ヒキアズ創作BL短編集

ヒキアズ

文字の大きさ
48 / 132
41~50

(45)ごんぎつねちゃん

しおりを挟む
今野は助けられたお礼にと、和泉の靴箱にこっそり差し入れをする。差し入れを喜ぶ和泉の姿に、ついずるずると差し入れを続けてしまい……。
生徒×先生。教師が生徒に手玉に取られるのが好きです。

今野 薫(こんの かおる)いつも厳しい教師

和泉 海(いずみ かい)人気のあるイケメン生徒
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あるところに、狐がいました。狐は、助けられたお礼をするために、毎日毎日、青年の元へ差し入れを置きに行きました。時々、葡萄の匂いのする手紙も添えて、狐は青年の様子を見守りました。
 青年は差し入れや手紙を手に取る度、嬉しそうに微笑みました。
 狐はその顔がとても好きでした。それを朝に見ると、一日頑張ろうと思えるのです。
 狐はいつしか青年に恋をしてしまったのです。でも、その恋は叶うわけがありません。だから狐は、叶うはずもない恋心を隠し、想いを告げることもできないまま、まるで泥棒のような気持ちのまま罪悪感で肝を潰し、こそこそと差し入れを続けるのでした。



『うわ。和泉、今日も差し入れ貰ってんじゃん!』『うわ~。これだからイケメンは~!』
「……」
 高校の朝の靴箱。登校してきた男子たちが、一人の生徒の靴箱を覗き込んで騒ぎ立てる。
 しかし、当の本人……靴箱にお菓子や手紙を入れられた彼は、全く動じずに手紙を手に取る。
 和泉 海。それが彼の名前だ。彼は、とにかく女子からモテていた。その容姿はまるでモデルや俳優のように整っていて、物腰も柔らかで、性格も成績も悪くない。全てを手にした、神に選ばれしイケメンだった。
『にしても、一体誰なんだろうな~』『毎日同じ子から貰ってんだろ?』
「ごんぎつねちゃんだよ」
 和泉は、透き通るような声ではっきりと告げた。手紙を読み終えた彼の目は、嬉しそうに細められている。
 ああ。彼のあの表情。本当に綺麗だ。……じゃなくて。
『ごんぎつねちゃんって……。お前……』
 呆れたように呟く和泉の友人の言葉に、心の中で激しく頷く。
 彼は、いつしか差し入れ主を『ごんぎつねちゃん』の愛称で呼ぶようになっていた。
『よくそんな恥ずかしい愛称付けられるよな……』『イケメンってやつはこれだから……』
 口々に言い合う和泉の友人たちの言葉に、またしても心の中で激しく頷いておく。
「でもさ。確かに僕も会ってみたいんだよね。愛しのごんぎつねちゃんに、さ」
 手紙にそっと口づけを落とす彼の姿に、ぞわりと肌が粟立つ。
 絶対にバレてはいけない。これ以上これを続けることはできない。
 そう思うのだけれども。頭では分かっているのだけれども。


