アズアメ創作BL短編集

アズアメ

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101~110

(107)パティシエ志望と甘党不良

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パティシエ目指してお菓子作りに励む高校生『佐東 翠』は、校内一の不良『能面 神楽』が隠れてお菓子を頬張る姿を目撃する。その幸せそうな顔が忘れられなくなった翠は――。

パティシエ志望ボーイ→甘党訳アリ不良(受攻は曖昧。どっちとも取れる感じになってます。というか、どっちもお互いを可愛いと思ってます。現段階ではブロマンス止まり)
いつのまに~と同じ世界というか、二人とも鴪間先生のクラスの生徒です。
いっぱい食べる君が好きです!

佐東 翠(さとう すい):能面くんの食べる姿が見たくて、彼に無理やりお菓子を押し付けてはこっそり覗き見する。自分でもちょっとヤバイ趣味だと思ってる思春期ボーイ。名前の由来は砂糖水。
能面 神楽(のうめん かぐら):凶悪な顔と遅刻癖と夜に出歩いているという目撃情報が絡み絡まり不良武勇伝を加速させたが、本当のところは……。名前の由来は能面(みたいに怖い顔)。

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『うわぁ……。おいしい……!』
 ケーキを食べた少年が感嘆する。
「でしょ? パパの作るお菓子は最高なんだ~」
『こんなおいしいものが毎日食べれるんなら、俺も佐東んちの子どもになりたいなぁ……』
 へにゃりと笑う彼を見ると、僕はいつもドキドキした。そのキラキラとした瞳が大好きで。
「あはは。僕も君と一緒に暮らしてみたいよ。だって、見てて飽きないもん!」
『えぇ……。そんなに見ないでよ……。恥ずかしい……』
 幼いながらに、僕は思った。いつかパパを超えるお菓子が作れるようになりたいと。そうして、僕の作ったお菓子を彼に思う存分食べてもらいたいと。彼の食べる姿を思う存分見ていたいと――。



「これ、良かったら食べて~!」
『わ、佐東くんの新作~?』『キャー! 食べたい食べたーい!』『俺も俺も~!』
 高校生になった僕、佐東 翠は本格的にパティシエを目指し、日々練習を重ねていた。
 作ったお菓子はこうして学校に持ってきて配る。なんせ、家はケーキ屋。ただでさえ消費に困っている状況なので、家族には食べてもらえないのだ。
『おいしい~』『佐東くんほんと天才~』『マジでプロだよな~』
 クラスメイトたちが蕩けた笑顔で褒めてくれるのを見てホッとする。それが、僕の日課だ。
「モテモテで羨ましいなぁ佐東~」
「あ、鴪間先生もどうです?」
「ごめん、俺甘いモン苦手なんだわ」
「そうでしたか。今度甘さ控えめの男性向けスイーツ試作しますね」
「お~。それは楽しみ」
『え?! イツセンだけずるい!』
「って、そうじゃなくて。お前らSHR始まってるから席に着け」
 みんなが僕の作ったお菓子を食べて笑顔になってくれる。それだけで、僕は嬉しくなる。
 担任の鴪間先生も、お菓子を配ることにとやかく言う人じゃなくて良かった。それどころか好意的な反応を貰えたのは嬉しい。
 去年の担任は男の僕がお菓子を作って女子にちやほやされるのをよく思っていなかった。別にお菓子の持ち込み自体は禁止事項じゃないのに。進路相談のときもパティシエになりたい旨を伝えると、もう少し現実的に考えた方がいいだのお菓子作りなど女の遊びだなどと古臭い反応しか返ってこなかった。さすがの僕も少し落ち込んだ。
 だから、鴪間先生がいる前ではなるべくお菓子を配らないように気をつけていたんだけど……。どうやら杞憂だったみたいだ。これは頑張って先生好みのスイーツを完成させなければ! そして、今度こそ先生にもこの夢を認めてもらって……。
「ん、能面は今日も休みか?」
 先生が僕の隣の席を見て呟く。そうか、彼はまた休みなのかぁ。
 ため息を吐いた途端、上昇していた気分が少しだけ落ちこむ。が。
「あ」
 がらり、と激しい音を立てて教室のドアが開かれる。
「おっ、能面。残念ながら遅刻だぞ。後で職員室な」
「っす」
 あ、能面くん、来てくれたんだ……!
 走ってきたのか、肩で息をする彼を見て、落ち込んでいた気分が再び上昇する。
「また寝坊?」
「……」
 こそりと話しかけてみたが、いつも通り返事はない。
「これ、良かったら食べて」
 返事も待たずに、僕は彼の机にクッキーの入った袋を置く。
「……」
 彼は無言で可愛くラッピングされたそれを鋭く睨んだ後、ついでに僕の顔を睨む。
 う~ん。いつも通り怖い顔だなぁ……。
「い、要らなかったら捨てていいからね?」
「……ふん」
 能面 神楽はクラスの中で一際浮いた問題児だ。周囲を萎縮させる鬼のように鋭い目つき。必要以上言葉を発さない愛想のなさ。常に不機嫌そうに欠伸を噛み殺す欠席&遅刻常習犯。夜は遊び歩いているだの、やばい仕事をしてるだの馬鹿気た黒い噂が絶えない。
 そんな不良にどうして僕が構うかって? それは――。


 SHRが終わり、皆が着替えて体育館に移動を始める。一時限目は体育なのだ。勿論、僕も例外なくその波に溶け込む。
『な~、佐東~。何でいつも能面にまで菓子あげんの~?』
「え、何でって?」
 体育館シューズ入れを蹴りながら、友人その一が僕に問いかける。
『アイツ、甘い物絶対苦手じゃ~ん』
「そうなのかな」
『そりゃ、見たらわかるじゃん! あんな怖い顔して甘い物好きはないって!』
 友人その二がその一の意見に同意して面白そうに笑い声を立てる。
 まぁ、普通そう思うよね。
 半分ほど移動したところで、後ろを振り返る。が、彼はまだ来ない。
『ん、どした?』
「ごめん、僕教室に忘れ物してきたから先行っといて」
『お~。遅れんなよ~』
 友人二人には申し訳ないが、僕は教室へと引き返す。勿論、ありもしない忘れ物を取りに行くためではない。


 教室の前に辿り着いたと同時に、授業開始のチャイムが鳴る。ああ、サボっちゃった。後で気分が悪くなったと言い訳をしておこう。
 体育は三組合同なので、辺りはすっかり静かだ。
「少し見るだけだから……」
 そう小声で自分に言い訳しながら、教室をそっと覗く。
 思った通り、そこには能面くんがいた。そして、手に持っているのは僕の作ったお菓子。
「しめた!」
 僕は静かにガッツポーズを作りながら、リボンが丁寧に解かれる様子をじっと見つめる。
 能面くんがクッキーを摘む。そして凝視。見つめられたクッキーは可愛らしいクマの形で、目には赤いゼリーが使ってある。
 ふっ、と彼の口元が僅かに緩む。それを見た僕の胸が高鳴る。彼の口元から目が離せない。
「ああ、来るぞ来るぞ……」
 ぱくり。能面くんがクッキーを丸ごと頬張る。その途端、彼の目は見開かれる。かと思うと、次の瞬間には目を瞑り、片手を頬に当て、ふにゃりと口元を緩ませる。その顔はいつもの無表情からは想像つかないくらい、無邪気で幸せそうな顔で……。
 ああ、これだ。
 ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、興奮気味に彼の姿を陰から見つめる。
 彼のあの顔は僕を魅了する。最近なんか、あの顔が見たくてわざと彼好みにお菓子を作っているくらいだ。
 碌に話したことがないから本当にそれが好みかはわからないが、少しの表情の違いを見て、これは好きなのでは、と勝手に推し量っている始末。
 授業はとっくに始まっているというのに、いつまでも彼を見ていたい衝動。
 そう。僕が彼に構い、お菓子を貢ぐ理由はこれだ。
 彼がお菓子を食べる姿は、僕に言い知れぬ興奮を与えてくれる。数週間前の放課後、偶然彼が一人でお菓子を頬張る顔を見てからというもの、僕はすっかり彼に夢中になってしまったのだ。
 でもわかってる。これは能面くんにも他の人に知られちゃダメなやつだって。僕が少しおかしいんだって。だから、僕はこうして“善意”でお菓子を押し付けては、こっそり盗み見ることを繰り返していた。
 そうしないと、きっと僕は彼に嫌われてしまうから。そして、彼は二度と僕の作ったお菓子を口にしてくれなくなるだろうから。
 だから、これは僕だけの秘密の時間。

「って、あ。まずい」
 我に帰り、時計を見る。
 いけない。そろそろ授業に行かなきゃ。丸々サボるのは流石に駄目だ。
「……その前に、もう一度だけ」
 欲に抗えず、彼の方を見る。すると。
「あれ、もしかして、寝ちゃった……?」
 机に突っ伏した彼からは微かに寝息が聞こえる。
「……能面くん?」
 近くに寄っても動かないところを見ると、本当に寝ているらしい。
 どくん。
 少しだけ、触れてみたい衝動に駆られる。
「いや、いやいやいや……」
 首を振り、出しかけた手を引っ込め、薄目で彼の髪を見る。ライオンの鬣みたいだなぁ。
 ぼさぼさに伸びた金髪は意外と、丁寧に育てられた猫みたいな手触りだった。
「って、勝手に触っちゃった……」
 無意識に動く手を今度こそしっかりと引っ込め、ため息を吐く。
 ああ、もっと彼が僕に懐いてくれればなぁ。ああ、僕だけに懐いてくれはしないかなぁ。
「ああ、好きだなぁ」
 ぽつりと口をついた言葉。一呼吸おいて首を捻る。
 あれ。今、僕は何て言ったんだ……?
 だって、今、彼はお菓子を頬張ってはいない。それなのに……、僕は……。
「俺も」
「えっ?!」
 いきなり手を取られたものだから、心臓が飛び出るんじゃないかってほど驚いた。いや、そんなことよりも……。
「俺もお前が好きだ……」
「な……!」
 さっきの言葉を聞かれたという羞恥すらも飛び越えて、彼の言葉が僕の胸に突き刺さる。
 えっ。じゃあ、もしかしてこれって、俗にいう両想いっていうやつじゃ――!
 そう思い上がっていた僕の妄言は次の瞬間、ずたぼろに打ち砕かれる。
「カノン……」
「は? 花音……?」
 幸せそうに呟かれたその名前に、体温が一気に冷える。
「ん、カノン……。可愛い奴……。ふふ……。すぅ……」
「え、これ、もしかして寝言なの……?」
 寝息を立て始めた彼を見て、安堵と嫉妬がごちゃ混ぜになった感情が心の中で渦を巻く。
 能面くんに僕の気持ちが知られなかったことはいい。だけど、花音って……。


「花音ちゃ~ん!」
「優子、どうした?」
「新しくできたケーキ屋さん、今日の放課後行こうよ~!」
「え~。今月金ないよ?」
「大丈夫! 私、お兄ちゃんからお小遣い貰っちゃったから!」
「優子、お兄ちゃんいないじゃん」
「親戚のお兄ちゃんだよ~。すごく優しいんだよ、これが!」
 息を弾ませながらそう言った桐谷 優子は、何故か鴪間先生の方をちらりと見てウインクする。それを受けて、先生はげっそりとした顔でため息を吐く。
 いや、そんなことはどうだっていい。それより、だ。
 丹波 花音。間違いない。彼女のことだ。
 桐谷さんに抱きつかれたままの彼女を見つめる。
 クラスメイトの女子でちょっとヤンキーっぽいので近寄りがたくはある。
 でも、確かに可愛いもんなぁ。
 やっぱり、能面くんと丹波さん、不良同士二人は付き合ってるとか?
 ひと昔前の漫画のように二人が他校の不良たちをばったばったとなぎ倒すシーンを想像してみる。うん、ちょっとかっこいい。
 でも。
 幸せそうにお菓子を頬張る彼を思い出す。平和な方が僕は好きだ。
 丹波さんはそんな彼を知っているのだろうか。もしそうだとしたら。
「羨ましいな、なんて」
 そう思ってしまう僕は、やっぱりどこかおかしいのだろうか。


 翌日の放課後。
「うま! これは店に出せるレベルだわ」
「褒めすぎです先生」
「いやいやマジで」
 約束通り、甘さ控えめスイーツを作った僕を鴪間先生は褒め千切ってくれた。
 よかった。やっぱり鴪間先生はいい人だ。
「あ、丹波さんもよかったら」
「ん、アタシ?」
 教室に残っていた丹波さんにも声をかけると、彼女は目を丸くして自分を指さした。
「うん。その、丹波さんに食べてもらったことまだなかったから、感想聞きたいな~なんて」
 これは半分嘘で半分本当だ。勝手に嫉妬してしまった分の罪滅ぼしだなんて、彼女からしたら想像もつかないだろう。
「あ~」
「やっぱり甘いの苦手?」
 困ったように頬を掻く彼女に少しだけ心が沈む。
 甘さ控えめに作ったつもりだけど、お菓子自体が好きじゃないのかもしれないな……。
「いや、甘い物は大好き。本当はさ、食べてみたかったんだよ、佐東の菓子」
「え、そうなの? 本当に?」
「嘘ついてどうすんだよ」
 苦笑する彼女に、少し好感を持つ。
 それは意外だった。だって彼女はいつも、僕がお菓子配るところを興味なさそうに遠くから見てただけだったから。
「あ、そだ。甘いのも持ってきてるから、よかったらこっちも!」
「あ、おいしそ……」「わ~! おいしそ~!」
「わ、びっくりした」
 お菓子を手渡すより前に、桐谷さんがにゅっと現れる。
「げ。やっぱり来た……」
 小さく呟いた丹波さんの顔が引きつる。
「でもごめんね~。私たち、今からケーキバイキングに行く予定なの! お腹は空かせておかなきゃね!」
「え、そんな予定無……、むぐっ!」
「ほら花音ちゃん! 早く早く! 時間無くなっちゃうよ!」
「わ、わかったってば……。ごめんな、佐東。そういうことだから……」
「あ、うん」
 ばしばしと背中を叩かれながら、丹波さんが僕に謝る。何だかよくわからないけど、僕は呆気にとられながら頷いておく。
「お前ら、遊んでばっかいないで、ちゃんと宿題もしろよ~!」
「先生こそ、浮気ばっかしてると殺されますよ~だ!」
「え、先生浮気してるんですか?」
 桐谷さんの捨て台詞に振り返ると、鴪間先生は嫌な顔をして首を振った。
「してないし、勝手に引くのやめろ!」
「なんだ、冗談か……。びっくりした」
 それにしても、やっぱり僕のお菓子よりお店の方がいいんだよね……。いや、プロと比べるとかおこがまし過ぎるけどさ、うん……。でもさ、ちょっとぐらい食べてくれたって……。
「あ~。勘違いしてるみたいだから言うけどな、あれは嫉妬だ」
「嫉妬?」
 鴪間先生の言葉に首を傾げる。
「桐谷の奴、お前に丹波を取られたくなかったんだろ」
「へぇ。女子って可愛い嫉妬をするんですね」
「う~ん、可愛くはないと思うがな……」
「可愛いもんですよ」
 僕の気持ちに比べたらきっと、ね。
「お前、なんか悩んでる?」
「え?」
「菓子くれた礼だ。相談に乗ってやろうじゃないか」
 ま、教師は生徒の相談に乗るのが仕事だしな、とおどけてみせた先生に、僕は肩の力を抜く。この人になら、聞いてみてもいいのかもしれない。
「……じゃあもし、好きな人に好きな人がいるってわかったら、先生はどうしますか?」
「なんだ、恋バナか。ん~、そりゃ嫉妬するな。けど……、お前それさ、直接言われたやつじゃないだろ?」
「えっと、はい。実は、寝言で女の子の名前を呼んでるのを偶々聞いちゃって……」
「だったら、嫉妬する前にちゃんと本人に確認した方がいいぞ。意外と勘違いだったりするんだよな、そういうのって」
「勘違い、ですか?」
「そうそう。変にヤキモキした分だけ後が惨めだぞ」
「それ、実体験ですか?」
「そうそう……じゃなくて、あ~、とにかく! 能面は女に現を抜かす暇なんかないはずだし……」
「え……? ちょっと先生! どうして僕が能面くんのこと好きだって知ってるんですか!?」
 いきなり出てきたその名に驚き、声が裏返る。だって、僕は誰にも話してないのに!
「はは。そりゃまあ簡単な推理だよ、佐東くん」
「簡潔にお願いします!」
「ちょっとは名探偵を気取らせてくれよ……。まあいいや。俺、実は見てたんだよ。お前と能面が教室で授業サボってるとこ」
「えっ」
「教室に忘れ物取りに行ったんだけどさ、偶々お前の独白を聞いちゃってさ……」
 終わった……。先生にバレちゃうなんて……。これから先、どうすれば……。
「ま、そう深刻な顔をするな。だからさ、何かの間違いだって。能面が丹波を好きだなんてあり得な――」
「ちょっと、その話、詳しく聞かせてくれるかしら?」
「ヒッ」
 突然肩を叩かれた鴪間先生が声を上げる。その背後にいたのは……。
「き、桐谷さん……?!」
「お前、一体いつからそこに……」
 顔を青くした鴪間先生が、桐谷さんに問いかける。僕も、全く彼女の気配に気づかなかった……。
「愛しの義兄様にちょ~っとお小遣いを貰いに来たら、恋バナしてるじゃない? そりゃ聞くでしょ。んで? どこの馬の骨が花音ちゃんを好きだって?」
 なんだか異様に顔が怖い……。
「やべ……」
「あの……、お兄さんっていうのは……?」
「いや、それはその、色々込み入った事情があってだな……」
 だらだらと汗を流す先生の顔が「余計なことを聞くんじゃない」と訴える。でも、気になっちゃったんだから、仕方がないよね……。
「佐東くん、鹿野 仁依って知ってる?」
「え、あの王子様ですよね……?」
 桐谷さんに言われて鹿野王子を思い浮かべる。いつも女子たちからキャーキャー言われている完璧王子様だ。この学校で彼を知らない人はいないと思う。
「そ。そいつ、私のいとこで、鴪間先生の恋人なの。だから私の義兄様同然ってわけ!」
「えっ」
「桐谷、お前な……!」
 さらっと言われた言葉に耳を疑う。そして、先生の顔を見て事実だということを知る。
「んで、私は花音ちゃんのことが好きなの! そういう意味で!」
「えっ」
「お前なぁ……」
 またもさらりと言われた言葉に耳を疑うが、恐らくこれも事実なのだろう。
「というわけで、佐東くんには能面くんをどうにかする義務があるのよ!」
「せめて、その恋を応援するとか言えないのか」
「応援なんて生ぬるいでしょ。その恋、絶対に叶えてもらわないと困るわ」
「ええ……?」
 困ると言われても困る。けど、げんなりしている先生を見て、きっと彼女に逆らうことはできないのだろうと悟る。
「で? 能面くんの寝言が勘違いだっていう根拠は?」
「それは、ええと……」
「簡潔に!」
「あ~、能面は忙しいから、それどころじゃないはずだ」
 桐谷さんにせっつかれた先生が、渋々といった顔で答える。
「忙しい……?」
 喧嘩に明け暮れてる、とか? 夜遊びし放題、とか?
「それだけじゃわかんないわ! もし花音ちゃんが既に能面くんと付き合ってたりしたら、私……」
「優子~! まだ~?」
 桐谷さんが恨めしい表情を浮かべたその時、丹波さんの声が廊下から聞こえてくる。
「ほら、愛しの丹波が呼んでるぞ?」
 これ幸いと先生は、お金を渡し、桐谷さんの背中を押す。
「う~。また明日絶対聞かせてもらうからね!」
 しっかりとお金を握りしめた桐谷さんは、低く唸った後、廊下へぱたぱた走っていった。

「なんか、桐谷さん性格違いません?」
「恋する乙女は猫を被るのが上手いもんだ」
 ぐったりとした表情で答える先生に、何となく二人の関係性を察する。
「あの、僕どうすればいいんでしょう?」
「……三丁目に公園があるの知ってるか?」
「あの小さな公園ですか?」
「そうそれ。今の時間、そこに行けば多分能面に会えるかも」
「え、それってどういう……」
「鴪間先生。ちょっといいですか?」
 どういうことなのか問おうとした途端、先生の背後から声が聞こえる。
「……随分と早いな鹿野」
「あ、鹿野王子……」
 先生の肩に手を置いて微笑んでいたのは、先ほど話題に出ていた鹿野王子だった。近くで見ると、本当に綺麗な顔をしている。
「嫌だなぁ、勉強を教えてくれる約束でしょう? 先生が来ないから僕、てっきり忘れられてるのかと思いましたよ」
「あ~。佐東、悪いが俺はもう駄目だ……。公園に行けばわかると思うから、その……」
「あ、はい。なんか、ごめんなさい! ありがとうございます!」
 桐谷さんのときよりずっと青ざめた先生の顔を見て、さっさと退散した方がいいことを悟る。普段はふわふわしてるって言われるけど、僕だって察しが悪いわけではない。


