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(57)触ると死ぬ
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「愛する者を触ると死ぬ」呪いを持つヌイ。森の奥でひっそり暮らす彼の元に、その力を欲する魔術師シャサが現れて……。
力を求める魔術師×呪われ不幸没落貴族。恐らく年下攻め。チートで道化な攻めがトラウマ不幸な受けに、なんちゃって同居生活で幸せを感じさせて、根本的な心のケアをしてくれるのが好きです!(?)
ヌイ・クラース・ラモーレ
魔術の名門一族次男。兄の身代わりとして呪いを受ける。
ネーミングは、赤い(クラースヌイ)死神(ラ・モール)。
シャサ・ルー・フー
既に強いけど世界一の魔術師を目指して旅をしている貪欲青年。
ネーミングは、狂った(フー)狩人(シャサール)
エイリル・クラース・ラモーレ
ラモーレ家長男。ヌイを忌み嫌っている。
ネーミングは4(死)月(エイプリル)
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その男に触られたら死ぬ。
赤い瞳は血を見過ぎたから、長く黒い髪は血が固まって染み付いた色だと囁かれる。
人々はそれを『赤い死神』と恐れ、彼を嫌った。
彼は森の洋館に住んでいた。
薄暗く、かつての繁栄も儚く寂れたそこに一人住み着いていた。
館の住人である魔術の名門一族ラモーレ家は、彼を残してみな死んでいった。そう、まだ幼かった彼に殺されたのだ。
血塗られた洋館に近づく者はなく、牢獄のように封鎖されたそこで、男はただ生きていた。
気が遠くなるほどの時間、恐ろしい呪いを抱えながら。
コンコン。
扉を叩くような音がする。そんな音を聞いたのはいつぶりだろうか。
「……」
少し懐かしんでから後悔する。過去を思っても苦いだけだ。
それに、この音もどうせ風で何かが飛ばされて当たった音に違いない。何せここは、動物すらも近づかない……。
「おーい、誰かいますか~?」
どくん。
心臓が押し潰されたように、息が自然と詰まる。
今、確かに人間の声がした。若い男の声だ。いや、でもそんなはず……。
「まぁ、勝手に入らせて貰うけどさ、っと!」
ガンッ!
ドアに何かを叩きつける音がしたと同時に、怖くなった私は二階へと身を隠す。
心臓は警告のように早鐘を打つ。あたふたとしている間に、ドアが破られる音がして、ついに侵入者の靴音がこちらに向かってくる。
来るな、来るな来るな来るな……!
無意味な祈りは何にも届かない。そんなことはもう十分すぎる程わかっていた。
どうするか。窓から飛び降りるか。
少しの魔法なら使えるが、果たして衝撃を上手く緩和できるだろうか。
いや、落ち着け。何も逃げることはない。
きっと全部、いつもの幻覚で――。
足元の赤い染みのついた絨毯が視界に映る。
「っ、は……」
たちまち呼吸が乱れ、よろよろと窓に寄りかかる。
赤い。悲鳴。愛しい人たちの感触。
吐き気が込み上げてくるのを抑えながら、窓に手をかける。
やはり逃げよう。あれが幻覚だろうとそうでなかろうと、私にとって、人間など恐怖でしかない。
震える手で窓を開け、身を乗り出そうとした瞬間――。
ガタン!
「!?」
窓が勝手に閉まり、私の体は部屋に弾き返される。
「これは、魔術か……?」
「ご名答! いやぁ、みすみす逃す訳にはいきませんからねぇ」
ハッとして声のする方に目を向けると、布を纏った少年が仰々しくお辞儀をする。
「私が誰だかわかっているのか?」
「わかってますよ。『赤い死神』さん」
「だったら引き返した方がいい。君も地獄に案内されたくはないだろう」
「いや、いやいやいやぁ。はやはや。貴方は面白い!」
腹を抱えて笑う少年は、ピエロのようにわざとらしい物言いをする。
残念ながらこれは恐らく、幻覚ではなく現実なのだろう。私にこんな冗談染みた想像はできない。
「私は冗談で言っているんじゃない。大方、力が欲しいのだろうが。残念ながら君の期待に、私は応えられない」
「ああ、貴方は何故にその力をもっと我欲に注がないのか! 全くわからない! 僕ならばもっと素晴らしく使って見せるのに!」
「そんな力など存在しないと言ったら?」
「ふむ」
ぺたり。
何の断りもなしに、少年は私の頬に手を触れる。
「触っても何も起きない、か……」
「気は済んだか?」
「いや。確か噂は『触られると死ぬ』だった。貴方が触ってくれないと、ね?」
そう言った少年は、私に向かって手を差し出す。
「……」
「どうしました? 遠慮なんていらないですよ。僕は不躾な赤の他人。たとえ死んだって構わないでしょう?」
「……」
「それとも、人を殺めてしまうのが怖いですか?」
「っ……」
きっと触れない限り、少年の気は済まないのだろう。
「ほら」
「わかったから……」
唾を飲み込み、少年が差し出した手に恐る恐る触れる。
「あれ。ほんとに何も起こらないんだ」
不思議そうに私の手を撫で回す少年を振りほどき、距離を取る。
「わかっただろ? 私には、触るだけで人を殺せる力などない」
「それは残念だ」
「それじゃあ、さっさとかえ……」
「それは嫌だ」
「は?」
帰れと言い終わる前に、少年はすっぱりと意志を述べる。
「貴方の謎を解くまではここにいさせてもらいます」
「謎も何も。私はただの落ちこぼれで……」
「それを判断するのは僕だ。ああ、申し遅れたけど、僕はシャサ・ルー・フー。お察しの通り、強い魔術を求めて旅をしている研究者さ。さあ、貴方の名前は?」
「……どうせ、調べてあるんだろ?」
「ヌイ・クラース・ラモーレ。ラモーレ家最後の生き残り。その呪いの噂のせいで、近づく者はなく、一人寂しく暮らしている、と」
「噂は噂にしか過ぎない。これ以上は何もない。君にとっても時間の無駄さ」
「まあまあ。とにかく仲良くしようじゃないか。ヌイ」
「気安く呼ぶな。ベタベタ触るな」
「いや、だって。手っ取り早く心を開くには、どうすればいいかわかってるから」
「は……?」
腰を掴まれ、あっさりと唇を奪われる。
「なんだ。抵抗しないの?」
「ッ……! 出て行け! この変態野郎!」
「ぷ。何その初心な反応」
「お前、絶対許さないからな……」
「あ~。もしかして、逆効果だった? 寂しい思いしてるだろから、すぐ落ちると思ったんだけど……」
「何が悲しくて男に落ちなきゃいけないんだよ」
「え~。見りゃわかると思うけど、僕、結構モテるんですけど」
「知るか変態」
「は~。ま、いいや。もう1つやることがあるんで。そっちから済ましましょう。地下はこっちで合ってます?」
「何をするつもりで……」
「まぁまぁ。アンタにもついてきてもらいますよ」
「ぐ……」
シャサが指を鳴らしたと同時に、空中から蔦が生え、私の体を縛り上げる。
「アンタさ、随分ちっぽけな魔力しか持ってないんだね。僕はてっきりラモーレ家の生き残りとして、あらゆる魔術を継承してるに違いないと期待していたのに」
「っ」
「あれ、気に触っちゃったかな? ごめんね」
全く悪いと思っていないであろう軽い返事をしたシャサは隠し階段を見つけると、そのまま地下の書庫へと下りてゆく。
「あったあった」
「そんなもの、読んでどうする?」
蔦ごと引っ張られてきた私は、本の埃に顔をしかめながら問う。
「言ったでしょ。魔術の研究をしてるって。貴方の呪いほどじゃないけど、ラモーレ家の禁術も中々に興味をそそられるんです」
「……君は魔術を研究してどうしようというんだ?」
「そんなの、決まってます。世界一の魔術師になるんですよ」
「それは、立派な夢だな」
「む。馬鹿にしてます?」
「いや、そうじゃなくて……。私には眩しくてね」
