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1章

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その日、兄が珍しく早く帰宅した。

「紅凛、手が空いたら部屋においで」

二胡を弾いている紅凛にそれだけ声をかけると、彼は自室に下がって行った。

「なんだか随分と疲れた顔をしていたわね」

「兄様にしては珍しいですね?」

一緒にいた義姉と顔を見合わせて、二胡の手入れをして兄の部屋に向かった。


「まいったよ!」

言われた通り兄の部屋に向かえば、兄は疲れた様に肘掛けに身体を預けて、そう言葉を発した。

一体どうしたのだろうか?と義姉と首を傾けあって、彼の前に並んで座る。

2人が座って落ち着くのを待って、兄はゆっくりと身体を起こす。

そうして、紅凛をしっかり見て

「お前に、後宮に上がるよう陛下から直々に命が降った」

と宣告したのだ。

紅凛も、義姉も言葉が出なかった。
というよりも突拍子もない話に、理解が追いつかなかった。


「どういうことです?」

最初に説明を乞うたのは義姉だった。

未だ呆然としている紅凛はそれをどこか遠いところから聞いている気分になる。

兄は困ったように眉を下げて、説明するよと話し出した。

「高官の子息がこぞって君に求婚してると聞いて、どうやら陛下が紅凛に興味をもたれたらしい。」

「そんな!噂だけでですか?会ってもいないのに?しかも後宮!?」

不振げにつぶやいた義姉に、兄は「まぁね」と肩をすくめた。

「後宮なんてそんなものらしい」

「でも、他にも側室はいるのでしょう?」

なのに何故、部下達の恋慕を嘲笑う様な真似をするのだと、義姉は不信感を隠そうともせず言い募るが、それを兄が「たしかにね」と止める。


「知ってる通り王妃はまだ立ててないんだよ。側室はそれなりにいるだろうけど……しかも王妃の座を狙って熾烈だと聞くし、正直後宮だけはと思っていたのだけど、こんな事なら早く嫁ぎ先を決めてあげたら良かったよ」

と自分も同じ気持ちであるのだと、肩を落とした。


そこまできて、ようやく紅凛の思考が動き出して追いついてきた。そうして、突きつけられた事実がじわりじわりと胸の奥を蝕んだ。


そんな……蓮様

「決定、なのですか?」

縋る様に兄を見上げる。

兄が残念そうに視線を落とした。

「王命だからね。逆らえない」

その言葉を聞いて、どこか深い穴に突如突き落とされるような絶望感を感じる。


「分かりました。」

そう言うと、ゆっくりと立ち上がる。

足元がふわふわとして落ち着かない。

「少し休みます」

そう2人につげて、返事を待たずに部屋を飛び出した。




部屋に戻ると、卓の上には今日蓮から送られてきた手紙が開かれたまま置かれていて

それを胸に抱えると、寝台に身体を投げ出した。


「君を必ず我が物に」

そう約束してくれた、あの日の声が今でも耳元でするようだった。

でも、それは無理だったのだ。

相手は皇帝。

いくら彼がなんとかしようとも手を出す事はできないだろう。
それどころか後宮に入れば、彼に会うことすら出来ない。

むしろ、彼が仕える男に抱かれることになるのだ。
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