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(37)悪党とチート少年
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超能力者たちの支配が及ぶ荒れ果てた世界。ゴミだらけの街を統べる悪漢グランは不思議な少年と出会う。桁外れの力を持った少年マーレットは、グランの企みを暴いて……。
チート少年×ボス
ワルいお兄さん(20後半~30前半)が年下チートに敵わないの好きです。攻めはヤンデレ、受けは葛藤、二人の関係は進むようで進まない。泥のような押し問答の自問自答。メリバに近い終わりが好きです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『よ、よくも兄ちゃんを!』
ゴミだらけの荒れた街。地面に転がった兄を見て幼い少年が怒りを露わにして叫ぶ。
この街を統べる悪。少年にとっての仇。その男は冷たい瞳で少年に絶対的な恐怖を与える。
「怖いか?」
『こ、このっ……!』
口の端を歪ませて笑う男に、少年は弾かれたように拳を握り締めて走り出す。
しかし、やけっぱちに振り回した拳は簡単に避けられ、少年は兄と同じように地面に倒れ込む。
『おいガキ。ボスを殴ろうとしたんだ。覚悟はできてんだろうな?』
『ひ、ひぃっ!』
少年が顔を上げたときには既に、ボスと呼ばれた男の手下たちに囲まれていた。その誰もが厳つい武器と鋭い目を少年に向け、徐々に距離を縮めてゆく。追い詰められた少年はすっかり闘志も萎んで、可哀想に涙目になって体を震わせはじめる。
そんな少年にも周りの手下たちは容赦せず、各々の凶器を振りかざし――。
「待て」
少年の体に刃が触れようという寸前。低い声が静かに響く。それを受けて、手下たちは一斉に武器を仕舞い少年から距離を取る。
「今なら逃がしてやるぞ、坊や」
『えっ……?』
「そこのオニイチャン連れてさっさと帰んな」
男が少年を立たせてやりながら、少年の兄に目を向ける。
ガッ。
その瞬間、少年が力を振り絞って男の足を蹴り上げる。
『お前なんかボクが倒してやる! それで兄ちゃんもみんなも楽に暮らせるようにしてやるんだ!」
『このガキ!』
「まぁ待てよって」
『っ……!』
手下がいきり立つのを抑えた男が、少年の目の前にしゃがみ込んで不敵に微笑む。
「威勢がいい奴は嫌いじゃない。だけど、先のことを考えず突っ走るガキには」
『う、うわああっ!』
「ちょーっとお灸を据えてやろうかね」
『は、放せぇ!』
男が少年の足を掴んでそのまま持ち上げる。逆さ吊りになった少年が暴れても、男の手は緩まない。
「お前は逆らう相手を間違った。お前の兄もそうだ。殺されて当然だよなぁ?」
『ひっ! た、助けてっ……! 誰かっ、、助けてえええええ!!』
男に睨まれた少年が涙目になりながら叫ぶ。それを見た手下たちがケラケラと笑い出す。
『助けてだってよ! 誰に言ってんだコイツ!』
『ここいらでボスより強い奴なんていやしねえよ!』
『そうそう。謝るなら今の内だぜ!』
ごっ。
風が吹き荒れ、何かが男の目の前に飛んでくる。
「なんだ……?」
男の足元に転がってきたそれは、手下の内の一人。そこそこの巨漢だ。それが宙を舞うようにして落ちてきたのだ。
『ぼ、ボス! て、敵襲です!』
『う、うわ、なんだコイツ!』
いつの間にか立ち込めた土煙でその場の全員が視界を奪われる。その間にも、どさどさと何かが地面に叩きつけられる音が止まない。
「何が起こって……」
『ひ、ひえっ!』
少年が悲鳴を上げた瞬間、男の手から少年が消える。
「へぇ。中々手強い。本当は今ので貴方を殺そうと思ったんですけど。まさか避けるとは」
「お前は何だ?」
「僕は通りすがりのマーレット・サロンノ。ええと、貴方がグラディーン・マールさん、で合ってます?」
「ああ、合ってるが?」
「良かった。柄は悪いけど、そんなに歳は食ってなさそうだ」
「お前より一回りは歳食ってると思うが?」
ようやく視界が晴れ、男の目の前に現れたのはまだ十五そこそこの少年。
『あ、あの……』
「ああ、大丈夫?」
マーレットが抱きかかえていた少年を下ろし、屈んで頭を撫でる。その姿は兄弟のようにしか見えない。
「まだ兄弟がいたのか?」
「はは。違いますよ。何となく助けただけです。大丈夫。もう怖くないよ」
『う、うん……』
「僕はちょっとこのオニーサンに用があるんだ。君はもう行きな」
『で、でも……』
「そこのお兄ちゃん、早くお医者さんに診せてあげて」
『う、うん……!』
*
「最近のガキは正義の味方が多いねぇ」
幼い少年が倒れ込んだ兄に手を貸し、通り過ぎていくのを横目で見つめる。
「貴方、彼を殺す気はなかったんでしょう? 兄の方も、貴方がやったのではなく恐らくは貴方の部下がやったんだ」
「……気味の悪いガキだな。俺がそんなに甘く見えるかよ」
「僕が貴方の部下を片付けている間に、貴方はずっとあの子を守ってましたよね。逆さ吊りをやめて抱きかかえていたし。見るからに甘いでしょ」
マーレットと名乗った少年が呆れたようにため息をつく。
こんな態度を取られたのは久しぶりだな。なにしろ、ここらで俺に逆らえる者はもういない。
「で、俺に用事とは何かな? 配給のパンをもっと増やせばいいかな?」
少し前の話。世界規模で土地が枯れ始め、人々はすぐに食糧難に苦しめられた。その結果、人間は殺し合い、土地を奪い合った。
「貴方は他所の縄張りのボスみたいに、豪勢な家を建てて国家建設よろしく国王のように暮らそうとかないんですか?」
強者として土地を得たのは、人間の枠を外れた魔法のような力を持った者たちだった。
「こんなゴミだらけの街で、チンピラみたいなことして。他の土地を狙った方がよっぽどいいのに、貴方はこんなところで燻っている」
元々はこの世界、魔法などという馬鹿々々しい空想の力は存在していなかった。
「んなの、俺の勝手だろうが」
が、しかし。世界が枯れ始めたのと同時に、誕生する子どもたちに異変が起きた。そう。
「貴方は良い力を持っているはずです。それなのに。貴方は一体ここで何を企んでいるんです?」
まるで土地の生命力と引き換えたように、数人の子どもたちは力を手に入れた。
「別に何も。俺はただ贅沢に興味がないだけだ。生まれも育ちも悪いもんでな。ここみてーなスラム街が落ち着くんだよ」
成長した子どもたちはやがて、その力を使い、人々を各々が思うように従え、消していった。
「ふーん?」
俺、グラディーン・マールもその力を授かった内の一人。他の能力者がしているように、土地を奪い、人々を従えて生活していた。
「お前が何を探ってるかは知らねーが、ここは絞ってもカスしか出てこねぇぞ?」
神が何を思って俺たちにこんな力を授けているのかはわからない。だが、俺は……。
「僕はね、ここにとんでもないお宝が眠ってるんじゃないかって思ったんですよ」
マーレットの瞳がぎらりと輝く。その不思議な色に見入ってしまいそうになる自分を抑えて、頬の筋肉を引き上げる。
「はは、こんなスラム街にか?」
「そ。んで、見つけてしまいました」
ぞくりとするような瞳が真っすぐに向けられる。
「ハッタリか? 鎌かけても何も出ないぜ?」
「でしたら、力づくで奪わせてもらいましょう」
「はっ。ガキに負けるわけ……」
言葉が終わるよりも先に、背筋にちりりとした熱気を感じる。
「っ!」
「やっぱり避けるか……」
かろうじて避けたそれは、元いた地面を焦がすように揺らめく。炎。それが彼の能力なのだろう。その熱は離れても尚伝わるほどの火力。やはりコイツの力は並みのものではない。
「遊びはいいんで、力使って抵抗してください」
涼しげな顔でにこりと微笑んだマーレットがこちらに炎を寄越す。
「お前、マジで何者だ」
能力者に関する情報は漏れなく仕入れていたつもりだった。だが、目の前に迫る炎は、普通ではありえない程に膨れ上がっていた。こんな火力を出して尚、笑っていられるような奴がいるなんて……。
「無駄口はいいですから。死にたくなかったら貴方の力、見せてくださいよ」
炎が襲ってくる。今からどこに逃げようとも、その巨大な炎に飲み込まれる。街だってこんな炎を受ければ無事では済まない。
だが。
「俺の勝ちだな」
手に力を込めて、目の前の炎に翳す。手の平から生まれた水が、渦を巻いて炎をかき消してゆく。
「なるほど。水属性でしたか」
「そうだ。炎属性であるお前に勝ち目なんてねえんだよ!」
能力を手に入れた子どもたちは、それぞれ使える力が違った。大きく分けると、炎、水、地の三属性に分類され、そのいずれか一つの属性を使えるのだ。それぞれは三竦みになっていて、能力者たちは相手の属性を把握することが必須なのだが。
「それはどうですかね」
炎を消されたマーレットは尚も笑みを崩さない。まるで余裕な表情に寒気を覚えて立ち止まる。
「どうしました? 僕に勝ちなんてないんでしょう? じゃあさっさとトドメを刺したらどうです?」
「……」
普通ならば挑発に乗って彼の言葉通りトドメをさしに行くところだが、直感に身を任せて後ろに飛び退く。
ぼこっ。
「!」
飛び退いた瞬間、地面から太い蔦が伸び、獲物を絡め取ろうとうねりを上げる。
他にも能力者がいたのか……?!
