け!」
 魔王城の長い階段を上る途中、今まで一緒に戦ってきた仲間が身を挺して、先に行くことを促す。
「でもっ……」
「大丈夫。私たちだって、選ばれたんだから。すぐに追いかけるから、行って!」
 敵に肉薄して戦うファイターを魔法で援護しながら、ヒーラーの役目を担う少女は微笑む。
 最初の頃はもう少しだけ人数がいたこのパーティも、いつの間にか少なくなって。魔王城に入ってからは、残った人数もこの四人以外は既に魔物の足止めを名乗り出て戦った。それでもスグルは止まらなかった。今日という日を迎え、誰が犠牲になっても絶対に魔王に打ち勝とうと誓いを立てたのだから。
「行こう。ユウヤ」
 躊躇う僕の手を取って、スグルが前へ駆け出す。
「だけど……」
 スグルはきっと信じているのだろう。この二人が死なないと。だから、こうも簡単に先を急げるのだ。僕にはその気持ちがまだわからない。
 螺旋に作られた階段は気が遠くなりそうなほどに長く、まるで“天国”にまで続いてるんじゃないかというくらいに終わりが見えない。次第に濃くなってゆく瘴気。それがついに視界までもを悪くする。
「スグル……」
「ユウヤ?」
 小さく声を漏らすと、繋いだ手に力がこもる。気が狂いそうなほどに瘴気で満ちる階段を昇り詰めてなお、自我を保つばかりか他人の心配までできるのか、彼は。
『ガルウウウウウウウウウ!!』
 霧の中から飛びかかる魔物。
「スグル!」
 その牙がスグルを噛み砕く前に、スグルを押し倒して自らの腕で庇う。
「な……。ユウヤ!!」
 すぐに身を起こしたスグルが、魔物目がけて剣を振るう。
『グルアアアアア!』
 魔物が地面に倒れ込むのを見てから、スグルが僕の腕を取る。
「痛い……」
「ユウヤ、今治すから」
 そう言って傷口に翳されたスグルの手から、暖かな魔力が溢れ出す。でも。
「待て。無理だ。これ、呪いも掛かってる」
 そう。牙が腕に食い込んだ瞬間、その痛みと共に流れ込んできたどす黒い魔力。それは、間違いなく呪いの類。多少の魔術が使えるスグルでも、治すことは難しい。
「そんな……」
「スグル、君は行け。僕は行けなくなった」
「ユウヤ……」
「わかってるだろ? 魔王を倒せるのは君しかいない」
「でも……」
 スグルがさきほどの僕のように言い淀む。
「僕が行っても足手まといだ。多分この呪い、時間経過と共に体力を奪う」
 言っている間にも呪いは確実に進行していて、今や立っているのも辛いぐらいだ。
「だったら尚更、放っておけない」
「何でだよ、僕は大丈夫だって。そんなことより世界が危ないんだぜ? 早く行かないと、彼女だって……」
 彼女とは勿論ヒーラーの少女のことだ。僕の目から見て、彼女はスグルに好意を寄せているように思えた。そして、スグルもその好意に気づいた上で彼女を泳がせているようだった。
「それは……」
「魔王を倒さないとどのみち皆滅びる。君がここで立ち止まっていていいはずがない。それとも何か、あいつらは信じられて、僕は信じられないとでも?」
「……わかった。だけど、絶対に死なないでくれ」
 両手を取られ、真剣な面持ちで覗き込まれる。
「……ああ。僕は死なないさ」
 僕もそれに合わせて、神妙に頷く。それを見たスグルが、僕の手の甲に優しく口づける。
 そして。

「わざわざ結界まで張っていくなんてね」
 階段を駆け上がってゆくスグルが見えなくなったところでため息をつく。
 びっくりした。いきなり手にキスされるなんて、とんでもない体験をした。
 自分を囲む魔力を指で突く。それは紛れもなく彼の魔力で構成された、僕を守るためだけに張られた結界だった。そう。これを張るために、彼はわざわざ僕の手に口づけたのだ。
「こんな芸当ができたとは。やはり侮れない」
 手の甲をひと撫でしてから、自分自身で口づける。唇が触れた瞬間、ぱんっ、という音がしてあっけなく結界は砕け散る。
「友達思いなのはいいけどね。相手は選ばなくっちゃ。ね、スグル」


「これが魔王……なわけないよな」
 魔王城の最上階に達した勇者が、そこにいた魔物を倒してから呟く。