夢なんて言葉、忘れていた。酷く曖昧で明るいその言葉は、幾度も神に願った絶望によく似ている。
「アンタに夢はないのかい?」
「そんなものはない」
あるはずがない。夢をみる資格も神に祈る資格もないのだから。
「わざわざこんなことをしなくても、読みたいんだったら好きにしていい。持っていってくれても構わない。私には読めないものだ」
「えっ、アンタ古代文字読めないのか?」
「ああ。生憎、普通の文字ですらおぼつかないからな」
「そうか、アンタは教育すら受けていなかったのか」
「……ラモーレ家はここで途絶える。私と共に朽ちるより、君の糧となった方が、この文字たちも救われるだろう」
「本当にアンタ、純粋過ぎるな。でも、そう言ってくれるとありがたいよ」
シャサがもう一度指を鳴らした途端、蔦が消え去り、体が床に降ろされる。
どうせなら、殺してくれと頼んだ方が良かっただろうか。彼は、自分じゃ死ぬこともできない私に、終わりをもたらしてくれる神様のような存在だったのではないだろうか。
でも、きっとそんな危険なことは口が裂けても頼めない。もし、“あの時”みたいに呪いが発動して、彼を殺してしまったら。
そう思うと、心が、体が、凍ったように動かなかった。私はここで一人、誰も知らぬ間に年老いて死んだ方がいい。結局私は臆病で、自らの運命を変える選択ができなかった。
シャサが訪れたことさえも忘れてしまえばいい。そうして、私はいつもと変わらぬ意味のない時間を過せばいい。そう思ったのだが――。
「本は持っていって構わないと言ったはずだ。何故君はまだここに居座っている?」
あれから数時間。未だ堂々とソファに腰かけながら魔導書を読みふけっているシャサに、私は苛立ちさえ感じていた。
「いや、ここの方が集中できるからね。それに」
ひた、と頬に手を添えられた途端、私は過剰なまでにそれを嫌悪し、打ち払う。
しかし、そんな私の態度も気にすることなく、彼は私に向かって指を差す。
「アンタのその呪いも欲しいからね」
「何度やっても同じことだ。呪いなんて嘘だ。本物じゃない」
「じゃあアンタの家族は、どうして死んだんだ?」
「……私が殺した」
「年端もいかない、大した魔力も持たない子どもに皆殺しができると?」
「寝ている間に、殺した。それが真実だ。呪いなんてものは噂が独り歩きした結果だ」
「それじゃあ動機は何だっていうんだ?」
「それは……。優秀な兄と違って、私はぞんざいに扱われていたから……。愛が欲しくて、それで……」
息苦しさを感じて、言葉をつぐむ。やはり駄目だ。どうしても私は忘れられない。あの赤い色がチカチカと。私をずっと責め立てる。
「どこにいくんだ?」
「……私がいると、君は本に集中できないようだからね」
探るような彼の声音に背を向けて、私は地下を後にする。
赤い色が責め立てる。お前の愛は罪なのだと。お前が愛を求めるからだと。
ああ、私は綺麗になりたいのに。この赤い呪いが、いつまで経っても消えやしない。
全身を湯に沈めると、赤かったお湯が更に赤みを増す。
「……汚い」
手を、髪を洗う度に、赤い色が溶け出して辺りを真っ赤に染め上げる。
どれだけ洗っても取れることのないその赤は、まさしく呪いだ。
これが一種の幻覚なのだということはわかっている。でも、私はそれを止める術を持たない。ただ、こうして洗い流そうと躍起になるばかりで。
「もしも、あの少年を殺してしまえば、この赤はもっと赤く染まってしまうのだろう」
そうならなにように、早く帰ってもらわないといけない。そうならないように、彼と距離を置かなくてはいけない。
それなのに……。
「湯浴みかな?」
「っ!」
すぐ後ろを振り向くと、シャサがいた。バスタブに手を突っ込んで水を掬う彼は、まるでいたずらっ子のように無邪気に微笑み、私をじろじろと見つめ始める。
「ああ、悪いね、びっくりさせた?」
「何をしに来た」
「いやぁ、根を詰めすぎたからね。少し休憩」
「風呂だったら貸してやるからあっちで待っていろ。すぐに空ける」
「いや、そうじゃない。君に興味があるんだよ。その綺麗な髪は洗うのが大変だろ?」
「ッ、触るな!」
髪を撫でようとするシャサの手を弾く。
「どうして?」
「汚いんだ」
「綺麗だって言ってるのに」
躊躇うことなくお湯から髪を引きずり出して、自らの唇に押し付けたシャサは、まるでおとぎ話の王子様のように甘い台詞を吐いてみせる。
「やめろって言ってるだろ!?」
「わっ」
抜けるのも構わず、力任せに引っ張った髪は、やはり醜く汚らわしい色で。
「これは、罪だ」
「罪? そういえばアンタの髪、すごく長いよな。まさか、罪滅ぼしにずっと伸ばしてるのか?」
そう言ったシャサが、再び髪を掴んだかと思うと、ゆっくりと手で梳き始める。
「っ、やめろ……」
「人に梳かれるのはじめて? 気持ちいいでしょう?」
「……」
気持ち悪い。そう答えようと思ったのに、髪の間を滑る指は思いの外気持ちが良くて。
こんなこと、知らなければ良かった。
「こういうことは女にしてやれ」
「アンタの髪は女よりよっぽど魅力的だと思うが」
「いいから、出て行け!」
震える手でお湯を叩くと、水面に映ったシャサの顔が歪む。
「わかったよ。出て行くから、そんなに怯えるな」
「怯えてなんか……」
シャサの去った後、揺れるお湯をそっと手で掬う。赤く染まったそれは、やはり薄まることはなく。何度擦ろうと、髪の色は変わることがなかった。
長風呂から上がると、キッチンから良い匂いが漂っていた。
「なんだ……?」
引き寄せられるようにして覗き込むと、テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていた。
「お、丁度いいところに。夕食できたから、アンタも食べなよ」
「夕食……?」
「食材買ってきて、調理したんだよ。ほら、座れ。冷めるぞ」
「え、でも……」
流れるように華麗なエスコートで私を席に着かせたシャサは、そそくさと向かいの席に座り、料理を頬張りはじめる。
料理、か……。そういえば、一度も作ったことがないな。今までは、腹が減ったときにだけ、森に生えた木の実を生のままで食べていた。食事なんて、ただ空腹を和らげるためだけのものだと思っていたけど……。
目の前に置かれた半透明のスープに視線を落とす。立ち上がる湯気と香りは、湯冷めした体の冷たさと忘れていた空腹を一気に思い出させる。
「別に毒なんか入ってないぞ?」
「……」
苦笑するシャサに促されるようにして、ようやくそれをスプーンで掬いとる。
「は……」
口に運び、飲み下すと、その熱が器官を伝って胃の中に押し込まれるのがわかった。
ああ、そういえば料理って温かいものだったな。こんなにおいしいものなのか。こんなに満たされるものなのか。
「家族との食事でも思い出した?」
「……いや」
曖昧に微笑みながら、もう一口スープを流し込む。
私が幼かったあの頃も、おいしいものは大して与えられていなかったように思う。死なない程度に与えられた冷えたものだったり、固いパンだったり。冷たい牢の中、一人で心細く摘まんでいたそれらは、全くおいしくなかった。だから。
「こんなもの、食べてると……」
まるで、人間になったような気分だな、なんて。
「ん? おいしくなかったか?」
俯く私に、シャサは真逆の心配をした。私は、それにかぶりを振ると、目の前のパンに手を伸ばして頬張った。温かくて柔らかいそれは、噛み千切った途端にふんわりと優しいバターの匂いを漂わせて、食欲を掻き立てる。一口、また一口と食べ進めるうちに私は、気づいたら涙を流していた。
「馬鹿だな。ったく。僕がいる間は、いくらでも飯作ってやるよ」
そう言って笑う彼は、数時間前に敵対していたとは思えないほど友好的だった。確かに人の心を掌握することに長けているのだろう。