「さて。着いたはいいけど……」
 先生の犠牲を無駄にしないためにも、さっそく着いたばかりの公園を見渡す。
 小さい公園だというのに、活きの良い子どもが四人走り回ってはしゃぎ転げていた。
 みんな顔が似ているから、兄弟なのだろうか。
 とりあえず、能面くんはいないようなのでベンチに座ってぼーっとする。
『不審者だ』『不審者のお兄ちゃんだ』『近づいたら駄目なんだよ』『怖いねえ』
 丸聞こえのひそひそ話を僕は全力で無視して寝たふりをする。一応僕、高校では可愛い枠で通ってる(能面くん関連以外)超健全男子なんですけど……!
『寝たふりだ』『どうする?』『無視しようよ』『近づいてきたら警察呼ぼう』
 物騒なひそひそ話を終えた子どもたちが、また何事もなかったかのように遊びだす。
 それにしたって、本当に能面くんがこんな公園に現れるのだろうか。それに、行けばわかるって一体どういう……。
『おいチビ共、退けよ! ここは俺らの公園だぞ!』
『はあ? いきなり出てきてなんなの?!』
『うっせえな! この前も言っただろうがよ!』
『この前はお兄ちゃんにビビって逃げてったくせに!』
『うるせえ!』
「なんだ……?」
 言い争う声に目を開ける。
 どうやら、今来たばかりの悪ガキ二人が喧嘩を吹っ掛けたらしい。公園は仲良く使え!
『きゃっ!』
 悪ガキの一人が言い返してきた女の子を突き飛ばす。
「わ、大丈夫?!」
『う、うん……』
 急いで助け起こすと、女の子は僕に戸惑いながらも頷く。どうやらかすり傷のようだ。
『コイツ!』
 四人の中で一番年上らしき男の子が悪ガキに立ち向かう。が、体格が違い過ぎる!
 悪ガキ二人は明らかに小学校高学年。それに対して、四人は恐らく小学校低学年。数で押せるような雰囲気ではない。
『ふん、俺らに逆らう奴は、こうだ……!』
 ニタリと笑った悪ガキが、砂場に置いてあったバケツを手に取り振りかぶる。その中には水がたっぷりと入っていて……。
「やめなさ~い!」
『うわっ!』
 ばしゃり。慌てて間に入った僕は、真正面から水を被る。
「うう、冷た……」
『不審者のお兄ちゃん?!』
『なんだよお前!』
 その場にいたキッズ全員が僕を見て目を丸くする。
「こんなことしちゃ駄目でしょ! みんなで仲良く遊ばなきゃ」
『ふん! なよっちい癖に、出しゃばってくんな!』
「わ、痛ッ、やめ」
 悪ガキが怯んだのも束の間、僕を見てすぐに意地悪な顔に戻ってバケツで殴りだす。
『やれやれ~!』『あはは~!』
「ちょ。待ってって。地味に痛いって!」
 ああ、情けない。小学生に舐められるなんて。こんなことなら、鍛えておくんだった! せめて『なよっちい』なんて言われないぐらいに……!
「おい。何をしている」
『へ……?』
 ふいに悪ガキの手が止まる。あれ、この声、もしかして……。
「え? 能面くん……?」
 殴られるがままに蹲っていた僕は顔を上げ、その不良面を見る。間違えようがない。この怖い顔は、能面くんその人だ。
「何をしてるんだって、聞いてるんだが?」
『ヒッ、な、何でもないです~!』『あ、待てよ~!』
 やっぱり能面くんはすごいな。睨みを利かせただけで悪ガキが逃げてゆく……。
「おい。大丈夫か、佐東」
「あ、能面くん、僕の名前、憶えてるんだ……」
「クラスメイトなんだから、当たり前だろ」
 嬉しい。てっきり僕は顔すら覚えて貰えていないと思っていた。
『うう、お兄ちゃ~ん! 怖かったよお~!』
「え、お兄ちゃん?」
 泣きべそを掻きながら能面くんに抱き着く女の子を見て、つい聞き返す。
「こいつら、俺の兄弟なんだよ。ちなみに小学校一年生組は三つ子」
『そう!』『ね』『うん』
 肩を抱かれた三つ子は、同時に言葉を発する。
 知らなかった。能面くんにこんな年の離れた兄弟がいたとは。
「そうなんだ……。五人兄弟なんて、今時珍しいね」
『五人じゃ、らいよ~』
「え?」
 舌ったらずな声に振り向くと、小さな女の子がいた。
『その子が一番下の子なの!』『かぐ兄が迎えに行って』『いつもこの公園でボクたちと待ち合わせしてんの』『みんなでちょっと遊んでから帰るの!』
『他にも後四人いるからね』『十人兄弟だぜ!』
「多っ」
『あはは。みんなそう言う~』『かぐ兄は一番上なんだよ~』
 かぐ兄というのは恐らく、能面くんのことだろう。しかし、十人は多すぎる。鴪間先生が言ってたのはこのことなのだろう。
 大家族の長男なんて、子守りで忙しいに決まってる。
「っくしゅ」
「おい、佐東。ウチに寄っていけ。そのままじゃ風邪ひくぞ」
「え、でも」
「いいから」
 くしゃみをした僕を気遣って、能面くんが強引に腕を引く。勿論僕は遠慮したのだが、四兄弟の後押しもあり、流されるままに能面家へとお邪魔することになったのだった。


