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6.紅い館
10.紅い月
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「あ、が」
殴られた衝撃で骨が折れ、破裂した左腕を押さえながら悶える。筋肉が露出し、骨が見え隠れしていて非常にグロテスクだ。
「だ、だ、大丈夫ですか!?も、も、もう少し耐えてください!」
回復魔法は万能ではない。ぐちゃぐちゃの状態で回復魔法を使うとおかしな形で回復してしまう可能性がある。そうなってしまうと腕が腕としての機能をしなくなってしまう。骨折した腕に接がせる固定するための鉄板を探す。そして頑丈な扉を発見する。
「こ、こ、この扉は?」
「うん?知らんな。何かあるかもしれないからな、中に入ろうぜ」
重い扉を開けると凄惨な現場が広がっていた。雑に縫われた人のような何か。縫われることさえされず放置された肉塊。元の色が分からなくなるほどに血の色に染まった家具。そして、見覚えのある男の顔。エンドローゼは回復術士として一目で全員が死んでいることが分かってしまった。
大量の死体を目の前にしてエンドローゼはショックを受けた。しかし、アシドと違い吐き気を催すことはなかった。何故か置いてあった木の棒を拾うと、アシドの腕に当て、布を巻くと回復魔法をかける。
「んお?あれは?」
痛みが引いていき、周りを見る余裕が生まれ、欲しいものを発見するが、その先にある机の上に気になるものを見つける。本だ。本を手にし、パラパラとページをめくる。しかし、片手しか使えないので失敗し、本を取り落としてしまう。
「あっ」
エンドローゼも気付いたようで、代わりに拾ってくれる。
「な、な、なんですか?こ、これ、これは」
「さぁな。日記っぽいんだが一瞬しか見れてないから分からん」
「に、日記」
エンドローゼはぽつりと呟くと本をめくる。パラパラとページをめくる音をよそにアシドは先ほど見つけた欲しかったもの――自身の槍を拾い上げる。手に馴染む武器を手にでき、アシドのテンションが上がる。
「こ、これは!?」
エンドローゼは目を張ると、アシドの袖をぐいぐい引っ張る。アシドがエンドローゼの方を向くと、エンドローゼは本に書いてあるとある一文を指さしている。アシドは文字を見るため凝らしていた目を今度は見開く。
「まじか」
アシドとエンドローゼは目を合わせ、首を縦に振る。
コストイラは妹にタックルして棚に突っ込ませる。
「ぬぅん!」
レイドは野球のバッティングのように大剣を振るい、妹を吹き飛ばす。壁を壊し隣の部屋に転がっていく。後を追うようにコストイラ、シキ、レイドが穴を通る。すると、階段の方からアシドとエンドローゼが現れる。
「アレン、お前暇そうだな、こっちを手伝え。オレは腕があと2,3時間は休めなきゃいけない」
「…………何をするんですか?」
反論もせず、ただ呆気にとられるアレンは無条件で手伝わされた。
妹はレイドの顔面を狙い拳を放つ。レイドはそれよりも低い姿勢でタックルをかます。レイドの右目からあふれる紅い光が尾を引いていた。妹が肘を落とそうとするが、その顔にシキの足が刺さる。妹はシキの足を摑み、膝をレイドに叩きこみ、どかす。そしてシキをコストイラに投げつける。
立ち上がり隣の部屋に戻ろうとするが、レイドが止める。思いっきり手を引き妹を転ばせる。妹はレイドの顔を蹴り上げ、手を離させる。
穴の縁を摑み中を覗く。中を確認する前に魔術が直撃する。体が後方へ倒れかける。その後ろではシキが深く息を吐き集中していた。
しかし、妹の意識はそちらに向かない。そこにいた筈の姉の姿がなかったからだ。
「お姉様!?」
