エレンディア王国記

火燈スズ

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第1章

67.灰衣の女

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 ひび割れた地上の石畳を踏みしめ、ヒナとライラは倉庫の裏口から這い出た。

 夜空に冷たい風が吹き込む。まだ月は雲に隠れ、空気にはかすかに血と埃の匂いが残っている。

「……こっちだ!」

 物陰から声がした。次の瞬間、アレスが姿を現す。背後には、泥だらけの子どもたち十数名。

「無事か、ヒナ!」

「ええ。ライラも一緒よ」

 ライラはヒナの後ろに隠れるように立ち、アレスの姿に安堵した表情を浮かべた。アレスはほっと息をつき、子どもたちに振り返る。

「お前ら、あの廃屋の陰で待機しろ。合図があったら、一直線に森まで逃げろ」

「「はい!隊長!」」子供たちが背筋を伸ばして敬礼する。

「……え? アレス、それって……」

 ヒナが目を細めて言った。

 アレスは頷く。

「俺は戻る。まだ中には奴らがいる。すべて潰してからじゃなきゃ意味がない」

「…待って、それは無理よ」

 ヒナが静かに、しかし震える声で言った。

「ここは……本拠地じゃないわ。違うの」

 アレスが目を見開いた。

「……なんだって?」

「見つけたの。書類部屋を。全部、載ってた……こんなの、ただの入り口……ほんの一部なのよ」

 その言葉に、アレスの顔から血の気が引いた。

「……じゃあ、これは……」

「黒幕はここにはいない。ここはただの…」

 沈黙が二人を包む。だが、それはすぐに破られた。

「……ずいぶんと楽しい話をしてるじゃない?」

 風も音もなかった。なのに、確かに『そこ』にいた。

 フードを深く被った女が、灰色のマントを揺らしながら現れた。地を踏みしめる音すらせず、まるで影のように。

 その気配だけで、空気が変わる。

 ヒナとアレスは同時に剣を抜いた。

「誰だっ…!」

 女は笑った。目はフードの奥で見えない。しかし口元だけが、狂気じみた笑みを浮かべていた。

「私? ただの暇つぶしよ。ねぇ――君たち、強い?」

 ヒナの背に冷たいものが走る。

 (まずい、これは……)

 女は一歩、足を踏み出すだけで、空気が重くなる。アレスが息を詰め、ヒナは自然と前に出た。

「下がって。ここは私がやる」

 ヒナは剣を逆手に持ち、低く構えた。

「へぇ、やる気ね。嬉しい……!」

 ヒナは一気に踏み込む。高速の斬撃――だが。

 ――ガッ!

 視界が跳ねた。女の手刀がヒナの剣を弾き飛ばす。

「くっ!」

 間髪入れず、体勢を整え、再び斬りかかる。右斜め下、左上からの切り返し。素早さと正確さには自信があった。

 だが――

 女は一歩も動かず、指先だけで受け止めた。

「残念。弱いわね」

 カン、と金属音。

 次の瞬間、ヒナの身体が浮いた。

「――がはっ!」

 腹に重い衝撃。風を巻く蹴りがヒナを地に叩きつけた。咳き込みながら立ち上がろうとするヒナを、さらに追撃の拳が襲う。

「ヒナッ!」

 アレスが叫ぶが、動けない。

 女の圧倒的な戦闘力。異常な格の違い。

 ヒナは必死に起き上がり、剣を構えるが、その手が震えていた。

「……まだ、立つの?」

 女はまるで踊るようにヒナの間合いに踏み込み、剣を弾き、膝を入れ、肘を当て、圧倒していく。

 地面に叩きつけられたヒナは、意識が飛びそうになる中、空を見つめていた。

 (もう……ここまでかも……)

 女が剣を抜いた。

 「じゃあ、最後ね。ありがと、少しは楽しめた」

 鋭い軌跡を描いて、刃が振り下ろされる。

 ――だが。

 「退け」

 その声は、静かに、だが確かに届いた。

 金属がぶつかる音。

 刃が止まっていた。

 目を開けたヒナの前に立っていたのは、一人の少年だった。

 銀の髪。冷たい瞳。血の気の通った、生きた意思。

「リア……様……」

 彼はヒナの前に立ち、女の剣を受け止めていた。

 そして、一言。

 「俺の仲間に、手を出すな」

 その背中は、小さくとも――決して、折れることのない盾だった。
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