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11 フィッシャー領へ
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「では行ってまいります!」
翌日、午前が半分を過ぎたころ。朝食と着替えを済ませた私と兄ヨハネスは、屋敷の門の前で両親の見送りを受けていた。
今からフィッシャー領に向かえば、お昼過ぎには到着できるらしい。軽く緊張している私にかまうことなく、メイドさんたちがトランクを馬車に詰め込んでくれている。
そんな様子を見届けつつ、お母様が少々心配そうな目で私の手を取った。
「エミリー、公爵殿に失礼のないように振る舞うのよ。急な出発になってしまってあなたも困惑していると思うけど…」
「大丈夫よ、お母さま。心配してくれてありがとう」
「なあに、いくら皇族がお見えになると言っても、基本的にパーティーであることに変わりない。せっかくの機会だ、存分に楽しんでくるといい」
そう言って笑うお父様の言葉に、お兄様は「はい」とにこやかに答えた。特に慌てている様子はなく頼もしい。
エミリー・フォン・ビスマルクにとっては何度目のパーティー参加になるのか明確には思い出せないのだけど、高塚えみりにとっては初めての場所。
日本でフツーにOLやってて社交場でパーティーとか、少なくとも私には縁がなかったわね。
「では」と声を掛け踵を返した兄に続いて、私も馬車に乗り込む。
最近新調したばかりなのだろう、深い青を中心に塗装された木枠の扉も、なめし革をしつらえた座席もツヤがある。
2日前に乗った時には全然気にも留めなかったけど、テーマパークでもないのにこんな乗り物に乗れるなんて夢みたいよね!
「お嬢様、よろしいですね?」
「はい!…って、ダニエラさん? 一緒に行くの?」
馬車にはすでにメイドさんが2人乗り込んでいた。そのうち一人はダニエラさんだ。
「はい、お供いたします。私、お嬢様のドレスのお召し替えをお任せいただきましたので」
「そうなんだ! 良かった、助かるわ!」
ダニエラさんの言葉にトランクの中のドレスを思い出す。あれ、絶対1人じゃ着替えられないなーと感じていたので心強い。
「では出してくれ!」
「エミリー!」
お兄様が御者に声をかけ、馬にムチを入れようとしたのとほぼ同じタイミングで、ふいに外から声が聞こえてきた。アレキサンダーだ。
馬車のそばに駆け寄ってきたので扉を開けると、弟は本気の涙目で私の手をがっしりと掴んだ。
「俺も連れてってよ姉様ー!」
「ちょ、ちょっとダメよアレク、貴方は招待されてないんだから。ここで待っていて」
「寂しいよおお!」
「急にそんな情けないこと言わないでよー、明日には戻ってくるんだから。たった一晩のことじゃない、ね?」
「ううう…」
これは驚き…まさかアレクがこんなに甘えん坊だったとは。
あ、でも猫時代のことを思い出すと特に違和感もないか…私が仕事から帰ってくると必ず足元にすり寄ってきたし、寝る時もベッタリだったし。
「わあん、なんかいろいろ思い出して私も寂しくなってきちゃったあ! アレクー!」
「エミリーィィっ!」
元猫の弟を甘えん坊だなんて私に言えたことではなかった。
私たちは結局お父様とダニエラさんに引きはがされ無理やり出発…まさに涙涙の別れとなったのだった。
草原に麦畑、お仕事をしている農家さんに、煙突から煙を上げている民家がちらほら。
牧歌的な風景ってこういうことを言うのかしら。
ビスマルク領とフィッシャー領は帝国内の中で近隣の領地だ。ただただ街道を進めばたどり着くので、交易商人の行き交いも多い。
馬車に揺られてしばらくしてから、私は「ふう」とため息を一つ。
涙はとうのとっくに引っ込み、むしろ「たかが1泊出かけるだけで何て大げさなリアクション…」と自分の行いを恥じているところだ。