そうこうするうちに、数日があっという間に過ぎていった。シャサは宣言通り、私のために毎食料理を振る舞ってくれた。魔導書を読み進める傍ら、彼は私と他愛のない会話を交わすようになった。古代文字を教えてくれるとも言っていたが、丁重にお断りした。
これ以上は無理だった。私は、彼に情を抱いてしまった。人と過ごすことがどれだけ楽しいものなのかを知ってしまった。
「あの、シャサ……。もうそろそろ出て行ってはくれないか?」
「……アンタは僕に出て行ってほしいの?」
魔導書から顔を上げた彼の視線が、私に真っすぐ突き刺さる。出て行ってほしくない。そう口にできるほど、私は素直になれなかった。
「最初からそう言っている。ここは私の家なのだから」
「そう。わかった。出て行くよ」
「え?」
もっと不平を言われるかと思った。心の奥底ではそれを望んでさえいたのかもしれない。それなのに。
彼はあっさりと私の目の前から消え去っていった。
静まり返った広い部屋は冷たくて。久々に一人で迎える夜の心細さに、愚かな私は泣きながら眠りについた。
私の兄、エイリル・クラース・ラモーレは、膨大な魔力に恵まれていた。
しかし、彼は同時に、一族に伝わる呪いの目を持って生まれてしまった。
『非常に惜しい』『どうして百年に一度の呪いが今、丁度重なってしまうのか』『きっと神が嫉妬したんだ』
親戚は皆、悔しがった。そうしているうちに、誰かが呟いた。
『だったら、この呪いは移してしまえばいい』
そうすると、たちまち皆は賛同し、両親はすぐに子どもを作った。
そうして生まれた身代わりが、私だった。
『大丈夫。この子の魔力は無いに等しい。これは、身代わるために生まれてきた人形そのものだ』『ああ、良かった。これでエイリルは救われるのね』
両親は私の誕生を心から喜んだ。そう、全ては兄のため。
それから私は、呪いを移す準備が整うまで幽閉されたまま、牢で暮らした。正直に言うと、家族の顔など覚えていなかった。数えるほどしか会ったことがなかったから、覚えられなかったのだ。
それでも、私はじっと待った。自分の役目を。最初から兄のために命を貰ったのだから、そうすることは当たり前だと思っていた。
感情を見せない私を、人々は気味の悪い人形だと蔑んだ。私自身、自分の心は飾りなのだと思っていた。それほどまで、私の感情は凍り付いていた。
ただ、一度だけ。兄が両親に何か語り掛けて、仲睦まじく微笑み合っているところを遠目で見たあの時だけは、私の心も悲鳴を上げた。それは、汚い感情だと知っていた。だから、私はやっぱり駄目な子なのだと涙を流した。
そして、儀式は成功した。呪いは全て、私に移った。彼らはとても喜んだ。私は、人形のようにそれを黙って見つめていた。
しかし、彼らが幸せになることはなかった。侮っていたのだ。私の力を。呪いの力を。
魔力のない器に移された呪いは、餌を求めるように幼い私に問いかけた。
『お前の愛する者はどれだ? お前は愛することを知っているか? お前は愛されたことがあるか?』
私はそっと首を振った。それと同時に、汚い感情が心に渦巻き始めた。
『愛することを我慢するな。お前は人間なんだ。愛していいんだ。父親も母親も。お前が愛するだけで、皆がお前を愛してくれる』
無知だった私は、簡単に呪いに憑りつかれた。
私は、たとえ自分が愛されていなくとも、家族やこの屋敷に住まうみんなが好きだった。
だから。呪いは暴走した。
ラモーレ家に伝わるその呪いの正体は、『愛する者を触ると死ぬ』というものだった。
勿論、私はそんなことを知らなかった。家族も、きっと私が誰かを愛することなどないだろうと思っていた。恐らく、そういう風に育てたのだろう。でも。
私は愛に飢え、手を伸ばした。悪魔の言葉を信じて、虐げられた苦しさを飲み込んで、勇気を出した。愛が欲しかった。一つでいいから、私にも愛が欲しかった。それなのに。
私が触れた者たちは血を流して死んでいった。
私は怖くなって、両親に助けを求めた。
しかし、両親はそれを避け、兄と共に逃げようとした。
だから。私は必死に縋りついた。
両親は倒れた。絨毯が赤く染まった。自分の手を見ると、べったりと血がついていた。
『お前はラモーレ家を潰す気か?! 身代わりの分際でよくもパパとママを!』
目の前で兄が半狂乱になりながら叫び散らした。
『この人殺しが! 身の程知らずめが! 恥を知れ! 化け物が!』
違う。私はただ、一度でいいから、愛されたくて……。
許しを請うために手を伸ばした途端、兄の顔は恐怖に歪んだ。だから、私は自分の手を止めた。もしかして、私が愛を求めるのは間違っているのではないか?
『ああ。もう少しだったのに』
悲鳴を上げて逃げ出す兄を見て、呪いの声が私を責め立てた。
『でも、上出来だ。これで当面の飢えは凌げる』
たっぷりと血を吸った呪いは、満足げに呟くと、私の中に再び溶けた。
それから、私の視界は赤く染まった。血塗られたこの家を出ることもできぬまま、私はただ存在した。呪いを抱えながら、無意味な時間を罪深く過ごした。いつか、許されることを願って。
シャサが姿を消して数日。兄、エイリルが突然現れた。
「おい身代わり! お前は、一体何をした!」
燃えるような瞳で激昂する彼は、あの時と変わらない憎悪を湛えていた。が、どうやらその目的は、断罪ではないらしい。
「何って……」
「恍けるな!」
「っ」
エイリルの手の平がこちらを向いた瞬間、私の体は壁に叩きつけられ、そのまま見えない何かに拘束される。
「お前、やはり魔術は使えないようだな。じゃあ、どうやってここの結界を……」
「結界……?」
「お前のような化け物が、ここを出ないようにと張ってあった結界だ!」
「え。そんなものが……?」
気づかなかった。そもそも、森の外に出ようなどと一度も思ったことがなかった。
「あの結界は完ぺきだった。なにせ、世界一の魔術師となった俺が、わざわざ念を入れて張りなおした最高傑作だからな。それなのに」
「結界が、破られたっていうんですか……?」
悔しそうに歪められた兄の表情を見ながら、とある言葉が心に引っかかる。
世界一。
その言葉を私は最近聞いたばかりで……。
「あんなので世界一を語られたくないなあ」
「あ……」
突然空間が歪んだかと思うと、目の前にシャサが立っていた。ああ、そうか。この家を訪れたのは彼しかいないじゃないか。
「お前、何者だ」
「僕は大魔術師さ」
シャサは兄の問いに不敵な微笑みで答えると、私の拘束をいとも簡単に断ち切った。
「お前が結界を破ったというのか?」
「ええ。お兄さんの結界弱っちかったんで。ついでに勝手に作り直しときましたよ」
「あれを、一人で、か……?」
張り直された結界はよっぽど強いものだったのだろう。兄は動揺を隠しきれない様子でシャサを見つめる。
「勿論。あ、もしかして破るのに時間かかっちゃいました? お疲れ様で~す」
「ぐっ……。おい、身代わり。お前は何でこんな道化に侵入を許した?」
「私は、その……」
「お前を殺すことなど今や容易い。だが、人避けのために番人として、薄汚い人形をわざわざ生かしてやってるんだ。その任すらもこなせないのか?」
兄の冷たい言葉と視線に体が竦む。赤い記憶が蘇る。ああ、足元が赤く染まってゆく。強い幻覚が私の精神を追い詰めて……。
「おい。しっかりしろ!」
倒れそうになった私の体をシャサが抱き留める。その瞬間、私の心は恐怖で満たされる。
「触るな!」
そうだ、私は人間なんかじゃなくて、身代わり人形なんだ。恐ろしい呪いを持った危険な化け物。だから、私は誰からも愛されないし、愛しちゃいけない。
『でも、そろそろ愛したいだろう?』
ざわりと心の奥が揺らぐ。
どうして……!
