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03. 梅雨
しおりを挟む『関東地方はそろそろ、梅雨に入りますね、皆様、持ち歩きのできる傘を一本、用意を忘れずに!』
ダイニングテーブルに座ると、焼きたての食パンと目玉焼きが置いてあった。バターを塗り込んで大きな口でかぶりつく横で、天気予報のお姉さんがまもなくやってくる梅雨を知らせている。
向かいに腰掛けた姉は、ダイエット中だとかでサラダを食べていた。
「今年もくるくるとの戦いの火蓋が切って落とされたわ!」
「あんた天パだもんね、大変ね毎日」
母に似て髪の毛の細い姉は、いわゆる猫っ毛というやつだ。風と湿気に負けて、毛先が変な方向に曲がるらしいけれど、現代は色々な技術があるものだから、その技術を駆使して真っ直ぐに抑えている。
父方の祖父の天然パーマを隔世遺伝で継いでしまった私は、硬い髪質かつ、くるくるとウェーブがかかってしまう。中学に入学した時は、パーマをかけているのではないかと疑われて、母が呼び出された過去があるほどに、誰が見てもくるくるとしているのだ。
私の硬い髪質でも、現代の技術を駆使すれば真っ直ぐになることだってあるかもしれない。けれど、私はこのくるくるがさほど嫌いでは無い。
胸ほどまでに伸びたくるくるは、母いわく、母の青春時代に人気だった海外の歌手に似ているらしい。胸毛がセクシーな男性の歌手だったそうだ。その歌手は、金色の髪をしていて、確かにくるくるとした髪がとても良く似合っていた。アンニュイなイメージを強くするそのヘアスタイルは、その歌手の顔の良さと相まって、セクシー度合いが倍増しているように思う。
私の顔に金髪は似合わないだろうけれど、髪を染めることを許される年齢になったら、茶色くらいにはしてみたいと画策している。そうしたら、きっと芋臭さは多少減るだろう。
長谷川くんと話した雨の日の思い出は、あれから1年経った今も、私の中の大切な記憶の一つだ。
あの日から、すれ違う度に少しだけ言葉を交わす関係になった私たちを見た友人の沙苗ちゃんは、目を瞬かせては「恋なの? ついにわたしのみほが恋をしたの? あの眼鏡、処す?」と握りこぶしを作っている。
3年生になって、今度は5組となった私は、なんでも、学年で1番可愛いと言われているらしい沙苗ちゃんという新たな友人が出来た。大きな目に、さらさらの柔らかい髪。鼻は程よく高くて、唇は小さくぽってりと可愛い。恋人がいて、恋人はサッカー部のエースだ。
沙苗ちゃんに懐かれた理由はよく分からないけれど、「わたしが男に生まれていたら、間違いなく真っ先に口説くね!」と力説されて、もっとよく分からなくなった。
移動教室のため、理科の教科書を胸に抱えて廊下を歩く。夏服がひんやりと冷たくて、薄手のパーカーを上に着ているけれど、その腕は沙苗ちゃんの手でまくられてしまった。理由を尋ねると、息を荒らげた沙苗ちゃんに「萌え袖とかされたら色々堪らないからやめて」と言われ、視線があまりにもギラギラしているものだから、その言葉に大人しく従うことにした。
突然、沙苗ちゃんが立ち止まって両頬を全力で膨らませてこちらを睨みつける。移動教室のたびに繰り返されるこの行動は、5組から特別棟へ移動するために、必ず1組の前を通らないといけないことが理由だ。
原因なんて、分かりきっている。だから私は、思わず頬が赤くなっていないか心配しながらも、思わず表情が緩んでいくのを止められない。
「緩んでるよ! 最悪だ、眼鏡がいる!」
「なんで俺がいることが最悪なの」
「だめ。来ないで!」
私に長谷川くんを見せないようにしていたのか、私と長谷川くんのあいだで通せんぼをするように立つ沙苗ちゃんの向こうに、頭ひとつ分大きな長谷川くんの顔が見えた。
苦笑いを浮かべて、メガネの奥の目を細ばめる長谷川くんに見とれると、両頬を小さく細い手が包みこんで、ぐっと沙苗ちゃんの方を向かされた。
「あ。画家さん、ちょうどいいとこに来た。これあげる」
「⋯少年。なんだろうか、これは」
「家庭科で作ったおにぎり。後で食べてから、具材何入ってるか当ててみてよ」
沙苗ちゃんよりも身長の大きい私たちは、沙苗ちゃんの両手に邪魔をされながらも、沙苗ちゃんの頭の上で会話を続ける。長谷川くんといつも一緒に行動をする和泉くんが、見かねたように沙苗ちゃんを回収して、先に進み出した。プリプリと怒りつつも、大人しく和泉くんに連れて行かれる沙苗ちゃんは、ほのかに頬をピンク色に染めている。和泉くんはお怒りの沙苗ちゃんを見ては、笑いが止まらないようだった。本当にお似合いのふたり。
手のひらの上に落とされたラップに包まれるおにぎりを見て、眉間に皺を寄せる。長谷川くんとの対話はとても心地のいいものだけれど、彼がとんでもないイタズラ好きであることは、ここ一年で嫌という程思い知らされたからだ。
「⋯食べられるもの、入ってるよね?」
「食べられるものの定義によるかな」
「要らない」
ぷは! と吹き出して、腹を抱えて笑う長谷川くんは、さすが和泉くんと仲がいいだけある。このふたりの笑いのツボは、多分、人とズレている気がする。というより、和泉くんは沙苗ちゃんがどんな感情を出していても笑っているので、すごく変な人だし、長谷川くんは私が何を言っても吹き出すので、もっと変な人だ。
和泉くんと沙苗ちゃんはもう付き合って2年経つラブラブカップルだから、和泉くんのアレは、愛おしさから来るものと分かるけれど、長谷川くんのコレは間違いなく馬鹿にしていると思う。
小さくため息を吐き出して、「食べた結果は次会った時で」と、おにぎりを手に沙苗ちゃんの後を追った。
結局、おにぎりの中身は、小さく切られた大学芋だった。甘く味付けされた芋と、塩が多めに混ぜられたしょっぱい米、そして海苔。味のハーモニーが綺麗に混ざり会うことはなく、自己主張の強い奴らが口の中で戦う。
食べきってやったのはある種の意地みたいなものだ。
あの日から、私たちは廊下ですれ違うことはなく、湿気が身体にまとわりつくような梅雨がやってきてからも、遠目から見つめるだけの毎日が続いている。
毎日、志野原みほ印のビニール傘を持って学校に行くけれど、昇降口でも長谷川くんを見かけることは無い。
期待していただけに寂しい。長谷川くんと話せないかわりに、私は最近沙苗ちゃんをよく観察するようになった。表情がコロコロかわって、天真爛漫という言葉がまさしく似合う沙苗ちゃんは、私の視線に気がつくと鼻息が荒くなる。
「みほ、なに。なんで見るの。好き? わたしのこと。ちゅーする?」
「しないよ」
「なんでよ!」
「したいの?」
「当たり前でしょう!?」
「⋯⋯⋯」
だから、私は沙苗ちゃんにバレないように観察するのだ。今取り掛かっている油絵は、沙苗ちゃんの観察を始める前に見つけた、疲れ果てたように眠るカエルの絵だけれど。完成したら次は、沙苗ちやんと和泉くんを描きたいと思っている。
『雨がどんどん強くなるようですので、今日の全部活は中止です。みんな早く帰りましょうね。寄り道してはいけませんよ~』
帰りのホームルームで、担任の先生が言う。クラスのみんなは大いに湧いた。沙苗ちゃんやほかの友人たちに「また明日ねー」と挨拶をして、ひとり美術室へ向かった。
部活で使っていた絵の具のうち、何本かがもう絞り出しても絞り出しても出てこなくなっていたからだ。家にある画材セットから抜き出して、学校に持ってこようと昨日の夜に確認していたのだけれど、どの色の絵の具が無くなったのか思い出せなかった。
次のコンクールはひと月先にある。手直しを含め、余裕を持って描いていきたいという思いから、私は特別棟に向かった。
絞られに絞られてシワシワの薄い板のようになっている、白と紺、そして黄緑を手に取り、カバンの横ポケットに詰め込む。耳に聞こえたギィ、という椅子の鳴る音に、目を見開いた。美術室の隣の準備室の微かな人の気配と外の薄暗さが、大嫌いなホラー映画のシーンを彷彿とさせる。
ゴクリと喉を鳴らして、準備室の中を覗き込むと、テーブルに突っ伏す美術部顧問の先生がいた。
「⋯あれ。相田先生?」
焦げ茶色のストレートな髪が揺れ、相田先生が顔を上げる。目は潤んでいて赤い。鼻と頬も、ほんのりと赤い。泣いていたのだろうと分かった。
元々、声を荒らげることもない穏やかな先生だ。まだ若く、担当のクラスも持たない。儚げな雰囲気を纏いつつも、仄暗い天気にも負けないくらい艶やかな髪の毛は、以前からずっと羨ましいと思っていた。
「⋯あ、志野原さん⋯ど、どうしたの?」
「絵の具の残り見に来たの。えー⋯と。あ、これ、こないだゲーセンで取ったスライムくん。握るとストレス発散できるって書いてあって、良かったら握って」
身長も小さくて、クラスの男子の中でも可愛いと言っている人がいた。可愛いけれど間違いなく私よりもずっと大人な先生が泣いていた。大人の世界には色々あるんだって、姉が時々缶ビールを片手に愚痴を言っていることを知っているから、泣いていた理由を聞くことは野暮だと分かる。
握りつぶすと口から緑色の何かを出し、手の力を緩めると緑色の何かが口の中へ吸い込まれていく。ストレス発散に良いと書かれたそれを取ったのは、ただの偶然だ。
デスクの上に置いて、「絵の具は今度にするー、また明日」と慌ただしく美術室を出た。
昇降口で、私は再び愕然として呆然と立ちすくむ。志野原みほと書かれたシールの貼られた傘が、どこにも無いのだ。
まだ傘立てに立てられっぱなしの名前のない傘を持っていってしまおうか、と試しに開いてみたら、壊れていた。
───なんてことだ。ついていない。
絶対に、志野原みほ印の傘を持っていったの、この傘の持ち主でしょう!
また長谷川くん来てくれるかな? と望みのない願いを込めながら、準備運動を始める。そこから10分。現れない。───まあ、そんなものだよね。
靴を履き替えて、いたし方なしに壊れた傘を手に握る。外は容赦ない土砂降りだ。壊れた傘でも無いよりはマシだろう。とはいえ、電車に乗らなければならない現状、あまり濡れたくないのが正直なところ。
昇降口から出ると、大通りに出るまで校庭をぐるっと回り込まなければいけない。確か、特別棟の端っこの用務員さんの出入口ならば、直接校庭の出口にいける。
少しでも雨の下を進む距離を短くしたい、ただそれだけの気持ちで、再び特別棟に向かった。
雨の音がどんどん強くなって、灰色の廊下は、私の足音すらも聞こえない。人気のない暗い校舎の中に、たった一人取り残されてしまったかのような恐怖心が襲いかかってくる。
壊れた傘の柄をぎゅっと握りしめて、足早に前に進んでいくと、遠くの方で人の話し声のようなものが耳に入った。もしかしたら、先生? 助かった! とばかりに、小走りで声の方に向かうと、たどり着いた先は、つい先程まで居た美術準備室だった。
「⋯相田先生かな」
他の先生に愚痴を言ったり、相談をしたりしているのかもしれない。もしくは、電話をしているのかもしれない。邪魔をしてはいけないと分かってはいたのだ。だけれど、ひとりぼっちのもの恐ろしさを、どうにかして緩和したかった。あとで思えば、怖ければ昇降口まで走って戻れば良かっただけなのだけれど。
自分の視線と同じ位置にある準備室の子窓の中。見えた光景は、想定するどれとも違っていて、私の目は皿になった。
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