 生徒が帰った後、夜も遅い時間帯。いつものように靴箱に差し入れを置く。
 やっぱり止められなかった。彼が『ごんぎつねちゃん』の正体を知った時、どんなに軽蔑するか、目に見えているというのに……。
「ね、何してるんですか?」
「……!」
 ふいに、背後から囁かれて固まる。嫌な汗が背中を伝う。心臓の音が、これでもかというぐらいに早く鳴り響く。
 優しく、それでいてはっきりと耳を侵したそれは、紛れもなく彼の声だった。
「い、いつの間に……」
 まるで機械のようにぎこちない動きで振り向くと、やはりそこには靴箱の主、和泉 海が立っていた。
「それ、どうしたんです?」
 和泉が、私の手元を見ながら問いかける。和泉が食い入るように見つめたそれは、女の子が使うような、可愛い動物が描かれた封筒。
 あ、そういえばこれ狐か。デフォルメが強くて意識してなかったが。これも、ごんぎつねと呼ばれる要因だろうか……。じゃなくて!
「……こういうことは風紀が乱れるからな。処分する」
 落ち着け。私は生徒から一番恐れられている教師だ。生徒指導を任されたからには、と必要以上に真面目でいたせいか、生徒から好かれた例がない。冷徹だの心がないだの鬼畜眼鏡だの。そういうことを言われまくっている程度には愛想がなく、人に厳しい。だから、これを注意するのは何ら不自然なことではない。
「あぁ。それ、ごんぎつねちゃんが来たんですよ」
「ごんぎつね?」
 眼鏡の淵を軽く押し上げ、怪訝な声を出してみせる。
 よし。上手くやれている。今の私は、自分で言うのも悲しいぐらいに嫌味な顔をしているはずだ。
「はい。僕のことを一途に想ってくれている子なんです。僕、いつも彼女の手紙に励まされていて……」
「はっ。今の時代、珍しく古風な生徒もいたもんだな」
「そうですね。イマドキ手紙だなんて。本当に可愛いですよね」
「……」
 皮肉ってやったというのに、和泉はそんなことは気にせずに私の手から封筒を奪い、そこに書かれた『和泉くんへ』の文字を愛おしそうに指でなぞる。
 ……本当にこいつは現実には存在しない健気で古風な女子生徒、『ごんぎつねちゃん』に惚れているんだな。
「でも、僕はてっきり先生がごんぎつねちゃんなのかと思っちゃいましたよ」
「は……」
 和泉が手首を動かすと、封筒がひらりと舞うように、しなやかに私の胸を叩く。
 彼の動きは優雅で、彼の瞳は強かだった。それはまるで、よくある物語の中の怪盗が、挑戦状を叩きつけるシーンのように芸術的だった。
「だって、先生だったら手紙なのも納得だし」
「私はそんなに歳食ってないんだが」
 うるさい心臓から遠ざけるように、封筒を和泉の手から奪い取る。
「嫌だなあ。世代の問題じゃなくて。それに、そこに立ってそれを持ってたら誰でも勘違いするでしょ」
「私は教師で男だぞ。勘違いをするお前がおかしい」
「相変わらず先生は手厳しいですね」
「とにかく。これは預かっておくからお前は早く帰っ……」
「駄目ですよ」
「っ!」
 話を切り上げようと、和泉から視線を外した瞬間、彼に押されて背中が靴箱にぶつかる。
 それと同時に、手から封筒が抜き取られる。
「ま、待て……!」
 口をついて出た制止は全く効果がなく、かさりと紙の擦れる音と共に葡萄の甘い香りがふわりと漂う。
「応援してます、だってさ」
 目の前に突きつけられた手紙には、小さくて丸っこい文字が一言だけ書かれていた。それは、可愛い便せんに似つかわしいよう苦心して書いた文字だったが、改めて見ると、薄ら寒い思いがした。
 こんなものに、お前は騙されているのか。そう目の前の青年に問いたかった。勿論、そんなことを言う勇気などどこにもなく。
「くだらない。そんなものは早く捨ててしまえばいい」
「僕の可愛いごんぎつねちゃんの手紙は宝物なんですから。捨てちゃ駄目ですよ」
 手紙にそっと口づけた彼は、いつもより少し低い声で脅すように囁く。
「はは、お前に惚れるなんて馬鹿な女だな」
 挑発するように彼を睨んでやると、彼の口角が下がり、一瞬真顔になる。
「ああ、そうですね。先生は本当に馬鹿ですね」
「あ……? 誰に向かって口を利いている。私は、お前のことを思って言ってるんだぞ?」
「僕のことを思って? 先生が?」
「……当たり前だ。お前は可愛い生徒の一人だ。それに、受け持った生徒がストーカー被害にでも遭えば、それこそ問題視される」
「ストーカーって。ごんぎつねちゃんは、そんなんじゃ……」
「いいか、迷惑被るのは担任の私なんだ。思春期なのはわかるが、もっと相手は選べ」
「ごんぎつねちゃんは、僕が知る中で一番可愛いんです」
「お前に何がわかるんだ。相手の顔も知らないくせに。そんな手紙一つで踊らされて。こんなものより、勉学に励むべきだ!」
「あっ」
 和泉から再び手紙を奪い、勢いに任せてびりびりと破く。
 これでいい。こんな手紙は最初っからこうなるべきだったんだ。
 足元に落ちた手紙の切れ端を、和泉が静かに見下ろす。そして……。
「それでも。僕にとっての一番はごんぎつねちゃんですから」
 顔を上げ、真っすぐにこちらを見つめて、淀みのない声で言った。その悲しそうな微笑みは、私の中の罪悪感を掻き立てた。見ないようにしてきたそれは、あっという間に私の心をずたずたに引き裂いた。
 私は、何をやっているんだろうか。


