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第3章
133.本来の目的
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翌朝。夜露の粒が草の穂先にびっしり宿り、朝日を受けて無数の小さな星のように瞬いていた。森は夜の冷気をまだ手放さず、吐く息はかすかに白い。枝葉の隙間から射す光は薄金色で、樹皮の凹凸を斜めに撫でてゆく。遠くで梟が名残惜しげに鳴き、すぐそばでは名も知らぬ小鳥が甲高くさえずった。
リアとヒナは集落を抜け、森を出て草原の肩まで登った。風が頬を洗い、若い草の匂いが胸いっぱいに広がる。眼下には昨日見た広大な草の海が、また違う色合いでひらけていた。朝の斜光が波立つ草むらを銀色に撫で、遠い白樺の群れは薄い蒸気を纏ってぼんやりと浮かび上がっている。肩に乗った小さなティグノーが尻尾をゆっくり振り、金の瞳で地平を眺めていた。
「……まずは地ならしですね、リア様。」ヒナが両手を口元に寄せて息を温めながら言う。
「拠点をどこに置くか、何から始めるか、やるべきことは山ほどありますが」
「拠点を勝手に据えるのは最後だ。」リアは風上に顔を向けたまま、短く返す。
「この地は俺たちの白地図じゃない。すでに人が住み、道を持ち、掟で守っている。先住の人々と手順を踏んで向き合うのが第一だ」
「はい。ですが……部族内には『目立たぬことが生き延びる術』という合意が強いように感じました。」ヒナは昨日の夕餉の席を思い返すように目を伏せる。
「大きな動きを口にした途端、拒絶の圧力がかかる。そこをどう崩すかが鍵かと」
「崩す、ではなく『ほどく』だな。」リアは草を一本折り取り、指でしならせた。
「緊く結ばれているからこそ強い。無理に切れば反発は大きく、傷が残る。まずは信頼の糸を一本ずつ見つけて結び直す。サーシャはその一本になれる」
「同意します。」ヒナは頷き、懐から小さなメモ布を出した。
「具体的には――、禁足地と聖域の確認。二、狩場と水脈の把握。三、互助の仕組み――病と魔獣への共同対処。その対価として、こちらからは医療と農の知見を提供。……『与える前に問う』の原則を徹底ですね」
「言葉もだ。」リアは草を指先で細く裂き、風に乗せて放った。
「言い回し一つで支配に聞こえる。約束は彼らの様式で交わす。王都の誓紙より、この地の誓いの枝の方が重いなら、それを選ぶ」
『よい心がけだ』ティグノーが小さく喉を鳴らした。
『この地の者は、石ではなく風に書く。消えるのではない、流れて行き着くだ。流れを乱さぬ者に、風は道を教える』
「……問題は、銀翼です。」ヒナが視線を落とす。
「『黒雲の災厄、銀の龍』。もし一つ目の予言が彼らなら、開拓の前に防衛線を――」
「防衛はする。」リアは言い切った。
「だが要塞は作らない。壁の内側に閉じ籠もるやり方は、この地を再び傷つける。見張りは森の目に学ぶ。サーシャに、彼らの哨戒の歩幅と環を教わろう」
ヒナは小さく笑った。「『ほどく』と『学ぶ』。リア様のお得意分野ですね」
「得意分野、か。」リアは自嘲めいた息をひとつ洩らし、背伸びをした。
「戻ろう。今日は顔で話す日だ」
下る道の草は夜露で滑り、靴の底に冷たい感触を残した。森に入ると空気はまた湿り、樹皮の匂いに煙の香りが混じる。集落が近い。やがて、骨飾りの下がった入口が見え、火の色と人の声が重なって流れ出てきた。
リアとヒナは集落を抜け、森を出て草原の肩まで登った。風が頬を洗い、若い草の匂いが胸いっぱいに広がる。眼下には昨日見た広大な草の海が、また違う色合いでひらけていた。朝の斜光が波立つ草むらを銀色に撫で、遠い白樺の群れは薄い蒸気を纏ってぼんやりと浮かび上がっている。肩に乗った小さなティグノーが尻尾をゆっくり振り、金の瞳で地平を眺めていた。
「……まずは地ならしですね、リア様。」ヒナが両手を口元に寄せて息を温めながら言う。
「拠点をどこに置くか、何から始めるか、やるべきことは山ほどありますが」
「拠点を勝手に据えるのは最後だ。」リアは風上に顔を向けたまま、短く返す。
「この地は俺たちの白地図じゃない。すでに人が住み、道を持ち、掟で守っている。先住の人々と手順を踏んで向き合うのが第一だ」
「はい。ですが……部族内には『目立たぬことが生き延びる術』という合意が強いように感じました。」ヒナは昨日の夕餉の席を思い返すように目を伏せる。
「大きな動きを口にした途端、拒絶の圧力がかかる。そこをどう崩すかが鍵かと」
「崩す、ではなく『ほどく』だな。」リアは草を一本折り取り、指でしならせた。
「緊く結ばれているからこそ強い。無理に切れば反発は大きく、傷が残る。まずは信頼の糸を一本ずつ見つけて結び直す。サーシャはその一本になれる」
「同意します。」ヒナは頷き、懐から小さなメモ布を出した。
「具体的には――、禁足地と聖域の確認。二、狩場と水脈の把握。三、互助の仕組み――病と魔獣への共同対処。その対価として、こちらからは医療と農の知見を提供。……『与える前に問う』の原則を徹底ですね」
「言葉もだ。」リアは草を指先で細く裂き、風に乗せて放った。
「言い回し一つで支配に聞こえる。約束は彼らの様式で交わす。王都の誓紙より、この地の誓いの枝の方が重いなら、それを選ぶ」
『よい心がけだ』ティグノーが小さく喉を鳴らした。
『この地の者は、石ではなく風に書く。消えるのではない、流れて行き着くだ。流れを乱さぬ者に、風は道を教える』
「……問題は、銀翼です。」ヒナが視線を落とす。
「『黒雲の災厄、銀の龍』。もし一つ目の予言が彼らなら、開拓の前に防衛線を――」
「防衛はする。」リアは言い切った。
「だが要塞は作らない。壁の内側に閉じ籠もるやり方は、この地を再び傷つける。見張りは森の目に学ぶ。サーシャに、彼らの哨戒の歩幅と環を教わろう」
ヒナは小さく笑った。「『ほどく』と『学ぶ』。リア様のお得意分野ですね」
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「戻ろう。今日は顔で話す日だ」
下る道の草は夜露で滑り、靴の底に冷たい感触を残した。森に入ると空気はまた湿り、樹皮の匂いに煙の香りが混じる。集落が近い。やがて、骨飾りの下がった入口が見え、火の色と人の声が重なって流れ出てきた。
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