お前に『幸福』は似合わない

アタラクシア

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間章 雨の降る前

第52話 繋いで繋いで繋いだ先に

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「――――来るな!!」

ドアの奥から。聞いた事のない村雨の怒号が聞こえてきた。思わず体を震わせる。

「お、お姉ちゃ――」
「二度と帰ってこないでって言ったでしょ」
「でも……お姉ちゃんが心配で――」
「――妹ズラしないで。私は頑張ってたのに。あんなこと言って……全部あんたのためだったのに」

心がズキリと痛む。

「ごめんなさ――」
「今更謝ったって遅いよ。もう許さない。お金も何もかも。全部私が稼いだもの。あんたなんか……どこへでも行ったらいいのよ」

背中がぞわりとする。頭が真っ白になる。呼吸がしずらくなる。

ずっと姉は味方でいてくれた。悲しい時や辛い時は近くにいてくれたら。そりゃここ最近は居なかったけど……でもそんなことを言う人じゃなかった。

――自分が怒らせたのか。血反吐を吐くまで頑張ってくれていたのに。それなのに――。

「消えて……今すぐに」
「……お姉――――」


――扉に物が投げつけられた。

「消えて!!!」


それがトリガーになったのか。もっと前から逃げ出したかったのか。

「っっ――――!!」

時雨は走った。の方が正しいのかもしれない。

階段を降りて。走って。走って――走って。涙と汗と雨に顔を濡らしながら。声にならない声を漏らしながら。時雨は走った。





「……ふふ」

時雨が走り去る音が聞こえる。家の中でそれを聞いて――村雨は安心していた。

「ごめんね……時雨」


――瞬間。村雨の左手首が音を立ててねじ切れた。

「っぐっ――ぁっが――――!?」

肉と筋と。生々しい肉の音が部屋にこだまする。村雨は痛みでもだえていた。――よく見ると両足首から下が無い。手首と同じようにねじ切られた痕があった。

『苦しめ』

傷口が腐っていく。黄色いうみが出てきた。ウジまで湧き始めている。いくらなんでもはやすぎだ。まだ傷ができて数秒しか経っていない。

理由は――後ろに笑顔で立っている幽霊。雨宮であった。

『もっと苦しめ』

血が。血の跡が。這いずってできた血の線が床にできている。床には爪の跡も。引っいたのだろうか。

『地獄を見せてやる』

冷や汗も。涙も。度が過ぎた痛みでは出てこない。耐える、その行為に必死になる。


――そんな村雨を気にするわけもなく。雨宮は倒れている村雨の首に手を置いた。

「が――ひゅ――」
『地獄の苦しみを教えてやる』

喉をめられる――のではない。呼吸器そのものを握られているのだ。

痛い。苦しい。不快感。そして絶望。後に待つ絶対の死が恐怖を駆り立てる。覚悟してても。どれだけ強い意志を持ってても。やっぱり『死』は怖い。

(死にたく……ないなぁ……)

思い出す。祖父母は死ぬ時もこんな感じだったのだろうか。

思い出す。両親が死んだ時はこんな気分だったのだろうか。

痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。辛いのは嫌だ。眠れば……目をつむって身を任せてしまえば。あとは全て楽になる。

(あぁ――時雨)

時雨。大事な大事な妹。最後の会話があんなことになってしまうなんて。唯一の心残りとなってしまった。

本当は言いたかった。『愛してる』と。でも入ってきてしまったら雨宮こいつに殺される。――それはダメだ。

(あの子を守れたんだから……悔いは……ないや)

過去にした両親との約束。完全には果たせなかったが十分だろう。

まぶたの裏には時雨の笑顔が。あの子が。あの子がまた笑って暮らせられたら――。





『苦しめ――お前も妹も。与えられる最大級の苦しみを与えて殺してやるからな』





体が動いた。床に押し付けられているはずなのに。四肢がほとんど動かないはずなのに。血も無くなったはずなのに。

歯ぎしりする。残った右手の拳をにぎりしめる。これは――生きる力だ。死ぬ間際のほんの一瞬。消えかかった魂の残り火は雨宮の一言で大きく燃え上がった。

「ふざけ――るな――!!」

原動力は怒り。それと時雨への想い。死んでいった家族がみんな願っていたこと。

「ふざけるな……これ以上は時雨を……不幸になんてさせない……!!」

ずっと不快な笑みを浮かべていた雨宮。それが臆している。村雨の怒りと覚悟によって。

「お前はっ……必ず……消えるっ……!!私じゃなくても……この先……時雨を愛してくれる人たちが……!!」

言葉を出す。血を吐きながら。痛みに耐えながら。

「怒りも……恨みも……お前だけじゃない!!死んでったパパとママ、お爺ちゃんとお婆ちゃんだって……お前だけが怒ってると思うなよ!!」

にらむ。至近距離で。怖いと。恐ろしいと感じていた雨宮の眼前で。精一杯の怒りと憎しみを込めながら。

「お前は――――絶対に許さない!!お前だけは必ず地獄に引きずり落としてやる!!」





――死体が見つかったのは次の日のこと。隣に住んでいた橋本さんによって発見された。

死体の損壊は凄まじく。第1発見者の橋本さんはしばらくの間、PTSDに悩まされた。死体を見慣れているはずの刑事ですら吐くものが続出したそうだ。

犯人について目星が付くわけもなく。両親や祖父母と同じように事件は打ち切られた。

時雨は叔父叔母である陸と萩花へと預けられた。その時の姿はあまりにも可哀想で……2人は涙を流すしかなかった。

「すまない……俺が……俺がちゃんと言ってれば……無理にでも連れてくれば良かった……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

泣き崩れる叔父叔母の姿を見ても――もう時雨の心は動くことはなかった。



「――隣。いい?」

それから3年後。凍ってしまった時雨の心は――八重によって溶け始めることとなる。
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