アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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(66)王子と教育係

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王に両親を殺されたハーニャは、盲目の妹を守るために身を粉にして働く。しかしその数年後、王子の教育係に抜擢されて……。
幼心を傷つけられた復讐王子×八つ当たりの果てに後悔する教育係。なんか同じような話書いた気がするけど、妹のために自分を犠牲にしちゃう系お兄さんが好きです。

セルフィス=レヴィア:王子。ラズベルに厳しく教育される。

オリエン=ハーニャ(本名)・ローヴィン=ラズベル(偽名):教育係。幼い王子に八つ当たりしてしまう。

オリエン=ニヴァ:ハーニャの妹。盲目。病弱なので部屋に籠もりきり。
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 あるところに、貴族の少年がいました。少年の名は、オリエン=ハーニャ。彼はとても賢く容姿にも恵まれていたため、人々は、彼の未来に期待を寄せていました。
 しかし残念なことに、彼が貴族としてその名を轟かせることはありませんでした。そう。彼は貴族という地位を奪われてしまったのです。ハーニャの母が王を惑わせたとして、罪を着せられてしまったのです。
 実際のところは、王がハーニャの母に惚れてしまっただけのことでしたが、嫉妬深い王妃により、オリエン家の幸せはすっかり奪われてしまったのです。
 それからオリエン家は平民として暮らしましたが、ハーニャの妹であるニヴァはまだ赤ちゃんで、風邪を拗らせ医者にも診てもらえず、ついには目が見えなくなってしまいました。
 ハーニャの両親は、どうにか良い医者に掛かり、二ヴァの目を治してもらおうと、必死に働きました。しかし、待っていたのはこれまた残酷な結果。働きすぎて弱った両親を流行り病が襲い、二人の命を簡単に奪い去ってゆきました。
 悲しみに明け暮れながらも、ハーニャは何としてでも妹を守ろうと思いました。これ以上、家族を失う悲しみを味わうのは、ハーニャにとって、自分が死ぬより辛いことのように思えました。
 幸い、幼い頃に身に着けた教養があったハーニャは、更に独学で勉強を進め、時には犯罪に手も染めながらも何とか生き抜き、妹を養い……。ついに、身分を偽りつつも、王宮で働けることになったのです。
 そうして、ハーニャは数年間執事として勤めた後、王子の教育係に抜擢されました。そう、あの自分の家族を苦しめた王と王妃の子どもである王子、セルフィス=レヴィアの面倒を看ることになってしまったのです。
「ローヴィン=ラズベルです。どうぞよろしく」
「ぼ、僕はレヴィア。セルフィス=レヴィア。よ、よろしく」
 偽名を名乗ったハーニャは、レヴィア王子に向かって冷たい視線を浴びせました。可哀想に、何も知らない幼い王子はすっかり怯え、彼に恐怖を抱くようになりました。
「王となるお方ならば――」
「う、うう……」
 ハーニャの教育は、とにかく厳しいものでした。王子は、口癖のように繰り返されるその台詞が嫌いでたまりませんでした。
 ハーニャもまだ若く、苦い思い出は割り切れることではなかったので、二人きりの時にはより厳しく、時には暴力を振るってしまうことすらありました。
 そんなハーニャを、王子は好きになるはずもなく。可愛かった王子は、すっかりとハーニャを恨むようになってしまいました。