「そうだね。それはただの雑魚だよ」
「誰だ!」
 スグルが振り向きざまに放った斬撃を軽くいなし、わざとらしくため息をつく。
「ついにここまで来ちゃったね、スグル」
「ユウヤ……?」
 悠然と最終決戦の場に入ってくる僕にスグルが釘付けになる。
「お前、なんだよ、その目……。格好だって、まるで……」
「まるで?」
 試すように赤い瞳でねっとりと見つめてやる。そう。今の僕は、禍々しいその気を具現化させたようにどす黒くおどろおどろしい服を身に纏って、ご丁寧に真っ黒い翼と角まで出している。誰が見たって気づくだろう。僕という存在が、この世界にとってどういうものなのか。
「……ユウヤ、嘘だよな?」
「嘘なんかじゃないよスグル。わかってるだろう? “私”は魔王だ」
 先ほどの小芝居で傷を負った腕をスグルに見せつけるようにして広げる。勿論そこには呪いも傷も存在しない。そんなものは自分で簡単に治せる。
「そんな、だって、ユウヤは俺たちと同じで、選ばれたから、旅して……」
「僕は選ばれてなんかいないだろう? 最初からそう言っている。君についてきたおまけ――もとい、そういう設定で勇者側に紛れ込んでいたんだって」
「な、んのため……」
「そりゃあもちろん、魔王を殺すために頑張る君たち勇者御一行、その弱点を探るため魔王じきじき潜入捜査、ってね」
「本当に……」
「でも、思った以上に情も移して貰えてて嬉しいよ勇者。このまま私を殺さずにもっとお友達ごっこを続けてはくれないか?」
「……ユウヤ」
 動揺で震えたままの手がこちらに伸びてくる。……本当に反吐が出るほどのお人よしだ。
 ばちり。頬に触れようとするその手を弾く。スグルの顔が痛みに歪む。それを見て、僕はざまあないなと笑ってやる。
「なんて、ね。ここはそんな甘い世界じゃないよ、勇者!」
 剣を抜き、勇者に向かって振り被る。が。すぐさま反応した勇者がそれを剣で止める。まともにぶつかり合った衝撃は中々に重く、堪らず後ろに飛び退く。
「あ~。やっぱり。スグルは強いよね。これは僕の脅威と認めざるを得ない」
 痺れた手をひらひらと動かして、感覚を元に戻す。旅をしていた頃から思っていたが、コイツの剣は相当に強い。未だ負けを見たことがない。こうして受け、肌で感じると、より一層その脅威に焦りを覚えざるを得なかった。
「ユウヤ、今ならまだ間に合う。お前が心を改めて、侵略を止めてくれさえすれば俺は」
「甘いこと言わないでくれよ」
 正義らしい提案を遮り、鼻で笑ってやる。そんなものは解決策ではない。人間と手を取り合って平和に暮らす? そんなことは不可能だ。人間は汚い。魔族よりもずっとだ。気を許したとしてもすぐに裏切られる。そう教えられてきたのだ。
 元々、僕たち魔族は違う世界から来たらしい。それはもう何世代も前の話。魔族はこの世界の住人と手を取り合って暮らそうとした。
 最初は上手くいっていた。魔族の技術を人間に提供して、重宝されていた。しかし、人間はその技術を全て吸い取ると、手のひらを返したように魔族を迫害し出した。勿論、その頃の魔族は人間に手を上げたことなどなかった。人間たちは、自分たちと異なる見た目というだけで、魔族を傷つけ始めたのだ。そして、そこからは早く、魔王は汚い人間たちを粛清した。この世界は魔王の支配下となった。人間たちの抵抗も虚しく、何世代もそれは続いた。だから。僕は魔王として、勇者と戦わなければならないのだ。
「これ、なーんだ」
 気を失ったヒーラーの髪を持ちながら勇者に問う。
「……な、何して」
 他の仲間も魔法でこちらに呼び寄せて地面に転がす。全員気を失っていて、その姿は痛々しいほどボロボロになっていた。
「ユウヤ……!」
「スグル、君にだけは教えてあげるよ。僕の本当の名前」
 動けずにいるスグルに向かって、ねっとりと微笑む。
「夕闇。僕にぴったりな名前だろう?」
 静かにその名を口にする。もう戻れない。そう。自分こそが闇の象徴。
「僕こそがこの世界を統べる魔王、夕闇だ」
「ユウヤ……」
「しつこいな。さっさとくたばれ」
 馬鹿のように何度も偽の名を呼ぶ勇者にヒーラーを投げつける。そして、受け止めているうちに魔法を放ってやる。