アレンとアシドがリックと名乗った執事に案内され館内を歩く。
「良いのか?仮にもオレ達はアンタの主と闘っていた敵だぞ」
「良くはないのでしょう。しかし、ここで私があなた方を攻撃して、主様はどうなさるのでしょうか?床にでも寝かせる気ですか?」
アレンの視線が下がり自分の腕の中ですぅすぅと寝息を立てるチラスレアを見る。
「もし先に見つけたのが私ではなくサナエラだったならば問答無用で斬りかかっていたでしょう。彼女はチラスレア様への忠誠が篤いですからね」
相当慕われているのだろう。抱える力が強まった。
リックの足が止まる。
「こちらが主様のお部屋でございます」
軽く会釈をすると中に入っていく。
内装は廊下のもの以上にインパクトがあった。素人目にも分かる、高そうな芸術品と調度品が過ごすのがギリギリなほど展示されており、照明や額縁までもが貴金属で飾られる有様には狂気的な執着すら感じられる。室内に石像も何体か設置されており、その目には宝石のようなものが嵌め込まれていた。
アレンはチラスレアを抱えたまま部屋の中央に置かれたベッドに近付く。一人で寝るにはでかすぎるキングサイズのベッドに横たえさせ、毛布を掛ける。
「凄いな」
「ん?」
「いえ、この人もう傷が塞がっていますね」
「そりゃ、吸血鬼だしな」
「え」
アシドが知らなかった情報をあっさりと言ってのけ、アレンは思わず聞き返してしまう。
「え、じゃなくて吸血鬼だよ。その女もあの妹も」
「なっ」
「面白い顔してねェで戻んぞ」
「そ、そうですね」
言い残すとどうせもう起きてんだろうなと思いつつ、邪魔してこないということはやってもいいってことなんだろうと考えアシドは走り去ってしまう。チラスレアは気付かないくらいに薄く目を開けアシドを見送る。アレンがアシドの後を追おうとしてリックに呼び止められる。
「お客様」
「はい?」
「我々をお助け下さい」
リックは頭を下げた。何をすれば助けられるのか分からなかったが、これを断ることは出来なかった。アレンは力強く頷く。
「分かりました」
時間は、アレン達がチラスレアを抱えまだ部屋を出たくらいの頃、一人の少女が無謀をしでかした。姉の姿が見えない妹が暴れようとした瞬間、その前にナイフ1本で相対していた。
その少女――エンドローゼは戦いに対して消極的だ。自分の両親が戦争で亡くなったという話を聞かされたことも大きいが、その後に孤児院で生き残るために戦いを強いられたからだ。自分を姉のように慕ってくれた子も、妹のように可愛がってくれた子も孤児院で死んだ。それが嫌でエンドローゼは従順に言うことを聞いてきた。
だが、今は違う。誰に言われたわけでもなく、自らの意思で相対していた。
今まで何も攻撃してこなかった少女に妹は警戒する。ナイフを持つ手は震えているし、構え方も素人、明らかに警戒する相手ではない。しかし、罠かもしれない。妹の動きが完全に止まった。そして背中に衝撃が走った。
シキのナイフが右肺に刺さっていた。
「うあ!?」
妹は裏拳気味に殴りながら振り返る。後頭部に魔術が当たる。再び頭に血が上っていく。
「あっっっっ!!!」
甲高い声と共に少女を中心に紅い霧が発生し、視界を塞いでいく。驚愕し身を固くするコストイラの顔面を摑み、床に叩きつける。下を向いていた妹の頬を拳が襲い、その頬骨を砕く。少女は壁に激突し、罅を作る。妹は四つん這いになり血を垂れ流す。コストイラは鼻血を拭いながら立ち上がる。レイドは拳を握りながら気炎を吐く。
妹がニヤリと笑うと拳を握る。それを壁を叩きつけ破壊する。作った穴から隣の部屋に入っていく。標的を狩りやすそうなエンドローゼに変える。固く握られた拳はエンドローゼの頭を捉え血の花を咲かせ、ることなく終わる。未然に防いだのはアシドだった。木製の扉を突き破り水飛沫を散らしながら妹の右腕を突き、軌道を変える。
