142 / 197
第3章
139.協力
しおりを挟む午後、長老の使いがリアに呼びを告げた。集落の中心の、最も大きなテント。昼の光を撥ね返す厚い獣皮の幕が上がると、空気は外よりひんやりしていて、香の匂いが深かった。
長老は杖を膝に置き、まっすぐリアを見た。両の瞳には疲労の翳りがあるが、芯はまるで石柱だ。
「王家の子よ。――いや、今は開拓の灯と呼ぶべきか」
リアは片膝をつき、丁重に頭を垂れた。
「お呼びにより参りました」
「昨夜の火、今日の手。わしは見た。……参加したい。おぬしの『エレンディア開拓』とやらに、この部族を」
テントの外で風鈴のように骨飾りが鳴った。リアは静かに顔を上げる。
「ありがたく存じます。ただし、我らのやり方は、まず問うこと。与えるより前に問う。それでも良いのなら」
「それで良い。」長老は短く答え、杖の先で地面をことりと突いた。
「条件がある。」
「承りましょう」
「永久の、つつましい繁栄だ。」
リアは目を細める。
「……つまり、部族の暮らしの静けさを守る。必要以上に都市を築かず、大道を敷かず、旗を立てねばならぬ場面でも、旗より風の印を選べ――そういうことで相違ございませんか」
「よく分かっておる。」長老は微笑し、サーシャを呼んだ。少女が入ってくる。先ほどのあどけなさより、幾分凛とした顔つきだ。
「誓いは、わしらのやり方で。――誓いの枝を」
サーシャが黒く艶のある若枝を持ってきた。真ん中に細い裂け目があり、そこへ双方が一本ずつ、短い草紐をくぐらせて結ぶ。リアは草紐を選ぶ手を一度だけ止め、ほどけにくい半段のずらしを加え、結ぶ。
「風は、流れながらも戻る。」長老が唱える。
「火は、燃やしながらも照らす。」リアが応じる。
「血は、流しながらも繋ぐ。」二人の声が重なった。
枝がかすかに鳴り、天幕の中の香の煙が輪になってほどける。サーシャは目を潤ませ、小さく手を握った。ティグノーが枝にひくく鼻を寄せ、『……悪くない結びだ』と満足げに言う。
テントを出ると、昼の光が眩しい。リアはすぐに全員を広場へ集めた。
「――拠点を作る。草原の中心寄り、昨日夜紺蠍王の瘴気が届かなかった台地の肩だ。風が抜け、水筋に近い。地を傷つけない暫定だが、ここで手を合わせ、考えを合わせ、動きを合わせる場にする」
かくして午後の作業が始まった。
最初にするのは、測りだ。アレスが細い杭を射って仮の基点を作り、ケニーが縄を張って子どもたちに持たせる。
「まっすぐってむずかしいな!」
「風が押すからね、風に勝つな、風を使え!」
サーシャは地表の草の向き、蟻の道、土の色で水脈を読む。ヒナは記録布に印をつけ、シャリスが足場の悪い場所へ風足の薄い加護を撒く。カイラとルテラは樹皮柱を立てる係だ。重い柱を持ち上げるとき、ルテラはほとんど無言だが、柱の足元に敷く石を選ぶ手は丁寧で、石一つの向きを変えては、柱の揺れが半分になる。
「ここ、石の目が立っています」
「ほう。」カイラは唇の端をわずかに上げる。
「お見事」
穴を掘り、杭を打ち、草を刈りすぎないよう束ね、再生のための根残しを確認する。リアは要所で手を止める。
「この草は春の風を呼ぶから残そう」
「この茂みは鳥の道だから、逆U字で道を空ける」と指示を出す。部族の老人がうなずいた。
「……客人、目が風と同じだ」
途中、ケニーが子どもたちと縄くぐり競争を始め、見事に引っかかって派手に転んだ。
「先生、足が長すぎるのでは?」
「いや違う、縄が短すぎるのだ!」
「じゃあ縄を伸ばせば?」
「伸びない縄もある、人生と同じだ……」
「意味わからない!」
爆笑の中、ケニーはこっそり転んだ場所に浅いくぼみができているのを見つけ、「ここ、柔らかいっすよ」とリアに告げた。
掘ってみると、伏流水が浅く走っていた。
「ケニー、転びの才が役立ったな」
「役に立つ転倒、初めて評価されました!」
日は次第に傾き、草の影が長く伸びる。柱が立ち、布が張られ、道具と記録と水が集まる場所――拠点の骨が姿を現した。風が抜けるよう、布は二重に張らず片側を高く、片側を低く。地面に触れる部分には乾いた葉を敷き、湿りを吸っても交換しやすいよう束にする。
部族の女たちが「これは楽だ」と目を丸くし、老爺が「昔、祖父が似たことを言っていた」と懐かしそうに笑う。
『風と火が、ようやく同じ小屋で飯を食い始めたというわけじゃな』ティグノーが肩で小さくあくびをした。
夕刻、仕事を一旦切り上げる。拠点の真ん中に小さな石囲いを作り、慎ましい火を灯した。初めての火だ。誰も大声を上げず、自然に手を合わせる。長老はここへは来ない。だが、風鈴の骨が遠くでかすかに鳴った。――風が承認を与えたのだ、と誰もが思った。
帰り道、草の香りは昼より甘く、影は深い紫を含んでいた。集落の灯りが見え、骨飾りが夕風に鳴る。門をくぐったその刹那、空気の張りが違うことに全員が気づいた。鈍い音、罵声、押し合う人波。