蔦を回避しながら辺りを見回すが、それらしき影は見当たらない。
「あ、もしかして、これ操ってる人を探してます?」
「ガキは囮だったって訳か」
「ガキって僕のことですか? 嫌だなあ。というか、誰もいませんよ。だって、これ操ってんの僕ですから」
「お前は炎だったろうが」
「僕、全属性使えるんですよ?」
「は? そんな馬鹿な話……」
下手なハッタリだと思ったが、マーレットは嘘をついている様子ではない。何より、その瞳はやはり不思議な力を携えていて……。
「ぼーっとしてたら危ないですよ?」
「しまっ……」
にこやかに微笑むマーレット。その手の平から放たれた炎を避けるが、すかさず背後から蔦が伸び、強かに背を打ち付ける。
「かはっ……!」
膝をつく暇もなく蔦に全身を捕らわれ、締め付けられる。
「ほら、馬鹿なのは貴方の方だ」
「う……。くそが……」
蔦を解こうと足掻いても、びくともしないどころか、ますます締め付ける力が強まっていく。
「悔しいですか? もう少しだったんでしょう?」
「なんのこと、っぐ……」
シラを切ろうとした瞬間、蔦が首に巻きついて締め付ける。
「惚けないでくださいよ。作ってたんでしょう? 住民から絞ったお金で」
「ぐ……」
「人の能力を跳ね上げる薬。そんなものを作ってどうしようってんです?」
マーレットが指で合図すると蔦が動き、彼の目の前まで運ばれる。
「っ……」
「ああ。ごめん。これじゃあ話せないよね」
そう言ってマーレットが頬に触れる。その瞬間、巻きついていた蔦が解けて地面に降ろされる。
「っは、知らねえって、言ってるだろ……!」
「じゃあこれは一体何の薬なんでしょうか?」
「な、それは!」
マーレットが目の前に翳したそれは、何の変哲もない小瓶。しかし、その瓶に描かれた模様は、誰でもない自分の支配を表す印で……。
「どうやら当たりらしいですね」
「っ……!」
どうしてコイツが持ってるんだ……?
頬に伝う汗をそっと拭う。あの薬は秘密裏に作られたもので、こんなガキに漏れるような情報管理はしていないはずで……。
「あぁ。ちょっとばかり地下の研究所を壊して拝借しました。でも、こんなのいらないですよね?」
ぱりん。
目の前の少年は、何の躊躇いもなく瓶を叩き割って踏みにじる。
「お前……!」
その薬にどれだけの金と時間をかけているか……! 研究所を壊した? まさか!
「こんなの飲んじゃ駄目ですよ」
真面目な顔をしたマーレットが、まるで諭すようにこちらを見つめてくる。
「わかってるんでしょう? これは副作用が酷過ぎる。こんなものを飲んだら体が壊れてしまうんですよ?」
そんなことはわかっている。だが、安全な方法を取っていては絶対にできない。
「貴方、自分で飲むつもりだったんでしょう? そして、この枯れた大地を蘇らせるために貴方の力を使おうとしてるんでしょう?」
「はっ。俺が平和のために薬を作ったって言いてえのかよ」
「悪ぶったって無駄ですよ。貴方が甘々なのは、わかってんですからね」
「俺は、そんなんじゃ……」
「あはっ。安心してください。僕は自分の身を捧げようとする人、大好きなんですよ」
絡みつくように頬に触れ、ゆっくりと撫で回したマーレットがうっとりとその瞳を歪ませる。
「だからね、グラディーン・マール。貴方の絶望の希望を打ち砕いてあげたくなるんです」
寒気がするほどねったりとした優しい口調。これ以上コイツに関わってはいけない。本能が告げる通りに逃げようとするが、すぐに蔦に絡まれ、マーレットに顎を掴まれる。
「お前、薬目的じゃあないのか……?」
「言ったでしょ? 宝物を見つけたって」
マーレットの親指がゆっくりと唇をなぞる。
「死ぬのなら僕に壊された後にしてください」
「とんだ変態だな」
にこりと微笑んだマーレットの指先。それを迷わずに食いちぎる勢いで噛みついてやる。
ばしゃ。
頭上から水が降り注ぐ。その力の元であるマーレットが親指を抑えて忌々しそうにこちらを睨んでいる。
「ざまあみろ」
「貴方は本当に大馬鹿ですね」
どっ。
一瞬の殺気を帯びた表情。それに恐怖するより早く蔦によって体が地面に叩きつけられる。
「っは……」
「僕は見ての通り強い。貴方を今すぐ殺すことだってできるんですよ?」
薄暗く響く声音を受けて、蔦が首を締め付け始める。
「でもそれじゃあ貴方は大好きなこの土地を、この土地に住む人々を守れない」
「あぐ……」
「ほら、選んでください。素直に僕の玩具になるか、ここでサクッと殺されるか」
蔦が緩まり、地面に放り出される。試すような瞳が不気味に揺れる。
「そん、なの……!」
足に力を入れて、立ち上がる。そのまま縺れそうになる足を何とか前に出して走り出す。
「甘いなあ」
呆れたような声が聞こえた瞬間、蔦に足を取られて地面に転ぶ。
「くそ……」
「貴方って本当に相当な馬鹿ですね。僕から逃げられるとでも思ったんですか? 情けなくて。可愛いですね」
為す統べもなくずるずると逃げた道を引き摺られてゆく。
その途中にある割れたガラスと零れた液体。それに手を伸ばして舌をつける。
「ああ、それが狙いですか」
薬を舐めようとしたことに気づいたマーレットが指を鳴らす。すると、あっという間に蔦が体を掬い上げて宙吊りにする。
「く……」
もう少しだったのに……。
「惨めなもんですね。僕はただ、多少甚振ったら終わろうと思ってたのに。そんなにじたばたされると、もっと構いたくなっちゃうなぁ」
「ふざけるな……」
「あぁ。なんだかその目、ぞくぞくしますよ」
「変態が……、うぐっ!」
悪態を吐いた途端、蔦が締まり、顔が地面につきそうな位置に下げられる。
「ほら、いいですよ。這いつくばって地面を嘗めるんでしょう? ついでに僕の靴も舐めてもらおうかなぁ」
「っ……」
ぎりりと音が鳴るほど歯を食い縛ってから、地面の薬を飲もうとする。が、あと少しというところで、舌先すらもが届かない。
「あっはっは! かわいそ~! ほらほら、早くしないと乾いちゃいますよ」
「くそが、いい加減に、しろ……!」
手に隠して作っていた氷の刃で蔦を引き裂く。
「わっ。氷なんて作れるのか。……さっきちょっと舐めた薬のおかげですかね?」
「ああ。そうだよっ!」
蔦から解放された勢いを利用して、マーレットに殴り掛かる。が、それすらもあっさり躱され、殺しきれなかった勢いそのままに地面に倒れ込む。
「チッ、くそったれが……」