 そして、レヴィア王子が十六歳になる日。復讐の炎は、ついに収まるに至らず。全てを焼き尽くす勢いで燃え上がってゆくのです。

「は~。さすがに疲れたな。ラズベル」
 堅苦しい式典とパーティーを何とか乗り切った王子は、ため息を吐きながらその身を自室のソファに沈めました。
「ええ。お疲れ様です、レヴィア王子」
 そんな王子から上着をはぎ取り、しわを伸ばして丁寧に畳んだラズベルは、まるで機械のように冷たい口調でそれだけ告げると、王子から目を逸らしました。
「お祝いの言葉もなし? 少しくらい感動とかないの?」
「私はあくまで仕事としてやってるので」
 成長し、周りの信頼を得始めた王子に、ラズベルが暴力を振るうことはもうありませんでした。ただ、わだかまりがなくなったわけではなく、ラズベルの態度は相変わらず冷たいものでした。
「ほんと、ラズベルは僕が嫌いなんだな……。でもさ、せめてこれぐらいは飲んでくれよ」
「……」
 そう言って、王子が泣きそうな顔で差し出したのは、グラスに入ったワイン。王子が誕生したその時に作られたそれは、今日でしか味わうことのできない、王子を祝うためのものでした。
「僕もさ、ラズベルには感謝してるんだよ」
「貴方が私に……?」
「そ。ラズベルは確かに厳しかったけど、だからこそ、僕はここまで成長できたんだ。だからさ。アンタは特別」
「ですが――」
 それは、本来ならば親族の者にしか振る舞われない特別なワインで。執事に飲ませるなど以ての外。しかし、そのことを伝えようとする前に、ラズベルの言葉は遮られました。
「お願い! 少しだけでいいんだ! 僕はラズベルに飲んでもらいたい。これから少しでも仲よくしようっていう気があるんなら、ね?」
「レヴィア王子……」
 ラズベルも、本当はこれまでの仕打ちを後悔していました。だから、最近はどう接していいのかわからず、冷たい態度のままなるべく沈黙を保っていました。今更、変に取り繕ってボロが出てしまうのを恐れていたのです。
 でも、王子の必死の訴えを聞いて、彼の心は少しだけ揺らぎました。そして、促されるままに、グラスを手に取った彼は、一口だけワインを口に含んでしまったのです。
「甘かったね。前のアンタなら絶対飲まなかったのにね」
「え?」
 ラズベルがハッとしたときには既に遅く、視界がぐらりと揺れて、己の体は床に倒れ込んでいました。
「な……」
 言葉を紡ごうとする口は、あっという間に力を失い、猛烈に襲い来る眠気に抗う余裕もなく、その瞼はすっかりと閉じてしまいました。