『最近、和泉くん落ち込んでるみたい』『ね~。もしかして恋煩いじゃ……』『え~! 和泉くんのこと狙ってんのに!』
『和泉が元気ないのってさ、絶対アレだよな』『ああ、ごんぎつねちゃんだっけ。差し入れが途切れたって』『そんなのなくたってさ、アイツ女子から直接色々貰ってるし、ラインで散々応援されてるのにな~』『あれじゃん。そういうのに慣れ過ぎてて、逆にああいうのがいんじゃね?』『でもさ~、顔分かんないの怖くね? ブスかもじゃん』『あ~。あり得る。お前、この前ネカマに騙されかけてたもんな』『うっせ。まぁ、現実で男があんな手紙書いてるわけね~けどな』『はは。実際居たらこの高校ヤバすぎだし!』
 女子も男子も、あちこちで和泉のことを話題に上げる。彼がどれほど皆の関心を集めているかを思い知らされると同時に、自分のしてきたことに今更恐怖が込み上げる。
 距離を置いて正解だった。あれ以上やっていたら、和泉にバレていたかもしれない。
 彼のあの表情が、どれだけ手紙の主を想っているのかを物語っていた。今思い出しても、氷水をぶち被ったぐらいに全てが冷たくなってくる。
 私は、青少年の心を弄んでいたのだ。自分自身を偽って。歪んだ優越感に浸って。それで満足していた愚かな大人なのだ。
 罪の償い方なんて、とてもわからなかった。
 だから私は、逃げることしかできなかった。ただ、彼が『ごんぎつねちゃん』を忘れてくれることを願うことしかできなかった。

『なぁ、聞いた?』『和泉の『ごんぎつねちゃん』が復活したんだろ?』『そうそう。和泉、めちゃくちゃ嬉しそうにしてたもんな』『クラスの女子が嘆いてたぜ』
 廊下ですれ違った男子生徒の言葉に、思わず教材を取り落としそうになる。
 『ごんぎつねちゃん』が復活した……? まさか。あれから私は何も贈っていないはずだ。
 平静を装ってから教室に入り、和泉を見る。
 和泉の手には手紙があった。その封筒は、確かに私が用意していたものと同じだった。
 一体誰が……。
 教壇に立ち、視線を巡らすと、ふと和泉の方を見つめる女子に目が留まる。彼女の手にあるのは、あの封筒だった。
 気づいてほしいのだろうか。恥じらいながらも、机の上に置いた封筒を意味もなく開けたり閉めたり。見ているこっちが焦れるほど、彼女の瞳は恋する可愛い乙女のそれだった。
「おい。朝礼を始めるぞ。机の上を片付けろ」
 尚も心の奥底で疼く未練に嫌気が差す。
 いいじゃないか。これで私は罪から逃れられる。彼女は『ごんぎつねちゃん』のあだ名に相応しいぐらい可愛い。和泉と並んでもお似合いだと言える程、人気だってある。
 もう私の役目はとっくに終わったんだ。おとぎ話に浸るには歳を取り過ぎた。

