エレンディア王国記

火燈スズ

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第1章

75.影の魔法

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 牢の空気が張り詰めていた。ザイルの体を覆う黒い霧のようなものが、ゆらりと揺れながら膨れ上がっていく。重い空気、肌を刺すような圧。リアも、ヒナも、アレスも息を呑んだ。

「……なんだ、これ……?」

ヒナが剣を握る手を強くしめた。リアは目を細める。

「……こんな魔法……聞いたことがない」

 魔法は、火・水・風・雷・土――その五属性に分類される。それがこの世界の常識だった。だが、ザイルが放つ霧は、そのどれにも当てはまらない。そのような特殊な魔法は、存在は確認されているが、解明はされてない。そのような魔法には、まとめて名称がついていた。

「まさか……未開魔法……?」

 ヒナの言葉と同時に、黒い霧が形を変え、床を這い、蛇のように頭をもたげる。

「……蛇……!」

 アレスが息を呑んだ瞬間、黒い蛇が床から飛び出した。槍のように鋭い影が、ヒナに向かって襲いかかる。

「くっ……!」

 ヒナは剣を振り、蛇の首を斬り落とす――だが、切れたはずの影は霧に戻り、また新たな蛇が形を成した。

「斬っても斬っても……!」

「無駄だ」

 ザイルの声が低く響き、黒い蛇が何匹も湧き出す。

「ヒナ、下がれ!」

 リアの炎が一気に広がる。赤い光が牢を照らすが――

「もっと光を……もっと影を」

 ザイルの笑みが広がる。光が生まれるたび、蛇の影は濃く、鋭くなっていった。

「炎が……影を強めてる……!」

 リアは歯を食いしばった。炎の魔法剣士である自分の力が、逆にザイルを助けているという現実。

「まずいな……」

 ヒナも剣を構えたまま、蛇の群れに必死に斬撃を重ねるが、数が減ることはない。リアは剣を握り直した。

「……なら、長引かせない。終わらせる」

 彼は低く呟き、剣に炎をまとわせる。炎が一気に膨れ上がり、赤い光が蛇たちを追い払う。だが同時に、ザイルの影はさらに濃くなり、牙を剥く。

「……来い」

 ザイルが両手を広げ、影の蛇たちが一斉に襲いかかる。リアは地を蹴った。一瞬で距離を詰め、炎を纏った剣を横一文字に振り抜く――閃光が走る。牢全体を裂くほどの一閃が、影の蛇を一瞬で焼き払った。

「ぐっ……!」

 ザイルの体が炎に包まれ、後ろへ吹き飛ぶ。黒い霧が弾け、影が薄まっていく。

「……終わりだ、ザイル」

 リアの剣先がザイルの首元に止まった。殺しはしない。ただ、力を奪うための一撃だった。ザイルは膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。だが、リアの勝利を告げるような静寂は続かなかった。

「……っ! 待って……!」

 ヒナが叫ぶ。ザイルの背後の影が再び膨らみ始めた。まるで生きているかのように、床を這い、鉄格子の方へ伸びる。

「なにを――」

 ラニアとケネスの低い叫びが響いた。

「や、やめろっ……!」

「来るな……来るなぁッ!」

 黒い影がふたりを呑み込んだ。

「ラニア! ケネス!」

 リアとヒナが同時に駆け寄るが、間に合わない。飲み込まれた影が、再びザイルの体に吸い寄せられ、膨れ上がる。

「……これは……」

 ヒナが後ずさる。ザイルの体が、悲鳴を上げるように変形した。骨が軋み、肉が裂け、影と血肉が絡み合う。次の瞬間、牢の壁が爆発するように吹き飛んだ。

「な……っ!」

 アレスが叫ぶ。瓦礫の中から現れたのは、もはや人ではなかった。無数の蛇の影を背負った異形の怪物――。

「これが……黒蛇の……本性……」

 リアは炎をまとわせた剣を握り直した。背後では、人々の悲鳴が遠くから聞こえ始めていた。

――カルネリスの夜が、地獄に変わろうとしていた。
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