それにしても、朝の10時半とか11時って、たまにものすごーく絶望する時間帯だったわね…まだ昼休みじゃないのかあ、みたいな。
こちらの世界でのお仕事ってまだよくわかっていないけど、おなかが空くのはみんな一緒よね。きっと同じ気持ちの人がたくさんいると思うわ。あの農家さんだってきっと一緒。
と・は・い・え、とは言え、だ。
私は内心不安で仕方がなかった。
何といっても兄の不愛想が何も解決できていない。
移動中に練習してももう変わらないわよね…と、お兄様のお顔を覗き込むと、私の方を見てニコリと微笑んだあと、再び手元の書類に視線を戻してしまった。
あの、酔わない…? 結構揺れるんだけど…。
ふと窓から空を見上げると、どんよりとした黒い雲が迫ってきていた。雨が降るかもしれない。
道中は結局、ダニエラさんにパーティーの作法を教えてもらっているうちに順調に進み、気が付けばフィッシャー公爵の屋敷近くの大通りにたどり着いていた。
その屋敷は我が家と違って、街の中心部にほど近い場所に建っている。
「お嬢様どうぞ。足元気を付けて」
「ありがとう」
御者さんにエスコートしてもらいながら石畳に降りる。
わあ、こちらも素敵な街並み…。あいにく天気はどんよりとしているけど、お昼時ということもあって人通りは多い。
ワーズルクに比べると色合いが賑やかというか、建物や花壇のお花がどこもカラフルで明るい印象だ。
でも時計塔のような目立つ建物はないわね。それこそ、このフィッシャー公爵のお屋敷がいちばん大きな建物なのかも。
時計塔ファンの私としては何だか誇らしいわ…って、何だか変な対抗意識が沸いてきちゃった。
私がふふんと鼻を鳴らすとほぼ同時、屋敷の門がキイイと甲高い音を立てながら開かれ、初老の男性…きっと執事ね、スタスタと歩いてきた。
「ようこそいらっしゃいました、ビスマルク家の皆様。フィッシャー家執事、スコーゼンと申します」
スコーゼンさんはにこやかな笑顔と深いお辞儀で私たちを迎えてくれた。
「ご無沙汰しておりますスコーゼンさん」
「お久しゅうございますヨハネス様。こちらは…」
「妹のエミリーです」
「はひっ」
急に紹介されて間抜けな声を上げる私に、執事さんはにこやかな表情のまま頭を下げた。
「初めましてエミリーお嬢様。長旅お疲れ様でございました」
「あ、初めまして! エミリーです、よろしくお願いします」
「さあ、中で我が主がお待ちです。どうぞこちらへ」
スコーゼンさんに促され、私たちはそのまま屋敷の奥へと進んでいった。
翌日、午前が半分を過ぎたころ。朝食と着替えを済ませた私と兄ヨハネスは、屋敷の門の前で両親の見送りを受けていた。
今からフィッシャー領に向かえば、お昼過ぎには到着できるらしい。軽く緊張している私にかまうことなく、メイドさんたちがトランクを馬車に詰め込んでくれている。
そんな様子を見届けつつ、お母様が少々心配そうな目で私の手を取った。
「エミリー、公爵殿に失礼のないように振る舞うのよ。急な出発になってしまってあなたも困惑していると思うけど…」
「大丈夫よ、お母さま。心配してくれてありがとう」
「なあに、いくら皇族がお見えになると言っても、基本的にパーティーであることに変わりない。せっかくの機会だ、存分に楽しんでくるといい」
そう言って笑うお父様の言葉に、お兄様は「はい」とにこやかに答えた。特に慌てている様子はなく頼もしい。
エミリー・フォン・ビスマルクにとっては何度目のパーティー参加になるのか明確には思い出せないのだけど、高塚えみりにとっては初めての場所。
日本でフツーにOLやってて社交場でパーティーとか、少なくとも私には縁がなかったわね。
「では」と声を掛け踵を返した兄に続いて、私も馬車に乗り込む。
最近新調したばかりなのだろう、深い青を中心に塗装された木枠の扉も、なめし革をしつらえた座席もツヤがある。
2日前に乗った時には全然気にも留めなかったけど、テーマパークでもないのにこんな乗り物に乗れるなんて夢みたいよね!