 それからしばらく経った放課後。
 生徒指導室に向かって、ぼんやりとしながら渡り廊下を歩いていたところ、和泉の声が聞こえて立ち止まる。
「今までのも全部君が?」
『は、はいっ。そうなんです!』
「そう……」
 こっそりと声のする方を覗いてみると、そこには和泉と『ごんぎつねちゃん』がいた。
 彼女が手に握りしめた封筒。赤く染まった頬。和泉の優しそうな瞳。
 あぁ。これでようやく諦められる。
 どっと力が抜けて、涙腺が緩みだす。
「は……」
 溢れ出しそうになる感情を押し込めて、眼鏡を押し上げ、目頭を強く押す。
 こんなみっともない気持ち、早くなくなれ。
 どうにもぼやける視界をリセットするべく、目を強く瞑る。
「ほんと、馬鹿なのは私だな……」


 生徒指導室に辿り着き、何事もなかったかのように仕事に励む。
 私がやるべきことは、生徒を正すことだ。それが、どうしてこうも煩悩に苛まれなければいけなかったのか。
 己の弱さが憎くて、血が煮える程に後悔をした。
 これからは、己の立場をわきまえなければいけない。
 だって、私の恋は死んでしまった。これ以上縋っても、意味などない。
 間違いだったんだ。何もかもが。
 ああ、そうだ。
「あの便せんは早いところ捨てておかないと……」
 そう思い立って、鞄を手繰り寄せる。
 あれを捨てなければ、終わらないと思った。あれを捨てれば、完全にこのおとぎ話も幕を閉じると思った。でも。
「今野先生」
 びくり、と肩が震える。ノックもなしに入ってきた声の主は、今一番会いたくなかった人物。
「……どうしたんだ、和泉」
 逃げたい気持ちをぐっと堪えて、眼鏡の淵を押さえてから和泉を見つめる。
「それは、こっちの台詞です」
「?」
 思いつめたような表情で言い切った彼が、つかつかと距離を詰めて……。
「どうしたんですか? ごんぎつねちゃん」
「え?」
 ネクタイを引っ掴まれた後、耳元で囁かれる。
「何を、言って……」
 言葉を続けようと、思考を巡らせるが、上手い言葉が見つからない。
 とりあえず、掴んできた手を引き剥がそうと手を伸ばすが……。
 手が触れる前に乱暴に突き放されて、どっと椅子に座り込む。
「痛って……。お前、なにす……、って、あ、待て!」
 ズレた眼鏡を押し上げている隙に、和泉の手が鞄に伸びる。
「やめろ!」
 急いで立ち上がり取り返そうとするが、伸ばした手も虚しく、目の前で鞄が逆さまに振られ、机の上に中身がぶちまけられる。
「ほら。これ。蒲萄の香水」
 怖いぐらいに冷静な和泉が、机の上に転がった瓶を拾い上げて蓋を開ける。
 その瞬間、場違いなほどに甘い葡萄の香りが立ち込めて、いたたまれなくなった私は和泉から視線を逸らす。
「何を勘違いしているかは知らんが、それは拾ったものだ。後で落とし物として置いておくために入れておいた」
「へぇ。そうなんですね。それじゃあ、これもですか?」
「……そうだ」
 和泉が冷たい声で淡々と翳したそれは、可愛いレターセットだった。勿論、私は頷くよりほかはない。
「随分おっちょこちょいですね、僕のごんぎつねちゃん」
「知るか。お前のことが好きな時点で馬鹿だろう」
「そうですね」
 含みのある微笑みに、何と答えればいいのか迷っていると、和泉はポケットから何かを取り出す。
「じゃあ、これを見てもらおうかなぁ」
 それはスマートフォンだった。こちらに向けられた画面に映っているのは、動画らしい。
「これ、何だと思います?」
「あ……」