あの時の呪いの声が強く響いた瞬間、息が詰まり、体が強張る。
『どうして? わかっているだろ? あれからお前が誰も愛さないから。ワタシは飢えているんだ。ほら、わかるだろ? こんなチャンス滅多にないって』
駄目だ……! 私は、誰も呪わなくていいように、一人ぼっちでいたんだから。それなのに、今になって、こんな……。
『愛する者の手を取るんだ。お前は博愛ができる綺麗な子だ。みんなを愛せばいいんだ。そうすれば、みんながお前を愛してくれる』
「私、は……」
愛されたい。心の底で幼い自分がぽつりと呟く。
『そうだ。お前は家族に愛されなければいけない。さあ、唯一の家族に手を伸ばせ』
ああ、そうだ。私は兄のように両親に愛されてみたかったんだ。そして、両親に愛されている兄を愛してみたかったんだ。家族という絆を知りたくて仕方がなかったんだ。
震えながら兄に手を伸ばす。もう呪いの意志に抵抗できるほどの気力は残っていない。
「は。呪いの対象はわかっている。赤の呪いは愛する者への呪い。だが、生憎俺はお前に嫌われている。つまり、お前がどうやったって、俺が殺せるわけがないんだ」
馬鹿にしたような目で兄が私を見つめる。ああ、兄さんは全く何もわかっていな――。
「アンタはヌイのことが全くわかってないな」
「っ!」「!」
シャサがまるで私の心を読んだかのように言い放った瞬間、魔弾で兄の体を部屋の隅まで弾く。
「何をする!」
「ヌイ、こっちだ。こっちに来い」
標的を見失った私は、ふらふらと吸い寄せられるようにシャサに向かう。
「う……」
「さあ、僕の手を取れ」
『ああ、コイツでもいい。コイツの魔力はあの卑怯な兄よりも高いじゃないか。そうだ、コイツがいいぞ。お前だって、コイツに愛されたいはずだ』
悪魔の声が、私を唆す。ああ、私だってこの手を取りたい。初めて私を蔑まなかった彼を。初めて私に人間らしいことを教えてくれた彼を。愛せたならば……。
「どうした? 僕の手を取っていいんだぞ」
「だ……」
「ヌイ」
「駄目、だ、私、は、お前を……」
お前だけは、絶対に傷つけたくない……。シャサだけは、殺させは、しないッ……!
持てる力を全て込めて、自分の胸に手を当てる。
『!』
一瞬の眩い光。それが自分から放たれたものだと気づいた瞬間、エネルギーを使い切った体が力を失う。
「は……」
「おっと。よく頑張ったね」
葛藤が精神の限界に達し倒れ込んだ私を、シャサが軽く受け止め、抱きしめる。
「今のは、何だ……?」
「ヌイが呪いを抑え込んだんだ」
呆然とする兄に、シャサが確かめるように呟いた。そうか。私は、呪いを抑えることができたのか。
「まさか! 出来損ないの分際で、呪いに打ち勝つことなどできるはずがない。大方、お前はコイツに愛されていなかったのだろう? 俺と同じようにな」
「本当に何にもわかってないんだな。ヌイは心が綺麗なんだよ。だから、たとえクソったれな兄でも嫌いきれない。散々酷い目に遭った今でも、お前のことを家族だと思ってるんだ」
そうだろう? と問いかけてくるシャサの瞳から目を逸らす。決して綺麗なんて言葉で片付けていいものじゃない。だけど、どれだけ虐げられようが家族を愛したかったのは本当だ。
「馬鹿な……。コイツは、今でも俺を殺せるというのか……」
徐々に顔色の悪くなってゆく兄は、まるであの日と変わらない。私を恐れ、怯えきった可哀想な兄だった。
「お前は罪だ。自分の運命を人に背負わせた。これは、お前に返してやろう」
そう言ったシャサが、ふいにナイフで私の髪を切り落とす。
「あ……」
シャサは止める間もなく呪文を唱えて、口づけたその髪束を兄に撒く。すると、髪は赤い焔を纏い、兄を焼き……。
「っ、やめろ! な、そんなことが、あああああ」
その断末魔のような悲鳴を聞きながら、私は意識を失った。心地よい腕に抱かれながら見る夢は、どうして背徳の味がした。
「ん……」
眩しい光を感じて、瞼を押し上げる。
「お、起きたか?」
「え……?」
金色の髪と透き通るような青い瞳。目の前で、王子様のような少年がきらきらと微笑む。
「な、んで、目が、色が、見え……!」
急いで辺りを見渡すが、驚くほど世界は明るく、優しい色に満ちていた。
「やっぱり。呪いを受けてから目が駄目になってたんだね」
瞼を撫でる彼の手は、優しくて心地が良い。ふと自分の手に目を落としてみても、やはりその手に赤い滲みはない。
「そうか、呪いがなくなったから……」
全てが赤く見えた世界が終わった。久々に見る赤以外の色は、私には勿体ないぐらい綺麗で。
「シャサ、君はこんなに綺麗な色だったんだな……」
「ヌイこそ。気づいてる? 赤かった目が黒く変化してる。髪と同じ色だ。妖艶でずっと見ていたくなる綺麗な色だ」
見つめ合う瞳には、互いの姿が映っていて……。
「って。呪い、移したってことは、兄さんは……」
甘い気配を押し退けた私に、シャサが不満そうな視線を送る。だが、確認しない訳にはいかない。
「ヌイ、運命だ。アイツのことは忘れろ」
真面目な雰囲気を感じ取ったシャサが、静かに、諭すようにそう告げた途端、私は理解した。
「あぁ。私は何のために生まれてきたのだろうな」
魔力のない私が今まで生きてこれたのは、兄のおかげだと言ってもおかしくない。身代わりだろうと、それが生きるという意味だったのに。
「ヌイは、僕と出会うために生まれてきた、それでいいだろ?」
「……? でも、結局お前は呪いの力を手に入れることができなかっただろ?」
「アンタが偽物だと嘘をついてまで譲らなかったんじゃないか」
「あの力は、私が背負っていくべきだったから。でも、兄さんに返すぐらいなら、奪ってくれた方が……」
「嫌だよ。僕はアイツが許せない。それに、あれは扱いきれる力じゃない。元の持ち主と共に朽ちるべきだ。それが理ってもんだよ」
「……」
確かにそうなのかもしれない。私に魔術の知識はないが、あれは本来触れるべきものではない、移すべきものではないことぐらいはなんとなく感じていた。
「ね。だから僕は、ここにある魔術を全部自分のものにした後、今まで通り最強を目指して世界を飛び回るよ」
「そうか」
きっと彼ならばなれるのだろう。世界一の魔術師に。そのためにこの家の知識が役に立つのならば、それは誇らしいことのような気がした。
「なに寂しそうにしてるのさ。ヌイもついてくるんだよ」
「私が? 何を期待してるかは知らないが、私にはもう何の力も残ってないぞ」
「僕を癒してくれる」
「光の魔術なんて、最も私に縁がない」
「ヌイ、もしかして本当に僕の気持ちがわからないのか?」
呆れたようにため息を吐くシャサに、何だか申し訳ない気持ちになる。
「悪いが、私は一人で過ごした時が長すぎて、普通の人間のようには空気が読めないのだ」
そう。私は普通の人間でなかったから。身代わりの役目が終わった今、私は今更、どうするべきかがわからない。
「わかった。率直に言おう。僕はヌイが好きになった。だから、ずっと一緒にいて欲しい」
「え……。好き……? でも、私はただの空っぽになった人形で……」
「確かに最初は呪い目当てでしかなかったけど。僕はヌイを知ってしまった。ヌイは空っぽなんかじゃない。繊細で優しくて臆病で。でも、呪いに打ち勝つだけの強さを持ってて。僕はヌイの全部が好きになった。だから、ヌイのこれからを僕にくれないか?」
真っすぐな眼差し。その青さは目がチカチカするほど美しくて。私は差し出された手にゆっくりと手を伸ばす。
指先が無意識に震え出す。まだ呪いが残っていたら。そう思うと、怖くて。人に触れることが、まるで罪のように思えて。
「大丈夫。僕は簡単には死なない」
「っ……」
温かい微笑みに背中を押されて、そっとその手を取って指を絡める。
その瞬間、窓の外の鳥たちが一斉に白い羽を羽ばたかせて飛んでゆく。
「さあ。僕たちも行こう」
「ん……」
扉の外の世界の眩しさに、目を細めながら繋いだ手に力を込める。そして私は、手を引かれるままに新たな一歩を踏み出した。
力を求める魔術師×呪われ不幸没落貴族。恐らく年下攻め。チートで道化な攻めがトラウマ不幸な受けに、なんちゃって同居生活で幸せを感じさせて、根本的な心のケアをしてくれるのが好きです!(?)
