エレンディア王国記

火燈スズ

文字の大きさ
136 / 197
第3章

133.本来の目的

しおりを挟む
 翌朝。夜露の粒が草の穂先にびっしり宿り、朝日を受けて無数の小さな星のように瞬いていた。森は夜の冷気をまだ手放さず、吐く息はかすかに白い。枝葉の隙間から射す光は薄金色で、樹皮の凹凸を斜めに撫でてゆく。遠くで梟が名残惜しげに鳴き、すぐそばでは名も知らぬ小鳥が甲高くさえずった。

 リアとヒナは集落を抜け、森を出て草原の肩まで登った。風が頬を洗い、若い草の匂いが胸いっぱいに広がる。眼下には昨日見た広大な草の海が、また違う色合いでひらけていた。朝の斜光が波立つ草むらを銀色に撫で、遠い白樺の群れは薄い蒸気を纏ってぼんやりと浮かび上がっている。肩に乗った小さなティグノーが尻尾をゆっくり振り、金の瞳で地平を眺めていた。

「……まずは地ならしですね、リア様。」ヒナが両手を口元に寄せて息を温めながら言う。

「拠点をどこに置くか、何から始めるか、やるべきことは山ほどありますが」

「拠点を勝手に据えるのは最後だ。」リアは風上に顔を向けたまま、短く返す。

「この地は俺たちの白地図じゃない。すでに人が住み、道を持ち、掟で守っている。先住の人々と手順を踏んで向き合うのが第一だ」

「はい。ですが……部族内には『目立たぬことが生き延びる術』という合意が強いように感じました。」ヒナは昨日の夕餉の席を思い返すように目を伏せる。

「大きな動きを口にした途端、拒絶の圧力がかかる。そこをどう崩すかが鍵かと」

「崩す、ではなく『ほどく』だな。」リアは草を一本折り取り、指でしならせた。

「緊く結ばれているからこそ強い。無理に切れば反発は大きく、傷が残る。まずは信頼の糸を一本ずつ見つけて結び直す。サーシャはその一本になれる」

「同意します。」ヒナは頷き、懐から小さなメモ布を出した。

「具体的には――、禁足地と聖域の確認。二、狩場と水脈の把握。三、互助の仕組み――病と魔獣への共同対処。その対価として、こちらからは医療と農の知見を提供。……『与える前に問う』の原則を徹底ですね」

「言葉もだ。」リアは草を指先で細く裂き、風に乗せて放った。

「言い回し一つで支配に聞こえる。約束は彼らの様式で交わす。王都の誓紙より、この地の誓いの枝の方が重いなら、それを選ぶ」

『よい心がけだ』ティグノーが小さく喉を鳴らした。

『この地の者は、石ではなく風に書く。消えるのではない、流れて行き着くだ。流れを乱さぬ者に、風は道を教える』

「……問題は、銀翼です。」ヒナが視線を落とす。

「『黒雲の災厄、銀の龍』。もし一つ目の予言が彼らなら、開拓の前に防衛線を――」

「防衛はする。」リアは言い切った。

「だが要塞は作らない。壁の内側に閉じ籠もるやり方は、この地を再び傷つける。見張りは森の目に学ぶ。サーシャに、彼らの哨戒の歩幅と環を教わろう」

 ヒナは小さく笑った。「『ほどく』と『学ぶ』。リア様のお得意分野ですね」

「得意分野、か。」リアは自嘲めいた息をひとつ洩らし、背伸びをした。

「戻ろう。今日は顔で話す日だ」

 下る道の草は夜露で滑り、靴の底に冷たい感触を残した。森に入ると空気はまた湿り、樹皮の匂いに煙の香りが混じる。集落が近い。やがて、骨飾りの下がった入口が見え、火の色と人の声が重なって流れ出てきた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

『婚約破棄された聖女リリアナの庭には、ちょっと変わった来訪者しか来ません。』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
王都から少し離れた小高い丘の上。 そこには、聖女リリアナの庭と呼ばれる不思議な場所がある。 ──けれど、誰もがたどり着けるわけではない。 恋するルミナ五歳、夢みるルーナ三歳。 ふたりはリリアナの庭で、今日もやさしい魔法を育てています。 この庭に来られるのは、心がちょっぴりさびしい人だけ。 まほうに傷ついた王子さま、眠ることでしか気持ちを伝えられない子、 そして──ほんとうは泣きたかった小さな精霊たち。 お姉ちゃんのルミナは、花を咲かせる明るい音楽のまほうつかい。 ちょっとだけ背伸びして、だいすきな人に恋をしています。 妹のルーナは、ねむねむ魔法で、夢の中を旅するやさしい子。 ときどき、だれかの心のなかで、静かに花を咲かせます。 ふたりのまほうは、まだ小さくて、でもあたたかい。 「だいすきって気持ちは、  きっと一番すてきなまほうなの──!」 風がふくたびに、花がひらき、恋がそっと実る。 これは、リリアナの庭で育つ、 小さなまほうつかいたちの恋と夢の物語です。

デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢、前世の記憶を駆使してダイエットする~自立しようと思っているのに気がついたら溺愛されてました~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢エヴァンジェリンは、その直後に前世の記憶を思い出す。 かつてダイエットオタクだった記憶を頼りに伯爵領でダイエット。 ついでに魔法を極めて自立しちゃいます! 師匠の変人魔導師とケンカしたりイチャイチャしたりしながらのスローライフの筈がいろんなゴタゴタに巻き込まれたり。 痩せたからってよりを戻そうとする元婚約者から逃げるために偽装婚約してみたり。 波乱万丈な転生ライフです。 エブリスタにも掲載しています。

追放貴族少年リュウキの成り上がり~魔力を全部奪われたけど、代わりに『闘気』を手に入れました~

さとう
ファンタジー
とある王国貴族に生まれた少年リュウキ。彼は生まれながらにして『大賢者』に匹敵する魔力を持って生まれた……が、義弟を溺愛する継母によって全ての魔力を奪われ、次期当主の座も奪われ追放されてしまう。 全てを失ったリュウキ。家も、婚約者も、母の形見すら奪われ涙する。もう生きる力もなくなり、全てを終わらせようと『龍の森』へ踏み込むと、そこにいたのは死にかけたドラゴンだった。 ドラゴンは、リュウキの境遇を憐れみ、ドラゴンしか使うことのできない『闘気』を命をかけて与えた。 これは、ドラゴンの力を得た少年リュウキが、新しい人生を歩む物語。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

【一時完結】スキル調味料は最強⁉︎ 外れスキルと笑われた少年は、スキル調味料で無双します‼︎

アノマロカリス
ファンタジー
調味料…それは、料理の味付けに使う為のスパイスである。 この世界では、10歳の子供達には神殿に行き…神託の儀を受ける義務がある。 ただし、特別な理由があれば、断る事も出来る。 少年テッドが神託の儀を受けると、神から与えられたスキルは【調味料】だった。 更にどんなに料理の練習をしても上達しないという追加の神託も授かったのだ。 そんな話を聞いた周りの子供達からは大爆笑され…一緒に付き添っていた大人達も一緒に笑っていた。 少年テッドには、両親を亡くしていて妹達の面倒を見なければならない。 どんな仕事に着きたくて、頭を下げて頼んでいるのに「調味料には必要ない!」と言って断られる始末。 少年テッドの最後に取った行動は、冒険者になる事だった。 冒険者になってから、薬草採取の仕事をこなしていってったある時、魔物に襲われて咄嗟に調味料を魔物に放った。 すると、意外な効果があり…その後テッドはスキル調味料の可能性に気付く… 果たして、その可能性とは⁉ HOTランキングは、最高は2位でした。 皆様、ありがとうございます.°(ಗдಗ。)°. でも、欲を言えば、1位になりたかった(⌒-⌒; )

私の薬華異堂薬局は異世界につくるのだ

柚木 潤
ファンタジー
 薬剤師の舞は、亡くなった祖父から託された鍵で秘密の扉を開けると、不思議な薬が書いてある古びた書物を見つけた。  そしてその扉の中に届いた異世界からの手紙に導かれその世界に転移すると、そこは人間だけでなく魔人、精霊、翼人などが存在する世界であった。  舞はその世界の魔人の王に見合う女性になる為に、異世界で勉強する事を決断する。  舞は薬師大学校に聴講生として入るのだが、のんびりと学生をしている状況にはならなかった。  以前も現れた黒い影の集合体や、舞を監視する存在が見え隠れし始めたのだ・・・ 「薬華異堂薬局のお仕事は異世界にもあったのだ」の続編になります。  主人公「舞」は異世界に拠点を移し、薬師大学校での学生生活が始まります。  前作で起きた話の説明も間に挟みながら書いていく予定なので、前作を読んでいなくてもわかるようにしていこうと思います。  また、意外なその異世界の秘密や、新たな敵というべき存在も現れる予定なので、前作と合わせて読んでいただけると嬉しいです。  以前の登場人物についてもプロローグのに軽く記載しましたので、よかったら参考にしてください。  

処理中です...