「悪い。やっぱ俺の服じゃデカかったな」
「うう……」
 能面くんのTシャツを着た僕はうめき声をあげる。風呂を借りた後服も借りたのだが、能面くんの服は予想以上にぶっかぶかだった。
「弟のでいいか? これはまだ買ってきたばっかだから汚くないぞ?」
「いや、悪いよ」
「弟にはまた新しいの買ってやるから気にすんな。それより、ちゃんと髪拭け。風邪ひく」
「んわ」
 新品のシャツを受け取ったところで、能面くんが僕の髪をわしゃわしゃ拭き始める。その手慣れた感じが面倒見の良さを物語っていた。
「あ、悪い。つい癖で」
「いや……。まさか、能面くんがこんなに『お兄ちゃん』してるとは……」
『かぐ兄、顔が怖いからね、皆から誤解されてるの』『本当は優しいのにね』
『かぐ兄ね、偉いんだよ? ママの代わりにお家のこと全部してるし、私たちともいっぱい遊んでくれるの』『朝もみんなのお弁当と朝ごはん用意して下の子を保育園まで送ってくれるんだ。そのせいでかぐ兄は学校遅刻しちゃうのに』
『それに、アルバイトも……むぐっ』
「アルバイト?」
「いや、あ~、アルファベットの勉強も最近教えてやってるんだよな!」
『ただいま~。かぐ兄、今日バイトでしょ? 後やっとくから行ってき……もがっ!』
「あ、やっぱバイトまでしてるんだ」
 帰ってきたばかりの中学生の口を押えた能面くんを見て確信する。
「頼む、佐東! このことはどうか内密に!」
 ああ、そういえばウチの高校はバイト禁止なんだっけ。
「言わないよ。苦労してるんだね、能面くん」
「や、俺よりおふくろの方がずっと苦労してるよ。ウチ、片親でさ。おふくろ、一人で働いてんだよ。だから、俺がちゃんとしなきゃで……」
『に~ちゃん、お腹空いた』
 能面くんが俯いたところで、一番ちっちゃい子が彼の足元に縋りつく。
「馬鹿、飯まで我慢しろ。佐東、うるさくて悪いな。それに、何のもてなしもできなくて……」
「あ、そうだ。よかったらこれ」
『わあ! お菓子!』『わ、いいな!』『僕も僕も!』
「こら!」
「あ、あげちゃ駄目だった?」
 能面くんを励ましたい気持ちと子どもたちに喜んでもらいたい一心で考えもなく取り出したお菓子の包みは、瞬く間に子どもたちの手に渡る。
「そうじゃなくて……。こんな上等なモン、こんなに貰っていいのかよ」
「上等ってほどじゃないし、みんなに配り切れなかった余りだから」
『イェ~イ、貰いっ!』『わたしも!』『ボクのは?!』
「あ、取り合っちゃ駄目。ちゃんと十一個あるから。中身も全部一緒だから、ちゃんと分けっこね?」
『焦って損した~!』『よかった~』『みんな帰ってきたら驚くかな』『喜ぶかな』
「てことで、これは能面くん……えっと、神楽くんの分ね」
「お、おう」
 能面くん、と言ったところでちびっこたちが振り向いたもんだから、咄嗟に名前呼びに変えたけど……。照れた顔でぶっきらぼうな返事をもらってしまってはこちらも何だかむず痒い。
「あ、あと一個はお母さんの分ね。甘いの好きだといいけど」
「おふくろの分まで? ありがとう。あの人も甘いの好きだから絶対喜ぶよ」
「よかった」
「は~。ただでさえお前にはいつも菓子貰ってるのに、今日で一気に恩が増えたな……」
「ごめん、別に恩を着せるつもりじゃ……」
「何かして欲しいことがあったら言ってくれ。佐東の言うことなら何でも聞く」
「いや、えっと……。それは……」
「といっても、俺がお前にあげられるモンなんかないから困るだろうけど……」
「あ。いや、えっと。それじゃあ、さ……」


 翌日の昼休み。中庭の大きな樹の下。
「あ。やっぱココ、痣になってる」
「あ、あは。結構バケツでガンガン叩かれたかんね」
「佐東、やり返さなかったわけ?」
「いやだって、高校生が小学生相手に手ェあげたら、ねえ?」
「正当防衛だろ? でも……、優しい佐東らしいな。ごめんな……?」
「い、いや。大丈夫だし……。それより、妹ちゃんは大丈夫だった?」
「ああ。菜々はお前みたいな痣にはなってない。本当にかすり傷で済んだみたいだ。心配してもらって悪いな……」
 申し訳なさそうな顔した神楽くんが、僕の痣を優しく撫でる。それが何だか、すごくこそばゆくて……。
「でも、一緒に弁当が食べたいなんて、どういうつもりだ?」
「いや、実はちょっと聞きたいことがあったりして……」
「俺に聞きたいこと?」
 米を頬張った神楽くんが首を傾げる。
 うっ、可愛い。いっぱい食べる君が好き! 手作り弁当なんてギャップ萌え! 栄養面が考えられた色とりどりのおかずで偉い!
 ……じゃなくて。
 何でも願いを聞いてくれるという神楽くんの申し出のお陰で、僕はあの件を聞くチャンスを掴んだ。
 桐谷さんには朝イチで問い詰められ、事実確認を急かされた。正直、顔が怖かった。
 でも、僕だって早く聞いた方がいいことはわかってる。よし、言うぞ。言うぞ……!
「あの、さ……」
「うん」
「え~~~っと。その、か……」
「か?」
「か、辛い物よりも甘い物が好きだったりするのかな、神楽くんは!」
 ああ~! 駄目だ! 僕の意気地なし!
「え……。まあ、辛いのも好きだけど……。甘い物、も、その、まあ……」
「あの、ほら、でもさ、お菓子あげても、あんま喜んでくれないし、こっそり食べてるから、なんでかなって……」
 互いにしどろもどろになりながら、目を泳がせる。
 ああ、何やってるんだ僕は……!
「それは、まあ、さ。弟たちにバレたら喧嘩になるから、学校で食べるしかないんだけど、俺、甘い物好きとかキャラじゃないし……。みんなに見られるのが何となく怖くて……。それに、嬉しそうにしたらお前また持ってきそうだし……」
「エッ、持ってきちゃ駄目なの?!」
「いや、駄目とかじゃなくて。その、お前に悪いだろ。材料費だって馬鹿になんないし。俺、碌に礼もできないし。勿体無いだろ?」
「勿体なくなんかないッ!」
「うお」
 勢い余って神楽くんの両肩を掴んだ僕に、彼は退け反って距離を取る。
「僕は! 神楽くんがお菓子食べて幸せそうにしてるとこ、見るのが好きなの!」
「は……?」
「僕、最近は神楽くんに喜んで欲しくて一生懸命お菓子を作ってる節があって! つまり、お礼ならもう貰ってるし、その……」
 あれ、僕、どさくさに紛れてとんでもないカミングアウトしてない……?
「ま、待て……。お前、いつ俺が菓子食ってるとこ見て……」
「あ、はは……。その……、えっと……。こそこそと、見てました……。ごめん……」
 死にたい!
「し、死にたい……。お前、菓子食ってニヤけてる俺を見て、笑ってたってことか……?」
「なんでそうなるの! 僕は、神楽くんの幸せそうな顔、可愛くて好きだって言ってるの!」
「すっ……?! わ、悪かったな、女々しくて!」
「だから、僕は本当に神楽くんのことが好きなんだってば!」
「え?」
「へ?」
 僕、もしかして今、告白してない……?
「好きって、どういう……」
「あえ、その……。決してやまし~意味ではなく、その、神楽くんの幸せそうな顔にドキドキするというか……。お菓子食べてる姿に興奮を覚えるというか……」
「は?」
「ごめん、やっぱやましいかも」
「…………変な奴」
「し、死にたい……」
「……佐東の菓子が食べれなくなるのは、困るな」
 そっぽを向きながら、ぼそりと呟かれた言葉に、僕はさっそく死にかける。
「あの、さ……。実は、さ。神楽くんを見てると、初恋の人を思い出すんだよね……」
「初恋?」
「うん。こんなこと言われてもって感じだろうけどさ……。俺がまだ小さい頃、よく一緒に遊んでた子がいてさ――」


