エレンディア王国記

火燈スズ

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第3章

134.子どもたち

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 広場の一角では、アレスが即席の的を立て、弓の弦の扱いを子どもたちに見せていた。骨で作った輪投げを肩越しに投げる遊びをケニーが教え、わざと派手に外しては大げさに転んで笑わせる。笑い声は鈴のように軽く、焚き火の煙に絡んで立ち昇る。小さな手が輪を拾い、泥がついた頬に満足げなえくぼが刻まれる。

 だが、その輪の外で、ひとりだけ距離を置いて立つ影があった。年の頃は十に届くかどうか。痩せた肩に薄い毛皮を羽織り、足首まで伸びた草紐の裾を親指で弄んでいる。大きな琥珀色の瞳はみんなの動きを追うが、その足は一歩も輪へ踏み込まない。子らがケニーの失敗に腹を抱えて笑うたび、彼だけの笑いは喉奥で硬く止まった。

 リアが広場に入ると、最初に目に入ったのがその子だった。ティグノーが肩の上で小さく尾を揺らし、囁きのように言う。

『風の裾に、重い結び目があるな』

 リアはアレスとケニーに軽く指を上げて合図し、群れの外で立つその子の方へ向かった。近づきすぎない距離で足を止め、視線の高さを合わせるために片膝をつく。草の匂いが濃くなり、土の湿りが膝を冷やした。

「おはよう。」リアは穏やかな声で言った。

「輪投げは好きか?」

 少年は驚いたように瞬きをし、すぐに視線を落とした。唇がわずかに動く。

「……はい」

「ここから見てると、輪の弧がよく見えるな。」リアは広場の輪へ一度だけ目をやり、また少年に戻す。

「君が見ている弧の方が、当てるのに役立つかもしれない」

 少年はほんの少しだけ顔を上げた。睫毛に朝の光がかかり、小さな影が頬に揺れる。

「……わたしは、下手です」

「俺もだ。」リアは肩をすくめ、子どもにしか聞こえないくらいの声で続ける。

「初めて授業をした日、黒板に書いた字を生徒に笑われた」

 少年の口元が、かすかに緩んだ。リアはその変化を追いかけず、前へ出ない。言葉をひとつ置いて、風と同じ速さで次を差し出す。

「君の名を、教えてくれるか」

「……オルです」

「オル。」リアはその名を一度だけ呼び、地面の小石を拾った。

「オル、ここに小さい的を置いてみよう。俺が投げるから、君は弧を見て、次はどう投げればいいか教えてくれ」

 オルはためらいがちに頷き、小さな石を二つ並べて置いた。リアは輪を受け取り、わざと少しだけ外れる弧で投げる。輪は石の手前で倒れた。オルは眉間に皺を寄せ、小さく唇を噛む。

「……もっと、上へ、ゆっくり……です」

「上へ、ゆっくり。」リアは繰り返し、今度は指先で弧の高さを少し上げる。輪は石の向こうに落ち、戻る力で手前の石にふれる。オルの目がぱっと明るくなる。

「できました」

「君の弧が導いた。」リアは微笑んだ。

「ありがとう、オル」

 少し打ち解けた空気が、ふっと満ちる。ヒナが遠目に安堵の息をつき、ケニーがこちらへ親指を立てた。アレスは子どもたちの弦を一人ずつ緩めてやりながら、ちらりと広場の端を見張る。

 その時だ。骨飾りの入口から、駆け足の音が土を蹴って近づいてきた。息を切らした若い男が飛び込み、眼を見開いたまま叫ぶ。

「魔獣だー!」

 広場の空気が、一気に凍りついた。輪が一つ、掌から滑り、草の上で乾いた音を立てる。子どもたちの笑いが吸い込まれ、焚き火の炎がぱちりと悲鳴のように跳ねた。

 リアは立ち上がり、オルの肩にすばやく手を置く。

「オル、ここから動くな。ヒナ、誘導を」

「承知しました!」ヒナは即座に子どもたちの前に出て両手を広げる。

「皆さん、こちらへ整列してください。走らなくて大丈夫です」アレスは矢筒の口を確認し、ケニーは焚き火の周りの障害物を蹴りのけて導線を確保する。

 入口の男は肩で荒く息をしながら続けた。

「北の樹海の縁です! 紫の……瘴気を纏った大型、二、いや三――!」

 ティグノーがリアの肩で唸り、毛並みが逆立つ。

『風の匂いが変わった。森の底で、別の風が生まれておる』

 リアは頷き、視線だけでカイラとシャリス、ルテラの位置を探った。シャリスは既に集落の年寄りへ手短に指示を出し、カイラは両手剣の留め具を静かに外している。ルテラはオルの隣に片膝をつき、優しく頷いた。

「大丈夫です」

 風が一筋、広場を横切った。草が伏せ、骨飾りが鳴り、子どもたちの瞳が揃ってリアへ向いた。恐れと信頼の入り混じった視線。リアはそれを真正面から受け止め、短く告げる。

「守る。――持ち場につけ」

 次の瞬間、森の奥で、何かが枝を裂く重い音がした。
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