エレンディア王国記

火燈スズ

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第2章

88.方向性

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 夕暮れが村を包み始めたころ、宿屋の小さな一室に全員が集まっていた。木の床は少し軋み、壁には油ランプの淡い光が揺れている。窓から差し込む夕陽はもう赤みを帯び、外では村人たちが家路を急ぐ声がかすかに聞こえてきた。
 丸いテーブルを囲んだのは、リア、シャリス、ヒナ、カイラ、ケニー、アレス、そしてルテラ。食事を終え、空になった器を下げた宿の娘が部屋を出ると、室内に静寂が訪れた。リアは椅子に深く腰をかけ、胸元のペンダントを指先で軽く押さえながら全員を見渡す。

「ルテラはティグリスの家に行かなくていいのか?」リアが聞くとルテラはうなずく。

「…お、父さんが、リア様の役に立ってきなさい、って。」

「…そうか。ありがとうな。…じゃあ、今日の見聞を整理しよう」

 声は静かだったが、誰もが背筋を伸ばした。
 まず話し始めたのはケニーだった。

「じゃあ俺から。村の人たちに聞いた話なんですが──やっぱりティグノー様の信仰、形骸化してますね。昔は毎月祭りがあったらしいんですけど、今は年に一回、それも半分観光の出し物みたいな感じで」

 カイラが腕を組み、補足する。

「私も同じ印象を受けました。村の若い者ほど信仰に距離を置いている。長老たちはまだ厳格ですが……全体としては、神事への実感が失われている」

 リアは頷き、次にヒナへ視線を移した。ヒナは少し緊張したように背筋を伸ばし、手元のメモを見ながら話す。

「私は市場を見て回りました。祭事用の品も売っていましたが──どれも簡素でした。昔は高価な香草や、特別な染め布を供えていたと聞きましたが……今は普通の野草で代用しているそうです」

「なるほどな」リアは顎に手を当て、深く考え込む。

 次に口を開いたのはルテラだった。彼女は短く息を吐いてから、静かな声を出した。

「……ティグリス家も……信仰を守るのに苦労している。父は昔のままを続けているけれど、村の人々はそれを古いと思ってる」

 彼女の言葉は淡々としていたが、その奥に小さな痛みが潜んでいた。リアはしばらく彼女を見つめ、柔らかく頷いた。

「……わかった。じゃあ、ここからどう動くかだ」

 リアは椅子から身を乗り出し、テーブルの上に地図を広げた。羊皮紙に描かれた南方一帯の地図──ケルナ村、テザ山脈、そしてまだ白紙のままのエレンディアの名。

「俺たちの目的は、エレンディアの開拓だ。それは今も変わらない」リアの指先が、地図の南端をなぞった。

「だけど、ここに来て分かった。ティグノー信仰とこの山脈、そしてエレンディアはつながっている。調べる必要がある」

 全員の視線が地図に集まる。リアは一度息を吸い、そしてはっきりと言った。

「──そこで、俺たちを三つに分ける」

 まず、リアはヒナ、ルテラ、アレスの方を見た。

「ヒナ、ルテラ、アレス──お前たちはティグリス家で資料を調べてくれ。バルテロ殿と協力して、ティグノー信仰や、エレンディアにまつわる古い書を集めるんだ」

 アレスが腕を組み、少し笑みを浮かべる。

「古文書調べなんて久々ですね。弓を置いて書物漁りとは……たまにはいいかもしれません。」

「アレスは荷物運びだ」カイラの言葉にアレスはあっけにとられる。

ヒナは真面目に頷いた。

「かしこまりました、リア様」

「あ、みなさん気づいていたの…」

 ルテラも小さく「…うん」と言った。アレスはうなだれる。

 リアは今度はシャリスとカイラとケニーに視線を向ける。

「シャリス、カイラ、ケニー──お前たちは村を回って聞き込みだ。祭事のこと、昔話、エレンディアについて知っていること……何でもいい。村人から話を引き出してほしい」

 ケニーがにやりと笑う。

「聞き込みなら任せてください。こう見えて話しかけやすい顔してますからね」

 カイラは軽く咳払いをして、真面目な声で言った。

「情報は必ずまとめます。軽口だけで終わらせはしません」

 そしてリアは、自分の胸元のペンダントに手を添えた。

「──俺は、あと二つの名家に挨拶に行く」

 室内が少し静まった。

「ティグリス家だけじゃ足りない。村を支えているのは三つの名家──ティグリス家、リグレン家、オグド家。残り二つの家とも繋がっておく必要がある」

 シャリスが小さく頷く。
「当然ね。ここから先の動きを円滑にするためにも」

 リアは全員の顔を順番に見渡した。

「……各自、やるべきことは分かったな?」

 ケニーが手を挙げる。

「村を歩き回って、おじいさんやおばあさんの話も聞きますよ。多分、そういう人たちが一番面白いことを知ってる」

 ヒナは少し真剣な顔で聞き返した。

「リア様。調べたことは……すぐにまとめて共有しますね?」

「そうしてくれ」リアは短く答え、頷いた。

 窓の外では、夜の帳が降り始めていた。遠くの家々の煙突から、夕餉の煙が細く立ち上っている。リアは地図をたたみ、言葉を締めた。

「──明日から、さっそく動こう。」

 油ランプの炎が揺れ、その光が全員の瞳に映った。静かだが、確かに前進の気配が部屋を満たしていた。
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