 その子と僕は家が隣同士で、とても仲が良くて。毎日のように一緒におやつを食べた。毎日のように彼がおやつを頬張る顔を見て、ドキドキしていた。僕は、天使のように可愛い彼が大好きで。大人になるまでずっと隣でその顔を見ていたいと思っていた。
 だけど。ある日突然、彼は引っ越すことになってしまった。
『ごめん、俺ん家、ビンボーだから、もうここ住めないみたい……』
 困ったように笑う彼を見て、僕は何と言っただろうか。
 もう覚えてない。けど、「どうして」とか「ずっと一緒にいるって約束したのに」とか「裏切り者」とか、彼を傷つけるような言葉を吐いた気がする。
 それに対して、彼はやはり困ったように笑いながら、首を振った。
 僕は家に帰って泣いた。だって、僕はまだ彼にお菓子を作れていなかったから。練習はしていた。けど、彼に渡せるほどの綺麗で美味しいお菓子を作れていなかったから。
 お別れなんて絶対に言いたくなかった。彼と離れ離れになるなんて、耐えられなかった。
『翠、かーくん行っちゃうってよ?』
「知らない!」
 お別れの言葉を口にしたら、二度と彼に会えない気がして。お菓子を作る意味を失ってしまうような気がして。
 そうして弱虫だった幼い僕は、不完全燃焼の初恋を拗らせた。
 いつかもう一度彼、もしくは彼のように僕を満たしてくれる人が現れたときのために、最高のお菓子を作る修行を重ねた。
 そうして出会ったのが、神楽くんだった。


「あのさ、佐東、それってさ――」
「能面! 大変だ!」
「鴪間先生……?」
 神楽くんが何か言いかけたところで、鴪間先生が中庭に上履きのまま駆け込んでくる。
「お前の妹が、変な男に、連れ去られたらしいんだよ!」
「は?」「えっ」
 息を切らした先生の言葉に、神楽くんが血相を変える。
「菜々ちゃん? が、男に引っ張られて行くのを、能面の弟たちが見ていたらしい……! 今、学校に、弟くんから電話があって……!」
「ッ」
 菜々ちゃんというのは恐らく、この前突き飛ばされてた女の子のことだろう。
「他の兄弟には家で待機するよう伝えてある。警察にも連絡した。俺も他の先生たちに話し通した後、探すの手伝うから……」
「神楽くん、僕も手伝うよ!」
「頼む」
「お前ら、大人しくしてろって言っても無駄なんだろ? くれぐれも無茶はするな。見つけても勝手な行動はせず、まずは俺か警察に連絡しろ」
「「わかりました」」
 二人揃って返事をした後、頷き合い、二手に分かれる。
 菜々ちゃんの泣き顔が思い浮かび、首を振る。早く見つけてあげよう。そして、おいしいお菓子をいっぱい食べて、たくさん笑ってもらわなきゃ。


『嫌! 放して!』
「菜々ちゃん!?」
 適当に走っていたところで、聞き覚えのある声がして足を止める。
『こら、暴れるなって、だから、オレは――』
 声のする方へ道を曲がると、怪しい男が菜々ちゃんの手を引っ張っていた。
「おい! その子を放せ!」
『え? うわ、痛っ! ちょ、やめ』
 考えている暇なんてなかった。僕は菜々ちゃんを掴むその手に思い切り噛みつき、男が怯んだ隙に菜々ちゃんを遠ざけ、男の体に全力タックルをかます。
『ぐえ!』
『いけ~! 佐東お兄ちゃんやっちゃえ~!』
 菜々ちゃんの応援を受けて、倒れ込んだ男に跨り、その胸倉を掴む。
『あ、やっぱり! ちょっと、翠君ッ、マジで痛いからやめて! 暴力反対!』
 追って顔面をボコボコにしようとしたところで、両肩に手を置かれて勢いよく引き剥がされる。
「は? 何で僕の名前知ってるの?!」
『いや、だからね、多分勘違いしてるんだろうけどね――』
「おい! 佐東を放せ!」
「神楽くん!」『お兄ちゃん!』
 鋭い叫び声と共に、神楽くんがグッドタイミングで駆けつける。
『あ、いや、だから――』
「黙れ、この変態……! って……。あ」
 割って入り、僕を背に庇った神楽くんが、男の顔を見て動きを止める。
「神楽くん……?」『お兄ちゃん?』
『よう、神楽君。見ないうちに逞しくなったな』
「……親父、何やってんだよアンタ」
「え?」『えっ?』
 親父って……。この不審者が……?!