 それは靴箱を撮影した動画だった。撮影されているとも知らない人物が、和泉の靴箱に、差し入れを押し込んでいる瞬間を捉えたものだった。
「ねぇ。この人、紛れもなく先生ですよね? どうして先生がごんぎつねちゃんの手紙を僕の靴箱に入れてるんです?」
 震えそうになる手をぎゅっと握りながら、口角を上げる。
 大丈夫。まだ、大丈夫。
「これは、落ちてたからお前の靴箱に入れてやったんだ」
「へぇ。そうだったんですか」
 あっさりと納得してくれた和泉に、少しだけ平静を取り戻す。
 なんだ。完全に疑われているわけじゃない。当たり前だ。こんな変態染みたことをする教師が、身近に存在してるなんて思いもしないだろうし……。
「じゃあ、この日もですか?」
「……そうだ」
 ふいに見せられた次の動画に、唾を飲み込む。
 まさか、二日も撮ってあるなんて……。
 さすがに怪しまれたかと思って和泉を見ると、目が合った瞬間に彼は微笑んだ。
「先生ってば、よっぽど真面目に見回りしてるんですね」
「あ、ああ……」
 喉が渇く。真面目に見回りしているのは嘘じゃない。だけど、彼の瞳はその答えを受けて、すっと微笑みを絶やす。
「おかしいですね。先生はこんな手紙、見つけたら即処分すると思ってましたけど」
「……それは、一応お前に断りを入れてから処分しようと思って」
「でも、僕はその翌日、先生からなんのお咎めもありませんでしたけど?」
「それは、仕事が忙しくて……」
「そもそも、僕のごんぎつねちゃんはどうして、二回も差し入れを落としていたんでしょうか」
「それは、だから、ドジな子なのだろう……」
「それじゃあ、一体どこで先生はそれを拾ったっていうんです?」
「それは、靴箱の……」
「動画を撮るとき、靴箱の死角で待ち伏せしてましたけど、先生は靴箱に現れたとき、最初っから差し入れを手に持っていました」
「え~っと。それじゃあ、どこかの廊下で拾ったのだろう。どうでもいい情報だ。忘れていても仕方ないだろう?」
 ギリギリで躱す度、胃がぎりりと痛む。まるで鋭利な刃物で抉られているようだ。
「……そうですね。先生が僕に興味を持つわけないですよね」
「あ、当たり前だ。私は教師で、お前は生徒だぞ? そもそも、同性だろう。何を疑う理由があるというんだ」
「うん。わかりました。きっと僕の勘違いだったんですね!」
 明るく言い切る和泉に、ようやく胃の痛みも和らいでゆく。
「はは。全く。そもそも、お前のごんぎつねちゃんは自分で名乗り出てくれたんだろう? どうして、私なんかに疑いをかけるのか……」
 安堵の息を漏らしながら、思い浮かんだ言葉をそのまま口にする。そして。流れるように発した疑問を、自分自身で噛み砕き、ようやく理解する。
 待て……。どうして、和泉は私に疑いをかけた? それじゃあまるで、彼女を『ごんぎつねちゃん』として認識していないみたいじゃないか……?
 冷や汗が頬を伝う中、和泉が優しい瞳でこちらを見つめる。
「ねぇ先生。じゃあ、これも僕の勘違いなんですかねぇ?」
「あ……」
 和泉が指し示した画面に映っていたその動画は、私がコンビニで菓子を購入して、靴箱に入れるまでを撮ったものだった。
「これ、どういうことなんでしょうかねぇ?」
「それは……。ただの冷やかしで……」
「はは。それはさすがに無理があるんじゃないですか、先生」
 感情の籠もっていない声でそう言うと、和泉はスマホを指で数回突く。画面に出てきたのは、無数の動画。そのどれもに私の顔が映っていて……。
「な、なん……」
「ふふ。やっぱりごんぎつねちゃんは馬鹿だなぁ。こんなに撮られてるのに、気づかない。こんなに証拠があるのに、言い逃れしようとする」
「これは、違う……。これは、ええと……」
「僕はね、全部わかってたんですよ」
 ゆっくりと和泉が一歩踏み出す。その只ならぬ気配に、無意識の内、私は一歩後ろに下がる。
 全部わかっていた? それはどこまでを指し示す? 和泉は、何を知っている?
「先生がいつも、僕のこと見てるのも気づいてましたよ」
「っ……」
 眩暈がする。これ以上はいけない。これ以上、彼の口から自分のことを聞けば、その罪の重さに耐え切れず、気がおかしくなりそうだった。
 だから。彼の隙をついて、逃げようとした。でも、すぐに腕を掴まれて、そのまま壁に押し付けられる。
「逃がしませんよ」
「は、なせ……!」
 気が付くと、体が小刻みに揺れていた。震えているのだとわかり、自分の体を抱きしめるが、そんなことじゃ恐怖は和らがない。
「そんなこの世の終わりみたいな顔、しないでくださいよ」
「違う、私じゃない……! さっきのあの子が、そうだ、さっきの彼女が、本物のごんぎつねちゃんだって言って……!」
「あの子には吐いてもらいましたよ。嘘ついてたこと。あの子が差し入れを置いたのは、ここ一週間だけだって。だいぶ泣かせちゃったけど、自業自得。むしろ、泣いたぐらいで許してあげたんだから、感謝してほしいぐらいです」
「いや、だからと言って、私に疑いをかけるのはその……。。私は……やって、ない……」
「本当に?」
 頬に手を当て、覗き込んでくる和泉の視線から逃れるべく、そっぽを向く。
「っ……。そんな、気色悪いこと……誰が……」
「気色悪い、ねぇ?」
「いっ……!」
 無防備な首筋を彼の吐息が撫で上げた刹那、がり、と首筋に痛みが走る。
「っ、なにす……」
 それが噛みつかれた痛みだと気づき、驚いて尻餅をつく。
「試してみましょうか?」
「は……?」
 彼の顔を見上げた瞬間、口づけを落とされる。
「ん……、んんん……! っは……」
 混乱しながらも、逃れようと暴れるが、掴まれた手はびくともしない。それどころか、壁に押し付けられて、身動きも取れなくなる。
 口内を掻き回される度に、情けなく声が漏れる。熱い。甘く痺れて、全てを快楽の波に持っていかれそうになる。
 あれ、今、私は、何をしている……?
「ね、どうしてそんなに可愛い顔になってるんですかね? せんせ」
「は……。んな、顔、してな……」
 やっと解放されたとき、すぐには頭も呂律も回らなくて、口元を拭うのがやっとだった。
「じゃあ、これ。どうして反応してるんですかね?」
「っ……ん! や、やめ、触るな……ッ!」
 指摘と同時に、和泉の手がそれに触れる。すぐに止めさせようとするが、擦られた途端の快感が邪魔をする。
「どうして? 僕に触られると気持ちいいから?」
「は……、だ、め……、待っ……、あ、うう……」
 和泉に触られているという事実と、夢心地の快感の狭間で、意識がチカチカと切れかかる。
「ほら、抗えないぐらい気持ちいいんでしょ? 認めなよ。先生が変態だってこと」
「う……。も、ゆる……して、あっ、くっ……」
「可愛い。先生。本当に可愛いよ」
 耳元で囁かれると、とうとう呼吸も苦しくなる。
「あ……、もう、で……」
「出していいよ。先生のイクとこ、見せて?」
「は、ああ……、ん、もう……いッ……!」
 限界だった。何もかもを手放して。ただ快楽に引きずられて。気づけば、和泉のシャツを力いっぱい握りしめながら達していた。

「は……」
 罪の意識と疲労感で、力なく息を吐く。荒かった呼吸も、時間をおいて、ようやく整いつつあった。
「ね、先生。僕のこと好きなんでしょう?」
「っ……」
 抱きしめた状態のまま、和泉が真っすぐな質問をぶつけてくる。そのシャツは、先ほどの行為を物語るように汚れていて。
「言わないと、もう一回触るよ?」
 その目は本気だった。恐らく、この瞳からは逃げられない。そう思ったら、言葉が口をついていた。
「す、好きだ……。そう、だよ。お前の思っている通り。私は、和泉が好きなんだよ……。だって、しょうがないじゃないか……。お前は、覚えてないんだろうが……、素行の悪い生徒を注意したとき、殴られそうになって……。それを、お前が助けてくれたから……」
「え、それだけで惚れたのかよ」
「っ……。その後、何とか礼を言おうとしたけど、何となく言いづらくて……。だから、靴箱に菓子を入れて、お礼の代わりにしようと思ったんだよ……。香水を吹きかけて、女子を装った手紙を添えて。でも、それをお前があんまり喜ぶもんだから。つい、お前の嬉しそうな顔が見たくて、ずるずると……。だから、つまり、お前のことを目で追うようになって、気づいたら、その……。私だって、男を好きになるなんて、思ってもみないわけで……」
「ほんと、馬鹿ですね」
「う……。悪かった。もう、お前には近づかないから、だから許して……」
「そうじゃなくて。言ったでしょう? 全部わかってた、って」
「は……?」
 和泉が優しく手を取り、口づける。それはまるでおとぎ話の王子様のように綺麗な仕草だった。
「先生、いつも手紙を手に持ったまま香水かけてたでしょ? 匂い、ついてるし」
「っ!」
 慌てて手を引っ込めようとするが、それ以上に強い力で掴まれる。
「僕は最初っからわかってたんですよ。先生がやってるってわかった上で、泳がせてたんですよ。意識して変えてるんだろうけど、僕にはアンタの筆跡だってわかってるし。もっと言うなら、アンタを助けたのだって、完全に下心あってのことだし」
「ん……? えと、つまり、どういうことだ……?」
「鈍いですね。こういうことですよ」
 腰を引き寄せられて、強引に口づけられる。軽く音を立ててすぐに離れた彼の唇は、悪戯っぽく歪む。
「え……? は……?」
「僕はアンタなんかよりもずっと先にアンタに恋してんですよ。一目惚れってやつで」
「え、いや。そんな……。まさか……」
「本当だっての。アンタからの差し入れだから、素直に喜べたんだし。でも、まさかアンタがこんなに可愛い恩返しをするなんて思ってなかってけどね。それに、こんな簡単にアンタが俺に惚れるだなんて……。本当に惚れてるんだよな? 嘘じゃないよな?」
「嘘じゃ、ないが……。そっちこそ、私のどこに惚れる要素があるっていうんだ……。ただのおじさんに、お前みたいなイケメンが……」
「おじさんって。先生、まだ若いし。顔がすげー好みだし。外面厳しいくせに、本当はこんな可愛いんだもん。惚れるに決まってる」
「いや、お前がそんなこと言うのは、ちょっと勿体ないというか……。私のことは気にせずに、他の女子と清い交際をして青春を過ごしてほしいというか……」
「何照れてんですか、ごんぎつねちゃん。僕を惚れさせた罪は、ちゃ~んと償ってもらいますよ」
「……胸を撃たれたんじゃ、もう差し入れはできないんだが?」
「僕は兵十と違って、送り主に最初っから気づいてたんで。命までは奪ってないでしょう?」
「手加減がまるでできてない」
「わかりました。それじゃあ僕が蘇生を施しましょう。目覚めのキスっていうやつです」
「眠り姫じゃないんだがな」
 つらつらと重ねた言葉も尽きて、抵抗するのも諦めて目を瞑る。
 魔法が解けて、偽りの姿が暴かれた。だけれども。
「今野先生。愛してます。先生がどんなに言い訳しようとも、僕はアンタを放しませんから」
「はは。それは恐ろしい。まるで呪いの様じゃないか」
 叩いた軽口とは逆に、全身が煮えたぎるほど歓喜する。
「それってつまりはハッピーエンドなんですね?」
「世間様から見れば、とんでもないバッドエンドだろ?」
「何言ってんですか。僕たちさえ幸せなら、それでいいんですよ」
 幸せそうに笑った和泉が、ゆっくりと口づけを落とす。私は、それに応えるように、彼の背中に手を回す。
 ここが学校だということも、自分が教師であることも、すっかり頭から抜け落ちて、全てが幸福感に満たされてゆく。
 どうやら、このお話はハッピーエンドだったらしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

処理中です...