ヌイ・クラース・ラモーレ
魔術の名門一族次男。兄の身代わりとして呪いを受ける。
ネーミングは、赤い(クラースヌイ)死神(ラ・モール)。
シャサ・ルー・フー
既に強いけど世界一の魔術師を目指して旅をしている貪欲青年。
ネーミングは、狂った(フー)狩人(シャサール)
エイリル・クラース・ラモーレ
ラモーレ家長男。ヌイを忌み嫌っている。
ネーミングは4(死)月(エイプリル)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その男に触られたら死ぬ。
赤い瞳は血を見過ぎたから、長く黒い髪は血が固まって染み付いた色だと囁かれる。
人々はそれを『赤い死神』と恐れ、彼を嫌った。
彼は森の洋館に住んでいた。
薄暗く、かつての繁栄も儚く寂れたそこに一人住み着いていた。
館の住人である魔術の名門一族ラモーレ家は、彼を残してみな死んでいった。そう、まだ幼かった彼に殺されたのだ。
血塗られた洋館に近づく者はなく、牢獄のように封鎖されたそこで、男はただ生きていた。
気が遠くなるほどの時間、恐ろしい呪いを抱えながら。
コンコン。
扉を叩くような音がする。そんな音を聞いたのはいつぶりだろうか。
「……」
少し懐かしんでから後悔する。過去を思っても苦いだけだ。
それに、この音もどうせ風で何かが飛ばされて当たった音に違いない。何せここは、動物すらも近づかない……。
「おーい、誰かいますか~?」
どくん。
心臓が押し潰されたように、息が自然と詰まる。
今、確かに人間の声がした。若い男の声だ。いや、でもそんなはず……。
「まぁ、勝手に入らせて貰うけどさ、っと!」
ガンッ!
ドアに何かを叩きつける音がしたと同時に、怖くなった私は二階へと身を隠す。
心臓は警告のように早鐘を打つ。あたふたとしている間に、ドアが破られる音がして、ついに侵入者の靴音がこちらに向かってくる。
来るな、来るな来るな来るな……!
無意味な祈りは何にも届かない。そんなことはもう十分すぎる程わかっていた。
どうするか。窓から飛び降りるか。
少しの魔法なら使えるが、果たして衝撃を上手く緩和できるだろうか。
いや、落ち着け。何も逃げることはない。
きっと全部、いつもの幻覚で――。
足元の赤い染みのついた絨毯が視界に映る。
「っ、は……」
たちまち呼吸が乱れ、よろよろと窓に寄りかかる。
赤い。悲鳴。愛しい人たちの感触。
吐き気が込み上げてくるのを抑えながら、窓に手をかける。
やはり逃げよう。あれが幻覚だろうとそうでなかろうと、私にとって、人間など恐怖でしかない。
震える手で窓を開け、身を乗り出そうとした瞬間――。
ガタン!
「!?」
窓が勝手に閉まり、私の体は部屋に弾き返される。
「これは、魔術か……?」
「ご名答! いやぁ、みすみす逃す訳にはいきませんからねぇ」
ハッとして声のする方に目を向けると、布を纏った少年が仰々しくお辞儀をする。
「私が誰だかわかっているのか?」
「わかってますよ。『赤い死神』さん」
「だったら引き返した方がいい。君も地獄に案内されたくはないだろう」
「いや、いやいやいやぁ。はやはや。貴方は面白い!」
腹を抱えて笑う少年は、ピエロのようにわざとらしい物言いをする。
残念ながらこれは恐らく、幻覚ではなく現実なのだろう。私にこんな冗談染みた想像はできない。
「私は冗談で言っているんじゃない。大方、力が欲しいのだろうが。残念ながら君の期待に、私は応えられない」
「ああ、貴方は何故にその力をもっと我欲に注がないのか! 全くわからない! 僕ならばもっと素晴らしく使って見せるのに!」
「そんな力など存在しないと言ったら?」
「ふむ」
ぺたり。
何の断りもなしに、少年は私の頬に手を触れる。
「触っても何も起きない、か……」
「気は済んだか?」
「いや。確か噂は『触られると死ぬ』だった。貴方が触ってくれないと、ね?」
そう言った少年は、私に向かって手を差し出す。
「……」
「どうしました? 遠慮なんていらないですよ。僕は不躾な赤の他人。たとえ死んだって構わないでしょう?」
「……」
「それとも、人を殺めてしまうのが怖いですか?」
「っ……」
きっと触れない限り、少年の気は済まないのだろう。
「ほら」
「わかったから……」
唾を飲み込み、少年が差し出した手に恐る恐る触れる。
「あれ。ほんとに何も起こらないんだ」
不思議そうに私の手を撫で回す少年を振りほどき、距離を取る。
「わかっただろ? 私には、触るだけで人を殺せる力などない」
「それは残念だ」
「それじゃあ、さっさとかえ……」
「それは嫌だ」
「は?」
帰れと言い終わる前に、少年はすっぱりと意志を述べる。
「貴方の謎を解くまではここにいさせてもらいます」
「謎も何も。私はただの落ちこぼれで……」
「それを判断するのは僕だ。ああ、申し遅れたけど、僕はシャサ・ルー・フー。お察しの通り、強い魔術を求めて旅をしている研究者さ。さあ、貴方の名前は?」
「……どうせ、調べてあるんだろ?」
「ヌイ・クラース・ラモーレ。ラモーレ家最後の生き残り。その呪いの噂のせいで、近づく者はなく、一人寂しく暮らしている、と」
「噂は噂にしか過ぎない。これ以上は何もない。君にとっても時間の無駄さ」
「まあまあ。とにかく仲良くしようじゃないか。ヌイ」
「気安く呼ぶな。ベタベタ触るな」
「いや、だって。手っ取り早く心を開くには、どうすればいいかわかってるから」
「は……?」
腰を掴まれ、あっさりと唇を奪われる。
「なんだ。抵抗しないの?」
「ッ……! 出て行け! この変態野郎!」
「ぷ。何その初心な反応」
「お前、絶対許さないからな……」
「あ~。もしかして、逆効果だった? 寂しい思いしてるだろから、すぐ落ちると思ったんだけど……」
「何が悲しくて男に落ちなきゃいけないんだよ」
「え~。見りゃわかると思うけど、僕、結構モテるんですけど」
「知るか変態」
「は~。ま、いいや。もう1つやることがあるんで。そっちから済ましましょう。地下はこっちで合ってます?」
「何をするつもりで……」
「まぁまぁ。アンタにもついてきてもらいますよ」
「ぐ……」
シャサが指を鳴らしたと同時に、空中から蔦が生え、私の体を縛り上げる。
「アンタさ、随分ちっぽけな魔力しか持ってないんだね。僕はてっきりラモーレ家の生き残りとして、あらゆる魔術を継承してるに違いないと期待していたのに」
「っ」
「あれ、気に触っちゃったかな? ごめんね」
全く悪いと思っていないであろう軽い返事をしたシャサは隠し階段を見つけると、そのまま地下の書庫へと下りてゆく。
「あったあった」
「そんなもの、読んでどうする?」
蔦ごと引っ張られてきた私は、本の埃に顔をしかめながら問う。
「言ったでしょ。魔術の研究をしてるって。貴方の呪いほどじゃないけど、ラモーレ家の禁術も中々に興味をそそられるんです」
「……君は魔術を研究してどうしようというんだ?」
「そんなの、決まってます。世界一の魔術師になるんですよ」
「それは、立派な夢だな」
「む。馬鹿にしてます?」
「いや、そうじゃなくて……。私には眩しくてね」
夢なんて言葉、忘れていた。酷く曖昧で明るいその言葉は、幾度も神に願った絶望によく似ている。
「アンタに夢はないのかい?」
「そんなものはない」
あるはずがない。夢をみる資格も神に祈る資格もないのだから。
「わざわざこんなことをしなくても、読みたいんだったら好きにしていい。持っていってくれても構わない。私には読めないものだ」
「えっ、アンタ古代文字読めないのか?」