「本当にご迷惑をおかけしました!」
「いや、えっと。俺も警察呼んじゃって……、逆に悪かったよな……」
 全力で頭を下げた神楽くんに、鴪間先生がたじろぐ。
「先生は何も悪くありません! 悪いのはクソ親父一択ですから! おい、ちゃんと頭下げろよ!」
『神楽君は相変わらず厳しいな~』
「あ、はは。じゃあ俺は学校に戻って説明しとくわ」
 何だかややこしそうな事情を前に、鴪間先生は退散する。
「佐東も悪かったな」
「それはいいんだけどさ……。本当にお父さん、なんだよね?」
「あ~、アイツが俺らの前に現れるの、四年ぶりなんだよ。小学校低学年組には親父の記憶がなくて当たり前っていうか……」
「なるほど」
 だから、弟くんたちは妹ちゃんが『不審者』に連れていかれたと思ったのか。
「てか、親父もなんで菜々だけ連れてくんだよ」
『だって、菜々ちゃんはオレによく懐いてくれてたから、まずは菜々ちゃんを味方にしようかなって……』
『菜々、こんなオジサンに懐いてないもん』
『そ、そんな~。オジサンじゃなくてパパだってば! ね、そうだよね神楽君』
「や、厳密に言うと、俺だけはアンタの子どもじゃないし」
 さらりと告げられた衝撃の事実に、何だか僕は勝手にドギマギしてしまう。そういえば、神楽くんだけは他の兄弟とあまり似てなかったもんな。特に鋭い目つきが……。
『そんなことない! 血が繋がってなくとも、オレたちは親子だって言ったでしょ~! ほら、仲直りのハグしよハグ!』
「気持ち悪いしお断りだよ!」
『え~? でも、ほら神楽君には外国の血も流れてる訳だし!』
 そう言いつつ、不審者改め二代目パパさんが、神楽くんの髪を指す。
「えっ。もしかしてあの髪、地毛なの……?」
『かぐ兄に髪染めるお金があるわけないじゃん!』
 菜々ちゃんの言葉に複雑な思いを抱きつつ、不良という認識を改める。
 もしかして、僕を含めた学校のみんなは、神楽くんをめちゃくちゃ誤解してたんじゃないだろうか……。
「そういうとこも気持ち悪い。ハーフだからハグオッケーな訳ないだろ。偏見やめろ。そもそも、父さんが死んだ後に母さんを誑かしてアホほど子ども作った挙句、定職にも就かず、賭け事だの女だのに溺れたクソゴミ男をどうして俺が許すと?」
『うう……。悪かったよ……。オレ、若かったんだよ……。でもね、オレに文句も言わず、一人で頑張るママを見て、オレも真っ当になろうって思って……』
 しょぼくれかえったパパさんが名刺を取り出し、神楽くんに渡す。
「何? 法律事務所……? は? 弁護士? アンタが?」
 渋々名刺を受け取った神楽くんが、訝しがりつつ目を丸くする。
『元々さ、オレ、弁護士目指してたんだけど、何度も試験落ちて、心折れちゃって……。自暴自棄になってさ……。いつも支えてくれてたママに八つ当たりして、ママに愛想つかされて、別れちゃったわけなんだけど……』
「おふくろ、酒飲んだ親父に殴られそうになったから、逆にボコボコにし返して追い出してやったって言ってたけど」
『うぐ……。まあ、そういうわけで、一人で頑張るママを見て、これじゃあいけないと思って。そっからもう一度やり直したくて……。必死にバイトしながら勉強して……。ようやく司法試験に合格してさ……。その後も諸々頑張って、ようやく法律事務所で働けるようになったわけで。オレ、これから頑張るから、だからさ、もう一度……』
「そういうことは母さんに言え、馬鹿親父」
『ううっ、ごめん。迷惑かけたよな、神楽……』
「いい大人が泣くな! いいから、アンタは一生かけておふくろを大事にしろ!」
『うん。うん……!』
 泣きじゃくるパパさんに、神楽くんがハンカチを差し出す。
「なんか、僕まで泣けてきた……」
『佐東お兄ちゃん、お人好しねえ』
『あっ、翠君も、ありがとね! ずっと神楽と友達でいてくれたんだね! おじさん、嬉しいよ!』
 呆れる菜々ちゃんの言葉を聞いて、パパさんがこちらを向く。けど、翠君って……。
「あの……。さっきも思ったんですけど、どうして僕の名前を……? それに、ずっと友達って……」
『あれ、もしかして翠君、覚えてないの?』
 僕の言葉に、パパさんが大げさに驚いてみせる。それを見て、隣にいる神楽くんが苦い顔をする。
「……俺もついさっき思い出したんだけどさ、佐東と俺、小さい頃によく遊んでたんだよ」
「へ?」
 小さい頃に、遊んでた……?
『あの頃はまだ前の旦那さんの建てた立派な家に住めてたからなぁ……。丁度隣同士だったんだよね、佐東さんの家とは』
「え、隣って、まさか……」
「うん。その、さっき佐東も言ってた……」
「は、初恋の子ォ?!」
 衝撃の事実に言葉が裏返り、菜々ちゃんに怪訝な顔をされる。
『へ~。やっぱり翠君、神楽に恋しちゃってたか。ま、しょうがないよ。小さい頃の神楽、女の子みたいに可愛かったから』
「……えっ」
『あ、オレ写真持ってるよ? ほら』
『わ~。ホントにコレかぐ兄? かわい~!』
 パパさんが財布から取り出して見せた写真に、菜々ちゃんがきゃっきゃと喜ぶ。
 確かに可愛い。待って、そういえば初恋の子もハーフだった。この写真の子みたいに金髪の長い髪の毛で。中性的な顔立ちで、天使みたいに可愛くって……。
「あ。僕の初恋の子、この子だ……」
 僕の呟きに、神楽くんが頬を赤く染める。
「なんでンなもん持ってんだよ」
『そりゃあ、初めての子どもだもん。大事にするよ』
「……よく言う」
『ああ、神楽! もう離さない! これからはパパがみんなを一生大事にするからねッ!』
「だから! アンタはさっさとおふくろンとこに行けって!」
『うう、これが反抗期……!』
『うわ~。菜々、あれがパパとか嫌なんだけど』
 辛辣な菜々ちゃんの言葉に、パパさんの肩ががっくりと下がる。
『菜々ちゃん、ママに似てきてない……? てか、やっぱ絶対ママも塩対応じゃん……。どうしよ、パパ、怖くなってきた……』
『……ウザ。もう何でもいいからさっさとウチに帰るよ。みんな心配してるだろうし。オジサン、ちゃんとみんなに謝罪してよね?』
『うう……。菜々ちゃん、パパの背中を押してくれるなんて、やっぱり優しい!』
『あ~。もういいよ、そういうことで。じゃ、佐東お兄ちゃん、邪魔者は私が連れて帰るから。ファイト!』
「あっ。うん」
 菜々ちゃんが含みのあるウインクを寄越し、パパさんをしょっ引いていく。……小学生に気を使われてしまうなんて。ある意味、舐められるより辛いものがあるな……。
「悪かったな。その、色々勘違いさせちまって」
「……ううん。えと、僕が勝手に勘違いしたんだし」
「ホントごめんな。俺ももっと早くに気づけばよかった。佐東の作った菓子、懐かしい気がしてたんだ」
 ああ、僕の作ってるお菓子、今はまだ父さんに教えて貰ったレシピをアレンジしてるだけだもんな……。味が似てて当然だ。
「でも、僕さ。神楽くんには感謝してるんだ。僕はね、パパよりも美味しいお菓子を作って君に食べてもらいたかったんだ。君を喜ばせたかった。君の喜ぶ顔が見たかった。だから、ずっとお菓子作りを頑張ってこれたんだ」
「でも俺は……。見ての通り、昔みたいに可愛くない」
 神楽くんの表情が翳るのを見て、僕は慌てて首を振る。
「関係ないよ! 僕は今でも神楽くんにドキドキしてる! むしろ、神楽くんにしかドキドキしないよ!」
「それは、ヤバイな……」
「あ、あは……。気持ち悪くて、ごめんね……? でも、その、僕は、今の神楽くんも、充分可愛く思えるというか……」
「……俺は、お前の方がよっぽど可愛いと思うけど」
「えっ?」
「あ、いや。今のは一般論というか……。その、俺はまだお前をそういう風には見れないけど……。別に、お前の気持ちは、嫌じゃないというか……」
 しどろもどろに言い訳をする神楽くんはやっぱり可愛い。そして、意外と押せばいけそうだな、とも思ってしまう。
「僕はこれからも君に喜んでもらうためにお菓子を作る。それで、君にたくさん食べてもらいたい。駄目、かな?」
「いや、俺は駄目じゃない、けどさ……。えと、なんていうか、俺にそんな価値ないし、そもそも、俺は何のお礼もできないし……」
「じゃあさ、僕のお願い、聞いてくれる?」
「ん?」
 食い気味にお礼をお願いに繋げた僕に、神楽くんが不思議そうな顔をする。でも、もう僕はチャンスを逃さない! 今度こそ、真実を暴いてみせる!
「丹波さんとのこと、教えて欲しい」
「え、どうしてバレて……」
 厳かに、勇気を振り絞って告げたその名に、神楽くんが動揺をみせる。やっぱり、勘違いなんかじゃないんだ……。
「……寝言で、言ってたよ」
「う……」
「好きなの?」
「わ、悪いかよ……」
「悪くない、けどさ……。流石に堪える」
「堪える? お前は嫌いなのか?」
「嫌いっていうか、嫉妬しちゃうっていうか……」
「嫉妬……? って、あ。ごめん電話だ」
『ちょっと能面~、まさか今日は来れない感じ?』
「いや、行くよ。だって今日は大事な日だし」
『だよな。待ってるから』
「うん」
「……丹波さんから?」
 スマホから聞こえた声はどう考えても丹波さんのものだ。わかってて敢えて聞いてしまう僕は、実は結構性格がよろしくないのかもしれない。
「ああ。……丁度いいや。佐東、ちょっとお前も来い」
「え?」