「……っ」
「甘いなぁ。ほんと、そんなんだから。君のこと、嫌いだよ」
 思惑通り、ヒーラーを庇って攻撃を受けた勇者に冷めた視線をくれてやる。本当に。その優しさに身の毛がよだつ。自分とは全く持って正反対のそれが憎くて仕方がない。
「残念だったね。友と思ってた奴がこんなんでさ!」
「ユウヤ……。お前は、本当に……」
 まだ戸惑いの晴れない勇者を傍目に、寝転がっている人間たちを蹴り飛ばしてやる。
「これが本当の僕だよ、スグル」
「お前にとって、そいつらはどうでも良かったのかよ」
「そうだよ。そして。君も、ね」
「ユウヤ……!」
 ようやく勇者の声に怒りが籠もる。それを見て、自然と笑みが零れる。
「さあ勇者よ。貴様のその反吐が出るような偽善、私が貴様もろとも消し去ってやろう!」
「魔王、夕闇……!」

 剣の合わさる音が無数に響く。剣だけでなく、魔法もぶつかり合い、打ち消し合い。一瞬の時も休むことなくただただ相手に力をぶつける。
「ぐっ……」
 踏み込んできた勇者の切っ先が頬を掠めていく。それと同時に、放った魔力が勇者の髪を微かに燃やす。さすがに手強いな。ふと旅の間の稽古で、いつも負かされていたことを思い出す。確かに力の全てを出していたわけではなかったが、それはどうやら勇者も同じだったらしい。剣だけの勝負では恐らく敵わないだろう。
「はっ!」
 力強い太刀筋を魔力で弱らせ、剣で受け止める。本当に、この世界の人間はよくもこんな勇者に相応しい人間を連れてきてくれたものだ。そう。いつだって、コイツは勇者だった。困っている人には手を差し伸べ、仲間にも優しく。常に先頭を歩き、人を庇って。ああ、そういえば僕も魔物から庇われたことがあったっけ。
「はあッ!」
 記憶に囚われてぼんやりとしたところで勇者の剣が風を薙ぐ。それを躱すべく一歩下がろうとするが。
「……っ!」
 突然、足を掴まれ引き摺り倒される。そして、目を開いたときには。勇者の剣が喉元で止まっていた。
「す、ぐる……。わたし、ちょっとは役に立てた、かな……?」
 視線を動かし、足を引っ張ったその人間を見つめる。それは痛む己の体を支えながらも弱々しく笑うヒーラーの彼女だった。忌々しい。黒い感情が一瞬自分の中で膨張して、すぐさまに萎む。虚しいだけだ。身を挺して正義の手助けをする女と勇者。そのお決まりとも言える組み合わせにうんざりする。
 だけど。その平和の象徴のようなヒーローとヒロイン。その結びの糧となって消えるのは、魔王としての正しい死に方で。それも悪くはない。いや、死ねればなんでもいい。
「魔王」
 静かに呟く勇者に目を閉じる。ようやく訪れる死。歓迎しないはずがない。そう。だって。僕は最初からこうなることを望んでいたのだから。
 僕は魔王となるべく生まれた。この世界を統べるべく存在として。だけど、僕はそんなことなど望んじゃいなかった。正直に言おう。僕は人間が嫌いではなかった。確かに、人間の汚い部分からは顔を背けたくもなる。だけど、それだけではないのだ。人間の中には綺麗な感情も存在する。特にスグルは異界から来たせいなのかわからないが、呆れるほどの人の良さだった。きっとこの世界のどこかにも、純粋な人間がいるのだろう。そんな彼らを滅ぼす役目なんて、僕はやりたくなかった。
 魔王という運命から逃れるためには、勇者の手に掛かるより他はない。だから、敵情視察の名目で自分を殺してくれる勇者の手助けをして育てた。彼で良かったと思う。彼ほどの正義感を持った人間ならば、きっとこの世界を修正することも可能で――。
「どうして抵抗しない?」
 勇者の冷たい声が響く。大人しくし過ぎただろうか。ゆっくりと目を開き、一向に動かない切っ先を見つめる。よく磨かれたそれは、正義の象徴であるかのように輝いている。
「すぐる……、なにをして……はやく、しなきゃ、魔王が大人しくしている、今がチャンスよ……?」
 ヒーラーが尤もなアドバイスを送る。だがそれを受けてなお、勇者は動かない。……一体何を待っているんだ? それとも警戒しているのか?
