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8 2日目の朝
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転生して翌日の朝。
まるでそれが長年の習慣かのように、私はベッドから跳ね起きた。昨日はたしか弟に起こしてもらったが。
高まる鼓動を抑えるように深呼吸。
…そう、高まっている。穏やかに眠っていたはずだけど、今朝の私の心臓が少々速いペースで動いているのを感じる。
「ふう…」
たった今目覚めたばかりだというのに、意識がとてもはっきりとしている。理由はもちろん、昨夜見た夢のせいだ。
胸に手を当てて、もう一度深呼吸。…やっぱり落ち着かない。
「よーし、こんな時は…!」
手櫛で寝癖をささっと整え、私は立ち上がった。
ほどなくして、扉がノックされ、声がかけられた。
「おはようございますお嬢様」
淡々とした抑揚のない一言。かと言ってそこに敵意があるわけではない。我がビスマルク家のメイド長を務めるダニエラさんの、いつもの調子だ。
「おはようダニエラさん!」
私は少々息を切らしながら全力で返事をした。
その声に多少戸惑ったのだろう、訝しげな表情で部屋に入ってきたダニエラさんが、私の動きを見てさらに眉をひそめたのを私は見逃さなかった。
まあ、それはそうだろう。
「お嬢様…何かございましたか?」
「えっ?」
「そのような不可思議な舞踏、どちらで覚えられたのでしょう」
「あ、これはラジオ体操!」
「は?」
「第1の方ね!」
「1、でございますか」
「そうでございます!」
「・・・」
ダニエラさんが無言になり、冷んやりとした空気が流れはじめる。しかし今の私には些細なことだ。
何せ、こんなモヤモヤした思考のままでこの転生は乗り切れない。しっかりと身体を動かして1日すっきり!
「はい次は腕を上下に伸ばす運動ー!!」
「・・・」
そんなこんなで朝食後。
昨日に続いて部屋にはアレクがいる。
どうやらダニエラさんは私のラジオ体操のことを誰にも告げなかったらしい。彼女自身はもちろん、家族の誰も私の朝の素行について触れてくる者はいなかった。
そのため朝食はつつがなく終了。今日のサラダの新鮮な味わいを思い出しつつ、私はアレクに昨夜の夢についての熱弁を奮ったのだった。
「と、いうわけなのよ!」
「へー。じゃあ、姉様はアルベルトが好きなの?」
「どうやらそうらしいわね!」
「どうやらって何だよ、自分のことでしょー?」
元飼い猫がニャハハと笑う。しかし私は微妙な表情で小さく頷くしかなかった。
「だってね、彼のことが好きだって気持ちには気付けたけど、好きになった瞬間とか、どうして好きになったのかは全然思い出せないのよ」
「時計作ってやるよ!って言われたからじゃないの?」
「うーん、そうなのかしら・・・。だいたい、これ夢の話よ。夢の中ではそう言われたけど、実際に言われたシーンを思い出したのかどうかはちょっと自信がないわ。何せ転生したのが昨日だし」
「ふーん」
よくわからない、という顔でベッドに飛び乗る弟を半ば無視して、私は目を閉じて額に手を当てながら考える。
「昨日1日は、このエミリー・フォン・ビスマルクの経験してきた心の動きっていうか、感情の起伏までは一切思い出さなかったのよね」
「なんかまた難しいこと言ってるー」
「感情はちゃんと高塚えみりのものだけだったって言えばいいのかしら。そう、例えばそのベッド」
「これ?」
「うん。私はそのベッド好きよ、寝心地良いし、広いし。でも私が転生する前のエミリーがどう思っていたのかはわからないのよ」
「俺もこのベッド好きだー」
「もしかしたらエミリーは、マットが固くて嫌だったかもしれないし、寝ぼけて落っこちてから毎晩不安だったかもしれないわ。実際のところ、ベッドから落ちた記憶はないんだけど・・・でも、そういう気持ちの面を全然思い出せないの」
「ふーん」
いつの間にかアレクはベッドの上にあぐらをかいて、頬杖をつきながら私をじっと見つめていた。その姿勢のまま、いかにも困ったと言わんばかりに眉をひそめて続ける。