「あーあ。しょうがないなぁ。ほら」
楽しそうに近づいてきたマーレットが、ポケットから出した小瓶の中身を自分の手に流し込む。
「は……?」
「どうぞ飲んでください。これが欲しいんでしょう?」
「……お前の望みは何だ? 俺をどうしたら気が済むんだ?」
「あれ、床ペロより綺麗なのに。難儀な人だ。全く。少なくても、そういう風に降参してほしくないですね~。もっと抵抗してもらわないと面白くない」
「なるほど。それじゃあ俺は抵抗しない。どうせお前には敵いそうにないし」
「賢いですね~。でも、それくらいじゃ僕の興を削げませんよ」
マーレットが自分の手の平に口をつけて薬を含む。そして……。
「んむ?!」
顔を近づけられたかと思うと、そのまま口づける形で薬を流し込まれる。
「はい。せっかくあげたんですから、零さず飲んでくださいよ?」
「っ……!」
すぐにでも吐き出したい気持ちを堪えて、貴重な薬を飲み下す。
「後悔するなよ、この悪趣味野郎……」
どっ。
マーレットに水を降らす。その威力はやはり普段のものとは比べ物にならない。
しかしその攻撃も、蔦が絡み合って作られた壁に阻まれる。
「ほら。せっかく強くしてあげたんですから。もっと楽しませてくださいよ!」
「クソガキが!」
水を龍の形に練り上げて、マーレットを追撃する。それを見たマーレットは跳躍して躱す。
「これだけですか?」
「黙れ!」
怒りを糧に、水龍をできるだけ作り上げ、マーレット目掛けて一斉に放つ。
「これでは流石に参ってしまいますよ」
「参ってる様子じゃねえんだが」
全ての攻撃を躱したマーレットは余裕の表情で地面に舞い降りる。
「いやね、もっとやってくれると思ったんですけど。残念です」
すっかり興味を失くした様子のマーレットが、こちらに向かって手を伸ばす。
「そりゃあ、悪かったな!」
パキ。
「な……」
マーレットが水たまりを踏みしめた瞬間、水を氷に変えて足を取る。
「今だ!」
足を固定され避けられなくなった彼を、容赦なく水の塊が包み込む。そして、そのまま凍らせる。
「やったか」
汗を拭う。ドーピングしているとはいえ、流石に力の使い方が荒過ぎた。だが、あと少し。この氷をマーレットごと砕けば……。
一瞬、氷の中で何かが揺らめく。パチパチと氷が軋む音。
「まさか……!」
咄嗟に後ろへ飛ぶ。すると、氷の中から赤い光が浮かび上がり……。
どっ。
爆発音が聞こえたと同時に、氷が飛び散る。それを水の壁で守りながら、向こう側を見る。
「嘘だろ……」
水を取り去り、もう一度確認する。そこにいたのは、無傷のマーレット。赤く燃える炎を纏い、楽しそうにこちらを窺っている。
「中々今のは良かったですよ、グランさん」
「お前には効いてないみたいだけどな」
「残念ながら。僕は強いんです」
「チッ」
挑発を受けて、再度力を練ろうとする。が。
「……!」
少し集中しただけで眩暈がして体が傾く。
「おっと。大丈夫です?」
「ぐ……」
マーレットに抱き留められたのを抜け出そうとしても、体に力が入らない。
「だから言ったんですよ。使うなって。ちょっと飲んだだけでこんなんですよ? 貴方がやろうとしてることは、こういうことなんですよ」
「そんなことは、百も承知だ」
「死ぬのが怖くないんですか?」
「俺の命なんざ……。役に立てるならそれで万々歳だろうが」
「馬鹿」
ぱちっ。
「って」
いきなり頬を叩かれたのでマーレットを睨む。が、睨まれたマーレットは、まるで自分の方が痛いんだ、とでも言いたそうな程に顔を歪ませてこちらを見ていた。
「それじゃあ僕が悲しいんですよ」
「……お前は、何で俺にそんなこと言うんだ?」
「貴方が欲しいんです」
「何で俺なんだよ」
「あ~。そういうこと聞きます?」
「……」
「僕は見ての通り強いんですよ。今まで色んなとこ行って、そこのボスぶっ潰してきたんですけどね……。貴方みたいに、自分の領地に住んでる人のコトを真剣に考えてる強い奴、見たことなかったんですよね。優しい奴はみ~んな弱くて、強い奴はみ~んな欲に溺れてる。ここはそんな世界なんですよ」
確かにそうだ。能力を持って生まれた奴らは、その優越感から抜け出せずに戦いと搾取を繰り返し続ける。平和なんて願っていたら守るものが多すぎて隙ができて付け入られる。
「でも貴方は違う。その目はまだ諦めてない。人を救おうとする正義を湛えた瞳だ」
俺の目元をなぞりながらマーレットが、まるで宝石でも愛でているかのように恍惚の表情を浮かべる。
「やめろ。そんなんじゃねえよ」
マーレットの手を押しのけて額に手を当てる。脳裏に過るのは、殺されていった仲間たち。そんなんじゃない。俺が正義? まさか。こんな無力な俺は、そんな大層なもんじゃない。
「じゃあ、どんなんですか」
「うるせえな。俺はただ、俺の知ってる奴らを見殺しにしたくないだけだ。正義ってのは、知らない奴でも救おうとする奴のことを言うんだろ。俺は違う。ただ、見知った奴が死ぬのを見たくないだけなんだよ」
「そういう考え方をするところも、善に見えますけど」
「知るかよ。善悪なんざ、どうでもいい。どちらにせよ、俺は結局こうしてお前に負けた。薬を使ったって、俺の力だけじゃここを豊かに出来るかもわかんねえ。俺はそういう中途半端で結局何にもできずに終わる男さ」
「そうですね」
静かに肯定したマーレットが目の前に手を翳す。すると、みるみるうちに体の傷が塞がり、突き刺すような頭の痛みもすっきり治まってゆく。
「なんだこれ。力が戻って……。お前、まさか回復までできるのかよ」
「ええ。僕ってば万能なんです」
当然といった様子でにこりと笑うマーレット。それにすっかり毒気を抜かれて立ち尽くす。
「ははっ。そんな力あるんなら、この世界を統一することだってできるだろうに」
「ええ。できるでしょうね。でも、僕はそれを望まない。そんなつまらないことはしたくない」
「言ってくれる。どれだけの人間が自分の土地欲しさに争ってるか――」
「わかってますよ。だからうんざりなんじゃないですか。人間っていうのは本当につまらない」
「……お前は一体」
目の前の少年、マーレット・サロンノ。その力は人知を超えたもので、明らかに人ではないことが窺い知れる。
「ねえ。貴方が望むのならば、僕は力を貸しましょう」
「あ?」
「だから、貴方が僕を受け入れてくれるのならば、僕はこの土地を豊かにしてあげるといってるんですよ」