 顔を上げると、すぐに勇者と視線がぶつかる。その瞳は静かな怒りを湛えていた。でも、それは単なる悪への怒りではないような気がした。それじゃあ彼はどんな心情を抱いているのか。わからない。所詮僕は魔王だ。どんなに人間のフリをしようとも、人間の考えることなどわかるはずもない。
「……ハハッ。殺せないのか? 勇者の名が泣くぞ」
「黙れ」
 挑発した瞬間、氷のような声と視線が刺さる。初めて感じる恐怖に、背筋を凍らせながら言われたとおりに押し黙る。そして、しばしの沈黙。やっぱり、僕には彼が何を考えているのか全くわからない。
 視線を落としていると、ふいに手が伸びてくる。ああ。ようやく殺す気になったか。目を閉じ、痛みを覚悟する。しかし――。
「え……?」
 手を掴まれ、そのまま引っ張り上げられる。そして。気づくと抱きしめられていた。
「ユウヤ。頼むから簡単に死のうとしないでくれよ」
 吐き捨てるように呟くスグルの腕から逃げようとするが、思った以上に拘束はきつく、スグルはびくともしない。
「は、放せ……!」
「ユウヤ。俺は、お前のことが好きだ」
 唐突に微笑まれて、一瞬あっけにとられる。が、すぐにこちらも悪意を込めて微笑み返してやる。
「ハッ、甘いことを。だから、僕は君のことを友達だと思ったことは無……」
 最後まで言い終わらないうちにスグルの顔が近づいてきて、あっさりと唇を奪われる。
「え……?」
「ユウヤこそ甘いよ。俺はお前が思ってるような奴じゃあないよ」
 戸惑っているところに、もう一度軽く口づけられる。
「何を、して……」
 スグルの腕を振り払おうとしたところで、彼のすぐ後ろに座り込んだままのヒーラーが目に映る。その顔は青ざめて、今にも叫び出しそうなくらい震えていた。
「すぐ、る……? 今、何が、起こったの……?」
 震える声で彼女が縋るように尋ねる。それを見たスグルが僕を放し、彼女の元へ歩み寄る。
「――」
 スグルが彼女の頬に手を当てながら名前を優しく呼ぶ。彼女はすぐに頬を赤くして、涙を流す。
「わたしっ、すぐるが、魔王に操られちゃったんじゃないかって、心配したっ……! ね、今のはきっとわたしの勘違いなのよね? だってそんなわけないものね? そんな間違ったこと、すぐるがするわけ……」
「俺は間違ってなんかいないよ」
 スグルが微笑むと、彼女が安心したように顔を緩める。まるで、おとぎ話のワンシーンのようだ。その様子を呆然と見つめながら僕は思った。
「じゃあ、早く魔王を倒して、わたしたちの平和を……」
 花が咲いたように微笑んだ彼女がスグルの腕を取ろうと手を伸ばす。が。
「それは無理だ」
 スグルの剣が煌いた瞬間、赤い血が飛び散る。
「え……?」
 何が起こったのかわからなかった。
「い、いやああああ! なんで、なんでなんでなんで!!!」
 それは彼女も同じらしく、血に濡れた己の体を押さえながら叫び、問う。
「あああああ、やっぱり、操られて……! よくも、よくも、すぐるを……!」
 半狂乱になった彼女がこちらを睨み、這い寄る。
「ひっ……」
 その姿に怯み、一歩下がる。逆に、スグルは彼女に一歩踏み込んで――。
「操られてなんかない。これは俺の意志だよ」
 無慈悲なままに、叫び散らす彼女を切った。

「どう、なって……」
 動かなくなった彼女から目を逸らし、スグルを見つめる。
「ごめんね、ユウヤ。でも、これでわかっただろ?」
 剣を振って血を飛ばした後、こちらに向けてスグルが微笑む。その笑顔はいつもと変わらないはずなのに、どこか仄暗い。
「わからない……。僕にはわからない……! 君は、勇者じゃない、のか……?」
 後退ろうとする僕の手をスグルが掴み、抱き寄せる。