痛みに顔を歪ませ、アシドを睨む。妹の腹を拳が襲う。少女は胃の中の液体をぶちまける。アシドは槍を片手で振るい、遠心力を利用して膝の裏を叩く。妹は天を向き口を大きく開け、白眼を剥く。そのまま両足をつき倒れてしまう。
幼い頃、原因は姉妹喧嘩だった。その喧嘩の発端が何だったか覚えていない。きっとくだらない理由だったのだろう。しかし、あの時は本気だった。本気で姉を殺そうとした。
今考えるとお姉様は私を諫めようとしてくださったのだろう。話を一切聞かない私に対して、しっかりと話ができるように冷静さを取り戻させるために動きを止めようとしてくださったのだろう。その一撃が今も古傷として残っている。今でも妹は足を引きずって歩く時がある。それを目撃するたびにチラスレアは悲しい顔をする。そもそもそんなときはおねだりをしようとするときだ。負い目があるからか、そんなこと分かっていても妹に対して甘くなってしまう。
優しくなった姉に対して、妹は姉を慕うようになった。甘くなったからか、優しくなったからなのか。しかし、これだけははっきりしていた。妹は元から姉のことが好きだったのだ。何てしても気を引きたくて様々な言動をしてきたのを覚えている。
姉の嬉しそうな顔も悲しそうな顔も、やりすぎて怒った顔も泣いた顔もすべて思い出として脳裏に残っている。
お姉様の眼が好きだ。
しょうがないというような許すときの眼も、それは駄目なことと怒る眼も、どんな眼も好きだ。
お姉様の声が好きだ。
嬉しそうに外の世界を話す声も、悲しそうに別れを告げる声も、お姉様の声だから、何もかも受け入れられた。優しく柔らかいお姉様の声が好きだ。
お姉様の手が好きだ。
叱るときにはたいてくる躾を重んじる手も、褒める時に頭を撫でてくれる優しい手も、柔らかく包み込むような手が好きだ。
お姉様の匂いが好きだ。
部屋に入った時に香る匂いも、運動後に溢れ出す汗の匂いも、温かく安らげる匂いが好きだ。
妹は柔らかな何かに包まれる感触を覚えた。しかし、それよりも気を取られるものがあった。
お姉様の匂いだ。ぬいぐるみに顔を埋めて嗅げる幽かな匂いではなく、しっかりとした本物の匂いだ。
妹は匂いの源に抱きついた。
チラスレアは何かに抱きつかれる感覚により閉じていた目を開ける。何に抱きつかれたかなんて分かりきっているが、この目で直接見たかった。
体に刻まれた傷は大半が塞がっており、痛みも和らいでおり、動くのに支障はない。顔を横に向けようとして何かに遮られる。眼だけを動かし視線を横に移動させる。滅茶苦茶幸福そうな顔で寝ている妹の姿が見えた。
何とも微笑ましい光景だろうか。チラスレアは自由に動く方の腕を妹の頭まで持っていき、撫でてやる。慈しむように目を細め、妹の髪に顔を埋める。
「おやすみなさい、アル。私の愛しい妹」
優しい声がアルバトエルの髪を揺らし、耳朶を撫でる。アルバトエルはくすぐったそうに身を捩る。ふと顔を上げると、扉が少し開いていた。その隙間からリックやメイドたちが覗いていた。
この空間に異物が入っている。そう感じ取ったチラスレアはムッとしてとっととどっか行けと眼差しに込め凝視すると、リックたちはそれに気付き、恭しく礼をすると戸を閉めた。
主人の部屋を後にし、リックが廊下を歩いているとメイドたちが慌ただしく動いていた。一瞬、主人達の看病かと思ったが、もう必要ないぐらい回復している。では、来客か?リックが把握していない来客はアポなしだけだが、ここに訪ねてくる要人がアポなしで来るとも思えない。
リックは話し合っていたメイド2人を呼び止める。
「おい、そんなに慌ただしくして、どうかしたのか?要人の来客か?それとも何かのトラブルか?」
「執事長!」