「ほ、本当か……?」
「ええ。僕ならそれができる」
俺の手を取り撫で上げたマーレットが、天使のような慈しみと悪魔のような艶めかしさを混ぜたような笑みを浮かべて顔を近づける。
きっと、これを受け入れたのならば、彼は本当にここを救ってくれるのだろう。
でも。
「……いや。でも、それはやめておく」
寸前まで迫ったマーレットの顔を押し戻す。
「なぜです?」
すぐさまその手を取ったマーレットが怪訝そうな瞳をこちらに向ける。その顔は、不満というよりも、理解できない、不思議で堪らないといった様子だった。
「これは俺の問題だ」
「かっこつけても結果が全てですよ?」
「そうだがな、何よりお前は信用に足りない。俺は、何でも信じるお人好しではないからな」
「嘘だ。僕が本気だってわかってるんでしょう?」
「さあ。少なくとも、俺はお前に食われるのはご免だ」
意地の悪い笑みを送ってやると、マーレットは一瞬ぽかんとした後、くつくつと愉快そうに笑い出す。
「さすが。しっかりしている」
「分かったら帰れ」
「帰るとこなんてありませんよ」
「だったら出ていけ。どっかを流離え」
「いいえ。嫌です。僕はここに居ることに決めました」
「……おい」
遠慮なく抱きしめてくるマーレットを咎めようとするが、途中で止まる。
「僕は貴方を守ります。貴方が死なないように」
どっ。
マーレットから放たれた炎が隠れていた能力者を撃退する。どうやら、マーレットに気を取られていた隙に狙われていたらしい。
「僕は貴方の騎士でいましょう」
「それは条件付きじゃあないのか?」
「ええ。貴方に駆け引きは通じないようですし。だったら僕は貴方が僕に惚れるまで、ずっと隣で待ちますよ」
「それはお得だな。正直、この土地も狙われ始めているからな。お前がそう言うなら全力で守ってもらおうか」
「素直ですね」
「利害は一致してるからな。ただし、簡単には逃がさねえぞ」
「情熱的ですね。そんでもって、やっぱり自己犠牲」
「お前が好きなやつだろ」
「ええ。大好きですとも」
マーレットが手の甲に口づけを落とす。そこから伝わる熱が、更に熱を増して体中に巡ってゆく。自己犠牲なんて迷妄もいいところだ。
人から好意を向けられたことなどなかった。だから、マーレットの熱はまるで毒のようによく染み込んだ。
もう手遅れかもしれない。自分でも単純すぎると思った。本当は誘われるがままに溺れてしまおうとも思った。それで、この土地が豊かになるのなら、願ったり叶ったりだ。
でも、それは流石に自分の信条に反していた。それに何より、マーレットがきっとそれを望んでいない。あの条件を飲んでいたら、きっと彼は自分に飽きてしまっただろう。
だから――。
その後、能力を増強する薬の開発は止めた。マーレットに強く止められたからだ。その代わり、どんな環境でも育つ強い苗を開発した。これもマーレットの提案だった。これならば互いの信条に反することもない。時間は掛かるだろうが、これならばきっと未来へ繋いでゆける。学のない俺にとって考えも及ばない案だった。
「お前は、本当に俺の手伝いを続ける気か?」
「手伝いじゃなくて、騎士ですってば。勿論続けますよ。僕が飽きるまでずっと。それに、代償だって貰ってますしね」
ふいに近づいてくるマーレットの顔を押しのける。
「……せいぜい飽きられないよう努力する」
「ええ。グランは焦らすのが上手いですからね」
愛おしそうに微笑むマーレットに心が痛む。
「言っただろ。簡単には逃がさないってな」
土地が豊かになってゆくにつれて、歪んでゆく気持ち。ここが完全に平和になったとき、俺はこの気持ちを伝えるのだろうか。
いや、答えなんてとっくに決めている。伝えたとしても、マーレットは俺に興味をなくしてしまうのだろう。だったら。マーレットを逃がさないように、この気持ちを死ぬまでずっと抑え込んでみせる。
「ああグラン。貴方はやはり美しい」
「ん……」
囁くマーレットからやんわりと距離を取る。
美しくなどない。正義など語れもしない。本当の正義があるのならば、マーレットを受け入れて、手っ取り早く力を借りるべきだった。そうしなかったのは、信条がどうとかなんて自分を騙したのは、ただ一重にマーレットを逃がさないため。そんなやり方が正しいだなんて思えない。そう。間違っている。だからこそ、この恋は実ることがない。
「グラン。この土地が豊かになったら、旅に出ましょうよ。苗を持って、少しずつ世界を元に戻す旅を二人で!」
マーレットが無邪気に微笑む。それはまるで朝日のように眩しく、無垢な少年のように美しい。でも。それを受け取るには足りない。
「言っただろ。俺はここだけ守れればいいんだよ。行くんならお前だけにしろ」
結局、マーレットが何者かもわからなかった。見た目も力も考えも全く違う彼に想いを寄せる方がおかしい。だけど。
「そんなこと言わずに。考えておいてくださいよ。僕は貴方と一緒に居たいんですから」
自分からこの少年の好意を手放すことができなかった。それはこれからも同じだろう。俺は、マーレットを縛り付けて、偽りの幸せに浸りながら自分を呪うのだろう。
*
マーレット・サロンノは人間ではない。
この星は、数十年前から食糧難に見舞われた。
人間たちは無駄に増えすぎた。人間たちが増える度に、この星はどんどん汚染されていった。
だから、人間の数を減らそうと思った。土地の生命力を奪い、それを新たに生まれた人間たちに植え付けた。
僕の読み通り、人間たちはすぐに争いを始めた。成長した能力者たちは、その戦いに加わって、無能力者たちをたくさん殺した。
そして、能力者たちは陣取りごっこを始めた。弱い者を従えて、能力者同士で潰し合った。
ここまでくれば、後はもう能力者を殺すだけだった。能力を与えた人間以外を生かせば丁度良い数字になる。本当は人間なんて野蛮な生き物は滅ぼしても構わないのだが、まだその生態を見極められない内には生かしておこうと思ったのだ。
僕は、一時的に人間の姿を装い、マーレット・サロンノという名を語った。能力者を殺すことなんて、本当は一瞬でできることだけれど、こういう形で人間に近づいてみるのも悪くないと思った。
しかし、僕はすぐに後悔した。能力を持ったせいで傲慢になってしまった人間たちは、とても汚かった。予想はしていた。だからこそ次の世のため殺そうと思っていた。だが、あまりにも醜い。この種族を生かしておいて本当にいいものか、と僕は悩んだ。