「皆もそうだ。俺のこと勇者勇者って。こちとら聖人じゃない。欲だって人並みにある」
「や、やめっ……! よ、欲って、そんな、僕相手じゃ、おかし、」
 近づいてくるスグルの顔を押さえながら、抵抗する。しかし、手を取られてそのまま手首に口づけられる。挑発的で、欲に滾った瞳。それを見ていると、何だかこっちまでおかしくなりそうだ。
「おかしくないよ。俺はユウヤがいい」
「っ、正気か? 僕は、魔王なんだぞ……!」
「好都合さ。俺たちの邪魔できる奴はいない」
「は? スグル、意味わかんな……」
 にこりと微笑んだ彼と目が合う。幸せそうな顔。それを見てしまったことに後悔するが遅く。
「どうせなら二人で皆を滅ぼしちゃおっか」
「何、言って……」
「ね?」
 何の躊躇いもなく彼の手から放たれた魔力は、倒れていた仲間たちに向けられる。
「あ、ぶないっ!」
 咄嗟に魔力を放ち、それにぶつける。
「あーあ。ずれちゃった。ユウヤってば優しいんだから」
「なんで、君が、こんなことを……」
「ユウヤだってさ、ムカつかない? こいつらはユウヤを殺すためにここまで来たんだよ?」
「そんなの……。僕は生まれたときから魔王って決まってて、君を倒すために生まれてきたのであって、君に殺される運命で、僕が死んだら皆が幸せになれるのであって……」
「ああ。ユウヤってばそんな悲しいこと考えてたんだね」
「悲しい……?」
 だって、それがこの世の理じゃないか。善と悪。勇者と魔王。それが戦って、最後は善が勝利する。そうでなくては、この世界が綺麗にならないじゃないか。
「君は、勇者なんだから。ちゃんとそれを演じるべきだ。例え、君がこの世界の住人でなくとも、君がここに存在する意義は魔王を倒すことで。君は僕に対する同情を何か勘違いしているんだろう? だからこんなことを……」
「同情なんかじゃないのにな。まあいいよ。例えユウヤが反対しようが、俺はもう決めてるから」
「っわ。え、スグル、何を……」
 ギラリとスグルの瞳が光り、荒々しく組み敷かれる。そのまま口づけを落とされ、服越しに体を撫でられる。
「嫌がったって無駄。俺はずっと、この時を待ってたんだから」
「ど、退け……。やめろ、こんなことっ、間違って……!」
「俺がこんな世界変えてやるから大丈夫。ね、夕闇」
「あっ……」
 耳元で真名を呟かれた途端、力が抜けてゆく。
「愛してるよ夕闇。ずっと一緒にいようね」
「そん、な……」
「ね?」
「スグ、ル……」
 間違っている。こんなのは間違っている。そう思うのに、ずるずると欲に溺れて。熱に浮かされた頭じゃ、もう何も考えられなくなった。



乱入者
ラン 妖精 ワタシ 語尾カタカナ アナタ
イリシア 新勇者 ボク

 あれからどれだけの時間が流れたのだろうか。そう長くはないのだろう。二人で過ごした日々は脆く儚いもののようで。二人はゆっくりと噛み締めた。
 そして、永久は突然壊される。


「ここが、魔王城……?」
「やったわ、ワタシたち、ついに魔王に辿りついたのヨ!」
 魔王城の前で少年と妖精が手を取り合って喜び、跳ねまわる。
 ああ。ついにこの日が来たのか。
 窓から目を逸らし、ベッドで眠るスグルを見つめる。月明かりで照らされたその顔は安らかで、まだ起きる気配はない。
 そのまま寝ていてくれればいい。彼が起きる前に事が終われば……。
 そっと窓に手を掛け、羽を広げる。そして、未だに跳ねまわっている侵入者目がけて降り立つ。
「わっ」「きゃっ」
 いきなり現れた僕に、二人は目を丸くして飛び退く。
「悪いことは言わない。早々に立ち去れ」
「何よアンタ!」
「待って、ラン。この人……」
 威圧的な態度に反発する妖精と、それを止めようとする少年。どうやら彼は気づいたようだ。
「ようこそ。私の城へ。可愛いお二人さん」