「ああ。生憎、普通の文字ですらおぼつかないからな」
「そうか、アンタは教育すら受けていなかったのか」
「……ラモーレ家はここで途絶える。私と共に朽ちるより、君の糧となった方が、この文字たちも救われるだろう」
「本当にアンタ、純粋過ぎるな。でも、そう言ってくれるとありがたいよ」
シャサがもう一度指を鳴らした途端、蔦が消え去り、体が床に降ろされる。
どうせなら、殺してくれと頼んだ方が良かっただろうか。彼は、自分じゃ死ぬこともできない私に、終わりをもたらしてくれる神様のような存在だったのではないだろうか。
でも、きっとそんな危険なことは口が裂けても頼めない。もし、“あの時”みたいに呪いが発動して、彼を殺してしまったら。
そう思うと、心が、体が、凍ったように動かなかった。私はここで一人、誰も知らぬ間に年老いて死んだ方がいい。結局私は臆病で、自らの運命を変える選択ができなかった。
シャサが訪れたことさえも忘れてしまえばいい。そうして、私はいつもと変わらぬ意味のない時間を過せばいい。そう思ったのだが――。
「本は持っていって構わないと言ったはずだ。何故君はまだここに居座っている?」
あれから数時間。未だ堂々とソファに腰かけながら魔導書を読みふけっているシャサに、私は苛立ちさえ感じていた。
「いや、ここの方が集中できるからね。それに」
ひた、と頬に手を添えられた途端、私は過剰なまでにそれを嫌悪し、打ち払う。
しかし、そんな私の態度も気にすることなく、彼は私に向かって指を差す。
「アンタのその呪いも欲しいからね」
「何度やっても同じことだ。呪いなんて嘘だ。本物じゃない」
「じゃあアンタの家族は、どうして死んだんだ?」
「……私が殺した」
「年端もいかない、大した魔力も持たない子どもに皆殺しができると?」
「寝ている間に、殺した。それが真実だ。呪いなんてものは噂が独り歩きした結果だ」
「それじゃあ動機は何だっていうんだ?」
「それは……。優秀な兄と違って、私はぞんざいに扱われていたから……。愛が欲しくて、それで……」
息苦しさを感じて、言葉をつぐむ。やはり駄目だ。どうしても私は忘れられない。あの赤い色がチカチカと。私をずっと責め立てる。
「どこにいくんだ?」
「……私がいると、君は本に集中できないようだからね」
探るような彼の声音に背を向けて、私は地下を後にする。
赤い色が責め立てる。お前の愛は罪なのだと。お前が愛を求めるからだと。
ああ、私は綺麗になりたいのに。この赤い呪いが、いつまで経っても消えやしない。
全身を湯に沈めると、赤かったお湯が更に赤みを増す。
「……汚い」
手を、髪を洗う度に、赤い色が溶け出して辺りを真っ赤に染め上げる。
どれだけ洗っても取れることのないその赤は、まさしく呪いだ。
これが一種の幻覚なのだということはわかっている。でも、私はそれを止める術を持たない。ただ、こうして洗い流そうと躍起になるばかりで。
「もしも、あの少年を殺してしまえば、この赤はもっと赤く染まってしまうのだろう」
そうならなにように、早く帰ってもらわないといけない。そうならないように、彼と距離を置かなくてはいけない。
それなのに……。
「湯浴みかな?」
「っ!」
すぐ後ろを振り向くと、シャサがいた。バスタブに手を突っ込んで水を掬う彼は、まるでいたずらっ子のように無邪気に微笑み、私をじろじろと見つめ始める。
「ああ、悪いね、びっくりさせた?」
「何をしに来た」
「いやぁ、根を詰めすぎたからね。少し休憩」
「風呂だったら貸してやるからあっちで待っていろ。すぐに空ける」
「いや、そうじゃない。君に興味があるんだよ。その綺麗な髪は洗うのが大変だろ?」
「ッ、触るな!」
髪を撫でようとするシャサの手を弾く。
「どうして?」
「汚いんだ」
「綺麗だって言ってるのに」
躊躇うことなくお湯から髪を引きずり出して、自らの唇に押し付けたシャサは、まるでおとぎ話の王子様のように甘い台詞を吐いてみせる。
「やめろって言ってるだろ!?」
「わっ」
抜けるのも構わず、力任せに引っ張った髪は、やはり醜く汚らわしい色で。
「これは、罪だ」
「罪? そういえばアンタの髪、すごく長いよな。まさか、罪滅ぼしにずっと伸ばしてるのか?」
そう言ったシャサが、再び髪を掴んだかと思うと、ゆっくりと手で梳き始める。
「っ、やめろ……」
「人に梳かれるのはじめて? 気持ちいいでしょう?」
「……」
気持ち悪い。そう答えようと思ったのに、髪の間を滑る指は思いの外気持ちが良くて。
こんなこと、知らなければ良かった。
「こういうことは女にしてやれ」
「アンタの髪は女よりよっぽど魅力的だと思うが」
「いいから、出て行け!」
震える手でお湯を叩くと、水面に映ったシャサの顔が歪む。
「わかったよ。出て行くから、そんなに怯えるな」
「怯えてなんか……」
シャサの去った後、揺れるお湯をそっと手で掬う。赤く染まったそれは、やはり薄まることはなく。何度擦ろうと、髪の色は変わることがなかった。
長風呂から上がると、キッチンから良い匂いが漂っていた。
「なんだ……?」
引き寄せられるようにして覗き込むと、テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていた。
「お、丁度いいところに。夕食できたから、アンタも食べなよ」
「夕食……?」
「食材買ってきて、調理したんだよ。ほら、座れ。冷めるぞ」
「え、でも……」
流れるように華麗なエスコートで私を席に着かせたシャサは、そそくさと向かいの席に座り、料理を頬張りはじめる。
料理、か……。そういえば、一度も作ったことがないな。今までは、腹が減ったときにだけ、森に生えた木の実を生のままで食べていた。食事なんて、ただ空腹を和らげるためだけのものだと思っていたけど……。
目の前に置かれた半透明のスープに視線を落とす。立ち上がる湯気と香りは、湯冷めした体の冷たさと忘れていた空腹を一気に思い出させる。
「別に毒なんか入ってないぞ?」
「……」
苦笑するシャサに促されるようにして、ようやくそれをスプーンで掬いとる。
「は……」
口に運び、飲み下すと、その熱が器官を伝って胃の中に押し込まれるのがわかった。
ああ、そういえば料理って温かいものだったな。こんなにおいしいものなのか。こんなに満たされるものなのか。
「家族との食事でも思い出した?」
「……いや」
曖昧に微笑みながら、もう一口スープを流し込む。
私が幼かったあの頃も、おいしいものは大して与えられていなかったように思う。死なない程度に与えられた冷えたものだったり、固いパンだったり。冷たい牢の中、一人で心細く摘まんでいたそれらは、全くおいしくなかった。だから。
「こんなもの、食べてると……」
まるで、人間になったような気分だな、なんて。
「ん? おいしくなかったか?」
俯く私に、シャサは真逆の心配をした。私は、それにかぶりを振ると、目の前のパンに手を伸ばして頬張った。温かくて柔らかいそれは、噛み千切った途端にふんわりと優しいバターの匂いを漂わせて、食欲を掻き立てる。一口、また一口と食べ進めるうちに私は、気づいたら涙を流していた。
「馬鹿だな。ったく。僕がいる間は、いくらでも飯作ってやるよ」
そう言って笑う彼は、数時間前に敵対していたとは思えないほど友好的だった。確かに人の心を掌握することに長けているのだろう。
そうこうするうちに、数日があっという間に過ぎていった。シャサは宣言通り、私のために毎食料理を振る舞ってくれた。魔導書を読み進める傍ら、彼は私と他愛のない会話を交わすようになった。古代文字を教えてくれるとも言っていたが、丁重にお断りした。