そんなときに出会ったのが、誰でもない。グラディーン・マールだった。
変な薬を開発して、勝手に土地を豊かにされては困る。そう思って、彼を早く潰そうと思ったのだが、彼は確かに他の人間と違っていた。見た目や言葉遣いとは裏腹に、力に溺れることもなく、無能力者たちを救おうとしていた。僕は衝撃を受けた。自分のためじゃなく、他人のために動く人間がいるのか、と。
だから、彼を試したくなった。力の使い方も中々上手いようだった。本気を出しても歯向かってくるグランは本当に愛おしかった。
そうしていよいよ、本当に彼が欲しくなった。彼は愛に飢えているようだった。押せば容易に落ちてくれるだろうと思っていた。
だけど違った。彼は見抜いていた。僕が彼を手に入れたならば、それで気が済んでしまうことを。だから、あえて僕の誘いに乗らない選択をしたのだ。驚いた。人間に見透かされてしまうだなんて、本当に彼が人間であることに疑問を覚えた。こうなってしまえばもう負けた。心はすっかり人間ごっこを続けたがっていた。だから、彼の騎士として彼を守ることに決めた。
「……せいぜい飽きられないよう努力する」
彼はどうやら自分の気持ちを伝える気はないらしい。だが、自分が複雑な顔をしていることに気づいているだろうか。本当に、美しく愛おしい。
逃げるなんてとんでもない。むしろ、僕が逃がさない。もし貴方が死ぬ間際に想いを伝えてきたとしても、それで終わり、なんてことはさせない。転生させてその続きをじっくりと聞き出してやるんです。貴方が逃げたくなるぐらいに、ね。
チート少年×ボス
ワルいお兄さん(20後半~30前半)が年下チートに敵わないの好きです。攻めはヤンデレ、受けは葛藤、二人の関係は進むようで進まない。泥のような押し問答の自問自答。メリバに近い終わりが好きです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『よ、よくも兄ちゃんを!』
ゴミだらけの荒れた街。地面に転がった兄を見て幼い少年が怒りを露わにして叫ぶ。
この街を統べる悪。少年にとっての仇。その男は冷たい瞳で少年に絶対的な恐怖を与える。
「怖いか?」
『こ、このっ……!』
口の端を歪ませて笑う男に、少年は弾かれたように拳を握り締めて走り出す。
しかし、やけっぱちに振り回した拳は簡単に避けられ、少年は兄と同じように地面に倒れ込む。
『おいガキ。ボスを殴ろうとしたんだ。覚悟はできてんだろうな?』
『ひ、ひぃっ!』
少年が顔を上げたときには既に、ボスと呼ばれた男の手下たちに囲まれていた。その誰もが厳つい武器と鋭い目を少年に向け、徐々に距離を縮めてゆく。追い詰められた少年はすっかり闘志も萎んで、可哀想に涙目になって体を震わせはじめる。
そんな少年にも周りの手下たちは容赦せず、各々の凶器を振りかざし――。
「待て」
少年の体に刃が触れようという寸前。低い声が静かに響く。それを受けて、手下たちは一斉に武器を仕舞い少年から距離を取る。
「今なら逃がしてやるぞ、坊や」
『えっ……?』
「そこのオニイチャン連れてさっさと帰んな」
男が少年を立たせてやりながら、少年の兄に目を向ける。
ガッ。
その瞬間、少年が力を振り絞って男の足を蹴り上げる。
『お前なんかボクが倒してやる! それで兄ちゃんもみんなも楽に暮らせるようにしてやるんだ!」
『このガキ!』
「まぁ待てよって」
『っ……!』
手下がいきり立つのを抑えた男が、少年の目の前にしゃがみ込んで不敵に微笑む。
「威勢がいい奴は嫌いじゃない。だけど、先のことを考えず突っ走るガキには」
『う、うわああっ!』
「ちょーっとお灸を据えてやろうかね」
『は、放せぇ!』
男が少年の足を掴んでそのまま持ち上げる。逆さ吊りになった少年が暴れても、男の手は緩まない。
「お前は逆らう相手を間違った。お前の兄もそうだ。殺されて当然だよなぁ?」
『ひっ! た、助けてっ……! 誰かっ、、助けてえええええ!!』
男に睨まれた少年が涙目になりながら叫ぶ。それを見た手下たちがケラケラと笑い出す。
『助けてだってよ! 誰に言ってんだコイツ!』
『ここいらでボスより強い奴なんていやしねえよ!』
『そうそう。謝るなら今の内だぜ!』
ごっ。
風が吹き荒れ、何かが男の目の前に飛んでくる。
「なんだ……?」
男の足元に転がってきたそれは、手下の内の一人。そこそこの巨漢だ。それが宙を舞うようにして落ちてきたのだ。
『ぼ、ボス! て、敵襲です!』
『う、うわ、なんだコイツ!』
いつの間にか立ち込めた土煙でその場の全員が視界を奪われる。その間にも、どさどさと何かが地面に叩きつけられる音が止まない。
「何が起こって……」
『ひ、ひえっ!』
少年が悲鳴を上げた瞬間、男の手から少年が消える。
「へぇ。中々手強い。本当は今ので貴方を殺そうと思ったんですけど。まさか避けるとは」
「お前は何だ?」
「僕は通りすがりのマーレット・サロンノ。ええと、貴方がグラディーン・マールさん、で合ってます?」
「ああ、合ってるが?」
「良かった。柄は悪いけど、そんなに歳は食ってなさそうだ」
「お前より一回りは歳食ってると思うが?」
ようやく視界が晴れ、男の目の前に現れたのはまだ十五そこそこの少年。
『あ、あの……』
「ああ、大丈夫?」
マーレットが抱きかかえていた少年を下ろし、屈んで頭を撫でる。その姿は兄弟のようにしか見えない。
「まだ兄弟がいたのか?」
「はは。違いますよ。何となく助けただけです。大丈夫。もう怖くないよ」
『う、うん……』
「僕はちょっとこのオニーサンに用があるんだ。君はもう行きな」
『で、でも……』
「そこのお兄ちゃん、早くお医者さんに診せてあげて」
『う、うん……!』
*
「最近のガキは正義の味方が多いねぇ」
幼い少年が倒れ込んだ兄に手を貸し、通り過ぎていくのを横目で見つめる。
「貴方、彼を殺す気はなかったんでしょう? 兄の方も、貴方がやったのではなく恐らくは貴方の部下がやったんだ」
「……気味の悪いガキだな。俺がそんなに甘く見えるかよ」
「僕が貴方の部下を片付けている間に、貴方はずっとあの子を守ってましたよね。逆さ吊りをやめて抱きかかえていたし。見るからに甘いでしょ」
マーレットと名乗った少年が呆れたようにため息をつく。
こんな態度を取られたのは久しぶりだな。なにしろ、ここらで俺に逆らえる者はもういない。
「で、俺に用事とは何かな? 配給のパンをもっと増やせばいいかな?」
少し前の話。世界規模で土地が枯れ始め、人々はすぐに食糧難に苦しめられた。その結果、人間は殺し合い、土地を奪い合った。
「貴方は他所の縄張りのボスみたいに、豪勢な家を建てて国家建設よろしく国王のように暮らそうとかないんですか?」
強者として土地を得たのは、人間の枠を外れた魔法のような力を持った者たちだった。
「こんなゴミだらけの街で、チンピラみたいなことして。他の土地を狙った方がよっぽどいいのに、貴方はこんなところで燻っている」
元々はこの世界、魔法などという馬鹿々々しい空想の力は存在していなかった。
「んなの、俺の勝手だろうが」
が、しかし。世界が枯れ始めたのと同時に、誕生する子どもたちに異変が起きた。そう。
「貴方は良い力を持っているはずです。それなのに。貴方は一体ここで何を企んでいるんです?」
まるで土地の生命力と引き換えたように、数人の子どもたちは力を手に入れた。
「別に何も。俺はただ贅沢に興味がないだけだ。生まれも育ちも悪いもんでな。ここみてーなスラム街が落ち着くんだよ」
成長した子どもたちはやがて、その力を使い、人々を各々が思うように従え、消していった。
「ふーん?」
俺、グラディーン・マールもその力を授かった内の一人。他の能力者がしているように、土地を奪い、人々を従えて生活していた。
「お前が何を探ってるかは知らねーが、ここは絞ってもカスしか出てこねぇぞ?」
神が何を思って俺たちにこんな力を授けているのかはわからない。だが、俺は……。
「僕はね、ここにとんでもないお宝が眠ってるんじゃないかって思ったんですよ」
マーレットの瞳がぎらりと輝く。その不思議な色に見入ってしまいそうになる自分を抑えて、頬の筋肉を引き上げる。
「はは、こんなスラム街にか?」
「そ。んで、見つけてしまいました」
ぞくりとするような瞳が真っすぐに向けられる。
「ハッタリか? 鎌かけても何も出ないぜ?」
「でしたら、力づくで奪わせてもらいましょう」
「はっ。ガキに負けるわけ……」
言葉が終わるよりも先に、背筋にちりりとした熱気を感じる。
「っ!」
「やっぱり避けるか……」
かろうじて避けたそれは、元いた地面を焦がすように揺らめく。炎。それが彼の能力なのだろう。その熱は離れても尚伝わるほどの火力。やはりコイツの力は並みのものではない。
「遊びはいいんで、力使って抵抗してください」
涼しげな顔でにこりと微笑んだマーレットがこちらに炎を寄越す。
「お前、マジで何者だ」
能力者に関する情報は漏れなく仕入れていたつもりだった。だが、目の前に迫る炎は、普通ではありえない程に膨れ上がっていた。こんな火力を出して尚、笑っていられるような奴がいるなんて……。
「無駄口はいいですから。死にたくなかったら貴方の力、見せてくださいよ」
炎が襲ってくる。今からどこに逃げようとも、その巨大な炎に飲み込まれる。街だってこんな炎を受ければ無事では済まない。
だが。
「俺の勝ちだな」
手に力を込めて、目の前の炎に翳す。手の平から生まれた水が、渦を巻いて炎をかき消してゆく。
「なるほど。水属性でしたか」
「そうだ。炎属性であるお前に勝ち目なんてねえんだよ!」
能力を手に入れた子どもたちは、それぞれ使える力が違った。大きく分けると、炎、水、地の三属性に分類され、そのいずれか一つの属性を使えるのだ。それぞれは三竦みになっていて、能力者たちは相手の属性を把握することが必須なのだが。
「それはどうですかね」
炎を消されたマーレットは尚も笑みを崩さない。まるで余裕な表情に寒気を覚えて立ち止まる。
「どうしました? 僕に勝ちなんてないんでしょう? じゃあさっさとトドメを刺したらどうです?」
「……」
普通ならば挑発に乗って彼の言葉通りトドメをさしに行くところだが、直感に身を任せて後ろに飛び退く。
ぼこっ。
「!」
飛び退いた瞬間、地面から太い蔦が伸び、獲物を絡め取ろうとうねりを上げる。
他にも能力者がいたのか……?!
蔦を回避しながら辺りを見回すが、それらしき影は見当たらない。
「あ、もしかして、これ操ってる人を探してます?」
「ガキは囮だったって訳か」
「ガキって僕のことですか? 嫌だなあ。というか、誰もいませんよ。だって、これ操ってんの僕ですから」
「お前は炎だったろうが」
「僕、全属性使えるんですよ?」
「は? そんな馬鹿な話……」
下手なハッタリだと思ったが、マーレットは嘘をついている様子ではない。何より、その瞳はやはり不思議な力を携えていて……。
「ぼーっとしてたら危ないですよ?」
「しまっ……」
にこやかに微笑むマーレット。その手の平から放たれた炎を避けるが、すかさず背後から蔦が伸び、強かに背を打ち付ける。
「かはっ……!」
膝をつく暇もなく蔦に全身を捕らわれ、締め付けられる。
「ほら、馬鹿なのは貴方の方だ」
「う……。くそが……」
蔦を解こうと足掻いても、びくともしないどころか、ますます締め付ける力が強まっていく。
「悔しいですか? もう少しだったんでしょう?」
「なんのこと、っぐ……」
シラを切ろうとした瞬間、蔦が首に巻きついて締め付ける。
「惚けないでくださいよ。作ってたんでしょう? 住民から絞ったお金で」
「ぐ……」
「人の能力を跳ね上げる薬。そんなものを作ってどうしようってんです?」
マーレットが指で合図すると蔦が動き、彼の目の前まで運ばれる。
「っ……」
「ああ。ごめん。これじゃあ話せないよね」
そう言ってマーレットが頬に触れる。その瞬間、巻きついていた蔦が解けて地面に降ろされる。
「っは、知らねえって、言ってるだろ……!」
「じゃあこれは一体何の薬なんでしょうか?」
「な、それは!」
マーレットが目の前に翳したそれは、何の変哲もない小瓶。しかし、その瓶に描かれた模様は、誰でもない自分の支配を表す印で……。
「どうやら当たりらしいですね」
「っ……!」
どうしてコイツが持ってるんだ……?
頬に伝う汗をそっと拭う。あの薬は秘密裏に作られたもので、こんなガキに漏れるような情報管理はしていないはずで……。
「あぁ。ちょっとばかり地下の研究所を壊して拝借しました。でも、こんなのいらないですよね?」
ぱりん。
目の前の少年は、何の躊躇いもなく瓶を叩き割って踏みにじる。
「お前……!」
その薬にどれだけの金と時間をかけているか……! 研究所を壊した? まさか!