「まさかこの人がっ、魔王……!?」
 ゆったりと笑ってやると、妖精が思い当たったように口にする。そして、どちらからともなく二人は互いの手を取り恐怖に震えはじめる。
 その様子をぼんやりと見ていると、少年が意を決したように一歩前に出て、こちらを睨みつける。
「ボクは勇者イリシアだ! お前を、倒しに来た!」
「わ、ワタシはラン。お供の妖精ヨ! ワタシだって、イリシアのためなら!」
 やはり、そうか。新しい勇者。それが、僕を倒すために……。
「うるさいなあ」
 上から降る機嫌の悪そうな声。顔を上げた瞬間、その声の主が窓から飛び降りる。
「ナ……。」「人間……?」
「夕闇。大丈夫?」
「ああ。まだ何も起きてないよ」
 出鼻をくじかれ驚く二人に構わず、スグルが心配そうに僕の頬を撫でる。
「もしかしてアナタは先代の勇者サン?」
 妖精がおずおずと問いかけると、スグルは眉を顰める。
「てことはやっぱりアンタらは」
「そう、ボクこそが新しい勇者です! 貴方が魔王の手に落ちてしまったこの世界。それを救うべく異世界から呼び出されたんですよ」
「チッ。思ったより早いな」
 胸を張って少年が述べると、スグルは嫌悪を隠さずに舌を打って悪態をつく。
 やっぱり。この世界は魔王を倒さないと終われない。皆が幸せになれない。きっと、この少年を倒しても、何度だって勇者が呼ばれる。
「……どうやら、本当に勇者は悪に染まったみたいですね」
 僕を後ろに庇うスグルを見て、少年は確信する。まずい。
「同じ勇者として、せめてボクの手で!」
「スグル!」
 少年とスグルの剣がぶつかり合い、音を奏でる。
 こうなるのが嫌だから彼が眠っているうちにどうにかしようと思ったのに。
「どうして魔王の味方をっ、するんですか……!」
「俺が夕闇を守りたいからだ」
 どっ。スグルの剣が少年を薙ぎ払い、地面へ転がす。そして少年が起き上がろうとしたところに剣を突きつける。
「さぁ、ここで死んでもらおうか。新しい勇者なんていらないからね。この世界には、俺と夕闇がいれば、それでいい」
「そ、そんなの間違ってるワ!」
 少年を庇うように前に出た妖精が叫ぶ。それを見て、スグルがニタリと笑い――。
「邪魔者はみんな死ね」
「イリシア!」
 剣を振り被り、少年の体を貫こうというところで、霧が立ち込める。
「これは……」
「夕闇!」
 霧に戸惑っていると、スグルが手探りで僕を抱き寄せる。律儀な男だ。
「今日は退くけれど、次こそは絶対に魔王を倒すワ!」
「ラン、早く!」
「……チッ、逃がしたか」
 声のした方に素早く魔力をぶつけながら、スグルが舌打ちをする。どうやら攻撃は外れてしまったようだ。
「スグル……」
 苛立つスグルの顔を見上げる。彼は本来こちら側ではないのに。そんな顔をしていいはずがないのに。
「大丈夫。俺がこの世界を、夕闇を守るから」
 髪を撫でつけてくるスグルの手を退けることができなかった。辺りはいつの間にか朝焼けて、まるで地獄のように不気味に燃える。ああ。もうとっくに夢から覚める時間だ。


 何てことなく一日は過ぎて夜が来る。まるで昨日の出来事の方が夢なのだと錯覚するぐらいに。
「なんて。下らない」
 今の自分はまるでおとぎ話に囚われた乙女のように泥甘い。自分は何だった? そう。人々の恐怖の対象、悪の根源。それが倒されないで何がおとぎ話だろうか。
 スグルが寝ているのを確認してから、おもむろに庭に出る。そして。
「そこにいるんだろう?」
 誰もいないはずの空間に問いかける。
「……なんだ。バレてたのネ」
 しばしの静寂の後、妖精が現れる。どうやら勇者はいないらしい。
「お前は何だ」
「ワタシ? 自己紹介は昨日で済ましたはずダケド?」
 宙に揺蕩う妖精を見つめる。可愛らしい見た目。だけど、それだけじゃない。その奥に秘めた底が知れないほどの混沌。善と悪とがひしめき合いせめぎ合う――。
「お前は“この世界”か?」
 ひとつ、思い当たって口にする。すると、妖精は目を細めてニイと笑う。
「どうやらアナタはワタシが思っていたよりも賢いラシイ」
「魔王の支配が及んで数百年。ようやく本体自らがお出ましとはね」
「アア。これ以上人間たちには任せておけないモノ。これ以上、アナタたちを自由にさせてはおけないモノ」
 妖精が真っすぐにこちらを見つめる。今の僕にはない、全てを統べる覚悟を持った瞳だ。
「アナタにはわかるでしょう? どうするべきか。この世界はどうあるべきか。その終焉が。アナタ自身の結末が」
「そんなの……。わかっている」
 魔王ならば戦うべきなのだろう。この妖精がこの世界そのものだというのならば、打ち取るべきなのだろう。だけど。
「ついてきなさい。イリシアの元に案内するワ。そこでアナタが負けてくれるのなら、元勇者くんのことは助けてあげまショウ」
「それは……」
「まぁ、主人公でもないアナタの選択じゃ、エンディングはたいして変わらないんだけどネ」
「僕は――」

 わかっていた。自分が幸せになれる世界ではないことを。自分は戦わなければいけないのだということを。それなのに。逃げていた。あろうことか勇者と夢を見るなんて。人間になれるわけでもないのに真似事などと。許されるわけがない。魔王にもなりきれない僕なんて。


「それじゃあ上手く演じて頂戴ヨ。魔王サマ」
 妖精が耳元で囁き、笑う。そして、息を吸い込み――。
「きゃああ! イリシア、助けてっ! 魔王が!」
「ラン! 魔王、お前がどうしてここに!」
「さて。その妖精に聞いてくれよ」
「コイツ、私を捕まえてイリシアを脅すつもりだったのよ!」
「さすが魔王、やり方が汚いな!」
「そっちこそ。さすがは勇者。懲りた様子が全くない。それどころか、自らやられるためにやって来るとは」
「今度こそはお前を倒す」
 とんとん拍子に事が進み、勇者の剣が振り下ろされる。そう。普通はこうあるべきなのだ。勇者と魔王が対峙したならば、戦わなければいけないのだ。
 勇者の剣を幾度となく受け止める。確かに重いが、スグルほどの力はない。でも。
「ハアッ!」
「……っ」
 攻撃をあえて受ける。十の斬撃の内、一を躱さずこの身で受け止める。もっと早く終わらせたかったが、事を焦り過ぎると少年にも手を抜いていることがバレてしまうだろう。でも、悠長なことを言っていられないのも確か。なぜなら……。
「夕闇……!」
 遠くで叫ぶ声。ああ。やはり来てしまった。こちらに気付いたスグルがすぐさま駆け付ける。そして剣を抜き、勇者に向かって叩きつけようとするが。
「な……!」
 スグルの周りに結界ができ、魔力の糸が一瞬にして彼を拘束する。
「夕闇、なんの真似だ!」
「うるさいなあ。使えない元勇者には黙ってもらおうか!」
 戸惑いながら、叫ぶ彼に手を翳す。魔力を受けた彼は、抗う間もなく気を失う。どうやら成功したらしい。拘束結界といい、ここまで上手くいくとは思わなかった。……こんなことならば、さっさとこうしていればよかったな。
 眠る彼の顔を見つめる。いや、できなかったんだ。僕は。歪んでいるのを分かっていながら、二人だけの世界に溺れていたかったんだ。
「ハッ。他愛のない」
 甘い考えを振り払うように視線を外し、悪態をついてみせる。
「お前、そいつを裏切るのかよ!」
「裏切る? 私は彼を利用しただけだ。誑かしてやっただけさ」
「やっぱりそうなのネ!」
「待っててください勇者さん、今助けますから!」
 正義感に燃えた少年が、より激しい攻撃を仕掛ける。妖精が毒や攻撃魔術を放つ。
 ああ、苦しい。だが、まだ死には足りない。
「はは、そんなもので私が死ぬとでも」
「くっ、これでどうだ! 皆の仇!」
 少年の気を込めた一撃を甘んじて受ける。ああ。もう少し。もう少しだ。
「ぐっ、中々やるようだ。だが私の本気はまだこれではない」
「くそっ!」
 少年の攻撃が次第に力を増してゆく。逆に、魔力も体力を消耗した自分の体では躱せなくなってゆく。ああ、今の自分は傍から見たらどんなに、醜いことだろう。
「く、こうなれば、全魔力を解放して、ぐあああ!」
「魔王が、怪物の姿に!?」
「もうあいつは理性を宿していない、ただの化け物よ!」
 どうしてこんな茶番を演じなければいけないのだろう。どうして、スグルと一緒に居てはいけない存在に生まれてしまったのだろう。どうして……。
 少年と妖精の攻撃が一体となって襲い来る。避けきれないそれを受け、ついにこの身は地面に倒れる。
 ああ、僕がもし本当に善として生まれて、剣士としてスグルの側に居られたのならば。いや、姫として、村娘として生まれてきたのならば……。
 どす黒い手を見つめる。ああ。ないものねだりだ。
「ぐ、ぎぎ……」
 自分の体から力が抜けてゆく。それと引き換えに辺りの地面に花が咲き誇りはじめる。
「見て! 眠っていた人たちが目を覚ましたワ!」
「荒れていた建物も、草花も綺麗に!」
 ああ。終わるんだ。ああ、確かに美しいや。自分のいない世界は、なんて美しい。
「ぐぐげ、」
 ああ、こんなに醜い姿、スグルに見られなくてよかっ……。
 ざっ。目の前にスグルの脚が現れる。ああ。結界が解けてしまったのか。
「夕闇……?」
 その声に答えることができない。やめろ。見ないでくれ。
「夕闇なんだね?」
「……っ」
 違うと叫びたくなる喉を抑えて、視線を逸らす。
 最後までみっともないまま、か。ああ。最後くらい、伝えたかったな。人間らしさを教えてくれた感謝を。彼を歪めてしまったことに対する謝罪を。そして、いつしか抱いていた彼への愛情を……。
「な、勇者さん……? 待って、う、うわあああ!!」
 え……?
 地面に赤い色が落ちる。
「ちょっと、待ってヨ! なんでアナタがそんなに強いのヨ! い、いや、いやアアアアアア!!」
 地面の赤が面積を増す。
 待ってくれ……。スグルは、なにを、なにをしている……?
「こんな歪んだ世界、俺が作り直してやる」
 ああ、スグル、ダメだ……。こんなのは……。これじゃあまるで君が……。
 彼のまわりに黒い渦が立ち込める。彼に声を掛けようとするのに、この体じゃそれすらも叶わない。
 逃げ惑う人々。黒く染まり行く空。そして、楽しそうに笑う彼。ああ、こんなの間違っているのに――。


「おはよう、夕闇」
 目を覚ますとスグルがいた。一体、僕はどれだけ眠ったのだろうか。
「す、ぐる……?」
 禍々しい魔王の力を纏った彼に問いかける。答えて欲しくなかった。彼がこんな風になっているだなんて。夢であってほしかった。
「ああ、愛しい夕闇。ようやく甦ってくれた。苦労したよ」
 何人勇者を殺したことか、と呟く彼はまさしく現実で。
「さぁ、今度こそ二人の理想の世界をつくろう?」
 ああ、スグル。僕がその手を取らない訳がないじゃないか。脆い幸せだと知りながら、それでも繰り返してしまう。
 ああ、世界よ、許したまえ。
 差し伸べられた手を取ると、彼は優しく微笑む。全てが死に絶えた真っ黒な世界。間違っている。だけど、それを糾弾する人もいない。それならば。
「ああ、スグル。僕だって君を愛しているさ。君のためだったら、喜んでこの身を泥に沈めよう」
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