ヒキアズ創作BL短編集

ヒキアズ

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31~40

(40)船長と捕虜

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睡蓮海賊団を束ねる船長である水蓮は、捕虜として連れてこられた青年、真に昔失った弟の面影を重ねてしまう。だが、真の本当の正体は……。

人懐っこいけど裏のある捕虜×冷静沈着美人船長

昔のトラウマ引き摺ってる受けと、裏と表が激しい攻めが好きです。
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「船長、霧鮫の逃げ遅れを捕獲しました」
「……牢に入れておけ」
「はっ!」
 気を失ったまま担がれた青年に目を向ける。その服はボロボロで至る所に泥がついている。
「アイツから情報取れるかなぁ、どう見ても下っ端の下っ端だよな~」
「抵抗するときの剣の振り方、ありゃ素人だぜ」
「可哀想に。入って早々捕まっちまうたぁ」
「船長の尋問、厳しそうだもんな」
 口々に言葉を連ねる船員たちに目線をくれてやると、彼らは慌てて敬礼のポーズをとる。
「馬鹿! 船長に聞こえてんだろ!」
「す、すいあせん!」
「さっさと持ち場に戻れ。まだ霧鮫が仕掛けてくるかもわからん」
「はっ!」「了解です!」

 海の風を背に、地下へと潜る。地下は薄暗く、蝋燭の炎が揺らめく度に不気味な雰囲気を醸し出す。
 牢の前に立ち中を覗くと、捕らえられた青年は未だ安らかな寝息を立てて眠っていた。
「起こせ」
「はっ!」
 牢の見張りをしていた船員にそう促すと、船員は手に持ったバケツの水を捕虜にぶちまける。
「うわっ! つ、冷たっ! って、アレ……。ここどこだ……?」
 椅子に手足を縛られた青年が、視線だけを動かしてぼんやりと呟く。
「名前は」
「俺? えっと……真だけど」
「霧鮫に入ってどのくらい経つ」
「この前入れてもらったばっかだから……まだ1か月くらいかな」
「やっぱりコイツ、使えないですよ」
「あの~。お察しの通り、まだ新米なんで、あんまり情報も知らないし、船長も俺のために助けに来るかわかんないってか、助けに来ない確率の方が高いってか……」
「……おい、縄を外してやれ」
「え、いいんすか?」
「早くやれ」
「はっ!」
「僕のこと、助けてくれるんですか……?」
 自由になった手足を触りながら、縋るようにこちらを見つめる。
「そんなわけあるか。お前は人質だぞ」
「うう……。あの、俺、船長が助けに来なかったらどうなるんすかね」
「そうだな。その時は……死んでもらおうか」
「わっ」
 刀を抜き、真のすぐ目の前で刃を止める。それに驚いた真が、遅れて地面にへたり込む。
「なぜ避けない」
「えっ。そ、そんなの無理ですよ! 俺、まだ剣とか習ってもないですし!」
 情けない声を出して嘆く真に、そっと嘆息して剣を納める。
「……そうか。それは悪かった」
「船長、コイツどうします? もう殺しときます?」
「いや、約束の日までまだある。このままここに入れておけ」
「約束って……。もしかしてウチの船長が助けに来てくれるんですか!?」
「どっちかって言うと、こっちが捕虜くんをダシに霧鮫を呼び出してんだけどな」
「ええっ。俺なんかが人質になるんですかね?」
「無駄口を叩くな」
「す、すいあせん!」
「あ、あのっ。僕、もしかしてずっと閉じ込められたままなんでしょうか?」
「お前は捕虜だ。発言する権利すらない」
「うう……。睡蓮の船長は怖いって聞いてたけど、本当だったんだ……」
 真の怯えた声を背に、ひとまず地下を後にする。
 どうしてか、あいつの声を聞いていると心がざわめく。
「何事もなければいいんだがな」


「船長さんってよっぽど暇なんですか?」
「……」
 地下牢の前に腰かけて本を読み始めると案の定、真が話しかけてきた。
「無視するなんて酷いです~。俺、しゃべる人いなくて、めちゃくちゃ寂しいんですよ?」
「お前は普段、何をして過ごしていたんだ?」
「え、う~ん。いつも雑用ばっかでしたけどね。じゃがいもの皮むきとか、洗濯物とか掃除とか。暇な時間は読書してましたね。俺、読書好きなんですよ。この牢屋が書庫だったら喜んで捕まるんですけどね」
「どんな本が好きなんだ?」
「そうですね~。最近は推理ものとか読みますよ。あっ、語泉 譜楊とか。って、マイナーだからわかんないか」
「その作家、面白いか?」
「あれ、知ってるんですか? 面白くないですか? 確かに堅苦しい文章なんですけど、ちゃんとトリックとか考えてあるし、切ない展開も泣けるっていうか」
「……」
「あれっ、帰っちゃうんですか? せっかく本のこと知ってる人に出会えて、テンション上がってきたのに」
「私も暇ではない」
「がっつり本読んでたくせに」
「何か言ったか?」
「いえ、なにも……!」

 その翌日。牢に数冊本を投げ込んでやると、真が目を丸くして驚く。
「えっ、まさかこれ俺のために?」
「少しは気が紛れるだろう」
「え~。船長さん優しい~!」
「……」
 自分でもとんだ気まぐれを起こしたものだと思った。この男を一目見た瞬間、胡散臭いと思った。本能がこの男は危険だと囁いた気がした。それなのに。
「船長さんって、かなり無口ですよね。なんか色々考えてそうでかっこいいです」
「お前は逆によくしゃべるな。敵陣の牢屋に入れられているのに」
「はは。だって思ってたより見張りの人も優しいし。船長さんも優しいし。もういっそこの船の船員になるのもありかな、なんて」
 あっけらかんとそんなことを言うこの男は、日に日に船員たちと親しくなっていた。
「ふっ。お前が捨てられたのなら考えてもいいがな」
「お、脅さないでくださいよ……。助けが来るか、今でも不安なのに」
「不安という割にはにこにこしているが?」
「これは元々の性格なんですよ~」
「正直に言おう。私はお前のことをまだ疑っている」
「え?」
「お前は何かを隠しているんじゃないのか? 本当にただの新人なのか?」
「う~ん。船長さんはどうして俺なんかを疑うんですか?」
 困ったように弱く微笑む青年に、全く黒い部分は感じられない。
「どうして……だろうな。ただ、直感的なものってだけなんだが……」
「あっ、うちの船長も直感は海賊にとって大切だって言ってました!」
「……」
 まるで裏がない純真無垢な信頼に満ちた表情。それを向けられれば、きっと誰でもが彼を可愛がる。
「俺は船長さんのこと、敵だけど嫌いにはなれないです。だから、お話してると楽しい」
「……っ!」
 ふいに、真の顔が弟の面影と重なって眩暈を覚える。
 天真爛漫だった弟。2人で始めた海賊。
 でも。
 あの嵐の日に……。
「船長?」
「……」
「あれっ。また突然帰っちゃうんですか? 寂しいなぁ」

「船長。まだ真のこと、本当は強い奴だって疑ってるんですか?」
 船の上に戻った途端、船員たちが集まってくる。
 自分でも、彼を疑っていて良いものかと決めかねているところにそう問われると、言葉に詰まる。
「でもアイツ、船長を前にして嘘がつけるようなヤツには見えないっすよ」
「敵地なのにいつもニコニコしてるし……。良い奴っちゃあ良い奴なんだよなぁ」
「ピュアで可愛い餓鬼ってかんじだもんな~」
 確かに。最初に試した剣の腕も、手慣れた奴なればとっさの反応ができるはず。それをしなかったのはまったく剣術の心得がないから。
 人となりも、うちの船員が徐々に心を許しているほど。
 疑う余地などなく、霧鮫の新人枠だろうに。
「何故だか嫌な予感がするんだ」


「ええっ。嵐ですかっ!?」
「そう言っているだろう」
 合間を縫って地下牢の前で嵐が来たことを告げると、真は大袈裟なほどに驚いてみせた。
「心配すんな。この船はな、そこらの海賊船なんかと比べ物になんねぇくらい嵐に強く作られてんのよ!」
 すっかり仲良くなったらしい見張り番の船員が、自分の胸を叩きながら真に言い聞かせるのを横目で見る。
 やはり、真は相手の懐に入り込むのが得意と見える。
 それが果たして、彼の本性なのかそれとも……。
「うわわっ!」
 碌に思考に浸れぬまま、船が大きく揺れる。
「ここは問題ないか?」
「はいっ。大丈夫です」
「お前も大丈夫か?」
「あっ。はい。いつも通りです」
「そうか」
 一瞬、彼の返事を受けて安堵した自分を律するためにも踵を返す。
「あんなにずぶ濡れで……。なんかここで安全にしてんの気が引けますね」
「船長は嵐のときが一番怖い顔してんのよ。敵襲なんかよりよっぽど真剣でさぁ。なんでも、昔、嵐で弟分を亡くしちまったせいらしいんだよな」
 こそこそと話しているつもりらしい真と見張りの声は、しっかりと私の耳に届く。
 そうだな。私はまだ引き摺っているんだな……。

 それから嵐が明けるまで尽力し、一睡もしていない足で地下室に向かう。
「あ、船長、お疲れ様です! 今、真のやつぁ寝てますよ」
「そうか。……お前も今日は疲れただろう。私が代わろう」
「何言ってんすか。船長の方が疲れて……」
「上で無事嵐を越した祝いと称して酒盛りが始まってな。静かなところがここくらいなんだよ。お前も酒を飲んでくるといい」
「船長……! ありがとうございます!」

 見張りを上に向かわせた後、椅子に腰かけ、本を開く。
 本越しに見る真の顔は、安らかな寝顔で安堵する。
 久々の嵐で少し疲れたな。
 疲れたはずなのに、まだ眠る気にはなれなかった。
「んっ……。あれ、船長?」
「起こしてしまったか?」
「いえ。でもなんで夜中なのにここに?」
「あぁ。今、上で酒盛りやっててな。私の部屋にも声が響いてくるんだ」
「あぁ、ここじゃああんまり聞こえないですもんね」
「あぁ」
「でも、船長寝ないんですか?」
「お前は寝ていていい」
「いや、俺はなんもしないで過ごしてるからいいんですけど。船長、今日は大変だったんでしょう? 俺、気にしないんで、寝てもいいですよ」
「自室以外では眠れないんだ」
「あぁ、そうなんですか。確かに、船長さん神経質そうですもんね。あっ、いや別に悪口ってわけじゃなくてですね」
「……」
「あれっ、また行っちゃうんですか? 俺、うるさかったですか?」
「そろそろ上も静まってきたみたいだし、仮眠を取りたい」
「そうですか。おやすみなさい」

 いけないとわかっているのに。疲れのせいかどうもアイツと重なってしまう。
 心を許すな。船長としての自覚を持て。
 そう思うのに、真と喋れば喋るほど気を許してしまっている自分が……怖い。


「まっこと~! 久々の買い物だよ~!」
 この船で最年少の少年、スミレが真に向かって楽しそうに叫ぶ。
「俺も行きたいですー!」
「駄目に決まっているだろう」
 いつの間に仲良くなったんだか。
「船長、ボクからもお願い~!」
 その可愛らしい瞳で、スミレはあざとくおねだりする。
「スミレ、こいつは捕虜だ。逃げられでもしたら意味がなくなる」
「俺、逃げたりしませんよ~!」
 情けない声を出す真。その手をスミレがぱっと取って。
「だったら、こうすればいいんだよ!」
 もう一方の手で私の手を掴むと。
「は?」
 スミレは二人を掴んだまま、自分の両手を引き寄せて、私と真の手を結びつける。
「ね?」
「っ……」
 吐き気が込み上げてくるのを何とか抑える。
 ああ。私はまだ囚われているのか。
「わかった。お前には敵わん。好きにしろ」
「「やったぁー!」」
 早口に許可すると、二人は手を上げて喜ぶ。
 その姿はやはり、無邪気でどこかホッとするような懐かしさを秘めていて……。


「スミレ、どこに行きたいんだ?」
「んとね、新しい本ほしい!」
「そうか、じゃあまずは本屋だな」
「うんっ!」
 元気よく返事をするスミレ。その後ろで、真はおずおずと辺りを気にしながら歩いている。
「あ、あの~。手錠とかいいんですか?」
「手錠なんかしたら怪しまれるだろう」
「た、確かに……」
「真、ちょっとは信頼されたのかな」
「え~、そうだったら嬉しいな……!」
「ちょっとでも怪しい行動をしたら殺すがな」
「ひぇ~」
「あはは」
 他愛のない会話。街の風景に溶け込んで。傍から見れば、普通の兄弟が買い物をしているようにしか見えないのだろう。
「他の人たちは何してるんですかね~」
「材料調達当番は品を集めてる。他は、持て余した日頃の欲を吐いてるだろう」
「あっ。そういえばこの船女の人いませんもんね……。船長はいいんですか?」
「私はスミレとこうして買い物でもしていた方が、気も晴れる」
「えぇ~。なんか勿体ないなぁ。船長さん、絶対モテるのに」
「お前にあげたいぐらいだよ」
「うっわー! 船長さんの皮肉屋ぁ~!」
「あー! そうだ、肉屋も行きたい~! おいしい燻製切らしちゃったんだよ!」
「えぇ~。スミレくんまで皮肉屋~!」
「あぁ。ごめん真。そんなつもりじゃなかったんだよ?!」
「ふっ……」
 一瞬、気が緩んでしまったことに気づくがもう遅い。
「あ。船長さん、今ちょっと笑った?」
「え~! 珍し~! 船長、ボクたちの前でも滅多に笑わないんだよ?」
 まずい。頭ではわかっているはずなのに。
 真は弟ではない。それなのに。

「じゃーん。これ、2人からのプレゼント!」
「プレゼント? 私に……?」
 二人を監視しつつしばらく考え込んでいると、雑貨屋で会計を終えたスミレが小さな包みを目の前に翳す。
「まぁ、捕虜の真くんはお金持ってないから、実質ボクからのプレゼントなんだけどねっ」
「えぇ~。俺だって一生懸命選んだんだから~!」
「ええと。私の誕生日はまだ先のはずだが」
「違うよ! これは船長に日ごろの感謝を伝えるためのプレゼント!」
「船長さん、開けてみてください!」
 促されるままに包みを開くと、控えめでおしゃれなペンダントだった。
「ありがとう。スミレ」
「うんっ」
「ちょ、船長さんってば俺は~!?」

 船に戻ると、調達したばかりの酒で酒盛りが始まっていた。
「ね~、真も一緒に居ちゃダメ?」
 寂しそうに問いかけてくるスミレに、一考して答えを出す。
「まぁ、今日くらいはいい」
「えっ、いいんですか!?」
 大きな声を出して喜ぶ真の姿に、船員たちも次々に喜びの声を上げる。
「真~! お前もうこの船の船員になれって~」
「そうだぞ~!」
 そのどんちゃん騒ぎが本格的にならないうちに、その場を去る。
「あれっ、船長さんは飲まないんです?」
「船長、酒飲まないからな~」

 船長室で読書をしていると、ドアを叩く音がした。
「なんだ?」
「あの、食事を持ってきました」
 扉を開けた先で、おずおずと食器を差し出す真に机を指し示す。
「あぁ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
「うわ~。船長さんのお部屋、すごいですね。本がいっぱいで……」
 部屋に入り、辺りを無遠慮に見回す真に面食らう。
「用が済んだらもう戻れ。みんなお前を待っているぞ」
「船長さんは参加されないんです?」
「私はここで本を読んでいた方が楽なんだ」
「船長さん、もしかしてお酒苦手なんじゃないですか?」
「……」
 図星を突かれて一瞬怯む。
「あはは。なんか意外ですね。船長さんにも苦手なものがあるんですね」
「うるさいな。酒が飲めなくとも海賊はできる」
「海賊って酒飲みばっかだと思ってました」
「格好がつかなくて悪かったな」
「いえ。船長さんは誰よりもカッコいいですよ。俺なんか、敵だったくせに、もうこんなに船長さんのこと尊敬してる」
「真……」
 尊敬している、か。昔、弟にもよく言われていたな。ああ。本当に真は弟によく似て……。
「ちが~う! ボクの方がず~~~~っと船長のこと尊敬してるんだもん!!」
「うわっ。スミレくんか……。いきなり出てきてびっくりさせないでよ~!」
 勢いよくドアを開け放ったスミレに、真が抗議の声を上げる。
「だって、真が船長にご飯出しに行ったって言うから! ボクだって船長ともっとお話ししたいんだもん!」
「スミレ……」
 スミレの一言がぐっと涙腺にくる。いつの間にか彼にも弟の影を重ねていたようだ。
「スミレくん、船長さんにべた惚れなんだねぇ」
「あのね、船長はボクを助けてくれた命の恩人なんだ」
「え?」
「ボク、とある港町で奴隷として働かされてたんだけど、逃げだしてきたんだ。でも逃げた先は海で。もう捕まる、駄目だ……! ってときに、船長が助けてくれたの。追っかけてきた奴らを追い払ってくれて、行く宛のないボクを船員にしてくれたんだ」
「スミレくんにそんな過去が……」
「ボク、あんまり役に立てないのに。読み書きも剣術も全部船長が教えてくれた。いつだってボクのことを気に掛けてくれた。だかこそ、ボクは立派な船員になるって決めてるんだ!」
「へ~。スミレくんってば本当に船長のお気に入りなんだ。ちょっと羨ましいな」
「とか言って、真だってちゃっかり可愛がられてるくせに! ボクの座を取ったら許さないんだからね!」
「二人とも止めないか。私は本を読むから、君たちは早く戻りなさい」
「え~!」「追い出さないでくださいよ~!」
「……はぁ」
 扉を閉じて、短く息を吐く。
 心を乱されている。真が来てからというもの、どうも落ち着く暇がない。
「一体どうなることやら……」


 騒がしくも日は一瞬で暮れてゆく。そんな日々の繰り返しの後、早くも約束の日がやってきた。
「なにが目的だ?」
 こちらの船に招き入れたのは、霧鮫海賊団の団長。
 初めて見るその人物は中々若く、多少の頼りなさも感じた。が、相手は霧鮫だ。見た目で油断しているとあっという間に手玉に取られてしまうのだろう。
 私が指揮を執る睡蓮海賊団と、この霧鮫海賊団は今までに真正面から衝突することはなかったが、水面下で何度も狙われたことがあった。
 海賊業も楽ではないこの世界で、ある程度の名声を得ているこの二つは謂わばライバル関係にまで達していた。
「ただ、私たちとの無用な戦闘は控えてほしい。それだけです」
 底の見えない霧鮫のリーダーを見つめながら、和平の書を差し出す。
「それはお約束できかねます」
 これで収まれば一番良いと思っていたが、やはり駄目か。
「な、こっちには捕虜もいるんだぜ!?」
 ウチの船員の声を受け、男はちらりと真に目を向ける。
「……その捕虜は好きにして構いません。それでは」
「な、なにぃ!?」
 淡々と告げ、自分の船に帰ってゆく男に食って掛かろうとする船員を手で制す。
「待て。いい。追うな」
「でも……!」
 元々、上手くいくとも思っていない。今回はただ、相手の顔を見る良い機会だと思っただけだ。
「俺、やっぱり捨てられちゃいましたね……」
「ま、真っ! そんな悲しそうな顔すんじゃねえよ!」
「そうだよ。それに、真が霧鮫じゃなくなったんなら、正式にウチの一員になれるってことだよね?!」
「あ、そうか。そりゃめでてぇ!」
 落ち込んだ真を励ますように、スミレと他の船員たちが騒ぎ始める。
「えっ、でも俺、そんな……」
「ね、いいよね、船長!」
「……そうだな。構わん」
「あ、ありがとうございます!」
 許可した途端に、真の表情が明るくなり、それと同時に船員たちによる胴上げが始まる。
 本当に、よくもここまで船員たちの信頼を得たものだ。

 それから数日。真は雑用係として働くようになった。
「もうすっかりオレたちの仲間って感じだな」
「それもこれもスミレくんのおかげだよ!」
「えへへ」
「それにしても霧鮫の船長ってば、俺を見捨てるなんて酷い!」
「ははっ。これからはウチの船長を慕うんだな」
「もちろんですよ! 船長さんは俺のこと見捨てたりなんかしませんよねっ!?」
 真っすぐに向けられた瞳が、急に怖くなって視線を逸らす。
「あぁ。お前がちゃんと働いてくれる限りはな」
 何を不安に思うことがある? 真は私が疑うような動きを見せることもなく、皆の信頼も得て。ついに仲間となった今、私は船長として彼との絆を深めていくべきだというのに……。


「スミレがいなくなった……?」
「はい。気づいたら、姿が見えなくて……」
 真が仲間に加わったことを祝うために港に停泊してしばらく。スミレがいなくなったことに気づいた船員たちが船を探したが、どこにも見当たらなかったらしい。
「スミレが黙って外に出るとは考えられない」
「ええ。オレらもそう思って探しましたよ。でも……」
 嫌な予感がする。それが具体的に何を意味するのかはわからない。わからないが、船員たちも同じようなものを感じている様子で、皆一様に黙り込む。
「俺、探してきます!」
 そんな中、真はそれだけ告げると、街へと駆け出す。
「おい、待て!」
 土地勘のない真が街で迷ったら面倒だ。
「お前たちは船で待機していろ。すぐに真を連れ戻す」
「はいっ」「お気をつけて!」

 真の後を追って路地裏に入ってゆくと、すぐに事態を把握した。
「あ……。せん、ちょ……」
 恐怖で声を引きつらせ、顔を歪めるスミレ。そのすぐ後ろに立っているのは。
「やあ。船長さん。遅かったね」
「……真」
 冷酷な瞳。引き上げられた唇。手に持ったナイフはスミレの首に添えられている。
 どうして……。
 目の前の事態に心臓が早鐘を打つ。
「さぁ船長さん。武器は全部地面に置いてくださいよ」
「……」
「真、嘘だよね……? こんなの……」
「黙れ」
「っ!」
「やめろ!」
 叫びも虚しく、スミレの首に一筋の血が流れる。
「うっ……」
「スミレ……!」
 あぁ、どうしてこの男を信じてしまったのか。あれだけ危険だと直感が示していたのに。
 迂闊にも情に流されてしまっただなんて。
「ほら。さっさと従ってください。じゃないと今度はもっと深く傷つけますよ?」
「やめろ……」
 大人しく、持っていた銃を地面に転がすと、真は満足げに微笑む。
「それじゃあ、ゆっくりこっちに来てください」
「……」
 手招きされた通りに、真の目の前まで近づく。
 そして。
「はっ!」
 隠し持っていたナイフを振るい、真の手首を狙う。
「おっと」
「!」
 狙いは完ぺきだった。が、どうやら行動を読まれていたらしく、あっさりと躱された後、逆に腕を掴まれる。
「甘いですね」
「ぐっ……!」
 そしてそのままナイフを取られ、腹を蹴られて壁にぶつかる。
「船長っ!」
 武術の嗜みがない方向に賭けたが、やはりそう簡単にはいかないようだ。
「はは。俺ね、別に剣術ができないわけじゃあないんですよ」
 そう呟いた真は、ナイフを器用に回し始める。
「船長さんってば最初のとき、俺を試そうとしたんでしょ? でもね、あれじゃあ駄目。殺気がなかったね。俺ね、殺気がない攻撃には反応しないようにしてんですよ」
「……」
 驚いた。殺気の有無を感じ取り、殺気がなければ無防備でいられるものなのか?
「だから、変な真似しないでくださいよ。本当に殺しちゃいますからね」
「ひっ……」
 スミレの首にナイフが再び食い込む。
「や、やめろ!」
「だったら、最初っから俺の言う通りにしてくださいよ。ほら、さっさとこっちに来てください。もちろん、次はありませんよ?」
 冷たい声。今まで聞いていたあの真の声はない。
 為す統べもなく、再び近くに寄ると真は目を細めて笑う。
「そう。良くできました」
「っ!」
 口にハンカチを当てられた瞬間、眩暈がして体の自由が利かなくなる。
「す……みれ、だけは……」
 助けてくれ。そう言おうとしたが、口を開くのも億劫になって。地面に倒れ込んだと同時に、すっかりと意識を失った。


 嵐の中。
 風で飛ばされた板にぶつかり、体が傾く。
 海に落ちる……!
 そう思った瞬間、腕を掴まれる。
 そして、思いっきり船に引っ張り上げられる。
 それと引き換えに少年が海に落ちる。
「―――!!!」
 何を叫んだかわからない。
 止められるのも振り切って海を覗く。
 見えない。何も。
 全てを飲み込む大荒れの波。
 誰かが何かを叫んでいる。
 自分も何かを叫ぶ。
 でも、雨と風が全てをかき消す。
 あの少年の存在すらも。


「ん……」
 そこは冷たい牢の中だった。
「やっと起きてくれた。ねぇ、気分はどうです?」
「う……」
 吐き気がする。頭がすごく痛い。
「あはは。やっぱり効いてますね! アルコールを凝縮した薬、飲ませておいて正解」
 ずっと監視していたらしい真が、牢の鍵を開けて入ってくる。
 武器も持たずに隙を見せる彼に一発お見舞いしようとするが、立ち上がったg瞬間、ふらついて抱き留められる。
「ね、動けないでしょ?」
「お前は……」
 一体何者だ。そう問おうとした瞬間、慌ただしい足音と共に男の声が聞こえてくる。
「霧真船長! 捕虜のガキが起きて暴れてるんですけど! どうすんですか!?」
「ひなげし、今はちょーっとタイミングが悪い」
 姿を見せたその男は、忘れるはずもない。霧鮫のリーダーを名乗った男だ。
 それが今、静かに怒りを纏う真を見て、青い顔をしている。
「え~っと。す、すみません! あ、あはは」
「ったく。ガキぐらいで騒ぐな。ひなげし、お前がどうにか面倒見とけ」
「は、はい!」
「……霧真、ね。やはりお前、霧鮫の船長だったか」
 ひなげしと呼ばれた男が出ていったのを見届けて、霧真の腕から抜け出す。
「あれ。意外と驚かないんですね」
「私の勘が疑ってた理由がわかって納得だ」
 つまらなさそうな顔をする霧真に笑って見せる。だが、立つのもやっとの状況じゃ、どうにも格好はつかない。
「いやー。アンタ全然信用してくれないんだもん。どうしようかと思ったよ。スミレくんに感謝しなくっちゃあ」
「スミレは解放しろ。捕虜なら私一人で充分だろ」
「そうはいきませんよ、船長さん。貴方に暴れられたら手が付けられない。捕虜の捕虜ってとこかな」
「何が望みだ」
「ははっストレートだなぁ。まぁ、最初はアンタを殺せばいっかなって思ってたんだけどね」
「じゃあ殺せばいいだろう。ただし、スミレは解放しろ」
「ほんと、スミレくんにご執心ですね。やっぱり弟さんのこと忘れられませんよね。毎晩夢でうなされるぐらいですもんね。あ、だから自分の部屋でしか眠れないんですか? 寝言が恥ずかしいから。可愛いもんですね」
「……!」
 ずけずけと言い放つ霧真に眩暈を覚える。
「はは。何で知ってるかって?」
 否定しなくては。そう思っている間に手が伸びてきて、服の下に隠したペンダントを引きずりだす。
「これ。アンタがいつもつけてくれるとは思わなかったよ」
「……盗聴してたのか。悪趣味め」
 どのタイミングでそんな細工を仕込んでいたのかはわからないが、全てを聞かれていたことに忌々しさを感じて歯を食いしばる。
「スミレくんがくれたものですもんね。大事にしますよね、そりゃ」
「……勘違いしているようだが、スミレは弟分として可愛いと思っている」
「へぇ」
 全く信用していない濁り切ったその瞳。それが何だか腹立たしくて。
「お前のことも、そう思いかけてたんだがな。残念だ」
「ほんと、残念ですね。……俺はアンタをそんな目では見てなかったよ」
「ふっ。良くも殺気を抑えられたものだ」
「違いますよ。最初は殺すことしか考えてなかったけど。俺、アンタのこと欲しくなっちゃったんだよね」
 ぎらりと光り、細められたその目に映るのは紛れもない欲望。それを見た途端、全身から汗が噴き出る。
「は……?」
「いつも冷徹で完璧な、海賊に似合わぬその麗しい出で立ち。壊してみたい」
「……異常者め」
「なんとでも。どう足掻いたって、アンタは俺を止められない。可哀想な蓮の花だ」
「っ!」
 腕を取られ、引き寄せられる。抵抗しようとしても、薬のせいもあって彼の力は超えられない。そうこうするうちに、彼の唇が首筋に触れる。
