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ラスト
しおりを挟むレイチェルは息を呑んだ。
好きになった人が、元婚約者だった。
世界にこんな偶然があるだろうか。
彼と一緒にいられる未来があったことに、胸が高鳴ったが、一瞬でその気持ちは降下した。
もう婚約は解消してしまった。
頭の中が混乱する。
「ま、まぁ、キリアン様でしたか。久方ぶりにお会いしましたね」
なんとか平静を装って挨拶をしたが、心臓は激しく跳ねていた。
彼がレイチェルを睨んだ。
「そんな悠長な挨拶してる場合じゃないよ!どうしてもっと早く名乗ってくれなかったんだ」
顔を真っ赤にしてキリアンが声を荒げた。
あの穏やかだった彼が、別人のようだった。
何に怒っているのかわからず、レイチェルは困惑した。
とりあえず落ち着かせようと、彼を宥めるように語りかけた。
「そんな、ハンカチを拾ったくらいでわざわざ名乗ったりしませんよ」
「それでも、君が名乗ってくれさえすれば、婚約解消にはならなかった」
君のせいだ、と言われレイチェルは面食らった。
「わ、私のせいですか?」
「そうだよ!そしたら僕は解消を望んだりしなかった!」
大きな声で喚く彼は、駄々をこねる子供のように見えた。
レイチェルは唖然とした。
「そんなこと言われても、ハンカチを拾った程度で名乗るだなんて、恩着せがましくないですか?」
お礼しろと言わんばかりに聞こえるし、言い寄っていると感じる人もいるかもしれない。レイチェルは、そんなふうに取られたくないから絶対に名乗りたくない。
「た、確かに、そうかもしれないが…それでも君が動いてくれたなら、こんな結果にはならなかった」
理解を示したようにしたけれど、彼の主張は変わらなかった。どこまでもレイチェルのせいにしたいようだ。レイチェルは、少しムッとした。
「それいうなら、あなたが名乗っても良かったのでは?」
「男から名乗ったら、ナンパな男だと思われてしまうじゃないか!」
「それは、女性も同じだと思いますけれど…」
レイチェルは顔をしかめた。
先ほどからキリアンの主張は支離滅裂で、会話にならない。話しながらつま先を小刻みに動かしていたりと、落ち着きもない。
酷く幼稚な男性に見えてきた。こんな人だっただろうか。図書館でのやりとりが幻のように感じた。今まで浮ついていた気持ちにすっと水を差された気分になった。
「そもそも、婚約者として少しでも交流を持っていたら、婚約解消はなかったと思いますよ」
レイチェルが指摘するとキリアンは渋面をした。
「君だって交流を持とうとしなかったじゃないか!?」
きつく睨まれ、吠えられた。いちいち大きな声を出さないと話せないようだ。レイチェルはキリアンの言葉に小さく頷いた。
「ええ。そうですよ。婚約してようがしてまいが、どちらでもかまいませんもの」
「え…」
怒っていたキリアンは、今度は口をあんぐり開け間抜けな顔をした。
怒ったり呆けたり、なんだか忙しない人だな、と思いながらレイチェルは続けた。
「お祖父様同士の約束ですし、経済的な提携もない。もっと早くに解消しておけば良かったと思うくらいです。わたし、婚約解消になって、何だか体も心も軽くなったようで快適に過ごしてるんです。だから、婚約解消に後悔も未練もないので、あなたがなぜそんなに怒っているのか、わからないんですが…好きな方と結婚するのですよね?良かったのではないですか?」
安心させようとレイチェルは朗らかに笑った。
一方、キリアンは顔を青くするばかりだ。
「そんな…き、君は…」
キリアンは、まだ何か言おうとしていた。
青ざめた顔で、縋るようにレイチェルに手を伸ばした。
レイチェルは、手が届かぬようにすすっと距離を取った。
あの日会ったキリアンは穏やかで優しそうだったが、今のキリアンは落ち着きがなく粗野で、発言も短絡的だ。
レイチェルは面倒になった。
キリアンは不満があるようだが、どうあったってこの婚約が覆ることはない。
もう解消してしまったのだから。
レイチェルは遮るように手を叩いた。
「ま、もう過ぎてしまったことはどうしようもないことですし、その話はこの辺でおしまいにして、せっかくの夜会を楽しみましょう」
「ちょ、待ってくれ、ぼくは」
「良いご縁がありますことを、お祈りしております」
まだ引き留めようとするキリアンを無視して、出来るだけ人が集まっているところへ向かい人混みに紛れた。
その後、レイチェルはキリアンに注意をはらいながら、馬車に飛び乗り帰ってきた。
次の日、案の定キリアンが屋敷にやってきた。
レイチェルは面会を希望された。
レイチェルはキリアンと話すことは何もない。面会を拒否して、キリアンを追い返した。
キリアンは納得していない様子だったが、全てが今更だ。
レイチェルに、次の婚約の話が出ている。
今度のお相手は、キリアンに比べ容姿はそれほど良くない。しかし、愛嬌のある顔をしており、物腰が柔らかく話しやすい。
共通の趣味もある。
レイチェルは、この婚約に前向きだ。
彼のことは、時々思い出す。
図書館で会った時のあの穏やかな笑顔。優しい瞳。
もしかしたら、彼が運命の人だったのかもしれない。
でも、運命だけでは幸せにはなれないことをレイチェルは知った。
大切なのは、お互いを知ろうと努力すること。
見た目で判断をせず、本質を見極めること。
今度はしっかりと交流しよう。
レイチェルは、そう心に決めた。
【おわり】
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