「お嬢様、よろしいですね?」
「はい!…って、ダニエラさん? 一緒に行くの?」
馬車にはすでにメイドさんが2人乗り込んでいた。そのうち一人はダニエラさんだ。
「はい、お供いたします。私、お嬢様のドレスのお召し替えをお任せいただきましたので」
「そうなんだ! 良かった、助かるわ!」
ダニエラさんの言葉にトランクの中のドレスを思い出す。あれ、絶対1人じゃ着替えられないなーと感じていたので心強い。
「では出してくれ!」
「エミリー!」
お兄様が御者に声をかけ、馬にムチを入れようとしたのとほぼ同じタイミングで、ふいに外から声が聞こえてきた。アレキサンダーだ。
馬車のそばに駆け寄ってきたので扉を開けると、弟は本気の涙目で私の手をがっしりと掴んだ。
「俺も連れてってよ姉様ー!」
「ちょ、ちょっとダメよアレク、貴方は招待されてないんだから。ここで待っていて」
「寂しいよおお!」
「急にそんな情けないこと言わないでよー、明日には戻ってくるんだから。たった一晩のことじゃない、ね?」
「ううう…」
これは驚き…まさかアレクがこんなに甘えん坊だったとは。
あ、でも猫時代のことを思い出すと特に違和感もないか…私が仕事から帰ってくると必ず足元にすり寄ってきたし、寝る時もベッタリだったし。
「わあん、なんかいろいろ思い出して私も寂しくなってきちゃったあ! アレクー!」
「エミリーィィっ!」
元猫の弟を甘えん坊だなんて私に言えたことではなかった。
私たちは結局お父様とダニエラさんに引きはがされ無理やり出発…まさに涙涙の別れとなったのだった。
草原に麦畑、お仕事をしている農家さんに、煙突から煙を上げている民家がちらほら。
牧歌的な風景ってこういうことを言うのかしら。
ビスマルク領とフィッシャー領は帝国内の中で近隣の領地だ。ただただ街道を進めばたどり着くので、交易商人の行き交いも多い。
馬車に揺られてしばらくしてから、私は「ふう」とため息を一つ。
涙はとうのとっくに引っ込み、むしろ「たかが1泊出かけるだけで何て大げさなリアクション…」と自分の行いを恥じているところだ。
それにしても、朝の10時半とか11時って、たまにものすごーく絶望する時間帯だったわね…まだ昼休みじゃないのかあ、みたいな。
こちらの世界でのお仕事ってまだよくわかっていないけど、おなかが空くのはみんな一緒よね。きっと同じ気持ちの人がたくさんいると思うわ。あの農家さんだってきっと一緒。
と・は・い・え、とは言え、だ。
私は内心不安で仕方がなかった。
何といっても兄の不愛想が何も解決できていない。
移動中に練習してももう変わらないわよね…と、お兄様のお顔を覗き込むと、私の方を見てニコリと微笑んだあと、再び手元の書類に視線を戻してしまった。
あの、酔わない…? 結構揺れるんだけど…。
ふと窓から空を見上げると、どんよりとした黒い雲が迫ってきていた。雨が降るかもしれない。
道中は結局、ダニエラさんにパーティーの作法を教えてもらっているうちに順調に進み、気が付けばフィッシャー公爵の屋敷近くの大通りにたどり着いていた。
その屋敷は我が家と違って、街の中心部にほど近い場所に建っている。
「お嬢様どうぞ。足元気を付けて」
「ありがとう」
御者さんにエスコートしてもらいながら石畳に降りる。
わあ、こちらも素敵な街並み…。あいにく天気はどんよりとしているけど、お昼時ということもあって人通りは多い。
ワーズルクに比べると色合いが賑やかというか、建物や花壇のお花がどこもカラフルで明るい印象だ。
でも時計塔のような目立つ建物はないわね。それこそ、このフィッシャー公爵のお屋敷がいちばん大きな建物なのかも。
時計塔ファンの私としては何だか誇らしいわ…って、何だか変な対抗意識が沸いてきちゃった。
私がふふんと鼻を鳴らすとほぼ同時、屋敷の門がキイイと甲高い音を立てながら開かれ、初老の男性…きっと執事ね、スタスタと歩いてきた。
「ようこそいらっしゃいました、ビスマルク家の皆様。フィッシャー家執事、スコーゼンと申します」
スコーゼンさんはにこやかな笑顔と深いお辞儀で私たちを迎えてくれた。
「ご無沙汰しておりますスコーゼンさん」
「お久しゅうございますヨハネス様。こちらは…」
「妹のエミリーです」
「はひっ」
急に紹介されて間抜けな声を上げる私に、執事さんはにこやかな表情のまま頭を下げた。
「初めましてエミリーお嬢様。長旅お疲れ様でございました」
「あ、初めまして! エミリーです、よろしくお願いします」
「さあ、中で我が主がお待ちです。どうぞこちらへ」
スコーゼンさんに促され、私たちはそのまま屋敷の奥へと進んでいった。
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