「水蓮。お前が欲しいんだ」
「やめ……」
 耳朶に触れる囁き。それは耳を塞いでも消えることはなく、脳をぐるぐると混ぜ溶かすように甘く染み込む。
「ね、どう? 今の気分。敵の船でこんなことされて。信頼しかけた俺に裏切られて」
「な……んで、っ」
「そんな顔しないでよ。ねぇ、真のままだったら、こんなことしても許してくれた?」
「っは……」
「でも、今の俺はこれだから」
「っ……」
「それとも、もっと昔の俺だったら許してくれたかな」
 急に動くのを止めた霧真が、悲しそうに笑う。
 なんだ……?
 心がざわつく。考えてはいけない……。
「最初は本当に知らなかった。睡蓮は邪魔だから、頭であるアンタを殺すためにわざわざ潜りこんだ。ただ、アンタの名前聞いた時から妙にモヤモヤしてたんだよ。で、アンタに会って確信した」
「待っ……」
「俺、キリだよ。アンタを庇って海に落ちた。アンタのトラウマ」
「……まさか」
 記憶の片隅で、海に落ちた瞬間の水しぶきの音が聞こえる。
 あの、キリが。
 死んだと思って、ずっと後悔していたあの記憶が……。
 兄弟の盃を交わし、本当に可愛がっていたあの子が。
 今、何をしている……?
「あ……、やめ……」
「やめない」
「っあ! キリと、こんなこと、できないっ、から……!」
「そうだね。アンタにとってキリは可愛い弟分だったんだもんね」
「キリはこんなことしない……。キリは……」
「ほんと、ムカつく」
「っああ!」
「俺、海に落ちたせいか最近まで昔の記憶がなかったんだよ」
「え」
「でも、アンタに会って思い出したんだよ。あの頃の俺、キリのこと。だけど今更だ。俺はもう十何年間霧真として生きてきたんだよ。キリはもう死んだんだよ」
「き、り……」
「違う! 俺は、キリでも真でもないんだよ。俺は霧真だ。あんたは霧真を見るべきなんだ! いつまでもキリに囚われてんなよ!」
「でも……」
 言い淀んだところに両手が伸びてきて、顔を挟み掴まれる。
「俺を見ろよ、水蓮」
「あ……」
 その痛みを堪えるように吐き出された言葉に息を飲む。
 その顔に、確かにキリの面影はある。
 さっきまでの真の人格も残る。
 でも。
 今、目の前にいる彼は時を重ねて成長した、偽りのない姿で。
 真剣で。意志の強さを感じる眼差し。それを見た瞬間、後悔するがもう遅い。
「ようやく、見てくれた」
 唇が重なり合う。その口づけは立っていることさえままならないぐらいに気持ち良くて。
「……っは。お前こそ、私の昔の影を、追っていただけじゃないのか……?」
「はは。まぁ、最初はそうかもね。キリだったときから、本当はアンタのことが好きだったし」
「え……?」
「でも、アンタにそんな気持ちがないことくらいわかってたから。だから、あの時の俺はただアンタの傍にいれたらいいな、くらいしか思ってなかったよ」
「そうだったのか……」
「真としてアンタと数日過ごしたけど、昔のアンタみたいに笑ったりしないし、優しくもない。トラウマのせいですごく陰鬱になっててびっくりしたよ。あの頃のアンタの面影なんか少しもないじゃないか」
「悪かったな」
「でも。今の俺、霧真は、そんなアンタが好きになったんだよ」
「……」
 真剣で、切なさを帯びた瞳に思わず見惚れてしまう。
「俺は、アンタの今が好きだ。だからこうした。こうでもしないとアンタは俺を見てくれないからな」
「こんなのは、間違っている……」
「アンタに嫌われようと、無理やりにでも手に入れたい。それが今の俺なんだよ。汚くてごめんな」
「霧真……」
「はは。アンタにその名で呼ばれると嬉しいよ」
「っあ」
「ごめん、普通にできなくて。ごめんな」


