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第6話
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水曜日。
私は志鶴さんと一緒に当番の仕事をこなす。そして、田所さんは定位置で本に没頭している。
当番の時間が終わる間際になると、兄貴が志鶴さんを迎えに来た。
「閉めておくので、二人で先に帰ってください」
そう言うと志鶴さんは表情を曇らせた。
「えー、一緒に帰ろうよ」
少し甘えた声が私の胸を引っ掻く。この声も、この言葉も、この顔も好きな人の妹に対する演技でしかない。
私は勘違いしたりしない。その気になって誘いに乗れば、空気の読めない道化になるだけだ。
私は期待なんてしない。この人は絶対に私のものにはならない。
「実は田所さんと約束してるんですよ」
平然とした顔を装って言うと、私は図書室の奥にチラリと見た。
「そうなの?」
「はい。この間、仲良くなったんです」
土曜日の図書館で少し話したのは本当だが、約束なんてしていない。でも、ちょうどいいので、口実に使わせてもらうことにした。
「美咲もこう言ってるんだし、帰ろうぜ」
兄貴の声に苛立つ。
「でも咲馬(さくま)くん……」
私は自分の眉がピクリと動くのを感じた。
志鶴さんは、ついこの間まで兄貴のことを「有村くん」と呼んでいた。それが「咲馬くん」に変わっている。それが意味することが何かなんて考えたくもない。
こうして、真綿で首を絞めるように、ゆっくりと失恋の事実を感じながら、私はいつになったらこの恋を終わらせられるのだろう。
きっといつかきっぱりと諦められる。そう思っていたのに、何度目の当たりにして胸を痛めても、終わりが来るような気がしなかった。
いっそのこと、志鶴さんに想いを打ち明けてしまおうか。断られるのは分かりきっているが、きっとスッキリできるはずだ。
それに志鶴さんは少なからず苦しむだろう。彼氏の妹から告白されて動揺しないはずはない。少しは私の苦しさが分かるのではないだろうか。やさしい顔でどれだけ残酷なことをしていたのかに気付いて苦しむはずだ。
もしかしたら、気まずくなって兄貴と別れるかもしれない。
どうして私が一人で苦しまなくてはいけないのか。全員を巻き込んでしまえば、それも愉快ではないだろうか。サディスティックな気持ちが頭をもたげた。
だがふいに、幼い日に見た梅の花が脳裏をかすめる。
あのやさしくも凛とした花を無残に手折っても尚、私は私のままでいられるだろうか。志鶴さんへの想いを終わらせられたとして、別の誰かを好きになることができるのだろうか。
私はこの花を自分のものにしようと思ったわけじゃない。苦しくなることも覚悟していたはずだ。それなのに、私の勝手な思いに巻き込んで、大切な花を手折り、枯らしてしまおうと考えるなんて、なんと愚かなことだろう。
「本当に気にしないでください。田所さんに本のことを色々教えてもらう約束をしてるんです」
そんな私の言葉に、志鶴さんは渋々納得して兄貴と一緒に帰って行った。
二人の後ろ姿を見送り、私は田所さんが座る席に歩み寄る。すると田所さんはパッと顔を上げて「一緒に帰る約束なんてしてないよね?」と言った。
どうやら志鶴さんとのやり取りを聞いていたらしい。
「今日の小説は没頭できなかった?」
「そうだね。ちょっと深度が浅かった」
「深度……物語の中に潜れなかったっていう意味?」
「そう」
田所さんは、半分ほどの所で開かれていた本をパサリと閉じる。
「まだ読み終わってないよね。借りていく?」
「ううん、いい」
「そういえば田所さんって本を借りていかないよね」
「何もやらずに本を読んじゃうから、基本的に家では本を読まないことにしてるの」
そう言うと田所さんは手にした本を書架に返す。
「でも、途中で読むのを止めちゃうと忘れない?」
「もしも忘れたなら、もう一度最初から読めばいいだけでしょう?」
田所さんは何でもないことのように言ったが、私には信じられない言葉だった。
田所さんと私は、途中まで帰り道が同じだと判明したので、嘘を本当にするべく、途中まで一緒に帰ることにした。
「田所さんの部屋はきっと本だらけなんだろうね」
「本棚ひとつ分だから、そんなに多くないと思うけど」
「へー、意外だね」
「そんなにたくさん買えないから」
それはその通りかもしれない。田所さんのペースで本を読んでいたら、どれだけのお金がかかることか。
「だから、図書館で本を読んでるの。その中で何度も読みたい本を買ってる」
「一度読んだ本をわざわざ買うの?」
「好きな本は何度でも読みたいでしょう?」
田所さんが当然のように語る本の話は、私にはちょっと理解できなかったが、他のクラスメートと話すよりも少しだけ気楽で、少しだけ新鮮で楽しいと感じた。
その日から、水曜日は田所さんと一緒に帰り、土曜日は図書館で顔を合わせると一緒にランチを取るようになった。
