私のお嬢様は……

悠生ゆう

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第5話

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 お嬢様は実家に帰ることはほとんどないが、ときどきこうして実家に呼び出される。パーティーなんて前もって決まっているはずなのに、いつもギリギリに連絡が来る。もしかしたら、何だかんだと口実を付けてお嬢様が出席しないことを警戒しているのかもしれない。
 お嬢様がどうしてそんなに実家のことを嫌っているのか聞いたことはない。聞いてもきっと教えてくれないだろうと思う。
 私はいつもより少しだけ早くお嬢様の学校に向かった。お嬢様にも連絡が入っていたようで、校門を出てから家に帰るまで、お嬢様は終始不機嫌そうだった。
「シャワーを浴びるから服の用意をしておいて」
「どのような衣装になさいますか?」
「何でもいいわ。どうせ向こうで着替えさせられるんだから」
 お嬢様は吐き捨てるように言って浴室に向かう。私はクローゼットから洋服を見繕って取り出した。何でもいいと言われても実家で馬鹿にされないような服を選んでおかなければいけない。私の仕事の中ではこれが一番大変かもしれない。
 シャワーから出たお嬢様の髪を乾かして解かす。お嬢様の髪は細いのであまり乱暴にすると切れてしまう。私はお嬢様の髪にできるだけやさしく触れるように心掛けながらドライヤーを当てていく。
「今日は実家にお泊りですか?」
 金曜日だから翌日学校があることを理由に無理に戻る必要はない。
「それは私に家を空けて欲しいから言ってるの?」
 お嬢様が鏡越しに私を睨みつけた。
 私は実家の行事に連れて行ってもらえないから、お嬢様が帰ってくるまで留守番だ。つまりお嬢様が帰ってくるまで臨時休業になる。確かに羽を休められる貴重な時間なのだけど、別にそんな意味で聞いたわけではない。
「いいえ。お泊りになるなら寂しいなと思って」
 するとお嬢様は少し目を丸くしたあと、そっと顔を伏せて「ふーん、じゃあ仕方がないから帰ってくることにするわ。面倒だけど」と言った。
 私の言葉はまったくの嘘という訳ではないけれど本心でもない。臨時休業は正直うれしい。だけどそれは思いっきり羽を伸ばせるのなら、だ。
 お嬢様が実家に泊ることはこれまでにも度々あったが、帰ってくるまで落ち着かないのだ。
 使用人になって間もない頃、一度だけ実家で開かれたパーティーに連れて行かれたことがある。最初は華やかな雰囲気に気後れしつつもときめいた。そこに集まっている人たちは皆にこやかで上品だった。映画やドラマでしか見たことのない風景の中に自分も入っているのが夢のようだった。
 私よりもまだ背の低かったお嬢様は私の手をギュッと握っていた。その手は汗ばんで少しだけ震えていた。手の平からお嬢様の緊張が伝わってくるようだった。
 その理由はすぐにわかった。にこやかで上品な人たちは、みんな仮面だったからだ。仮面の下に隠れている何かを目の奥から感じ取るたびに、背中に寒気が走った。
 そして私は祖父の葬儀の後に集まった親類たちを思い出した。祖父の死を悼むような顔で、私の苦労をねぎらうような顔で、祖父のパンが食べられなくなったのを悲しむような顔で、まったく別のことを考えていた人たちの顔だ。
 お嬢様の横顔を見るとにこやかな仮面をかぶっていた。楽しそうに笑ったり、言葉を返したりしながら、私の手をギュッと握っていた。
 後から手を握っていた理由を尋ねたら「慣れない使用人が迷子になると迷惑だからよ」と言っていたけど、きっとそれは違う。お嬢様はあの場所が嫌いなのではない。怖いのだ。
 だから実家のパーティーではできるだけお嬢様のそばにいようと決めた。それなのにそれ以降、一度も連れて行ってもらえない。華やかな場所に庶民の私がそぐわなかったからかもしれない。
 だからお嬢様が実家に行く日は、あの日の光景を思い出しながら、ひとりで戦っているお嬢様のことを考えて落ち着かない時間を過ごすことになる。
 もう十七歳になったお嬢様は、あの頃よりもずっと上手に立ち回れるようになっているだろう。もう私の手を握る必要はないのだと思う。
 それでも心配なものは心配なのだ。
 その日、お嬢様が帰ってきたのは夜十一時を回った頃だった。いくら実家のパーティーだとは言え、十七歳の少女をこんな遅い時間まで拘束することないのにと少し腹立たしく感じる。
「お風呂に入れる?」
「はい」
「入ってくるから何か軽く食べるものを準備しておいて」
「パーティーで召し上がらなかったんですか?」
「あんなまずいもの食べられるはずないでしょう」
 お嬢様は心底嫌なものを思い出したかのように眉間にしわを寄せた。
「まずかったんですか?」
 おそらくは一流の料理人が腕を振るった一流の料理のはずだ。まずいはずがないと思う。
「知らないわよ。食べてないもの」
「はぁ」
「紗雪は私の使用人になって何年経つの? 私は私が信頼している人の料理しか食べないのよ」
 お嬢様は腕を組んでできの悪い子どもに教えるような口調で言う。
「つまり、私のことは信頼してくださっていると?」
 ちょっとした冗談のつもりで言ってみたのだが、お嬢様は「馬鹿じゃないの!」と言って背中を向けてしまった。
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