「えっと」
リックに尋ねられ、メイド2人は何かを言い淀む。目も泳いでいるし、手がワキワキしているしで絶対に何かを隠している。何か上に知られたくない話題だろう。
「多少のことなら黙認しよう。何があったんだ」
「実は………」
リックの目が細まりメイドたちは観念したように話し出す。
「何?サナエラが!?」
どうやら少し前からサナエラの姿が見えないらしい。今はもう夜遅い。イレギュラーがあったため、この時間を起きていたが、本来なら眠っている時間だ。サナエラに用事があるはずがない。
「ひっ!は、はい………」
「ぬ、すみません。私は君に怒っているわけではない。怖がらないでくれ」
少し大きな声を出してしまったことでメイドを怖がらせてしまったようだ。リックはメイドたちを解放すると、紅く怪しく光る月を見る。
「十中八九、彼らを追ったな。今から追って間に合うか?その前に主に指示を仰がなくてはな。まったく、面倒を増やしてくれるな、サナエラめ」
白髪の男が空を見上げると月が紅く光っていた。空を覆う天球の層が厚くなると見られる現象だ。白髪の男は驚いていた。いつの間にこんな知識を手に入れていたのか?
白髪の男は倒木に腰掛け、紅い月に集中する。前回に紅い月が出現したのが数百年前、ホレモニー村が突如として地図から消えた時だ。あの時は凶悪な魔物が生まれたのだったか。今回もまた何かが生まれたのだろう。
白髪の男は自身の刀の柄をトントンと指で叩きながら紅い月を眺めながら思案する。何の合図もなく唐突に口角を上げるとフッと息を吐く。そして、頭を振りながら髪を搔き、考えるのをやめる。
「いくら考えても分からんこともあるだろうに。さて、今夜も野宿か」
殴られた衝撃で骨が折れ、破裂した左腕を押さえながら悶える。筋肉が露出し、骨が見え隠れしていて非常にグロテスクだ。
「だ、だ、大丈夫ですか!?も、も、もう少し耐えてください!」
回復魔法は万能ではない。ぐちゃぐちゃの状態で回復魔法を使うとおかしな形で回復してしまう可能性がある。そうなってしまうと腕が腕としての機能をしなくなってしまう。骨折した腕に接がせる固定するための鉄板を探す。そして頑丈な扉を発見する。
「こ、こ、この扉は?」
「うん?知らんな。何かあるかもしれないからな、中に入ろうぜ」
重い扉を開けると凄惨な現場が広がっていた。雑に縫われた人のような何か。縫われることさえされず放置された肉塊。元の色が分からなくなるほどに血の色に染まった家具。そして、見覚えのある男の顔。エンドローゼは回復術士として一目で全員が死んでいることが分かってしまった。
大量の死体を目の前にしてエンドローゼはショックを受けた。しかし、アシドと違い吐き気を催すことはなかった。何故か置いてあった木の棒を拾うと、アシドの腕に当て、布を巻くと回復魔法をかける。
「んお?あれは?」
痛みが引いていき、周りを見る余裕が生まれ、欲しいものを発見するが、その先にある机の上に気になるものを見つける。本だ。本を手にし、パラパラとページをめくる。しかし、片手しか使えないので失敗し、本を取り落としてしまう。
「あっ」
エンドローゼも気付いたようで、代わりに拾ってくれる。
「な、な、なんですか?こ、これ、これは」
「さぁな。日記っぽいんだが一瞬しか見れてないから分からん」
「に、日記」
エンドローゼはぽつりと呟くと本をめくる。パラパラとページをめくる音をよそにアシドは先ほど見つけた欲しかったもの――自身の槍を拾い上げる。手に馴染む武器を手にでき、アシドのテンションが上がる。
「こ、これは!?」
エンドローゼは目を張ると、アシドの袖をぐいぐい引っ張る。アシドがエンドローゼの方を向くと、エンドローゼは本に書いてあるとある一文を指さしている。アシドは文字を見るため凝らしていた目を今度は見開く。