「こんなの飲んじゃ駄目ですよ」
真面目な顔をしたマーレットが、まるで諭すようにこちらを見つめてくる。
「わかってるんでしょう? これは副作用が酷過ぎる。こんなものを飲んだら体が壊れてしまうんですよ?」
そんなことはわかっている。だが、安全な方法を取っていては絶対にできない。
「貴方、自分で飲むつもりだったんでしょう? そして、この枯れた大地を蘇らせるために貴方の力を使おうとしてるんでしょう?」
「はっ。俺が平和のために薬を作ったって言いてえのかよ」
「悪ぶったって無駄ですよ。貴方が甘々なのは、わかってんですからね」
「俺は、そんなんじゃ……」
「あはっ。安心してください。僕は自分の身を捧げようとする人、大好きなんですよ」
絡みつくように頬に触れ、ゆっくりと撫で回したマーレットがうっとりとその瞳を歪ませる。
「だからね、グラディーン・マール。貴方の絶望の希望を打ち砕いてあげたくなるんです」
寒気がするほどねったりとした優しい口調。これ以上コイツに関わってはいけない。本能が告げる通りに逃げようとするが、すぐに蔦に絡まれ、マーレットに顎を掴まれる。
「お前、薬目的じゃあないのか……?」
「言ったでしょ? 宝物を見つけたって」
マーレットの親指がゆっくりと唇をなぞる。
「死ぬのなら僕に壊された後にしてください」
「とんだ変態だな」
にこりと微笑んだマーレットの指先。それを迷わずに食いちぎる勢いで噛みついてやる。
ばしゃ。
頭上から水が降り注ぐ。その力の元であるマーレットが親指を抑えて忌々しそうにこちらを睨んでいる。
「ざまあみろ」
「貴方は本当に大馬鹿ですね」
どっ。
一瞬の殺気を帯びた表情。それに恐怖するより早く蔦によって体が地面に叩きつけられる。
「っは……」
「僕は見ての通り強い。貴方を今すぐ殺すことだってできるんですよ?」
薄暗く響く声音を受けて、蔦が首を締め付け始める。
「でもそれじゃあ貴方は大好きなこの土地を、この土地に住む人々を守れない」
「あぐ……」
「ほら、選んでください。素直に僕の玩具になるか、ここでサクッと殺されるか」
蔦が緩まり、地面に放り出される。試すような瞳が不気味に揺れる。
「そん、なの……!」
足に力を入れて、立ち上がる。そのまま縺れそうになる足を何とか前に出して走り出す。
「甘いなあ」
呆れたような声が聞こえた瞬間、蔦に足を取られて地面に転ぶ。
「くそ……」
「貴方って本当に相当な馬鹿ですね。僕から逃げられるとでも思ったんですか? 情けなくて。可愛いですね」
為す統べもなくずるずると逃げた道を引き摺られてゆく。
その途中にある割れたガラスと零れた液体。それに手を伸ばして舌をつける。
「ああ、それが狙いですか」
薬を舐めようとしたことに気づいたマーレットが指を鳴らす。すると、あっという間に蔦が体を掬い上げて宙吊りにする。
「く……」
もう少しだったのに……。
「惨めなもんですね。僕はただ、多少甚振ったら終わろうと思ってたのに。そんなにじたばたされると、もっと構いたくなっちゃうなぁ」
「ふざけるな……」
「あぁ。なんだかその目、ぞくぞくしますよ」
「変態が……、うぐっ!」
悪態を吐いた途端、蔦が締まり、顔が地面につきそうな位置に下げられる。
「ほら、いいですよ。這いつくばって地面を嘗めるんでしょう? ついでに僕の靴も舐めてもらおうかなぁ」
「っ……」
ぎりりと音が鳴るほど歯を食い縛ってから、地面の薬を飲もうとする。が、あと少しというところで、舌先すらもが届かない。
「あっはっは! かわいそ~! ほらほら、早くしないと乾いちゃいますよ」
「くそが、いい加減に、しろ……!」
手に隠して作っていた氷の刃で蔦を引き裂く。
「わっ。氷なんて作れるのか。……さっきちょっと舐めた薬のおかげですかね?」
「ああ。そうだよっ!」
蔦から解放された勢いを利用して、マーレットに殴り掛かる。が、それすらもあっさり躱され、殺しきれなかった勢いそのままに地面に倒れ込む。
「チッ、くそったれが……」
「あーあ。しょうがないなぁ。ほら」
楽しそうに近づいてきたマーレットが、ポケットから出した小瓶の中身を自分の手に流し込む。
「は……?」
「どうぞ飲んでください。これが欲しいんでしょう?」
「……お前の望みは何だ? 俺をどうしたら気が済むんだ?」
「あれ、床ペロより綺麗なのに。難儀な人だ。全く。少なくても、そういう風に降参してほしくないですね~。もっと抵抗してもらわないと面白くない」
「なるほど。それじゃあ俺は抵抗しない。どうせお前には敵いそうにないし」
「賢いですね~。でも、それくらいじゃ僕の興を削げませんよ」
マーレットが自分の手の平に口をつけて薬を含む。そして……。
「んむ?!」
顔を近づけられたかと思うと、そのまま口づける形で薬を流し込まれる。
「はい。せっかくあげたんですから、零さず飲んでくださいよ?」
「っ……!」
すぐにでも吐き出したい気持ちを堪えて、貴重な薬を飲み下す。
「後悔するなよ、この悪趣味野郎……」
どっ。
マーレットに水を降らす。その威力はやはり普段のものとは比べ物にならない。
しかしその攻撃も、蔦が絡み合って作られた壁に阻まれる。
「ほら。せっかく強くしてあげたんですから。もっと楽しませてくださいよ!」
「クソガキが!」
水を龍の形に練り上げて、マーレットを追撃する。それを見たマーレットは跳躍して躱す。
「これだけですか?」
「黙れ!」
怒りを糧に、水龍をできるだけ作り上げ、マーレット目掛けて一斉に放つ。
「これでは流石に参ってしまいますよ」
「参ってる様子じゃねえんだが」
全ての攻撃を躱したマーレットは余裕の表情で地面に舞い降りる。
「いやね、もっとやってくれると思ったんですけど。残念です」
すっかり興味を失くした様子のマーレットが、こちらに向かって手を伸ばす。
「そりゃあ、悪かったな!」
パキ。
「な……」
マーレットが水たまりを踏みしめた瞬間、水を氷に変えて足を取る。
「今だ!」
足を固定され避けられなくなった彼を、容赦なく水の塊が包み込む。そして、そのまま凍らせる。
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咄嗟に後ろへ飛ぶ。すると、氷の中から赤い光が浮かび上がり……。
どっ。
爆発音が聞こえたと同時に、氷が飛び散る。それを水の壁で守りながら、向こう側を見る。
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水を取り去り、もう一度確認する。そこにいたのは、無傷のマーレット。赤く燃える炎を纏い、楽しそうにこちらを窺っている。
「中々今のは良かったですよ、グランさん」
「お前には効いてないみたいだけどな」
「残念ながら。僕は強いんです」
「チッ」
挑発を受けて、再度力を練ろうとする。が。
「……!」
少し集中しただけで眩暈がして体が傾く。
「おっと。大丈夫です?」
「ぐ……」
マーレットに抱き留められたのを抜け出そうとしても、体に力が入らない。
「だから言ったんですよ。使うなって。ちょっと飲んだだけでこんなんですよ? 貴方がやろうとしてることは、こういうことなんですよ」
「そんなことは、百も承知だ」
「死ぬのが怖くないんですか?」
「俺の命なんざ……。役に立てるならそれで万々歳だろうが」
「馬鹿」
ぱちっ。
「って」
いきなり頬を叩かれたのでマーレットを睨む。が、睨まれたマーレットは、まるで自分の方が痛いんだ、とでも言いたそうな程に顔を歪ませてこちらを見ていた。
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「……お前は、何で俺にそんなこと言うんだ?」
「貴方が欲しいんです」
「何で俺なんだよ」
「あ~。そういうこと聞きます?」
「……」
「僕は見ての通り強いんですよ。今まで色んなとこ行って、そこのボスぶっ潰してきたんですけどね……。貴方みたいに、自分の領地に住んでる人のコトを真剣に考えてる強い奴、見たことなかったんですよね。優しい奴はみ~んな弱くて、強い奴はみ~んな欲に溺れてる。ここはそんな世界なんですよ」
確かにそうだ。能力を持って生まれた奴らは、その優越感から抜け出せずに戦いと搾取を繰り返し続ける。平和なんて願っていたら守るものが多すぎて隙ができて付け入られる。
「でも貴方は違う。その目はまだ諦めてない。人を救おうとする正義を湛えた瞳だ」
俺の目元をなぞりながらマーレットが、まるで宝石でも愛でているかのように恍惚の表情を浮かべる。
「やめろ。そんなんじゃねえよ」
マーレットの手を押しのけて額に手を当てる。脳裏に過るのは、殺されていった仲間たち。そんなんじゃない。俺が正義? まさか。こんな無力な俺は、そんな大層なもんじゃない。
「じゃあ、どんなんですか」
