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第一章

敵を知るためにには己を知ることです

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「お嬢様は殿下との未来が断罪ではないとなったら、婚約されますか?」

 リーナは何を言うのでしょう。
 断罪になると言ったのはリーナで、、頑張っているところなのに。

 リーナの言うように、未来が違ったとしても、私の意思は変わらない。

「いいえ、破棄となるようにするわ」
「何故ですか?」
「私のこの容姿では殿下の隣には相応しくないし、何よりサーシャこそがハウス家自慢の娘よ」

 リーナからの話がなかったとしても、社交界に顔も出さない私が、どうしたら殿下の横に並べるのでしょう。

「お嬢様は自己評価が低すぎます。殿下を知る前に、ご自身の評価を知るべきです」
「そう言ってくれるのは有り難いけれど、評価されるにも値しないわ」

 サーシャは公爵令嬢の名に恥じぬ様に振る舞い、その容姿だけではなく全てにおいて定評がある。
 それがどれだけのプレッシャーなのか、分からぬほど能天気に生きてはいない。
 それでも私のこの容姿では、ハウス家の名に傷を付けてしまうことも分かっている。

 お父様だけではなく、今まで代々続いたハウス公爵の名を守る為に出来る事、それは大人しく家を出て修道院に入る事ぐらいだ。
 他にも道はあると言われそうですが、修道院であればこんな私でも誰かの為になるのではないかと思うのです。

 もちろん反対されるでしょうから、その時は作物を育てる事を人々に普及したいと家を出るつもりです。

 貴族の娘の結婚といえば、十七歳頃が多いという事を踏まえて、その歳を迎えた時にそう告げるつもりでした。


「失礼ながら申し上げます。敵を知るには己を知れ、でございます」
「え?」
「お嬢様がご自身を理解しないままでは、殿下の事を知るなんて到底無理な事でございます」
「私自身を、理解…」
「左様にございます。この機会にお嬢様は、ご自身のことを理解下さいませ」

 厳しい事を言ってくれるリーナは、流石としか言えません。

 私自身の事は理解しているつもりでしたのに、彼女の目にはしていない様に写っていた事に驚きです。
 ですがそう見えるのなら、公爵家の娘としてそのままには出来ません。

「ではリーナ、私はどうしたら良いのかしら?」
「まずは、お嬢様をよく知る人たちから聞くのが一番かと存じます」

 なるほど、と感嘆の声を上げてしまいました。
 私自身の事を知る為に、私をよく知る人たちからお話を聴くなんて、そういう発想にならない辺り、自己完結ばかりしてきたのね。

「さっそくお屋敷にいる者たちから、聞きに参りましょう」

 この時を待っていたと言わんばかりに、リーナの目が輝いているのは気のせいではないのでしょう。

 私の事をどう思っているかを聴くのは、正直怖くて辞めたい気持ちもあるけれど、自分がどう見えているのか理解して正していかねばなりません。

 ハウス家から出たとしても、ハウス家に生まれた事に誇りを持ち続けたいから。

「料理長!少しお時間宜しいですか?」

 私が考えながら歩いていると、リーナが声をかけたのは料理長だった。
 その大きな身体からだからはとても想像が出来ない、そんな繊細で美しく美味しい料理は彼の腕にかかっている。

 私が物心ついた頃にはこの家に仕え、八歳になった時に料理長になった。
 エディオット・フランことエディは、ハウス家になくてはならない人物なのだ。
 私がたくさん食べるのも、彼の料理が美味しすぎるからに他ならない。

「リディア様、リーナ、どうかしましたか?」

 いきなり話しかけたにも関わらずニッコリと微笑む料理長は、大きな身体から優しいというオーラを隠せずにいる。

「料理長、急にごめんなさい。私についてどの様に感じているのか、素直な気持ちを知りたいの」
「リディア様について、でございますか?」

 急に何を言い出すのかと、料理長は目を丸くしてパチパチと瞬かせている。
 それぐらい唐突で、不躾な質問だったのでしょう。
 次に聞く人には、少しだけお天気の話をしてから聞く事にします。