「まじか」
アシドとエンドローゼは目を合わせ、首を縦に振る。
コストイラは妹にタックルして棚に突っ込ませる。
「ぬぅん!」
レイドは野球のバッティングのように大剣を振るい、妹を吹き飛ばす。壁を壊し隣の部屋に転がっていく。後を追うようにコストイラ、シキ、レイドが穴を通る。すると、階段の方からアシドとエンドローゼが現れる。
「アレン、お前暇そうだな、こっちを手伝え。オレは腕があと2,3時間は休めなきゃいけない」
「…………何をするんですか?」
反論もせず、ただ呆気にとられるアレンは無条件で手伝わされた。
妹はレイドの顔面を狙い拳を放つ。レイドはそれよりも低い姿勢でタックルをかます。レイドの右目からあふれる紅い光が尾を引いていた。妹が肘を落とそうとするが、その顔にシキの足が刺さる。妹はシキの足を摑み、膝をレイドに叩きこみ、どかす。そしてシキをコストイラに投げつける。
立ち上がり隣の部屋に戻ろうとするが、レイドが止める。思いっきり手を引き妹を転ばせる。妹はレイドの顔を蹴り上げ、手を離させる。
穴の縁を摑み中を覗く。中を確認する前に魔術が直撃する。体が後方へ倒れかける。その後ろではシキが深く息を吐き集中していた。
しかし、妹の意識はそちらに向かない。そこにいた筈の姉の姿がなかったからだ。
「お姉様!?」
アレンとアシドがリックと名乗った執事に案内され館内を歩く。
「良いのか?仮にもオレ達はアンタの主と闘っていた敵だぞ」
「良くはないのでしょう。しかし、ここで私があなた方を攻撃して、主様はどうなさるのでしょうか?床にでも寝かせる気ですか?」
アレンの視線が下がり自分の腕の中ですぅすぅと寝息を立てるチラスレアを見る。
「もし先に見つけたのが私ではなくサナエラだったならば問答無用で斬りかかっていたでしょう。彼女はチラスレア様への忠誠が篤いですからね」
相当慕われているのだろう。抱える力が強まった。
リックの足が止まる。
「こちらが主様のお部屋でございます」
軽く会釈をすると中に入っていく。
内装は廊下のもの以上にインパクトがあった。素人目にも分かる、高そうな芸術品と調度品が過ごすのがギリギリなほど展示されており、照明や額縁までもが貴金属で飾られる有様には狂気的な執着すら感じられる。室内に石像も何体か設置されており、その目には宝石のようなものが嵌め込まれていた。
アレンはチラスレアを抱えたまま部屋の中央に置かれたベッドに近付く。一人で寝るにはでかすぎるキングサイズのベッドに横たえさせ、毛布を掛ける。
「凄いな」
「ん?」
「いえ、この人もう傷が塞がっていますね」
「そりゃ、吸血鬼だしな」
「え」
アシドが知らなかった情報をあっさりと言ってのけ、アレンは思わず聞き返してしまう。
「え、じゃなくて吸血鬼だよ。その女もあの妹も」
「なっ」
「面白い顔してねェで戻んぞ」
「そ、そうですね」
言い残すとどうせもう起きてんだろうなと思いつつ、邪魔してこないということはやってもいいってことなんだろうと考えアシドは走り去ってしまう。チラスレアは気付かないくらいに薄く目を開けアシドを見送る。アレンがアシドの後を追おうとしてリックに呼び止められる。
「お客様」
「はい?」
「我々をお助け下さい」
リックは頭を下げた。何をすれば助けられるのか分からなかったが、これを断ることは出来なかった。アレンは力強く頷く。
「分かりました」
時間は、アレン達がチラスレアを抱えまだ部屋を出たくらいの頃、一人の少女が無謀をしでかした。姉の姿が見えない妹が暴れようとした瞬間、その前にナイフ1本で相対していた。