「姉様、さっきから言ってること変じゃない? なんか、まるで別の人の話をしてるみたいだ」
「そう! まさにそうなのよ!」
弟の鋭い指摘に、私はズバッと指を差した。
「何て言うのかな、エミリーとして生きてきた16年間は本当に自分のこととして断片的に思い出せるんだけど、アルベルトのことが好きっていう気持ちだけは何故か自分の感覚にならないの!」
「えー?」
「エミリーの気持ちを、えみりとして隣で見守ってる感じ」
「うー、わかんない」
「ごめんねアレク。私もよくわからなくって」
あまり弟に捲し立てても仕方ない。でも誰かに聞いてほしいのは事実だし、転生の事情を理解してくれるのも弟しかいない。うーん、相談できないってのも困ったものね。
私がため息をついている間に姿勢を崩し寝そべる弟。完全に猫時代のクセに見えるわね。
「なんか姉様が大変なのはわかったけどさー、これからどうするの?」
「どう、って?」
「アルベルト好きー!って言いに行くの?」
「いや、いやいやいや、それはちょっと・・・」
「昨日の夜はアルベルトのこと一生懸命考えてたじゃん、今朝も考えてるじゃん。だから、好きーって言いに行けばいいんじゃないの?」
「うーん、そう、ねえ・・・うーん。とりあえず、昨日の時計塔の時のことは謝りたいかな」
謝るというのもしっくりこないが、あの発言であの空気になったことについて、罪悪感があるのは事実だ。それはアルベルトに対してのものなのか、自分自身・・・エミリーに対してのものなのか、断言はできないけど。
「もう一度街に連れていってもらおうかしら。何もないし退屈しそうと思ってたけど、まさか自分に恋愛フラグが立つなんて」
「なんか姉様が好きそうな話」
「ゲームじゃないもの、楽しいなんて言ってられないわ。これは私の人生だものね」
よし、と小さく呟いてから、私はお母様に馬車を出してもらえないか相談に行こうとして・・・不意にノックされた扉に少々驚き立ち止まった。とりあえず返事をしておく。
「どなた?」
「私だ、エミリー」
ガチャリと開かれた扉の先に立っていたのは、ヨハネス兄様だった。
お父様譲りの長身とはっきりした顔立ちに、太く響く低めの声。しかしその見た目に反して、表情はなんだか思いっきり弱々しい。
ヨハネス兄様は後ろ手に扉を閉め、フニャフニャとした足取りで進み出てから言った。
「す、少し相談に乗ってもらえないだろうか・・・。その、女性への、接し方について」
まるでそれが長年の習慣かのように、私はベッドから跳ね起きた。昨日はたしか弟に起こしてもらったが。
高まる鼓動を抑えるように深呼吸。
…そう、高まっている。穏やかに眠っていたはずだけど、今朝の私の心臓が少々速いペースで動いているのを感じる。
「ふう…」
たった今目覚めたばかりだというのに、意識がとてもはっきりとしている。理由はもちろん、昨夜見た夢のせいだ。
胸に手を当てて、もう一度深呼吸。…やっぱり落ち着かない。
「よーし、こんな時は…!」
手櫛で寝癖をささっと整え、私は立ち上がった。
ほどなくして、扉がノックされ、声がかけられた。
「おはようございますお嬢様」
淡々とした抑揚のない一言。かと言ってそこに敵意があるわけではない。我がビスマルク家のメイド長を務めるダニエラさんの、いつもの調子だ。
「おはようダニエラさん!」
私は少々息を切らしながら全力で返事をした。
その声に多少戸惑ったのだろう、訝しげな表情で部屋に入ってきたダニエラさんが、私の動きを見てさらに眉をひそめたのを私は見逃さなかった。
まあ、それはそうだろう。
「お嬢様…何かございましたか?」
「えっ?」
「そのような不可思議な舞踏、どちらで覚えられたのでしょう」
「あ、これはラジオ体操!」
「は?」
「第1の方ね!」
「1、でございますか」
「そうでございます!」
「・・・」
ダニエラさんが無言になり、冷んやりとした空気が流れはじめる。しかし今の私には些細なことだ。
何せ、こんなモヤモヤした思考のままでこの転生は乗り切れない。しっかりと身体を動かして1日すっきり!
