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02. 遭遇
しおりを挟む「ごめん! ちょっと急いでて、パッと手にとったやつが志野原さんのだった!」
高校2年生の梅雨の始まりの日の昇降口で、ひとり準備運動をしていた私は、その声色にパッと顔を上げた。
目の前には、長袖長ズボンの体操着を着て、腕まくりをした長谷川くんが居た。しかも、メガネをしていない、ひとめ見たかった貴重な長谷川くんだ。
長谷川くんの手には、『志野原みほ』と書かれたシールの貼ってあるビニール傘があって、「⋯きみだったのね?」と返すと、切れ長の目が泳いで、閉じられた。
「ごめんて⋯すこーしだけ借りるつもりで⋯」
「すこーしとは。私、昇降口に10分は居たんだけど」
部活が終わってから、画材の片付けに手間取ってしまい、他の子たちよりも少しだけ遅れて美術室を出た。
コンビニで買った透明なビニール傘に、『志野原みほ』と書かれたシールを貼ったにも関わらず、誰かに持っていかれてしまって見つからない。外は雨が降り出していて、止む様子も無い。
運の無さを恨みながらも、それでも帰るしか無いのだから、と準備運動を始めた。駅まで全力ダッシュを決めるつもりだったからだ。
それなのに、目の前には両手を顔の前で合わせる長谷川くんがいる。日頃運動をあまりしない文化部の私は、駅までの10分の雨降る道を全力ダッシュするために、体育の授業で習った準備体操を1から10まで全てやるつもりだった。でなければ、雨の日の道で、私の運動音痴は命に関わる可能性すらあるかもしれない。
体操中の不思議な体勢のまま、ジト目で長谷川くんを睨む。というのは建前で、意外と筋肉のついた腕や、薄い唇、閉じられた目を必死に脳裏に焼き付けようとしているだけ。唇の左下のほくろを見つけ、右目の右下にもほくろを見つけ、心の中だけでにんまりとほくそ笑む。
心の内を見られてしまったら、痴女と言われても、否定出来ない。
満足するまで見つめて冷静になってから気がついた。なんで、私が志野原だと分かったのだろうか。傘にはシールがあるけれど、そのシールに私の顔写真が載っているわけでもないというのに。
「よく、私がお目当ての〝志野原さん〟って分かったね? 少年?」
───し、少年? と、閉じた目をくるりと開けて、見下ろしてくる姿が愛おしい。
本当は、長谷川くんと呼んでみたい。志野原さんと呼んだからには、一方的な認知ではないとは思いつつも、生徒会として全生徒の顔と名前を覚えているだけな可能性もある。私は、漫画で、よくそういう天才が描かれるのを知っているのだ。
「え。志野原さんのこと知らない人、いる?」
「そりゃあ居るでしょう。世の中のみんなに認知されているとか、怖いにも程がある」
「それは怖いわ。うん、なんかごめんね」
飄々とした、というべきか。マイペース、というべきか。初めて言葉を交わした割には、あけすけと話すことが出来る。私は、あまり難しいことを考えることは苦手で、本能に従って言動が決まるような人間なのだけれど、存外真面目に見られる長谷川くんも、そういう一面を持っているのかもしれない。
肩とズボンの裾を濡らした長谷川くんを見て、どこかでシールに気が付いて校舎まで慌てて戻ってきたのだろうと想像した。
「じゃあ傘は返してもらうけどね。拭かないと風邪を引いてしまうよ、少年」
高鳴る鼓動を抑えながら手を伸ばした。
傘を受け取る時に僅かに触れた指先は、ひんやりと冷たい。お子さま体温と言われ、冬になると湯たんぽ替わりに友人に手を握られる私とは大違いだ。
ポケットから取りだしたハンカチを、傘代わりに手に握らせる。長谷川くんの長い指が指先を撫でるように曲げられ、思わず動きが止まってしまった。
「⋯っあ、ごめん。俺冷え性で。めっちゃ暖かいって思ったら思わず」
話しかけられた言葉が、緊張で右から左へ通り過ぎてゆく。もしかしたら左から右かもしれない。どっちでもいいか、となった時には、少しだけ空白の時間が経過した後だった。慌てて、「あっ、こっちもごめん」と手を離す。
長谷川くんの指先に冷やされた私の指先が、湿気をまとって、ほかの部位よりも冷たさを強く感じ始める。指を丸めて、ぎゅっと手を握ると、まるで指先に心臓がうつったかのようにドクンドクンと打ち始めた。
室内競技ということもあってか、長谷川くんの肌は白い。よくよく見ると、きめ細かい肌の表面が、色白さを強調しているようだ。ライトブラウンの瞳は、健康的な身体付きを見なければ保護欲を掻き立てられる。
私に触れていた手の上にあるハンカチを、ぼんやりと眺める長谷川くんからは、とんでもない色気が出ていた。本当にこの人は私と同じ17歳なのか、と疑惑が浮かぶほどに。
「俺も絵の題材になるの?」
じっと見つめすぎていたのだろうか。突然聞こえた突拍子もない言葉に、「うぇ?」と変な声が漏れる。
「な、なんで?」
「絵の題材になりそうなものを見つけると、ずーっと観察するでしょ。この間は安井先生の禿げ散らかした頭を5分くらい見つめてた」