これ以上は無理だった。私は、彼に情を抱いてしまった。人と過ごすことがどれだけ楽しいものなのかを知ってしまった。
「あの、シャサ……。もうそろそろ出て行ってはくれないか?」
「……アンタは僕に出て行ってほしいの?」
魔導書から顔を上げた彼の視線が、私に真っすぐ突き刺さる。出て行ってほしくない。そう口にできるほど、私は素直になれなかった。
「最初からそう言っている。ここは私の家なのだから」
「そう。わかった。出て行くよ」
「え?」
もっと不平を言われるかと思った。心の奥底ではそれを望んでさえいたのかもしれない。それなのに。
彼はあっさりと私の目の前から消え去っていった。
静まり返った広い部屋は冷たくて。久々に一人で迎える夜の心細さに、愚かな私は泣きながら眠りについた。
私の兄、エイリル・クラース・ラモーレは、膨大な魔力に恵まれていた。
しかし、彼は同時に、一族に伝わる呪いの目を持って生まれてしまった。
『非常に惜しい』『どうして百年に一度の呪いが今、丁度重なってしまうのか』『きっと神が嫉妬したんだ』
親戚は皆、悔しがった。そうしているうちに、誰かが呟いた。
『だったら、この呪いは移してしまえばいい』
そうすると、たちまち皆は賛同し、両親はすぐに子どもを作った。
そうして生まれた身代わりが、私だった。
『大丈夫。この子の魔力は無いに等しい。これは、身代わるために生まれてきた人形そのものだ』『ああ、良かった。これでエイリルは救われるのね』
両親は私の誕生を心から喜んだ。そう、全ては兄のため。
それから私は、呪いを移す準備が整うまで幽閉されたまま、牢で暮らした。正直に言うと、家族の顔など覚えていなかった。数えるほどしか会ったことがなかったから、覚えられなかったのだ。
それでも、私はじっと待った。自分の役目を。最初から兄のために命を貰ったのだから、そうすることは当たり前だと思っていた。
感情を見せない私を、人々は気味の悪い人形だと蔑んだ。私自身、自分の心は飾りなのだと思っていた。それほどまで、私の感情は凍り付いていた。
ただ、一度だけ。兄が両親に何か語り掛けて、仲睦まじく微笑み合っているところを遠目で見たあの時だけは、私の心も悲鳴を上げた。それは、汚い感情だと知っていた。だから、私はやっぱり駄目な子なのだと涙を流した。
そして、儀式は成功した。呪いは全て、私に移った。彼らはとても喜んだ。私は、人形のようにそれを黙って見つめていた。
しかし、彼らが幸せになることはなかった。侮っていたのだ。私の力を。呪いの力を。
魔力のない器に移された呪いは、餌を求めるように幼い私に問いかけた。
『お前の愛する者はどれだ? お前は愛することを知っているか? お前は愛されたことがあるか?』
私はそっと首を振った。それと同時に、汚い感情が心に渦巻き始めた。
『愛することを我慢するな。お前は人間なんだ。愛していいんだ。父親も母親も。お前が愛するだけで、皆がお前を愛してくれる』
無知だった私は、簡単に呪いに憑りつかれた。
私は、たとえ自分が愛されていなくとも、家族やこの屋敷に住まうみんなが好きだった。
だから。呪いは暴走した。
ラモーレ家に伝わるその呪いの正体は、『愛する者を触ると死ぬ』というものだった。
勿論、私はそんなことを知らなかった。家族も、きっと私が誰かを愛することなどないだろうと思っていた。恐らく、そういう風に育てたのだろう。でも。
私は愛に飢え、手を伸ばした。悪魔の言葉を信じて、虐げられた苦しさを飲み込んで、勇気を出した。愛が欲しかった。一つでいいから、私にも愛が欲しかった。それなのに。
私が触れた者たちは血を流して死んでいった。
私は怖くなって、両親に助けを求めた。
しかし、両親はそれを避け、兄と共に逃げようとした。
だから。私は必死に縋りついた。
両親は倒れた。絨毯が赤く染まった。自分の手を見ると、べったりと血がついていた。
『お前はラモーレ家を潰す気か?! 身代わりの分際でよくもパパとママを!』
目の前で兄が半狂乱になりながら叫び散らした。
『この人殺しが! 身の程知らずめが! 恥を知れ! 化け物が!』
違う。私はただ、一度でいいから、愛されたくて……。
許しを請うために手を伸ばした途端、兄の顔は恐怖に歪んだ。だから、私は自分の手を止めた。もしかして、私が愛を求めるのは間違っているのではないか?
『ああ。もう少しだったのに』
悲鳴を上げて逃げ出す兄を見て、呪いの声が私を責め立てた。
『でも、上出来だ。これで当面の飢えは凌げる』
たっぷりと血を吸った呪いは、満足げに呟くと、私の中に再び溶けた。
それから、私の視界は赤く染まった。血塗られたこの家を出ることもできぬまま、私はただ存在した。呪いを抱えながら、無意味な時間を罪深く過ごした。いつか、許されることを願って。
シャサが姿を消して数日。兄、エイリルが突然現れた。
「おい身代わり! お前は、一体何をした!」
燃えるような瞳で激昂する彼は、あの時と変わらない憎悪を湛えていた。が、どうやらその目的は、断罪ではないらしい。
「何って……」
「恍けるな!」
「っ」
エイリルの手の平がこちらを向いた瞬間、私の体は壁に叩きつけられ、そのまま見えない何かに拘束される。
「お前、やはり魔術は使えないようだな。じゃあ、どうやってここの結界を……」
「結界……?」
「お前のような化け物が、ここを出ないようにと張ってあった結界だ!」
「え。そんなものが……?」
気づかなかった。そもそも、森の外に出ようなどと一度も思ったことがなかった。
「あの結界は完ぺきだった。なにせ、世界一の魔術師となった俺が、わざわざ念を入れて張りなおした最高傑作だからな。それなのに」
「結界が、破られたっていうんですか……?」
悔しそうに歪められた兄の表情を見ながら、とある言葉が心に引っかかる。
世界一。
その言葉を私は最近聞いたばかりで……。
「あんなので世界一を語られたくないなあ」
「あ……」
突然空間が歪んだかと思うと、目の前にシャサが立っていた。ああ、そうか。この家を訪れたのは彼しかいないじゃないか。
「お前、何者だ」
「僕は大魔術師さ」
シャサは兄の問いに不敵な微笑みで答えると、私の拘束をいとも簡単に断ち切った。
「お前が結界を破ったというのか?」
「ええ。お兄さんの結界弱っちかったんで。ついでに勝手に作り直しときましたよ」
「あれを、一人で、か……?」
張り直された結界はよっぽど強いものだったのだろう。兄は動揺を隠しきれない様子でシャサを見つめる。
「勿論。あ、もしかして破るのに時間かかっちゃいました? お疲れ様で~す」
「ぐっ……。おい、身代わり。お前は何でこんな道化に侵入を許した?」
「私は、その……」
「お前を殺すことなど今や容易い。だが、人避けのために番人として、薄汚い人形をわざわざ生かしてやってるんだ。その任すらもこなせないのか?」
兄の冷たい言葉と視線に体が竦む。赤い記憶が蘇る。ああ、足元が赤く染まってゆく。強い幻覚が私の精神を追い詰めて……。
「おい。しっかりしろ!」
倒れそうになった私の体をシャサが抱き留める。その瞬間、私の心は恐怖で満たされる。
「触るな!」
そうだ、私は人間なんかじゃなくて、身代わり人形なんだ。恐ろしい呪いを持った危険な化け物。だから、私は誰からも愛されないし、愛しちゃいけない。
『でも、そろそろ愛したいだろう?』
ざわりと心の奥が揺らぐ。
どうして……!
