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第4話

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 流里さんと待ち合わせの当日、私は約束の時間より少し早く指定されたカフェに着いた。
 かなり緊張しながら待っていると、流里さんが軽い足取りでカフェに現れた。
 笑顔で私の前の席に座ると、店員さんに「オレンジジュース」とオーダーする。
 シンプルなワンピーススタイルが背の高い流里さんによく似合っていて、この間会ったときよりも少し大人っぽく見えた。
「なんか、急に呼び出しちゃってすみません」
 流里さんは特に悪いと思っていないような軽い口調でそう言った。
 一見するととてもフレンドリーな感じだけど、そう見せかけているだけかもしれない。私はカフェラテを一口飲んで軽く息をついてから尋ねた。
「話ってなんでしょうか?」
 大人の余裕を見せようと落ち着いた態度に見せるように意識したけれど、正直、うまくできたかわからない。
 流里さんはやはり緊張する様子もなく、ニッコリと笑みを浮かべた。
「鍋島先生には、前にかなり暗躍してもらったんです。だからその借りを返そうかなと思って……」
 流里さんの言葉の意味がわからなかった。だけど『暗躍』という言葉には不穏な空気もある。流里さんの表情とそぐわないその言葉に胸がザワついた。
 流里さんが何を言おうとしているのか予想もつかないし怖いけれど、高校生の流里さんに負けたくはない。だから私はグッとお腹に力を入れて尋ねた。
「流里さんと晃子さんはどんな関係なんですか?」
 直球過ぎるかとも思ったけれど、これ以外の言葉が浮かばなかった。
 すると流里さんは「あきこ?」と呟いて首をひねる。だが、すぐに「あぁ、鍋島先生のことか……」と呟いた。
 お芝居の会場ではとても中が良さそうに見えたけれど、ファーストネームを知らないということは、それほど深い関係ではないのだろうか。それともそういう演技なのだろうか。
 私は真偽を見極めるため、流里さんをジッと見つめる。
「関係かぁ……。そうだなぁ。友だちが一番近い気がするけど……友だちとは違う気がするし……」
 そうして流里さんは腕を組んでうーんと唸った。
 店員さんが流里さんの注文したオレンジジュースをテーブルに置く。流里さんは店員さんに小さく頭を下げると、ストローでオレンジジュースをキューッと勢いよく吸い込んだ。
「恋人……ですか?」
 私が思い切って尋ねると、流里さんは慌ててコップを置いて両手で口を押さえてブグッっと音を立てながら口の中のオレンジジュースを飲み込んだ。そして、ケホケホと軽くむせる。
 タイミングが悪かったかもしれないと申し訳なく思いながらも、その反応に私のイヤな予想が当たったのだと思った。
「何を言うんですか! やめてくださいよ!」
 咳が治まると、流里さんは手をヒラヒラ振りながら言った。
「え?」
「絶対に違います! ワタシにはちゃんと付き合っている人がいますから!」
 その付き合っている人が晃子さんなのではないだろうか? だけど流里さんが誤魔化しているようにも見えなかった。
「違うんですか?」
「そっか……それであの日不安そうな顔をしていたんですね」
 流里さんが納得したように頷きながら言った。
 あの日の私はそんなに不安そうにしていただろうか。自分ではよくわからないけれど、とりあえず子どもにそんな風に見抜かれていたのなら役者失格かもしれない。
「ワタシが今日呼び出したのは、ひとつアドバイスがしたかったからです」
「アドバイス?」
「はい。鍋島先生とはさっさと別れた方がいいですよ」
「は?」
 今度は私が飲んでいたカフェラテを吹き出しそうになった。
「久我さんはとっても美人だし、鍋島先生じゃなくてもいいと思います」
 予想とは全く違う展開に私の頭がうまくついていけない。
 そういえば当たり前のように晃子さんとのことを話していたけれど、流里さんは女性同士で付き合うとか恋人だとかいうことはきにならないのだろうか。
 思考が混乱して突然そんなことを考えはじめてしまった。
 そして流里さんは私の返事を待つことなく話を続ける。