その少女――エンドローゼは戦いに対して消極的だ。自分の両親が戦争で亡くなったという話を聞かされたことも大きいが、その後に孤児院で生き残るために戦いを強いられたからだ。自分を姉のように慕ってくれた子も、妹のように可愛がってくれた子も孤児院で死んだ。それが嫌でエンドローゼは従順に言うことを聞いてきた。
だが、今は違う。誰に言われたわけでもなく、自らの意思で相対していた。
今まで何も攻撃してこなかった少女に妹は警戒する。ナイフを持つ手は震えているし、構え方も素人、明らかに警戒する相手ではない。しかし、罠かもしれない。妹の動きが完全に止まった。そして背中に衝撃が走った。
シキのナイフが右肺に刺さっていた。
「うあ!?」
妹は裏拳気味に殴りながら振り返る。後頭部に魔術が当たる。再び頭に血が上っていく。
「あっっっっ!!!」
甲高い声と共に少女を中心に紅い霧が発生し、視界を塞いでいく。驚愕し身を固くするコストイラの顔面を摑み、床に叩きつける。下を向いていた妹の頬を拳が襲い、その頬骨を砕く。少女は壁に激突し、罅を作る。妹は四つん這いになり血を垂れ流す。コストイラは鼻血を拭いながら立ち上がる。レイドは拳を握りながら気炎を吐く。
妹がニヤリと笑うと拳を握る。それを壁を叩きつけ破壊する。作った穴から隣の部屋に入っていく。標的を狩りやすそうなエンドローゼに変える。固く握られた拳はエンドローゼの頭を捉え血の花を咲かせ、ることなく終わる。未然に防いだのはアシドだった。木製の扉を突き破り水飛沫を散らしながら妹の右腕を突き、軌道を変える。
痛みに顔を歪ませ、アシドを睨む。妹の腹を拳が襲う。少女は胃の中の液体をぶちまける。アシドは槍を片手で振るい、遠心力を利用して膝の裏を叩く。妹は天を向き口を大きく開け、白眼を剥く。そのまま両足をつき倒れてしまう。
幼い頃、原因は姉妹喧嘩だった。その喧嘩の発端が何だったか覚えていない。きっとくだらない理由だったのだろう。しかし、あの時は本気だった。本気で姉を殺そうとした。
今考えるとお姉様は私を諫めようとしてくださったのだろう。話を一切聞かない私に対して、しっかりと話ができるように冷静さを取り戻させるために動きを止めようとしてくださったのだろう。その一撃が今も古傷として残っている。今でも妹は足を引きずって歩く時がある。それを目撃するたびにチラスレアは悲しい顔をする。そもそもそんなときはおねだりをしようとするときだ。負い目があるからか、そんなこと分かっていても妹に対して甘くなってしまう。
優しくなった姉に対して、妹は姉を慕うようになった。甘くなったからか、優しくなったからなのか。しかし、これだけははっきりしていた。妹は元から姉のことが好きだったのだ。何てしても気を引きたくて様々な言動をしてきたのを覚えている。
姉の嬉しそうな顔も悲しそうな顔も、やりすぎて怒った顔も泣いた顔もすべて思い出として脳裏に残っている。
お姉様の眼が好きだ。
しょうがないというような許すときの眼も、それは駄目なことと怒る眼も、どんな眼も好きだ。
お姉様の声が好きだ。
嬉しそうに外の世界を話す声も、悲しそうに別れを告げる声も、お姉様の声だから、何もかも受け入れられた。優しく柔らかいお姉様の声が好きだ。
お姉様の手が好きだ。
叱るときにはたいてくる躾を重んじる手も、褒める時に頭を撫でてくれる優しい手も、柔らかく包み込むような手が好きだ。
お姉様の匂いが好きだ。
部屋に入った時に香る匂いも、運動後に溢れ出す汗の匂いも、温かく安らげる匂いが好きだ。
妹は柔らかな何かに包まれる感触を覚えた。しかし、それよりも気を取られるものがあった。
お姉様の匂いだ。ぬいぐるみに顔を埋めて嗅げる幽かな匂いではなく、しっかりとした本物の匂いだ。
妹は匂いの源に抱きついた。
チラスレアは何かに抱きつかれる感覚により閉じていた目を開ける。何に抱きつかれたかなんて分かりきっているが、この目で直接見たかった。