「うん、見つめたね」
そしてその絵は無事に『宝石』というタイトルで、今はどこかに飾られている。太陽の光で、宝石のように光り輝く頭皮を描いたそれは、地域のコンクールで佳作賞を頂いたけれど、物議を醸す作品となった。主に頭皮が寂しい方々に。
けれども、どこかで作品を見たらしいご婦人から、ギャラリーを通じて購入希望の連絡が入ったのはひと月前。コンクールが終わってそのまま、『宝石』は私の手の中に戻ることなく、ドナドナされていったのだ。
───亡くなった夫にそっくりで。
それ、うちの学校の社会の先生です。とは言えないまま、熱意に押し負けて売ってしまった後に、改めて世の中には奇特な人っているんだなぁ⋯と考えていたのを覚えている。
「さすが若き天才画家・志野原さん。俺を描くならめっちゃ誇張してかっこよく描いてね」
「私の絵のモットーは〝日常に潜む小さな幸せ〟だから。成績一位の秀才・長谷川くん、なんて大きな題材。とてもではないけれど、手は出せないわね。」
売り言葉に買い言葉。ほどにはいかないけれど、少しだけお互いをいじる目的もある対話に、お互いに目を見合せてはくすりと笑う。
「じゃあもう帰るよ、雨強くなってきた。長谷川くんはどうやって帰るの? 傘は?」
「俺、教室に置き傘あるから」
「じゃあ、志野原印の傘を持っていく必要なかったじゃない!」
ぷは! と勢いよく長谷川くんが吹き出して、私は目を瞬かせる。「少し借りただけだって。ごめんごめん」と軽い調子を崩さない長谷川くんも、とても素敵です。可愛いです。はい、やっぱり好きです。
歩みを進める足は、大雨の中でも跳ねるような気持ちを隠しきれない。この気持ちは、長谷川くんとお話をして、長谷川くんに少し触れたことに対する喜びだ。
そんな喜びの中には、少しだけがっかり───悲しい思いも含まれてしまったけれど、こればかりは仕方がないことなのだろう。
私のことを、天才画家の女子高生、なんて揶揄う人が増えているのは確からしい。有名になった用に───と色紙を渡されて、存在しないサインを求められた時には唖然として身体が凍った。新聞にも顔が出たし、全校集会で表彰もされたから、たしかに私の顔を知っていてもおかしくはないだろう。
私が長谷川くんという存在を知るきっかけのような、そんな素敵なストーリーを得てから私のことを知っていて欲しかった。そんな願いはあまりにも、大それたものであることくらい分かってはいるけれども。
反面、そんな事でもあったから認知されていると思えば、ひっそりと喜びもこみ上げる。
随分と、恋の病は重症なようだ。
高校1年生の時に、長谷川くんのメガネを外した姿を妄想しながら描いた、至って普通の少年が、壁に張り付いた虫に対して視力を検査している『視力検査』というタイトルの油絵は、何故か地域のコンクールで最優秀作品に選ばれた。そこから更に県のコンクールを越え、ある有名な絵のアーティストさんが毎年開いているコンクールでも、賞を頂いたのだ。
そんな私のことを、『天才』と呼んで揶揄う人はたくさんいて、賞が欲しくて描いたわけではない、下心に塗れた作品が、私の意思を無視してひとりでに世の中に知られていた現実は───そう、能力も無いのに、偶然、たまたま、運だけで何かを成し得てしまい、期待に応えられずに破滅していくような、そんな物語の中に入り込んでしまったような気持ちだ。
人知れず、短スパンではあったけれど、スランプなんてものに陥ったことなんて、きっと誰も知らないだろう。もちろん、長谷川くんだって。
スランプを抜け出すきっかけをくれた、素晴らしいほどの輝きを放つ安井先生の頭皮には、感謝してもしきれない。卒業の時にでも、『宝石』の報酬を使って、あの頭皮をさらに磨きあげるためのクリームでもプレゼントしようと思う。
たった5分程度の時間で、たくさんの気づきがあって、嬉しいと感じる。〝好き〟という感情は、厄介だけれど、嬉しい。
これが私の初恋だ。漫画だと、この後に色々な困難が襲ってくるよね、私の困難はどんな困難なのだろうか。
アスファルトの絨毯だった桜の花びらたちは、有志の手によってだろうか、道の端っこに追いやられて積み上げられている。汚い靴の裏で踏んずけられるよりはずっと痛みは少なくなるだろう。
まだ枝にくっついている雨を吸収して嬉しそうな木々や草花は、まるで歌を歌っているように左右に揺れる。隠れるように、葉っぱの下でじっとするかたつむり。いつもよりスピードを落としてゆっくり走る車たち。
なんだろう。視界に入るもの全てが、いつもよりもずっと、気づきと楽しいと喜びに満ち溢れている。
恋をすると、スキップをしたくなるらしい。タイトルも覚えていないけれど、そんな気持ちを歌った歌手がいたことを覚えている。
その歌詞は、正しく今の私のことだ。雨だからスキップは出来ないけれど、心の中はワン・ツー・スリーの合図で踊っている。
恋ってすごいわ。───こんなにもたくさんの素敵にまみれている!
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