「さあラズベル。そろそろ起きてくれなきゃつまらない」
「う……」
 楽しそうに弾んだ声。炸裂音。そして、頬の燃えるような痛み。それらにようやく目を覚ましたラズベルは、目の前で笑う王子を真っすぐに見つめました。思いっきり叩かれたその頬は赤く、口の端からは血が流れ始めていました。それを手で拭おうにも、手足はすっかり縛られて、ベッドに転がされているものだから、身動きすらとれません。でも、その瞳は決して臆せずに、彼を睨みつけているのです。
「良かった。やっぱりアンタは憎ったらしいや」
「どうやら、これは夢ではないらしいですね」
「夢で終わらせられるものか。僕はアンタにた~んと復讐しなきゃならないんだ」
「王ともなろうお方が、教育係にこんなことをしたとなれば大問題です」
「こんな状況でよく説教をする気になるなあ。でもさ、アンタは自分の状況をしっかり理解した方がいい」
「ぐ……」
 にやりと笑った王子は、ラズベルに跨ると、その首をぎちりと締め始めました。これにはラズベルもたまらずに、その身をよじり、苦悶の表情を浮かべました。
「謝る気になった?」
「っげほ……。っは……」
 ようやく解放されたラズベルは、目に涙を浮かべて咳き込みました。しかし、そんなラズベルにも王子は容赦なく責め立てます。
「ラズベル! 謝れと言っているんだ! お前は僕に謝らなければいけない! 僕の苦しみは、そんなものではないんだからな!」
「……。確かに、貴方には当たりすぎた節が、あります。私も、若かった」
「フン。それで?」
「ですが、謝ることは、まだできないのです」
「……なんだよそれ。馬鹿なことを。形だけでも謝っとけばいいものを」
 呼吸を整えながら声を絞り出すラズベルに、王子は冷たい視線をくれてやりました。
「僕ね、アンタのそういうとこも大っ嫌い」
「嫌いだろうと、これからも私は、貴方の教育係として……」
「僕が何のために今日アンタをこうしたかわかってんの?」
「痛ッ……」
 王子は、ラズベルの口端を乱雑に拭うと、その首をゆっくりと横になぞりました。
「新しい門出に、アンタの存在を断ち切りたいんだよ」
「貴方が、私をクビにできるとでも?」
「いいや。お父様はお前を信頼しているからな。いくら僕が騒いだとしても無駄だ」
「わかってるじゃないですか」
「でも、僕だってもう子どもじゃない。お前を脅かすことぐらいは出来るんだよ、ハーニャ」
 ぞわり。ハーニャ。その言葉を王子が紡いだ途端、ラズベルの心臓は強い不快感に包まれました。
「な……」
「ああ。やっと良い顔になった。僕はね、たくさん調べたんだよ。大嫌いなアンタのことを数年かけてさ。だから、アンタの過去は何でもわかる。アンタがどうしてココに来たのかも、ね」
「なんの、こと……」
「アンタはウチに恨みがある。だから僕に当たったんだろ、ハーニャ」
 ねっとりと呟かれたその名は、ハーニャの封じていた記憶を否応なしに呼び覚ましました。
『ハーニャ』
 柔らかく優しい母の声。
『ハーニャ』
 威厳に満ちた、温かい父の声。
『ハーニャ!』
 炭鉱の大人の怒鳴り声。
『ハーニャ!』
 家主のおばさんの怒鳴り声。
『ハーニャ!』『ハーニャ!』『ハーニャ!』
 大人たちから向けられた怒声は、ラズベルの中をぐるぐると駆け巡りました。
(怖い。でも、もっと働かなくちゃ。頑張らなくちゃ。ニヴァのために。私は……!)
「う……」
「顔色が悪いですよ、ラズベル」
「あ……」
 王子がラズベルの頬に手を当てた瞬間、ラズベルは我に返りました。その額には一瞬のうちに汗が浮かび、整ったはずの呼吸は再び乱れていました。
(そう、私はラズベル。昔の自分……ハーニャとは違う。賢く、落ち着いた、大人の男だ。こんな少年相手に取り乱している場合では……)
「アンタは大人しくラズベルを演じとけば良かったのに。そうすれば僕の恨みを買うこともなかったのに。でも、愚かなお前は過去を引き摺って、僕に八つ当たりをした」
(そうだ、コイツといるときの私は、確かにハーニャだったのかもしれない。未成熟で、恨みがましくて、割り切れない不器用な……)
「お前の恨みは僕の恨みを生んだ。それがどれだけ愚かなことか、わかるよな?」
(ああ、確かに愚かだった。でも、妹と同じ年頃の彼を見ているとどうしても許せなかった。
自分や妹もこんな風に生活を送るはずだったのにと逆恨みすることがやめられなかった。そして、その気持ちは今でも心の奥底に潜んでいる。だから、今の私にはまだ、本当の意味で謝ることはできないのだ)
「でも、いいんだ。僕が苦しんできた分、その体で受け止めてくれれば、ね」
「え……?」
 ラズベルの瞳に映った王子は、まるで悪魔のように歪んでいました。ラズベルは、ここにきて初めて、己の教育が生んでしまった闇を思い知ったのです。でも、後悔しても遅いのです。だって、復讐という名の欲を湛えた王子を前に、ラズベルは為す統べがないのですから。


 それから数日。体調を崩してしまったラズベルは、仕事を休み、自室で寝込んでいました。
「うう……」
(どうしてこんなことになってしまったのか。いや、分かっている。全ては自分の行いが招いてしまったこと。でも、だからといって、あんな……)
「なんだ。まだ寝込んでるんだ」
「……っ!」
 幾度となく繰り返された自問。その答えが煮詰まらない内に、その元凶である王子がラズベルの目の前に現れ、ため息を吐きました。
「こんなに弱いアンタを今まで怖がってたのかと思うと、馬鹿らしくなるな」
「……」
 ラズベルは、その嘲笑に怒るより先に、自分の受けた恥辱を嫌でも思い出し、王子から顔を背けました。
「で。謝る気になった?」
「それは……」
 ラズベルは、縛られた痕が残った手首を見つめました。先日まで、確かに自分の本心は彼を恨み、許しきれていなかったが故の躊躇いがありました。でも、今は……。
(レヴィアの闇を知ってしまった。これは誰でもない。私が作ったものだ。それに対して、私は一体どう謝ればいいのだろうか。ただの一言で足り得るわけがない)
「なんだ。まだ懲りてなかったのか」
 言い淀むラズベルを、王子は冷めた瞳で見下ろしました。そして。
「違……」
「それとも、もっとしてほしいとか?」
「……や、やめろ!」
 王子がラズベルの首筋を撫でた途端、ラズベルはその手を叩いて跳ね起きました。その顔は、先日の情事を思い出し、真っ赤に染まっていました。
「嫌だよね。じゃあどうするんだっけ?」
「っ」
 楽しそうに目を細めた王子に、ラズベルは自分の不甲斐なさを噛みしめました。
(ああ、私がこの子を歪めてしまった。その事実がこんなにも自分に重くのしかかるとは)
「お~い。聞いてる?」
「あ、の……。お願い、します……。少し、待ってください……。私も、少し混乱していて……」
「はは。もっと僕に歯向かってくるかと思ったのに拍子抜けだな。ま、僕はアンタほど鬼じゃあない。僕の足でも舐めてくれるってんなら、今はお前を放っておこう」
「は?」
「別に僕の趣味じゃないよ。ただ、アンタにとってはいい薬だ」
「誰がそんなこと……」
「もう一回犯されて寝込んで給料減らされたいってんならいいけどさ。がめついアンタに耐えられるかな?」
「……ベッドに腰かけてください」
「は。最高」
 ラズベルは王子の前に傅くと、しなやかな手つきで靴を脱がして、足の甲にそっと舌を這わせました。
「そんなに妹が大事かよ」
「……知ってたのか」
「寝言、めちゃくちゃうるさかった」
「ふ。お前には恥を晒してばっかだな」
「……」
 王子は初めて見るラズベルの顔に、目を丸くしました。気負うことを止め、苦笑するラズベルは、思っていたよりもずっと普通の人間なのです。
(血も涙もない鬼だと思ってたけど、どうやらコイツも相当参っているらしい。いや、妹のために金を貯めている時点で、本当はコイツが非道でないことぐらいわかっていた。でも、僕は許せなかった。コイツの過去がどうであれ、この僕に八つ当たりをしたことは許せるはずもない。でも、今は……)
「で、あとどれだけ舐めればいい?」
「……本物の薬、やるから飲め。高いやつだからこんな熱すぐに冷める」
 靴を履き直し、素っ気なく薬を手渡した王子は、ラズベルから視線を逸らしました。
「どういう意図だ?」
「別に。熱出たままじゃ、こき使えないだろ」
「私をまだ使ってくれると?」
「次が決まるまでの、しばらくの間だ」
「……貴方は相変わらず詰めが甘い。そんなんだからいつも狩りで得物を逃し、テストでケアレスミスを犯すんです」
「言わせておけば」
「でも。今はその甘さに、感謝しています」
「馬鹿だな。僕も、お前も」
「ええ。全くです」


 町はずれの寂れた一軒家。ラズベルは、そこを目指して馬車を走らせました。
「ニヴァ!」
「お兄さま!」
 ラズベルが忙しくドアを開けると、待ち構えていた少女は思いきり兄に抱きつきました。
「ああ、良かった。お前が無事で」
「お兄さま、急に帰ってくるなんてどうしたの? また何か無理をしているの?」
「無理なんかしていないよ」
「でも。お兄さま、何だか声に元気がないわ。それに、ほら。また痩せてるもの」
 少女は、ラズベルの腰を締め付けながら、心配そうに呟きました。しかし、ラズベルはそれを遮って、無理に笑ってみせました。
「気のせいだよ、ニヴァ。それよりお前の体調はどうなんだい?」
「ワタシは平気……。大丈夫だから……」
 元気に振る舞ってみせる少女の額に、ラズベルがそっと手を当てると、やはり彼の思った通り、熱が、それもかなりの高熱が伝わってきました。
「ニヴァ。お前、熱があるね?」
「大丈夫、いつものことだもの」
「……ごめんな。でも、今日は良い薬を持ってきたんだ」
「薬?」
「ああ。熱だってすぐに冷める」
 そう言って、ラズベルは持っていた薬を二ヴァに飲ませました。
「ん……。ほんとだ……! すごい! 楽になってきた!」
「良かった……。ニヴァ、目は? 目はどうだ?」
「……目は駄目。いつもと一緒。何も見えないわ」
「そっか。やっぱ、そう、だよな……」
「お兄さま……?」
「二ヴァ、悪い。少し、休ませてくれ……」
 ぐらぐらと揺れ出したラズベルの体は、とうとう力を失って、その場にどっと倒れ込みました。二ヴァが手を当てると、彼の額は彼女に負けないくらいの熱を持っていました。
「お兄さま! だ、誰か……!」
 二ヴァは叫びました。手探りで扉を開け、外の世界へ助けを求めて駆けようとしたその時。
「大丈夫。お兄さんは僕が助けてあげる」
 二ヴァの頭に優しく手が乗せられました。その温かさに、二ヴァは一瞬安心して、慌ててその人に問いました。
「誰?!」
「お兄さんの職場の人間さ」
「お兄さまの……?」
「さぁ。もう大丈夫だ。ハーニャ」
「ん……。ど、して貴方が……」
 二ヴァは、いきなり現れた青年を止めようとしましたが、抱きかかえられた兄の安堵した声に、口を噤みました。
「お兄さんは僕がベッドに運ぶから、お嬢ちゃんは水を用意してくれるかな」
「あっ。は、はい!」