広場の中央で、ハランとティーダが殴り合っていた。ハランの頬には血がにじみ、拳は固い。ティーダは獣のように低く笑い、避け、爪のような拳で頬を掠める。二人を囲む輪は二重、三重になり、止めに入る者の肩を別の誰かが引く。言葉は混ざって意味を失い、ただ怒りだけが形を持つ。
「やめなさい!」サーシャが駆け出そうとし、ヒナが腕をとって制した。
「待ってください。――リア様」
リアは一歩前へ出た。夕火で縁取られた横顔が冷たく、しかし熱い。肩のティグノーが尾を鳴らし、風の向きが微かに変わる。群衆のざわめきが、ほんの一拍だけ遅れた。
ハランの拳がもう一度、まっすぐに伸びた。ティーダが笑う。笑いは、誰かの背筋に薄い寒気を走らせた。
――その瞬間を、風は分かれ目と呼ぶ。
24
あなたにおすすめの小説
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~
松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。
なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。
生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。
しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。
二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。
婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。
カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。
私の薬華異堂薬局は異世界につくるのだ
柚木 潤
ファンタジー
薬剤師の舞は、亡くなった祖父から託された鍵で秘密の扉を開けると、不思議な薬が書いてある古びた書物を見つけた。
そしてその扉の中に届いた異世界からの手紙に導かれその世界に転移すると、そこは人間だけでなく魔人、精霊、翼人などが存在する世界であった。
舞はその世界の魔人の王に見合う女性になる為に、異世界で勉強する事を決断する。
舞は薬師大学校に聴講生として入るのだが、のんびりと学生をしている状況にはならなかった。
以前も現れた黒い影の集合体や、舞を監視する存在が見え隠れし始めたのだ・・・
「薬華異堂薬局のお仕事は異世界にもあったのだ」の続編になります。
主人公「舞」は異世界に拠点を移し、薬師大学校での学生生活が始まります。
前作で起きた話の説明も間に挟みながら書いていく予定なので、前作を読んでいなくてもわかるようにしていこうと思います。
また、意外なその異世界の秘密や、新たな敵というべき存在も現れる予定なので、前作と合わせて読んでいただけると嬉しいです。
以前の登場人物についてもプロローグのに軽く記載しましたので、よかったら参考にしてください。
異世界ほのぼの牧場生活〜女神の加護でスローライフ始めました〜』
チャチャ
ファンタジー
ブラック企業で心も体もすり減らしていた青年・悠翔(はると)。
日々の疲れを癒してくれていたのは、幼い頃から大好きだったゲーム『ほのぼの牧場ライフ』だけだった。
両親を早くに亡くし、年の離れた妹・ひなのを守りながら、限界寸前の生活を続けていたある日――
「目を覚ますと、そこは……ゲームの中そっくりの世界だった!?」
女神様いわく、「疲れ果てたあなたに、癒しの世界を贈ります」とのこと。
目の前には、自分がかつて何百時間も遊んだ“あの牧場”が広がっていた。
作物を育て、動物たちと暮らし、時には村人の悩みを解決しながら、のんびりと過ごす毎日。
けれどもこの世界には、ゲームにはなかった“出会い”があった。
――獣人の少女、恥ずかしがり屋の魔法使い、村の頼れるお姉さん。
誰かと心を通わせるたびに、はるとの日常は少しずつ色づいていく。
そして、残された妹・ひなのにも、ある“転機”が訪れようとしていた……。
ほっこり、のんびり、時々ドキドキ。
癒しと恋と成長の、異世界牧場スローライフ、始まります!
追放貴族少年リュウキの成り上がり~魔力を全部奪われたけど、代わりに『闘気』を手に入れました~
さとう
ファンタジー
とある王国貴族に生まれた少年リュウキ。彼は生まれながらにして『大賢者』に匹敵する魔力を持って生まれた……が、義弟を溺愛する継母によって全ての魔力を奪われ、次期当主の座も奪われ追放されてしまう。
全てを失ったリュウキ。家も、婚約者も、母の形見すら奪われ涙する。もう生きる力もなくなり、全てを終わらせようと『龍の森』へ踏み込むと、そこにいたのは死にかけたドラゴンだった。
ドラゴンは、リュウキの境遇を憐れみ、ドラゴンしか使うことのできない『闘気』を命をかけて与えた。
これは、ドラゴンの力を得た少年リュウキが、新しい人生を歩む物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる