ヒナ鳥の育て方

悠生ゆう

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ヒナ鳥が寝てる間に。

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 私の隣で、スピスピと微かな音を立てながら眠る久遠美星を眺めた。その寝顔は幼い子どものように愛らしくて、知らず笑みが浮かんでしまう。だが同時に、これでいいのだろうかという思いも湧き上がってくる。
 久遠さんは、私の会社の部下であり恋人……のはずだ。
 私は、恋人でもない人に、狭いベッドの半分を提供する趣味はない。少なくとも、私は久遠さんのことを恋人だと思っている。だが、久遠さんがどうなのかは少々疑問だ。
 久遠さんとは、少々……とは言い難いトラブルを経て、互いの想いを伝え合った。それで晴れて恋人同士と相成ったわけだが、最近は、私の勘違いではないかと不安になっている。
 久遠さんとの付き合いを社内にオープンにしてから、もうすぐ二カ月になろうとしていた。その間、久遠さんが、嫌がっている素振りはないし、毎週末、我が家に泊まりにも来ている。
 それでも、『恋人だ』と言い切れないのは、この愛らしく安らかな寝顔のせいかもしれない。

 朝礼で付き合っていることを宣言した週の金曜日。つまり、付き合いはじめて最初の金曜日。私は久遠さんを我が家に招待した。
 それは、宣言したことでそれなりの騒ぎになったし、久遠さんも疲弊しているように見えからだ。
 関係をオープンにすることは久遠さんも了承してくれた。それでも、好奇の目を向けられるのは、居心地のいいものではなかったはずだ。
 私も、朝礼を私信に利用したことで説教されたことを皮切りに、嫉妬やら羨望やら好奇心やら、様々な視線や声を浴びせられた。だけど、私はそれなりに覚悟をしていたから、それほど気にしてはいなかった。無暗にオープンにするつもりはないけれど、それが必要だと感じれば躊躇しない。そして、あのときは、それが必要だと感じたのだ。
 久遠さんを狙うバカどもは加熱していたし、久遠さんもそんな彼らに怯えていた。その状況を打開するのに、一番手っ取り早い方法を選んだのだ。
 交際宣言から一週間、久遠さんの様子を気に掛けていたが、仕事が忙しすぎてゆっくり話す時間が取れなかった。だから、金曜日の終業後、ゆっくりと食事をしながら愚痴を聞いてあげるつもりで我が家に誘ったのだ。
 ウチに来た久遠さんは、ずっとぎこちなかった。気持ちをほぐそうと幾度も話題を振ったのだが、久遠さんは上の空で、結局、愚痴らしい愚痴も聞けないまま時間が過ぎる。食事も終えて、話すネタも尽きてきたとき、私は久遠さんに三つの提案をした。
「そろそろ帰る? 終電までここにいる? それとも、泊る?」
私は、いつものように右手の指を三本立てながら、軽い気持ちで言ったのだが、久遠さんの姿を見て後悔した。久遠さんが下を見て必死で答えを考えている姿が目に飛び込んできたからだ。
 そして、かなり長い時間逡巡して選んだのが『泊る』だった。三択を提示した手前、「いやいや、それは」と回答を否定することもできない。
 久遠さんは、私のことを[[rb: 慮 > おもんばか]]ってその答えを選んだ可能性がある。だが、「泊まります」ではなく「泊まりたいです」と言ったことに、久遠さんの意思も感じる。
 私は、どう判断していいか分からなかった。
 質問をした私自身も、『泊る』については、純粋に久遠さんとゆっくり過ごしたいという気持ちが八割だった。残りに冗談や下心も含まれていたことは否めない。だが、久遠さんが疲れていることは分かっていたし、付き合いはじめてまだ一週間だ。決してやましい気持ちだけで誘ったのではない。
 久遠さんがどんな気持ちで「泊まりたい」と言ったかは分からないけれど、取り敢えずその日は、小さな下心を完全に封印することに決めた。
 ポツポツと話をして、それぞれゆっくりとお風呂に入り、二十三時を回った頃に「そろそろ寝ようか?」と久遠さんに声を掛ける。
 そして私は、久遠さんにできるだけ安心してもらえるようにやさしく接した。それでも、二人並んでベッドに入るという状況で、久遠さんが安心して眠れるはずなんてない。と、思っていたのだが、私の予想を覆し、久遠さんはベッドに入って数分後には深い眠りについていた。その翌日も久遠さんは泊ることになったのだが、結果は同じで、久遠さんは、私の隣でぐっすりと眠っていた。
 翌週は、久遠さんから「泊まりに行ってもいいですか?」と聞かれ、私は快諾した。久遠さんからそうした希望を言うのは、まだ珍しい。それに、私と一緒にいて、安心して過ごせているのもうれしいと感じた。
 とはいえ、一緒のベッドで、ただ眠るだけの日々が二カ月近く続くと、ちょっと不安になってくる。私が少しの期待と緊張でなかなか寝付けない中、久遠さんは本当にぐっすりと眠るのだ。
 もしや、私に魅力がないのだろうか? とか、久遠さんが言った「好き」は、私の想いとは違っているのだろうか? とか、だったら、会社で宣言したのは間違いだっただろうか? などと考えてしまう。