「ったく。薬、これで最後だぞ。ちゃんと飲めよ?」
「でも、それ、高いって……」
「いいから、さっさとしろ」
「んむ。っは……」
 中々口を開こうとしないラズベルに痺れを切らした王子は、自分の口に薬を放り、そのままラズベルに口づけて薬を流し込みました。
「どう、して……。王子がここに……」
「別に。困っている女の子を放っておくほど腐ってないさ」
「……ありがとう」
「馬鹿。何しおらしくなってんだよ」
「薬、いくらだったんです? 二人分、ちゃんと払いますから……」
「いらねえよ。アンタの分のお代はもう貰ってるからな。妹ちゃんの分は紳士として必要経費さ」
「……でも」
「なんなら、目が見えるようになる薬を調合してもらおうか?」
「えっ」
 ラズベルは、王子の言葉に思わず息を飲みました。
(冗談だとわかっていても、喉から手が出るほど欲しいな……)
「本気だよ。今すぐにでも手配しよう」
「え……?」
 王子の真面目な眼差しを見て、ラズベルは短く息を吐きました。
(自分が間違っていることは明らかだ。この王子は優しい。きっと良い王になれる。それなのに、私は……)
「ラズベル?」
「王子……。私は、今まで……。私は……!」
「ラズベル、ゆっくりでいいよ」
「は、はは。情けない、ですね。ざまぁないですね」
 涙を流しながら自嘲するラズベルを、王子はそっと抱きしめ、自分の袖で涙を拭ってやりました。
「貴方は、良い王子です。そんなお方に、私は私情で逆恨みし、傷つけさえしました。私は、ずっと謝りたいと思っていたのですが、今更態度を変えられず……。レヴィア様のおっしゃる通り、私は、馬鹿者なのです」
「ほんとにね。お前は馬鹿だよ。ずっと冷徹な仮面を被っとけばいいものをさ」
「レヴィア様? 何を……?」
 そのまま腰を撫でる王子の手つきにラズベルが問いかけると、王子は笑って答えました。
「馬鹿なのは僕の方もだってこと」
「ん……。な、何……?」
「ラズベルの泣いてる顔見てたらムラムラしてきた」
「む……?」
「自分でもよくわかんないんだけどさ。なんか、アンタにもっと触りたいなって」
「ちょ、ちょっと待っ……」
「ハーニャ……」
「っ」
 甘く呟かれた真名は、不思議なほどに不快感がなく。肌を滑る指や唇も不快どころか……。
「お兄さま?」
「に、二ヴァ!? えっと。い、いつからそこに?!」
「いつからって、薬飲むための水、二ヴァちゃんが持ってきてくれたし」
「は……? それはつまり、貴方が口移しで薬を飲ませたところから、という意味ですか……?」
「ああ。あれ、口移ししてたんだ……。ワタシ、目が見えないから、そこまでわからなかった」
「うっ……! しまった」
「アンタ、割と馬鹿だよな」
「それで、お兄さま。ラズベルというのはどなたのことです? ムラムラというのはどういうことなのですか……? それに、王子というのは……」
「っ……。レヴィア様!!」
「あっは。しょうがないなあ。二ヴァちゃん。君もお城においで」
「えっ?」
「二ヴァちゃんもこんなところに一人だなんて、本当は寂しいだろう?」
「でも……。ワタシ……。その……、いいの……?」
「もちろん! 君は僕の妹ってことでどうだい?」
「う、嬉しい……」
 もじもじと遠慮がちにはにかむ少女に、王子は微笑み返し、その頭を優しく撫でました。その様子はまるで本当の兄妹のようで、ラズベルは二ヴァの喜ぶ声に少しだけ安堵しました。本当はラズベルだって、二ヴァに自分以外の人間と触れ合って欲しかったのです。
「申し出は嬉しいが、私は貴方に恩を返す宛がない」
「僕だって、何も善意だけで言ってるんじゃないよ。ただ、貴方を城から逃がしたくないだけ」
「今更、逃げませんよ。私は、どんな罰であろうとこの身に受けるつもりです。そもそも、私から逃げ出したいのは貴方だったはずだ」