「鍋島先生って人のことを見透かした顔をして、平気で人のことをからかうでしょう? 悪趣味なんですよね。そのくせ自分のことは見せたがらない嘘つきだし。あんな性格の悪い人とはさっさと別れるのが正解だと思います」
 さっき言っていた『暗躍』の『借りを返す』とは、晃子さんと別れさせると言う意味だったようだ。
 確かに流里さんの言うとおり、つかみ所がなくて意地悪なところもあるけれど、性格が悪いという程ではないと思う。
 それに、別れるもなにも私は晃子さんと付き合っていない。私の片想いに過ぎない。
「晃子さんと……付き合ってない……から」
 自ら晃子さんとの不確かな関係を口にするのはイヤだった。
「あれ、そうなんですね。私はてっきり付き合ってるのかと思いました。なんだ、良かった。本当に鍋島先生はやめておいた方がいいです。あの笑顔に騙されちゃダメです。マジで性格がひねくれてますからね!」
 流里さんはさらに晃子さんを貶めるような言葉を重ねた。私はその言葉に苛立ちを感じる。
 晃子さんと流里さんの関係はよくわからない。だけどそこまで言わなくても良いと思う。それは逆に、私よりも晃子さんと親密なのだと主張しているようにも見えた。
「それは少し言い過ぎだと思うけど? 確かに晃子さんは少しわかりにくいところはあるけれど、流里さんが言うほどひどい人じゃないよ。私のやりたいことを理解してくれて、ちゃんと尊重してくれる。すごくやさしいし、かわいいところもあって……」
 そこまで言って、子ども相手にムキになっていることに気付いた。
 そして流里さんは嬉しそうに、というよりは面白がっているようにニヤニヤと笑っている。
「そっか。良かった。ちゃんと鍋島先生のことを好きなんですね」
 また意味がわからなくなって私は首を傾げる。私は流里さんに試されているのだろうか。
「まぁ、さっき言ったことはほぼ本心なんですけどね。それでも鍋島先生にはいっぱい助けてもらったから、幸せになってほしいとおもってるんですよ」
「え?」
「試すみたいなこと言ってすみませんでした。でも、本当に鍋島先生のことを好きなのか、どうしても知りたくて」
 流里さんは穏やかな表情を浮かべている。
 私はどんな顔をすれば良いのかわからなくなった。
「……それは……どうして?」
「鍋島先生、あれで不器用そうだし。しかもわかりづらい感じだから、ちゃんと鍋島先生を好きな人なのかなって知りたくて」
「はぁ……」
 やっぱりよくわからないのは私の理解力不足なのだろうか。
「久我さんが鍋島先生のことをちゃんと見てて、ちゃんと好きなんだってわかって嬉しいです」
 そうして流里はニッコリと笑った。
「あ、はい……」
「私、応援しますから」
「え? ありがとう」
「私にできることなんてあんまりないかもしれないですけど、鍋島先生はひねくれてるから、困ったこととかあったら言ってください。もしかしたら力になれるかもしれないので!」
 どうやら流里さんは本当に応援をしてくれるつもりのようだ。私が頷くと、さらに嬉しそうな笑みを浮かべた。
 どうしてそこまで鍋島先生のことを気に掛けるのか尋ねようかと思ったとき、流里さんが窓の外を見て「あっ」と呟いた。そして私の顔を見る。
「時間を作ってもらったのにごめんなさい。ワタシ、これからデートなので、もう行きますね」
「あ、はい」
 私の返事を聞くと、流里さんは立ち上がってペコリと頭を下げた。レシートをとろうとする手を押さえて、私が払うことを伝えると、少し申し訳なさそうな顔をしてもう一度頭を下げると、早足で店を出て行った。
 なんだか嵐のような子だった。
 まだ流里さんの話がイマイチ理解できないけれど、どうやら流里さんと晃子さんは付き合っているわけではなく、むしろ私と晃子さんがうまく付き合えるように応援してくれるらしい。
 窓から流里さんの後ろ姿を目で追う。ワンピースの裾を軽く跳ね上げながら駆けて行った先には、流里さんと同じくらいの背丈で髪の長い女性がいた。
 流里さんよりも少し年上に見えるその人は、流里さんを見付けて笑顔で手を振っている。
 流里さんは弾む足取りで女性に近付いて行った。
 流里さんが女性同士で付き合うことを当たり前のように話していた理由がわかった。
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