 ベッドに入って一時間程が経ち、すでに日付が変わっている。眠れない私をよそに、久遠さんは深い深い眠りについていた。久遠さんの髪を撫で、頬にキスをしてみたが、目を覚ます様子はない。
 私はそっとベッドを出て、服を着替えて家を出る。そして、タクシーを拾っていつものバーへと向かった。
「あら、梓、いらっしゃい。最近はよく来るわね」
馴染みの店長が笑顔で言った。
「あー、まあね」
苦笑いを浮かべて答えながら、ハイボールを注文する。
「何? その顔。もしかして、欲求不満?」
 店長はカラカラと笑いながらハイボールを私の前に置いた。
「別にそんなんじゃないけど……」
 勘のいい人はこういうとき面倒だ。私は、ちびりとハイボールを舐めて、少し口を濡らした。
「なんだったら、私が相手になるわよ?」
 店長は微かな笑みを浮かべて私の目を見た。
「あなたの彼女に刺されるのはゴメンだから」
 私がため息交じりに言うと、店長は「あら、残念」とつぶやくが、まったく残念そうな顔をしていない。こうした冗談を平気でいうから、彼女がやきもちを焼いてしまうのだ。
 店長の彼女には、この店で何度か顔を合わせたことがある。どちらかといえばおおらかな雰囲気の店長とは違い、彼女は情熱的というか、気性が激しいタイプに見えた。一度だけ、激しく嫉妬した彼女が、店内で暴れているのに出くわしたこともある。
 店長は、なぜそこまで気性の激しい女性と付き合っているのだろうと疑問に思う。けれど、タイプが違うからこそ、二人は付き合っているのだろうか。店長は仕事柄、色々な人と接している。中には腹の内を見せないような人もいるだろう。そんな人たちを相手にするのは、精神的な疲労が大きいはずだ。彼女は、いい意味でも悪い意味でも裏表がなく、ストレートに感情表現をするタイプに見えた。だかこそ、店長は彼女のことを愛せるのかもしれない。
 では、私と久遠さんはどうだろう。久遠さんの寝顔を見るようになって、自分の母性本能がこんなに強かったのだとはじめて知った。そして、久遠さんは母性を求めている傾向がある。それは、はじめて二人でランチに行ったとき、私に「お母さん」と言ったことからも分かる。
 そう考えれば、相性はいいと言えるのかもしれない。
 私は、特に性欲が強いというわけでもないし、久遠さんが安心しきった顔で眠っている姿を見るのもうれしい。
 付き合いはじめる前まで、久遠さんは、いつも緊張しているような感じがあった。人の顔色を伺い、相手に嫌われないように必死だった。そんな久遠さんが、私の腕の中で安心して眠ってくれることは、とても幸せだと感じる。
 それに、ウチに泊まるようになってから、心持ち久遠さんの顔色が良くなったような気がする。動きも機敏になって、仕事に対するやる気も増しているようだ。多分、普段はあまり眠れていないのではないのではないかと思う。だからこそ、久遠さんが、心から安らげる場所として、私の腕の中を選んでくれるのならばうれしいのだ。本当にうれしいのだ。
 しかし、私は久遠さんのお母さんになりたいわけではない。
 それに、強いとは言わないが、決して性欲が無いということではない。現に、久遠さんを泊める日はなかなか寝付けない。自分の理性と忍耐力に不安を感じるときは、気晴らしに飲みに出るようにしている。おかげで、週に二日は寝不足気味だ。
 例えば、これが漫画だとすれば、私の頭の上には『悪魔梓』と『天使梓』が浮いていて、バトルを繰り広げているはずだ。
 悪魔梓は「恋人なんだから、ちゃっちゃとヤっちゃえばいいじゃないか」と言う。
 天使梓は「恋人だからって強引に迫る真似はしちゃだめ!」と言う。
 すると悪魔梓は「泊まりに来るんだから、久遠さんもそれなりに期待してるだろう?」と言い、天使梓は「久遠さんは、きっとずっと辛い思いをしてきたんだよ」と私をたしなめる。
 そうだ。久遠さんは、きっと辛い思いをしてきたはずなのだ。
 西島くんに迫られたときには、私の電話がギリギリ間に合って、久遠さんの意に沿わない結果にはならなかった。だけど、西島くんのときがはじめてだったとは思えない。
 私に対しても良かれと思って、無理して嫌いな明太子パスタを食べようとする子だ。相手にどうしてもと言われて断れるとは思えない。例え自分が辛い思いをしたとしても、それを我慢して受け入れてしまったことだろう。
 そんな久遠さんに、強引に迫ることなんてできるはずがない。
 私たちは付き合っているし、久遠さんに答えを迫ったこともない。きっと、久遠さんの意思で私の側にいてくれるのだと思う。
 それでも……、いや、だからこそ、私が迫れば、久遠さんは自分の意思とは関係なく、私の望みを受け入れるはずだ。それだけはしたくない。
 それに、年上としてのプライドもある。余裕のある顔でちょっとくらい格好をつけたいではないか。