「リディア様は私にとって、料理長になるきっかけとなった方です。歳も親子程に離れてますが、尊敬しています」
「料理長になるきっかけ?」
「少し長くなりますが、聞いていただけますか?」

 ニッコリと優しく笑いながら、私が頷けば穏やかに話し出した。


「私がこのお屋敷に来たのは、お嬢様が五歳で私が二十六歳の時でした。
 以前お世話になったお屋敷では、一度旦那様の嫌いな物を間違って出してしまってから、一切の調理を禁じられました。
 そんな時に知り合いだったこのお屋敷の先代料理長から、料理人は作らなければ料理人じゃないとこちらに呼んで頂きました。
 そしてリディア様に出会いました。
 公爵様の御息女とは思えぬほど、使用人に対しても分け隔て無い態度に驚きました。」

 料理長は目を細めながら、その時を思い出しているのか笑っている。
 私も五歳の時を思い出しながら、料理長と出会った時を思い返したいけれど、自分を思い出すのは難しいです。

「挨拶をさせて頂いた時に、リディア様は何と仰ったか覚えていらっしゃいますか?」
「思い出そうとしたけれど、全く分からないわ」

 ガックリと肩を落として見せれば、そうでしょうねとクスクスと楽しげに笑う。

「「本日よりお世話になります、スープ担当のエディオット・フランでございます」と挨拶をした時、「ハウス公爵の娘、リディア・ハウスと申します。さっそくですが、何スープが得意ですか?」と丁寧な挨拶にこちらが驚いた瞬間、目を輝かせてスープの話をされました。
 その時の可愛らしい反応は、年相応の女の子でございました。
 それがとても可愛らしく、そして受け入れて頂いたと嬉しく思ったものです。
 そして暑い時期となってましたので、ゴーウリのスープの話になった時は内心焦りを感じておりました」

 料理長は穏やかな顔から一転、少し苦い顔に笑みを浮かべています。
 幼い私は、何か嫌な態度を取ってしまったのでしょうか。

「リディア様は顔をしかめて、「私ゴーウリは苦手なのだけど、私が飲めるゴーウリスープを作ってくれる?」と仰いました。
 苦手と聞いた時、どうしても以前のお屋敷の主人を思い出してしまって、絶対に作るなと申し付けられる事を覚悟しました。
 ですがリディア様が仰ったのは、飲めるスープを作る事でした。
 そして何度もキッチンに足を運んでくださり、私が作るゴーウリスープを美味しいと飲んでくださった時、どれ程嬉しかったか。
 その後徐々にゴーウリを克服されたリディア様は、私には身に余る言葉を下さいました。
 「エディの作るゴーウリのスープが美味しすぎて、いつの間にかゴーウリを好きになっていたわ!エディのおかげだわ!エディがいつも、私でも飲めるように考えてくれたからだわ!」
 この言葉は、私が息を引き取るその瞬間まで忘れないでしょう。
 それからも毎日、毎回、お食事を取られた後に感謝を述べてくれるリディア様に、料理人一同身が引き締まり、救われて参りました。
 どんな時も笑顔で、食材に、私共に感謝を述べてくださるリディア様は、間違いなくこのお屋敷の使用人にとって無くてはならないお方です。
 ハウス公爵様の元に仕えられることはもちろんですが、リディア様に召し上がって頂ける事はこの上なく幸福な事と存じております」

 料理長はそう言うと、膝を曲げて最敬礼の形を取った。
 まさかそんな風に思ってもらえてたなんて、嬉しくて潤んでしまう目をどうにか堪える。

「そんな風に言ってもらえることが、私に取って何よりも幸せなことだわ。本当、ありがとう」

 素直な気持ちを述べれば、彼は少し目を見開きとんでもございませんと微笑んだ。

 私が自分の殻に閉じ籠っている間も、こうして評価して貰えることがあるなんて。
 私はリーナの言うように、自分の事さへ理解していなかったという事なのでしょう。

 殿下の気持ちを知る為にも、先ずは自分自身を理解しなくてはいけませんね。
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