「はい次は腕を上下に伸ばす運動ー!!」
「・・・」
そんなこんなで朝食後。
昨日に続いて部屋にはアレクがいる。
どうやらダニエラさんは私のラジオ体操のことを誰にも告げなかったらしい。彼女自身はもちろん、家族の誰も私の朝の素行について触れてくる者はいなかった。
そのため朝食はつつがなく終了。今日のサラダの新鮮な味わいを思い出しつつ、私はアレクに昨夜の夢についての熱弁を奮ったのだった。
「と、いうわけなのよ!」
「へー。じゃあ、姉様はアルベルトが好きなの?」
「どうやらそうらしいわね!」
「どうやらって何だよ、自分のことでしょー?」
元飼い猫がニャハハと笑う。しかし私は微妙な表情で小さく頷くしかなかった。
「だってね、彼のことが好きだって気持ちには気付けたけど、好きになった瞬間とか、どうして好きになったのかは全然思い出せないのよ」
「時計作ってやるよ!って言われたからじゃないの?」
「うーん、そうなのかしら・・・。だいたい、これ夢の話よ。夢の中ではそう言われたけど、実際に言われたシーンを思い出したのかどうかはちょっと自信がないわ。何せ転生したのが昨日だし」
「ふーん」
よくわからない、という顔でベッドに飛び乗る弟を半ば無視して、私は目を閉じて額に手を当てながら考える。
「昨日1日は、このエミリー・フォン・ビスマルクの経験してきた心の動きっていうか、感情の起伏までは一切思い出さなかったのよね」
「なんかまた難しいこと言ってるー」
「感情はちゃんと高塚えみりのものだけだったって言えばいいのかしら。そう、例えばそのベッド」
「これ?」
「うん。私はそのベッド好きよ、寝心地良いし、広いし。でも私が転生する前のエミリーがどう思っていたのかはわからないのよ」
「俺もこのベッド好きだー」
「もしかしたらエミリーは、マットが固くて嫌だったかもしれないし、寝ぼけて落っこちてから毎晩不安だったかもしれないわ。実際のところ、ベッドから落ちた記憶はないんだけど・・・でも、そういう気持ちの面を全然思い出せないの」
「ふーん」
いつの間にかアレクはベッドの上にあぐらをかいて、頬杖をつきながら私をじっと見つめていた。その姿勢のまま、いかにも困ったと言わんばかりに眉をひそめて続ける。
「姉様、さっきから言ってること変じゃない? なんか、まるで別の人の話をしてるみたいだ」
「そう! まさにそうなのよ!」
弟の鋭い指摘に、私はズバッと指を差した。
「何て言うのかな、エミリーとして生きてきた16年間は本当に自分のこととして断片的に思い出せるんだけど、アルベルトのことが好きっていう気持ちだけは何故か自分の感覚にならないの!」
「えー?」
「エミリーの気持ちを、えみりとして隣で見守ってる感じ」
「うー、わかんない」
「ごめんねアレク。私もよくわからなくって」
あまり弟に捲し立てても仕方ない。でも誰かに聞いてほしいのは事実だし、転生の事情を理解してくれるのも弟しかいない。うーん、相談できないってのも困ったものね。
私がため息をついている間に姿勢を崩し寝そべる弟。完全に猫時代のクセに見えるわね。
「なんか姉様が大変なのはわかったけどさー、これからどうするの?」
「どう、って?」
「アルベルト好きー!って言いに行くの?」
「いや、いやいやいや、それはちょっと・・・」
「昨日の夜はアルベルトのこと一生懸命考えてたじゃん、今朝も考えてるじゃん。だから、好きーって言いに行けばいいんじゃないの?」
「うーん、そう、ねえ・・・うーん。とりあえず、昨日の時計塔の時のことは謝りたいかな」
謝るというのもしっくりこないが、あの発言であの空気になったことについて、罪悪感があるのは事実だ。それはアルベルトに対してのものなのか、自分自身・・・エミリーに対してのものなのか、断言はできないけど。
「もう一度街に連れていってもらおうかしら。何もないし退屈しそうと思ってたけど、まさか自分に恋愛フラグが立つなんて」
「なんか姉様が好きそうな話」
「ゲームじゃないもの、楽しいなんて言ってられないわ。これは私の人生だものね」
よし、と小さく呟いてから、私はお母様に馬車を出してもらえないか相談に行こうとして・・・不意にノックされた扉に少々驚き立ち止まった。とりあえず返事をしておく。
「どなた?」
「私だ、エミリー」
ガチャリと開かれた扉の先に立っていたのは、ヨハネス兄様だった。
お父様譲りの長身とはっきりした顔立ちに、太く響く低めの声。しかしその見た目に反して、表情はなんだか思いっきり弱々しい。
ヨハネス兄様は後ろ手に扉を閉め、フニャフニャとした足取りで進み出てから言った。
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