「僕はまだ勉強しなきゃいけないことばかりなんだ。だから、やっぱり優秀なお前がいなきゃ困るよ」
「はは。それは、代わりの者が来るまでという意味ですか?」
「お前の代わりなんていない。頼むよ、ラズベル」
 そう言ってラズベルの手を取った王子は、迷うことなく口づけました。
「な、いけません! 王子が従者にそのようなことをしては……」
「それじゃあ、こっちなら許してくれるわけ?」
 冗談めかして交わされた口づけに、ラズベルは動揺しつつ、王子を引き剥がしました。
「な、なんでっ、なんの真似で……!」
「だから、僕にもまだよくわかんないんだよ。でも、したいと思った。それだけだよ」
「欲求不満ということでしょうか? それならば色々と手配させて……」
「いらないよ。僕はお前しかいらない」
「え、いや、ですが……」
「ラズベル、僕の側にいてほしい。ずっとだ」
「そんなの、まるで……」
「愛の告白みたい?」
「っ」
 頭に浮かんだ台詞を言い当てられたラズベルは、あっという間に顔を赤くしました。その様子を見た王子は目を細め、ラズベルの手を自分の頬に寄せました。
「だから、そうだって。どうやら僕は、お前に惚れてしまっていたらしい。責任、取ってもらうからな?」
「なん、なんで、そんなことにっ……。私は、貴方のことを恨んでいて。貴方も、私のことを恨んでいるはずで……」
「うん。悪かった。お前に無理やりあんなことして。それで気分が晴れると思ったんだけど。まあ、そんな方法選んでる時点で、お前をどうこうしたかったのかな、なんて……。お前が僕をまだ恨んでいるというのなら、僕はお前のために何でもしよう。その罪を許してくれるその日まで。だから……」
「私は! 貴方を恨む資格などありません! 愚かだったのです。子である貴方には関係のないことなのに。むしろ、私の方が許されない……!」
「あの、お兄さま。王子様。少しいいですか?」
 ふと、各々思いつめた雰囲気の中、二ヴァがおずおずと片手を上げて声を振り絞り、二人の目を引きました。
「ええと。難しいことはわかりませんが。お兄さまたちは、喧嘩をしてしまったのですか? でしたら、ちゃんと謝ってください。そして、仲直りするんです」
 二ヴァは人前で喋ることに慣れていませんでしたが、しっかりと心を込めて言葉を紡ぎました。
「二ヴァ……」
「二ヴァちゃんの言う通りだ。ごめん、ラズベル。僕を許してくれ」
「私こそ。すみませんでした。レヴィア様」
「それでよしです。これで、心置きなく愛し合えますね!」
「に、二ヴァ?!」
「だってお兄さま、絶対レヴィア様のことが好きだわ。ワタシ、目は見えなくとも、お兄さまの心はわかりますもの」
 微笑んだ少女は、どうやらラズベルが思っていたよりもずっと強くて自分の意志を持っていて。言い当てられたラズベルは、顔を赤くして狼狽えました。
「本当なのか? ラズベル」
「……はぁ。レヴィア様。私はこれからも貴方と共に歩みたい」
「ラズベル……。僕はもう、お前が後悔したって離さない。それでもいいんだね?」
「はい。私も、貴方の側は誰にも譲る気はありませんよ」
 大人になった王子の腕は、いつの間にかラズベルより力強くなっていて。それに抱きしめられながらラズベルは、人の成長とは早いものだと、嬉しいような寂しいような複雑なため息を漏らしました。
「さあ。二人の恋が成就したところで。お兄さま。ワタシがわかるよう、ぜ~んぶちゃ~んと説明してくださいね?」
「う……。本当に、人の成長は怖いな……」

 こうして、レヴィア王子は教育係のラズベルと末永く幸せに暮らしました。一方で、視力を取り戻した二ヴァは、レヴィアの義妹として姫となり、身分の良い隣国の王子と結婚し、統治の才を振るうことになるのですが、それはまた別のお話。
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