志鶴さんのことで目を背けたくなるような醜い自分に気付いても、田所さんが夢中になって本の話をするのを聞いていると、少しだけ気持ちが軽くなるような気がした。
私は志鶴さんと一緒に当番の仕事をこなす。そして、田所さんは定位置で本に没頭している。
当番の時間が終わる間際になると、兄貴が志鶴さんを迎えに来た。
「閉めておくので、二人で先に帰ってください」
そう言うと志鶴さんは表情を曇らせた。
「えー、一緒に帰ろうよ」
少し甘えた声が私の胸を引っ掻く。この声も、この言葉も、この顔も好きな人の妹に対する演技でしかない。
私は勘違いしたりしない。その気になって誘いに乗れば、空気の読めない道化になるだけだ。
私は期待なんてしない。この人は絶対に私のものにはならない。
「実は田所さんと約束してるんですよ」
平然とした顔を装って言うと、私は図書室の奥にチラリと見た。
「そうなの?」
「はい。この間、仲良くなったんです」
土曜日の図書館で少し話したのは本当だが、約束なんてしていない。でも、ちょうどいいので、口実に使わせてもらうことにした。
「美咲もこう言ってるんだし、帰ろうぜ」
兄貴の声に苛立つ。
「でも咲馬(さくま)くん……」
私は自分の眉がピクリと動くのを感じた。
志鶴さんは、ついこの間まで兄貴のことを「有村くん」と呼んでいた。それが「咲馬くん」に変わっている。それが意味することが何かなんて考えたくもない。
こうして、真綿で首を絞めるように、ゆっくりと失恋の事実を感じながら、私はいつになったらこの恋を終わらせられるのだろう。
きっといつかきっぱりと諦められる。そう思っていたのに、何度目の当たりにして胸を痛めても、終わりが来るような気がしなかった。
いっそのこと、志鶴さんに想いを打ち明けてしまおうか。断られるのは分かりきっているが、きっとスッキリできるはずだ。
それに志鶴さんは少なからず苦しむだろう。彼氏の妹から告白されて動揺しないはずはない。少しは私の苦しさが分かるのではないだろうか。やさしい顔でどれだけ残酷なことをしていたのかに気付いて苦しむはずだ。
もしかしたら、気まずくなって兄貴と別れるかもしれない。
どうして私が一人で苦しまなくてはいけないのか。全員を巻き込んでしまえば、それも愉快ではないだろうか。サディスティックな気持ちが頭をもたげた。
だがふいに、幼い日に見た梅の花が脳裏をかすめる。
あのやさしくも凛とした花を無残に手折っても尚、私は私のままでいられるだろうか。志鶴さんへの想いを終わらせられたとして、別の誰かを好きになることができるのだろうか。
私はこの花を自分のものにしようと思ったわけじゃない。苦しくなることも覚悟していたはずだ。それなのに、私の勝手な思いに巻き込んで、大切な花を手折り、枯らしてしまおうと考えるなんて、なんと愚かなことだろう。
「本当に気にしないでください。田所さんに本のことを色々教えてもらう約束をしてるんです」
そんな私の言葉に、志鶴さんは渋々納得して兄貴と一緒に帰って行った。
二人の後ろ姿を見送り、私は田所さんが座る席に歩み寄る。すると田所さんはパッと顔を上げて「一緒に帰る約束なんてしてないよね?」と言った。
どうやら志鶴さんとのやり取りを聞いていたらしい。
「今日の小説は没頭できなかった?」
「そうだね。ちょっと深度が浅かった」
「深度……物語の中に潜れなかったっていう意味?」
「そう」
田所さんは、半分ほどの所で開かれていた本をパサリと閉じる。
「まだ読み終わってないよね。借りていく?」
「ううん、いい」
「そういえば田所さんって本を借りていかないよね」
「何もやらずに本を読んじゃうから、基本的に家では本を読まないことにしてるの」
そう言うと田所さんは手にした本を書架に返す。
「でも、途中で読むのを止めちゃうと忘れない?」
「もしも忘れたなら、もう一度最初から読めばいいだけでしょう?」
田所さんは何でもないことのように言ったが、私には信じられない言葉だった。
田所さんと私は、途中まで帰り道が同じだと判明したので、嘘を本当にするべく、途中まで一緒に帰ることにした。
「田所さんの部屋はきっと本だらけなんだろうね」
「本棚ひとつ分だから、そんなに多くないと思うけど」
「へー、意外だね」
「そんなにたくさん買えないから」
それはその通りかもしれない。田所さんのペースで本を読んでいたら、どれだけのお金がかかることか。
「だから、図書館で本を読んでるの。その中で何度も読みたい本を買ってる」
「一度読んだ本をわざわざ買うの?」
「好きな本は何度でも読みたいでしょう?」
田所さんが当然のように語る本の話は、私にはちょっと理解できなかったが、他のクラスメートと話すよりも少しだけ気楽で、少しだけ新鮮で楽しいと感じた。
その日から、水曜日は田所さんと一緒に帰り、土曜日は図書館で顔を合わせると一緒にランチを取るようになった。
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