 再び目を覚ますと、そこは牢ではなくベッドの中だった。
 辺りを見回すと、壁一面の本棚。そこにぎっしりと埋められた書物は、自分の部屋に引けを取らないほど量が多い。
 シーツを身に纏い立ち上がると、目に止まった一冊の本に手を伸ばす。
「語泉譜楊、か」
 よく見てみると、この作者の本は他の本と比べて読み込まれた跡がある。
「あ、起きたんだ。……って、それは」
「知ってたのか。私の本だと」
 静かに呟いて本の表紙を優しく撫でると、霧真が後ろからやんわりと抱きついてそれを覗き込む。
「いや、最初は知らなかったさ。でも、どことなく好きだなって思って読んでたんだよ」
「昔から本の趣味は同じだったからな」
「そ。んでもって牢屋であんたに話した時のあんたの反応見て、もしかして、って思ったんだよ」
「語仙と芙蓉は蓮の別名だからな」
「……アンタさ、意外と普通に話してくれるよね。あんなことしたのにさ」
 照れ隠しなのか、不貞腐れたような声を出した霧真が肩に顎を乗せてのしかかってくる。その頭を撫でながら、ため息をつくと同時に本を元の位置に直す。
「しょうがないだろう。私は結局、どのお前も好きになってしまったんだから」
「は?」
「確かに、私はキリの亡霊、私が勝手に作り出した戒めの呪いにずっと苦しめられていた。でも、それでもキリは私の中で大切な存在だった。キリは私のたった一人の家族だった」
「家族、ねぇ……」
「だから、真に対しても確かに兄弟の情を抱いた。当たり前だ、だってキリは真と同じだったんだから」
「……」
「でも霧真、お前にはさすがに、兄弟の情というものが湧かない。お前は二人と違い過ぎた」
「そりゃあ悪かったな」
「霧真、お前は恐ろしくも忌々しい敵対する船の頭だ。それが私を好きになっただと?」
「……ああ」
「戯言を。許されるものではない。……でも」
 手を取って、霧真に向き合う。そして、指を絡ませ自分の口元に引き寄せて、彼に目線をくれながら手の甲にそっとキスを落とす。
「私はきっと許してしまう。きっとお前に何をされても許してしまうのだろう」
「甘いな」
「そうかもしれない。でも、お前に押されれば押されるだけ、どこまでも堕ちてしまいそうで。正直、とても怖い」
「ちょっ……。そういう言い方、狡いだろ……」
 目を瞑り、霧真の指に頬をすり寄せてやる。すると、彼はぐらりとよろめき、勢いよくベッドに腰かけ天井を仰ぐ。
「……狡い?」
 顎に手を当てて首を傾げていると、霧真の手が伸びてくる。ぐいと引っ張られた先、バランスを失った体が彼の腕に抱き留められる。
「可愛いってこと! 今ので絶対逃がしたくなくなったっての」
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「は?」
「お前のことは信用している。お前の目的がなんであれ、睡蓮の皆を傷つけるような真似はしないだろう?」
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「信用させたのは、お前の方だろう?」
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「そうだろう?」
「でも。アンタは別」
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「好きにすればいい」
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「人間らしさって」
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「っ……。お互い様ってわけかよ」
「ああ。今の私には今のお前が一番合っている」
「水蓮……」
「ん……」
 霧真の手が頬に触れる。そして、互いの唇が触れようというそのとき……。
 ばたん!
「霧真船長! もう限界っす! こいつ、めちゃくちゃ噛みついてきて、いてててって……! って、あ……」
 勢いよく開け放たれたドアから現れた男。その足に噛みついたまま引きずられているスミレ。
「あ、せんちょ……」
「わ~! 子どもは見ちゃいけません!」
 スミレがこちらに気づき駆け出そうとした瞬間、ひなげしがその腕を引っ張り戻し、抱き上げてから手で目を塞ぐ。
「ひなげし……。お前ってやつは、タイミングが悪すぎる!」
「わ~、すっ、すみませ、って、痛っ……!」
 後ずさったひなげしの顔を、スミレが思いっきり引っ掻く。
「隙ありっ!」
「ぐあっ!」
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「俺たちを邪魔した罰でしょ」
 崩れ落ちるひなげしの腕から飛び出したスミレは、あっという間に二人の仲に割って入る。
「真、船長に酷いことしたら、いくらお前でも許さないんだからなっ!」
 霧真に睨みを利かせながら私を庇うスミレの姿に目頭が熱くなる。
「スミレ、強くなったな……」
「おい。感動しないでくれよ水蓮」
「ほんとですよ。あとちょっとで骨が折れるとこでしたよ?!」
「ひなげしは黙ってろ」
「これ今、完ッ全に船長の私情に付き合わされてるんだけどなぁ……。労災……」
「お兄さんがボクの邪魔するからじゃん」
「そうだぞ、ひなげし」
「……僕、なんで霧鮫やってんだろ」
 目の前で繰り広げられる掛け合いに、すっかり涙が渇いてしまった。
 スミレは思っていたより逞しく、ひなげしは思っていたより、面白い奴なのかもしれない。
「ったく。だいたい、スミレくんは当の昔に俺のことを許してないはずだろ」
「え、なんで?」
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「なんでって……。俺はスミレくんをナイフで傷つけただろ」
「あ、そうだった! おい真、お前のせいで痛かったんだぞ! 謝れ!」
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「あぁ大丈夫だ」
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「なぁ、霧真」
「どうした?」
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「いや、別にそのままの意味だったんだが」
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「あぁ。私はお前と共にありたいと思った。なんなら人生を共にしないかと言い直そう」
「は~、プロポーズ先を越されるとか最悪だろ……」
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「ひなげし!」
「は、はいっ!」
「睡蓮の船に向かうぞ。そこで正式に合併の意を示す」
「まじですか……」
「え~! それじゃあもしかして、ひなげしもボクの仲間になるってこと?」
「いきなり呼び捨てとかほんと、これだからクソガキ様は……」
「ボクはクソガキじゃないもん!」
「痛っ! 噛みつくのやめてもらっていいっすか?!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人を無視した霧真が私の肩を抱き、海を見つめる。
「海の上じゃあ、逃げたいと思っても簡単には逃げられねえぞ?」
「お前こそ。もう、どこにも行くなよ」
「アンタが海に落ちようとしなければ、ね」
 海に反射した陽の光が、そのまま霧真の瞳に映って煌く。
「海に落ちるより俺に落ちろ、ってやつですね」
「なにそれ~?」
「ひなげし、スミレくんに変なこと教えんなよ」
「はーい」
「スミレも、あまり迷惑を掛けないように」
「は~い」
 海はいつもと変わらず綺麗な青さで船を揺らす。
 次に嵐が来たときは、やっぱりまだ怖いんだろうか。
「水蓮」
 ふいに手を繋がれて、指が絡み合う。その温もりは不安を溶かしてしまうほどに心地よくて。
「霧真……」
 呼びかけに応えた彼の唇にそっと触れる。
「えっ……? 何? 今の……」
 顔を赤くして戸惑う彼に、舌を出して意地悪く微笑んでやる。
「さっきの続きだ。悪いか?」
「悪くない。でも」
「んっ」
「そんなんじゃ足りない」
 食いつくように距離を詰めた霧真は、あっという間に唇を覆う。
「いやいやいやいや! アンタら子どもの前でなんてことするんですか!」
「えっ。何? っていうか、またボクのこと子ども扱いして! 目を隠すな~! は~な~せ~!」
「痛っ! コラ、暴れんなクソガキ!」
 その賑やかな声は、青い空に吸い込まれて楽し気に響いた。
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