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序章

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 東南アジアの中央、赤道直下に位置するマレーシアは1年中気温が30℃を超える「猛暑」が続く。日中、ひとたびホテルの外に出れば、まるで砂漠のような暑さが肌を焼き、全身から噴き出す汗がシャツを濡らす。眼前の美しい景色も蜃気楼の如く揺らめくほどである。
 しかし木陰に入ればどこからか涼しげな風が吹いて来て暑さからくる疲労を癒してくれる。日本よりも湿度が低いため、汗はすぐに渇きべたつくことはない。真夏の気候でも肌はさらさらとして過ごしやすい。

 1997年の春、マレーシアの首都クアラ・ルンプールを訪れた。滞在期間はわずか数日間と短いものではあったが、首都圏をはじめ近郊や農村部まで魅力あるマレーシアを見ることが出来た。
 マレーシアは東南アジアの一国である。「アジア」と言えば経済的にも先進国から遅れているようなイメージもあったが、クアラ・ルンプールという都市はそのような偏見を一瞬にして吹き飛ばしてしまった。地上数十階にもなる高層ビルの群れ、完全に整備され片側数車線を有する道路、そしてそこを埋め尽くすおびただしい数の車、車、車。夜になればこれら全てが美しい光を放ち街中を明るく染め上げる。マレーシアの首都クアラ・ルンプールは日本の巨大都市に匹敵する規模を持っていた。
 そのような中で、興味を惹かれるのが「民族の複合性について」である。
 マレーシア社会は主にマレー人、華人(中国人)、タミル人(インド人)、三種の主要民族と、その他少数の民族から成り立っている。そして、これらの民族はそれぞれ固有の言語、宗教、文化を持ち、互いに混ざり合うことなく生活していたのである。 マレーシアという一つの国家の中で、マレー人、華人、タミル人、そしてその他の少数民族がひしめき合いながら、しかし、それぞれ独自のエスニシティと生活文化を守りながら「共存」していたのである。

 「複数の民族が共存する」という言葉の中には様々な問題を内包していた。
 クアラ・ルンプールのある靴屋での出来事である。店内で靴を探しているとタミル人(マレー人だったかも知れない…)の女性店員が商品を紹介してくれ、その中の一つを購入することにした。そのタミル(マレー)人の店員は筆者をレジまで案内してくれたのだが、レジには華人の店員がおり、その華人の店員に精算してもらうことになったのである。これは店員たちが「協力し合って役割分担している」などという単純な話ではなかった。実はこの靴屋のオーナーは華人だったのである。華人は華人同士の信頼関係は厚い反面、他の民族を全く信用していない。従って華人以外の店員は「現金」を扱うレジに入れてもらえない。タミル(マレー?)人の店員はレジをしなかったのではなく、『させてもらえなかった』のである。

 ここに、「共存」のオモテとウラがあった。
 多民族国家マレーシアは表面上は上手く成り立ち、その複合性が旅行者にとっても興味深いが、「民族の共存」は水面下での歪みを内包していた。靴屋ではマレー人や、タミル人の店員は華人に対して少なからず不満を持っていたはずであるし、またこのようなケースはマレーシア国内で多数生じていたはずだ。
 マレーシアの経済発展の鍵となるのが「複合社会における他民族の共存」であると言われていた。
 しかし、現在の「共存」は民族間の不平、不満を抱えるものであり、今後のマレーシアの更なる発展のためには避けては通れない問題だった。
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