 ちびりちびりと飲んでいたハイボールを空にして、私は席を立った。軽くお酒が入ったことで、ようやく眠れそうな気がする。
 家に帰り、ベッドを覗き込むと、久遠さんはスヤスヤと眠っていた。途中で起きた形跡もない。
 その寝顔を見て少しホッとした。おそらく、私がいないことに気付いたら、久遠さんはショックを受けるだろう。それでも、私が外出してしまうのは、本当は気付かれたいと思っているからかもしれない。
 もしも、目覚めて私がいないことに気付いたなら、久遠さんは「どこに行っていたんですか?」と聞くはずだ。私はそれに対して「ちょっと眠れなくてね」と答える。久遠さんが「どうしてですか? 迷惑でしたか?」と聞いたら、「好きな人が隣に寝てたらドキドキして眠れないよ」くらい返してみたい。そうしたら、久遠さんはどんな反応をするだろうか。
 何事もなかったかのように、久遠さんの隣に収まり、間近で久遠さんの顔を眺める。ちょっと鼻を摘まんでみた。すると、少しだけ顔をしかめるが、起きる気配はない。
「今ならちょっとくらいいたずらしても気付かれないぞ」
 悪魔梓が囁く。
「何バカなこと言ってるの! 大切な恋人を傷つけるようなことしちゃダメ!」
 天使梓が叫ぶ。
 まだ、天使勢力が優勢だ。だけど、徐々に悪魔勢力の力が増しているような気がする。
 さて、幸せそうに眠る私のヒナ鳥はいつ目覚めてくれるだろうか。気長に待つつもりだけど、私の中の天使勢力が悪魔勢力に負けてしまう前に目を覚ましてほしいものだ。
 とりあえず今は、ヒナ鳥が寝ている間に、この煩悩をどこかに追いやって、大人で余裕のある高乃梓に戻っておこう。


ヒナ鳥が寝てる間に。    おわり


『ヒナ鳥にサヨナラ』に続きます
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