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何とも微笑ましい光景だろうか。チラスレアは自由に動く方の腕を妹の頭まで持っていき、撫でてやる。慈しむように目を細め、妹の髪に顔を埋める。
「おやすみなさい、アル。私の愛しい妹」
優しい声がアルバトエルの髪を揺らし、耳朶を撫でる。アルバトエルはくすぐったそうに身を捩る。ふと顔を上げると、扉が少し開いていた。その隙間からリックやメイドたちが覗いていた。
この空間に異物が入っている。そう感じ取ったチラスレアはムッとしてとっととどっか行けと眼差しに込め凝視すると、リックたちはそれに気付き、恭しく礼をすると戸を閉めた。
主人の部屋を後にし、リックが廊下を歩いているとメイドたちが慌ただしく動いていた。一瞬、主人達の看病かと思ったが、もう必要ないぐらい回復している。では、来客か?リックが把握していない来客はアポなしだけだが、ここに訪ねてくる要人がアポなしで来るとも思えない。
リックは話し合っていたメイド2人を呼び止める。
「おい、そんなに慌ただしくして、どうかしたのか?要人の来客か?それとも何かのトラブルか?」
「執事長!」
「えっと」
リックに尋ねられ、メイド2人は何かを言い淀む。目も泳いでいるし、手がワキワキしているしで絶対に何かを隠している。何か上に知られたくない話題だろう。
「多少のことなら黙認しよう。何があったんだ」
「実は………」
リックの目が細まりメイドたちは観念したように話し出す。
「何?サナエラが!?」
どうやら少し前からサナエラの姿が見えないらしい。今はもう夜遅い。イレギュラーがあったため、この時間を起きていたが、本来なら眠っている時間だ。サナエラに用事があるはずがない。
「ひっ!は、はい………」
「ぬ、すみません。私は君に怒っているわけではない。怖がらないでくれ」
少し大きな声を出してしまったことでメイドを怖がらせてしまったようだ。リックはメイドたちを解放すると、紅く怪しく光る月を見る。
「十中八九、彼らを追ったな。今から追って間に合うか?その前に主に指示を仰がなくてはな。まったく、面倒を増やしてくれるな、サナエラめ」
白髪の男が空を見上げると月が紅く光っていた。空を覆う天球の層が厚くなると見られる現象だ。白髪の男は驚いていた。いつの間にこんな知識を手に入れていたのか?
白髪の男は倒木に腰掛け、紅い月に集中する。前回に紅い月が出現したのが数百年前、ホレモニー村が突如として地図から消えた時だ。あの時は凶悪な魔物が生まれたのだったか。今回もまた何かが生まれたのだろう。
白髪の男は自身の刀の柄をトントンと指で叩きながら紅い月を眺めながら思案する。何の合図もなく唐突に口角を上げるとフッと息を吐く。そして、頭を振りながら髪を搔き、考えるのをやめる。
「いくら考えても分からんこともあるだろうに。さて、今夜も野宿か」
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「選ばれた魂」として、奇妙な小部屋で目を覚ます。
導かれるように辿り着いたのは、
魔法と貴族が支配する、どこか現実とは異なる世界。
王家の十八男として生まれ、誰からも期待されず辺境送り――
だが、彼は諦めない。かつての教え子たちに向けて語った言葉を胸に。
「なんとかなるさ。生きてればな」
手にしたのは、心を視る目と、なかなか花開かぬ“器”。
教師として、王子として、そして何者かとして。
これは、“教える者”が世界を変えていく物語。
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