あの時の呪いの声が強く響いた瞬間、息が詰まり、体が強張る。
『どうして? わかっているだろ? あれからお前が誰も愛さないから。ワタシは飢えているんだ。ほら、わかるだろ? こんなチャンス滅多にないって』
駄目だ……! 私は、誰も呪わなくていいように、一人ぼっちでいたんだから。それなのに、今になって、こんな……。
『愛する者の手を取るんだ。お前は博愛ができる綺麗な子だ。みんなを愛せばいいんだ。そうすれば、みんながお前を愛してくれる』
「私、は……」
愛されたい。心の底で幼い自分がぽつりと呟く。
『そうだ。お前は家族に愛されなければいけない。さあ、唯一の家族に手を伸ばせ』
ああ、そうだ。私は兄のように両親に愛されてみたかったんだ。そして、両親に愛されている兄を愛してみたかったんだ。家族という絆を知りたくて仕方がなかったんだ。
震えながら兄に手を伸ばす。もう呪いの意志に抵抗できるほどの気力は残っていない。
「は。呪いの対象はわかっている。赤の呪いは愛する者への呪い。だが、生憎俺はお前に嫌われている。つまり、お前がどうやったって、俺が殺せるわけがないんだ」
馬鹿にしたような目で兄が私を見つめる。ああ、兄さんは全く何もわかっていな――。
「アンタはヌイのことが全くわかってないな」
「っ!」「!」
シャサがまるで私の心を読んだかのように言い放った瞬間、魔弾で兄の体を部屋の隅まで弾く。
「何をする!」
「ヌイ、こっちだ。こっちに来い」
標的を見失った私は、ふらふらと吸い寄せられるようにシャサに向かう。
「う……」
「さあ、僕の手を取れ」
『ああ、コイツでもいい。コイツの魔力はあの卑怯な兄よりも高いじゃないか。そうだ、コイツがいいぞ。お前だって、コイツに愛されたいはずだ』
悪魔の声が、私を唆す。ああ、私だってこの手を取りたい。初めて私を蔑まなかった彼を。初めて私に人間らしいことを教えてくれた彼を。愛せたならば……。
「どうした? 僕の手を取っていいんだぞ」
「だ……」
「ヌイ」
「駄目、だ、私、は、お前を……」
お前だけは、絶対に傷つけたくない……。シャサだけは、殺させは、しないッ……!
持てる力を全て込めて、自分の胸に手を当てる。
『!』
一瞬の眩い光。それが自分から放たれたものだと気づいた瞬間、エネルギーを使い切った体が力を失う。
「は……」
「おっと。よく頑張ったね」
葛藤が精神の限界に達し倒れ込んだ私を、シャサが軽く受け止め、抱きしめる。
「今のは、何だ……?」
「ヌイが呪いを抑え込んだんだ」
呆然とする兄に、シャサが確かめるように呟いた。そうか。私は、呪いを抑えることができたのか。
「まさか! 出来損ないの分際で、呪いに打ち勝つことなどできるはずがない。大方、お前はコイツに愛されていなかったのだろう? 俺と同じようにな」
「本当に何にもわかってないんだな。ヌイは心が綺麗なんだよ。だから、たとえクソったれな兄でも嫌いきれない。散々酷い目に遭った今でも、お前のことを家族だと思ってるんだ」
そうだろう? と問いかけてくるシャサの瞳から目を逸らす。決して綺麗なんて言葉で片付けていいものじゃない。だけど、どれだけ虐げられようが家族を愛したかったのは本当だ。
「馬鹿な……。コイツは、今でも俺を殺せるというのか……」
徐々に顔色の悪くなってゆく兄は、まるであの日と変わらない。私を恐れ、怯えきった可哀想な兄だった。
「お前は罪だ。自分の運命を人に背負わせた。これは、お前に返してやろう」
そう言ったシャサが、ふいにナイフで私の髪を切り落とす。
「あ……」
シャサは止める間もなく呪文を唱えて、口づけたその髪束を兄に撒く。すると、髪は赤い焔を纏い、兄を焼き……。
「っ、やめろ! な、そんなことが、あああああ」
その断末魔のような悲鳴を聞きながら、私は意識を失った。心地よい腕に抱かれながら見る夢は、どうして背徳の味がした。
「ん……」
眩しい光を感じて、瞼を押し上げる。
「お、起きたか?」
「え……?」
金色の髪と透き通るような青い瞳。目の前で、王子様のような少年がきらきらと微笑む。
「な、んで、目が、色が、見え……!」
急いで辺りを見渡すが、驚くほど世界は明るく、優しい色に満ちていた。
「やっぱり。呪いを受けてから目が駄目になってたんだね」
瞼を撫でる彼の手は、優しくて心地が良い。ふと自分の手に目を落としてみても、やはりその手に赤い滲みはない。
「そうか、呪いがなくなったから……」
全てが赤く見えた世界が終わった。久々に見る赤以外の色は、私には勿体ないぐらい綺麗で。
「シャサ、君はこんなに綺麗な色だったんだな……」
「ヌイこそ。気づいてる? 赤かった目が黒く変化してる。髪と同じ色だ。妖艶でずっと見ていたくなる綺麗な色だ」
見つめ合う瞳には、互いの姿が映っていて……。
「って。呪い、移したってことは、兄さんは……」
甘い気配を押し退けた私に、シャサが不満そうな視線を送る。だが、確認しない訳にはいかない。
「ヌイ、運命だ。アイツのことは忘れろ」
真面目な雰囲気を感じ取ったシャサが、静かに、諭すようにそう告げた途端、私は理解した。
「あぁ。私は何のために生まれてきたのだろうな」
魔力のない私が今まで生きてこれたのは、兄のおかげだと言ってもおかしくない。身代わりだろうと、それが生きるという意味だったのに。
「ヌイは、僕と出会うために生まれてきた、それでいいだろ?」
「……? でも、結局お前は呪いの力を手に入れることができなかっただろ?」
「アンタが偽物だと嘘をついてまで譲らなかったんじゃないか」
「あの力は、私が背負っていくべきだったから。でも、兄さんに返すぐらいなら、奪ってくれた方が……」
「嫌だよ。僕はアイツが許せない。それに、あれは扱いきれる力じゃない。元の持ち主と共に朽ちるべきだ。それが理ってもんだよ」
「……」
確かにそうなのかもしれない。私に魔術の知識はないが、あれは本来触れるべきものではない、移すべきものではないことぐらいはなんとなく感じていた。
「ね。だから僕は、ここにある魔術を全部自分のものにした後、今まで通り最強を目指して世界を飛び回るよ」
「そうか」
きっと彼ならばなれるのだろう。世界一の魔術師に。そのためにこの家の知識が役に立つのならば、それは誇らしいことのような気がした。
「なに寂しそうにしてるのさ。ヌイもついてくるんだよ」
「私が? 何を期待してるかは知らないが、私にはもう何の力も残ってないぞ」
「僕を癒してくれる」
「光の魔術なんて、最も私に縁がない」
「ヌイ、もしかして本当に僕の気持ちがわからないのか?」
呆れたようにため息を吐くシャサに、何だか申し訳ない気持ちになる。
「悪いが、私は一人で過ごした時が長すぎて、普通の人間のようには空気が読めないのだ」
そう。私は普通の人間でなかったから。身代わりの役目が終わった今、私は今更、どうするべきかがわからない。
「わかった。率直に言おう。僕はヌイが好きになった。だから、ずっと一緒にいて欲しい」
「え……。好き……? でも、私はただの空っぽになった人形で……」
「確かに最初は呪い目当てでしかなかったけど。僕はヌイを知ってしまった。ヌイは空っぽなんかじゃない。繊細で優しくて臆病で。でも、呪いに打ち勝つだけの強さを持ってて。僕はヌイの全部が好きになった。だから、ヌイのこれからを僕にくれないか?」
真っすぐな眼差し。その青さは目がチカチカするほど美しくて。私は差し出された手にゆっくりと手を伸ばす。
指先が無意識に震え出す。まだ呪いが残っていたら。そう思うと、怖くて。人に触れることが、まるで罪のように思えて。
「大丈夫。僕は簡単には死なない」
「っ……」
温かい微笑みに背中を押されて、そっとその手を取って指を絡める。
その瞬間、窓の外の鳥たちが一斉に白い羽を羽ばたかせて飛んでゆく。
「さあ。僕たちも行こう」
「ん……」
扉の外の世界の眩しさに、目を細めながら繋いだ手に力を込める。そして私は、手を引かれるままに新たな一歩を踏み出した。
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