「あ、能面遅いぞ! もう新しい飼い主、来ちゃってる!」
「……間に合ってよかった」
「猫カフェ?」
 神楽くんに連れてこられた先は、ファンシーな猫カフェだった。
「なんだ。佐東も連れてきたのか?」
「うっ。ごめん……。その、大事な日? なのに」
 丹波さんの言葉に、僕は頬を掻きながら控えめに謝る。『大事な日』というのは、やっぱり『付き合って一か月記念』とかいう甘い記念日のことなのだろうか……。うっ、考えただけでジェラジェラだ……。
「ああ、いや、そういう意味じゃなくて。能面がクラスメイトに猫好きカミングアウトするなんて、意外だったからさ」
「え。神楽くん、猫好きなの……?」
「あ、悪い。もしかして言うつもりじゃなかったか?」
 丹波さんが神楽くんに申し訳なさそうに視線を送る。
「いや。言うつもりだったから問題ない。佐東、勘違いしてそうだったから。見てもらうのが早いと思って」
 勘違い?
『あ、いらっしゃい能面君。待ってたわ! カノンちゃん、間に合ってよかったわね!』
『にゃ~』
 店に入ると、若いお姉さんが猫を抱いて僕らを出迎えてくれた。このカフェのオーナーなのだろう。それにしても、間に合ってよかったって。この猫カフェでサプライズイベントでもあるのだろうか。告白大会的な……? もう、わからない……。
「カノン、よかったな。新しい家でも幸せに暮らすんだぞ」
『にゃ~』
 頭を抱えた僕をよそに、神楽くんが猫を撫で、聞いたことない優しい声音で語り掛ける。
「え……。カノンって、まさか……」
 ばっちりと猫に向かってカノンと呼んでいたことに気づき、僕はここに来て初めて、自分が勘違いをしている可能性に気づく。
「ああ、なるほど。そういう勘違いしてたわけだ。全く、店長が紛らわしい名前つけるからじゃん」
『え~。だって、花音ちゃんが拾ってきたんだから、仮の名前はカノンでいいかなって思ったんだもん。ね~?』
『にゃ~?』
 丹波さんの言葉に店長さんが答え、猫が答える。
「ああ……」
 やっぱりそうだ……。この雰囲気……。僕が間違ってたやつだ……。は、恥ずかしすぎる……。
「俺、猫好きでさ。疲れたときは兄弟にも内緒でココに来てるんだ」
「んで、アタシもココの常連で。能面とは秘密の猫友ってわけ」
「お互い不良で通ってるからな。猫好きとか、カッコ悪いだろ?」
 カッコ悪いかは置いといて、二人がそういう関係じゃなかったことに安堵する。
「よ、かった……。僕は、てっきり……」

「なるほど。花音ちゃんが猫カフェに通ってることは知ってたけど、まさかそういうことだったとはね」
「げっ。なんで優子がここに?!」
 ニコニコと微笑みながら店の奥から登場した桐谷さんに、丹波さんが悲鳴のような声を上げる。
「私なりに聞き込み調査をしてたところなのよ。行きつけのお店なら、店長さんも花音ちゃんのことを何か知ってるんじゃないかと思って」
『とりあえず、本人に聞いてもらうのが早いと思って、待っててもらったところなのよ。それで、誤解は解けたかしら?』
「はい。付き合ってる様子はなくて、安心しました」
『それはよかったわ』
「でも、コソコソしてたのはいただけないな~」
「ご、ごめんって。でも、猫好きとか、恥ずかしくって……」
「花音ちゃんさ~、私に隠し事はもうやめてね?」
「ど、努力します……」
 青い顔をした丹波さんが小さい声で答える。もしかしなくても、丹波さんも桐谷さんのヤバさに気づいてきたのかもしれない。


「なにはともあれ、カノンの飼い主が見つかってよかったよ。何だかんだ親父も戻ってくるみたいだし。色々上手くいきすぎて怖いわ」
 カノンちゃんとお別れした後の帰り道、大きく伸びをした神楽くんが嬉しそうに呟く。
「ねえ、僕さ、お祝いのケーキ作っていい? とびきり美味しいのいっぱい作るからさ」
「いや、そんなの悪いって」
「悪くない! 僕の気持ちだし!」
「でも、材料費が……」
「じゃあさ、またお願い聞いてよ」
「まだ何かあるのか?」
「あのさ、神楽くん、昔みたいに僕の前では素直でいてよ。遠慮なんてやめてさ、お菓子いっぱい食べてよ」
「それがお前の願い?」
「言ったでしょ? 僕は君が食べてるところを見るのが好きなんだって」
「……ふふ。やっぱり翠は変わってるよ」
「!」
 そういえば、昔は名前で呼ばれてたんだっけ。なんだか、くすぐったくて変な気持ち。
「変わってる僕は、やっぱり気持ち悪い?」
「気持ち悪くないから困ってる」
「じゃあ好き?」
「お、前の好きとは違うって言ってるだろ……? てか、そういうの聞くのズルい」
「神楽くんの方がよっぽどズルいけどね。まあいいよ。僕は僕なりに頑張ってやるからね」
「頑張るって?」
「僕の考えた最強のお菓子で、絶対に神楽くんの胃袋を掴んでやるんだよ!」
「ふは。やっぱ可愛いのは翠の方だろ」
「ハァ~?! お菓子食べてる神楽くんの方が百万倍可愛いし!」
「そうやってキレてるつもりの翠の方が一億万倍可愛いけどな」
「あ~、もう! 絶対に神楽くんをお菓子で屈服させてやる!」
「ふ、菓子で、屈服……! はは、やれるもんならやってみろ、くくく……」
 ツボに入ったのか、ついに腹を抱えて笑い出した神楽くんを見て、僕は心に誓う。
 絶対の絶対に、すっごい神楽くん好みのお菓子を作ってやる!
「笑ってられるのも、今の内なんだからねッ!」
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