「うるせえな。俺はただ、俺の知ってる奴らを見殺しにしたくないだけだ。正義ってのは、知らない奴でも救おうとする奴のことを言うんだろ。俺は違う。ただ、見知った奴が死ぬのを見たくないだけなんだよ」
「そういう考え方をするところも、善に見えますけど」
「知るかよ。善悪なんざ、どうでもいい。どちらにせよ、俺は結局こうしてお前に負けた。薬を使ったって、俺の力だけじゃここを豊かに出来るかもわかんねえ。俺はそういう中途半端で結局何にもできずに終わる男さ」
「そうですね」
静かに肯定したマーレットが目の前に手を翳す。すると、みるみるうちに体の傷が塞がり、突き刺すような頭の痛みもすっきり治まってゆく。
「なんだこれ。力が戻って……。お前、まさか回復までできるのかよ」
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当然といった様子でにこりと笑うマーレット。それにすっかり毒気を抜かれて立ち尽くす。
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「あ?」
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「分かったら帰れ」
「帰るとこなんてありませんよ」
「だったら出ていけ。どっかを流離え」
「いいえ。嫌です。僕はここに居ることに決めました」
「……おい」
遠慮なく抱きしめてくるマーレットを咎めようとするが、途中で止まる。
「僕は貴方を守ります。貴方が死なないように」
どっ。
マーレットから放たれた炎が隠れていた能力者を撃退する。どうやら、マーレットに気を取られていた隙に狙われていたらしい。
「僕は貴方の騎士でいましょう」
「それは条件付きじゃあないのか?」
「ええ。貴方に駆け引きは通じないようですし。だったら僕は貴方が僕に惚れるまで、ずっと隣で待ちますよ」
「それはお得だな。正直、この土地も狙われ始めているからな。お前がそう言うなら全力で守ってもらおうか」
「素直ですね」
「利害は一致してるからな。ただし、簡単には逃がさねえぞ」
「情熱的ですね。そんでもって、やっぱり自己犠牲」
「お前が好きなやつだろ」
「ええ。大好きですとも」
マーレットが手の甲に口づけを落とす。そこから伝わる熱が、更に熱を増して体中に巡ってゆく。自己犠牲なんて迷妄もいいところだ。
人から好意を向けられたことなどなかった。だから、マーレットの熱はまるで毒のようによく染み込んだ。
もう手遅れかもしれない。自分でも単純すぎると思った。本当は誘われるがままに溺れてしまおうとも思った。それで、この土地が豊かになるのなら、願ったり叶ったりだ。
でも、それは流石に自分の信条に反していた。それに何より、マーレットがきっとそれを望んでいない。あの条件を飲んでいたら、きっと彼は自分に飽きてしまっただろう。
だから――。
その後、能力を増強する薬の開発は止めた。マーレットに強く止められたからだ。その代わり、どんな環境でも育つ強い苗を開発した。これもマーレットの提案だった。これならば互いの信条に反することもない。時間は掛かるだろうが、これならばきっと未来へ繋いでゆける。学のない俺にとって考えも及ばない案だった。
「お前は、本当に俺の手伝いを続ける気か?」
「手伝いじゃなくて、騎士ですってば。勿論続けますよ。僕が飽きるまでずっと。それに、代償だって貰ってますしね」
ふいに近づいてくるマーレットの顔を押しのける。
「……せいぜい飽きられないよう努力する」
「ええ。グランは焦らすのが上手いですからね」
愛おしそうに微笑むマーレットに心が痛む。
「言っただろ。簡単には逃がさないってな」
土地が豊かになってゆくにつれて、歪んでゆく気持ち。ここが完全に平和になったとき、俺はこの気持ちを伝えるのだろうか。
いや、答えなんてとっくに決めている。伝えたとしても、マーレットは俺に興味をなくしてしまうのだろう。だったら。マーレットを逃がさないように、この気持ちを死ぬまでずっと抑え込んでみせる。
「ああグラン。貴方はやはり美しい」
「ん……」
囁くマーレットからやんわりと距離を取る。
美しくなどない。正義など語れもしない。本当の正義があるのならば、マーレットを受け入れて、手っ取り早く力を借りるべきだった。そうしなかったのは、信条がどうとかなんて自分を騙したのは、ただ一重にマーレットを逃がさないため。そんなやり方が正しいだなんて思えない。そう。間違っている。だからこそ、この恋は実ることがない。
「グラン。この土地が豊かになったら、旅に出ましょうよ。苗を持って、少しずつ世界を元に戻す旅を二人で!」
マーレットが無邪気に微笑む。それはまるで朝日のように眩しく、無垢な少年のように美しい。でも。それを受け取るには足りない。
「言っただろ。俺はここだけ守れればいいんだよ。行くんならお前だけにしろ」
結局、マーレットが何者かもわからなかった。見た目も力も考えも全く違う彼に想いを寄せる方がおかしい。だけど。
「そんなこと言わずに。考えておいてくださいよ。僕は貴方と一緒に居たいんですから」
自分からこの少年の好意を手放すことができなかった。それはこれからも同じだろう。俺は、マーレットを縛り付けて、偽りの幸せに浸りながら自分を呪うのだろう。
*
マーレット・サロンノは人間ではない。
この星は、数十年前から食糧難に見舞われた。
人間たちは無駄に増えすぎた。人間たちが増える度に、この星はどんどん汚染されていった。
だから、人間の数を減らそうと思った。土地の生命力を奪い、それを新たに生まれた人間たちに植え付けた。
僕の読み通り、人間たちはすぐに争いを始めた。成長した能力者たちは、その戦いに加わって、無能力者たちをたくさん殺した。
そして、能力者たちは陣取りごっこを始めた。弱い者を従えて、能力者同士で潰し合った。
ここまでくれば、後はもう能力者を殺すだけだった。能力を与えた人間以外を生かせば丁度良い数字になる。本当は人間なんて野蛮な生き物は滅ぼしても構わないのだが、まだその生態を見極められない内には生かしておこうと思ったのだ。
僕は、一時的に人間の姿を装い、マーレット・サロンノという名を語った。能力者を殺すことなんて、本当は一瞬でできることだけれど、こういう形で人間に近づいてみるのも悪くないと思った。
しかし、僕はすぐに後悔した。能力を持ったせいで傲慢になってしまった人間たちは、とても汚かった。予想はしていた。だからこそ次の世のため殺そうと思っていた。だが、あまりにも醜い。この種族を生かしておいて本当にいいものか、と僕は悩んだ。
そんなときに出会ったのが、誰でもない。グラディーン・マールだった。
変な薬を開発して、勝手に土地を豊かにされては困る。そう思って、彼を早く潰そうと思ったのだが、彼は確かに他の人間と違っていた。見た目や言葉遣いとは裏腹に、力に溺れることもなく、無能力者たちを救おうとしていた。僕は衝撃を受けた。自分のためじゃなく、他人のために動く人間がいるのか、と。
だから、彼を試したくなった。力の使い方も中々上手いようだった。本気を出しても歯向かってくるグランは本当に愛おしかった。
そうしていよいよ、本当に彼が欲しくなった。彼は愛に飢えているようだった。押せば容易に落ちてくれるだろうと思っていた。
だけど違った。彼は見抜いていた。僕が彼を手に入れたならば、それで気が済んでしまうことを。だから、あえて僕の誘いに乗らない選択をしたのだ。驚いた。人間に見透かされてしまうだなんて、本当に彼が人間であることに疑問を覚えた。こうなってしまえばもう負けた。心はすっかり人間ごっこを続けたがっていた。だから、彼の騎士として彼を守ることに決めた。
「……せいぜい飽きられないよう努力する」
彼はどうやら自分の気持ちを伝える気はないらしい。だが、自分が複雑な顔をしていることに気づいているだろうか。本当に、美しく愛おしい。
逃げるなんてとんでもない。むしろ、僕が逃がさない。もし貴方が死ぬ間際に想いを伝えてきたとしても、それで終わり、なんてことはさせない。転生させてその続きをじっくりと聞き出してやるんです。貴方が逃げたくなるぐらいに、ね。
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入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
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俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
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