三角関係の不純物

激辛甜瓜

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05. 混乱

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 5組から1組の前を通って特別棟に行く時も、私たちはもう、視線が合うことも、お互いに言葉を交わすことも無くなった。始めは驚いて目を瞬かせていただけの沙苗ちゃんと和泉くんだったけれど、結局、ふたりとも何も聞いてこなかった。
 間に長いようで短かった夏休みを挟んで、久しぶりに登校をした日、相田先生の休職を伝えられた。結婚をして、子どもを産むのだという。妊娠初期の体調があまり良くなくて、早めに休職を願い出たらしい。

 休み時間になると、相田先生の噂で持ち切りだった。先に妊娠が発覚して結婚したんだろ、出来婚だ、という声も聞こえた。
 くだらない。結婚をしたのも本当で、子どもが出来たのも本当。どっちが先か後かなんて、私たちに何の関係があるんだと思った。
 美術部の顧問は、他の先生に代わった。その先生が安井先生だったものだから、私は、複雑な思いを抱えつつも笑ってしまった。

 相田先生は結局、長谷川くんの言っていた好きでもない男と結婚したのだろうか。子どもは、その男性との子どもなの? それとも、長谷川くんとの⋯子どもなの?
 喜ばしいニュースなのに、頭の中を駆け巡るのはあの雨の日の出来事だ。少女漫画が恋愛バイブルの私とて、子供の作り方は知っている。あの日の二人の行為は、間違いなく子どもを作るためのものだった。



 体育の授業が終わり、タオルで顔を拭きながら教室へ向かって歩みを進める。廊下では、長谷川くんと和泉くんがほかの友人たちと笑いながら何かを話していた。
 長谷川くんの表面は、以前と何も変わらない。心の内は、私には分からない。泣けば発散できることもあるだろうに、泣かないで、と言った私の言葉が、長谷川くんを縛ることが無ければいいと今更思った。

 1組の前を通り過ぎる。沙苗ちゃんに気がついた様子の和泉くんは、隣の私にも気がついたのだろう。ほかの友人たちに気が付かれないように長谷川くんに近づき、腕を引っ張ってこっちに意識を向けさせたようだった。
 ちらりと振り返った長谷川くんは、真っ直ぐ彼の顔を見る私を認識するやいなや、和泉くんの腕を優しく振りほどいて「俺、次当てられるかも」と誤魔化しながら教室に入っていく。

 分かっていたこととはいえ、傷つかないものでもない。吸った息を、ゆっくりと吐き出す私の腕をとった沙苗ちゃんは、「次、ちょっとサボろ」と冷たく吐き捨て、「え、え? どうしたの、沙苗ちゃん?」と慌てる私を引きずって、屋上の入口前の踏み面に腰を下ろした。
 
「⋯ねえ。何があったの? なんで何も言わないの?」
「んー?」
「なんで眼鏡と話さなくなったのよ」
 
 なんとも、あけすけである。率直すぎる尋ね方に、またひとつ沙苗ちゃんのいい所を見つけて喜びが込上げる。思わず笑い声が漏れた。隣に腰を下ろして、さて、何から話せばいいのか、どこまで話していいのか、と頭を悩ませる。

「話さなくなったのは⋯うーん。なにかがあった、とかではないんだよなぁ。あえて言うなら、お互いの意向?」
「認めたくないけどみほは好きだったでしょ、あのくそ眼鏡。告白した? フラれたの?」
「あは。すごいね、沙苗ちゃん、ドストレート。⋯でも違う。告白なんてしてないよ」

 告白は、していない。でも、フラれたようなものだ。
 家に帰ってからも寝付けなくて、あの日、私は結局一睡も出来ないまま次の日の朝を迎えた。一晩中ぐるぐると考えにふけった結果、小窓越しの挑発した視線と行動で煽ってきたのは、諦めろという意思なのではないかと気がついた。
 興味のあるものをじっと見る癖のある私のことを知っていた。射るほどの眼力で見つめられて、もしかしたら私の気持ちに気がついていたのかもしれない。

「ふーん。じゃあ、相田先生のこと、なんか知ってんの?」

 予想だにしない名前が、沙苗ちゃんの口から聞こえた。はっ、と動揺を浮かばせた私の姿を、沙苗ちゃんはじっと見続けている。何かを言わなければいけないと口を開けて、何を言えばいいのか分からず口を閉じる。

「⋯⋯はー。やっぱりか。なんか知ってんのね? わたしはみほに傷ついて欲しくなかったよ。だから眼鏡には近づいて欲しくなかった」
「沙苗ちゃんは、何か知っているの?」

 私の問いに、沙苗ちゃんはしばらく口を噤んだ。気まずげに視線を逸らし両手で顔を覆って、「あー⋯もう。あのクソ眼鏡!」と怒りを露わにした。

「⋯わたしといずとくそ眼鏡は幼なじみなの。くそ眼鏡のお兄さんと相田先生も幼なじみ。くそ眼鏡と相田先生になんかあるのは気づいてたけど、何があるのかまでは詳しくは知らない。でも、やめた方がいいよ、あいつ、真面目そうに見えて中学の時もめっちゃ遊んでたし」
「ほー⋯そうなのね。そっか、また長谷川くんの新しい一面を知ったから、私は嬉しいよ」
「やめた方がいいってば!」

 私のために怒りを強く表に出す沙苗ちゃんは、やっぱりとてもいい子だし、とても可愛い。長谷川くんの手馴れた動きに、遊んでいないとは思っていなかったけれど、中学の頃の私とのギャップが凄くて、そもそも生きる世界も価値観も、きっと物事の見方すら違う人だったのだろう。じゃあ、やっぱりこうなったことも必然だったんだ、と変に諦めがついた。

「もう好きじゃない、っていうのは、嘘になるから言わないんだけど。私にはあまりにも刺激の強い初恋だったから、もういいかなっていう気持ちにはなっていたの。心配してくれてありがとう、沙苗ちゃん」
「⋯わたし、みほに男の子紹介するから。あんなくそ眼鏡よりずっと、優しくて良い人」

 え。それは結構です。とは言い返せなかった。沙苗ちゃんの視線はキラキラと輝いていて、「見てて、あんなくそ眼鏡、秒で忘れさせてあげるわ」と握りこぶしを握っていたからだ。
 可愛い顔をして空手部に所属していて、休みの日には柔道教室に通う沙苗ちゃんの力がすごく強いことを、よく知っている。私よりも15センチほど身長が小さいというのに、抱きつかれると、ほどけない上に息が止まりそうなほど苦しい。

「う、うん⋯⋯ありがとう⋯?」

 首を傾げながら、何かが違う、と思いつつも、沙苗ちゃんの気持ちが嬉しいから、となあなあにしてやり過ごす。それが間違いだと知ったのは、その次の日からの怒涛の男の子紹介が、本当に始まってしまってからだった。
 
 おかげで、退屈はしない。同じ高校の中の同級生、後輩、他校の男の子。私の連絡先に、突然大量の男の子の連絡先が増えた。今までは、廊下で雑談をするのなんかクラスメイトの男子と長谷川くんくらいだったけれど、沙苗ちゃんが紹介してくれる男の子たちは本当にみんないい人で、気さくに話をすることも出来た。
 とはいえ、そこから先に発展する様子は全くないのだけれど。
 
 
 
「え。しのめっちゃおもろい格好してんじゃん、やば。写真撮っていい? 待ち受けにする」
「⋯ヤメテ。ていうか、なんで半袖なの? 身体の温度センサー壊れてるの?」
「さっきまで体育でサッカーしてたから。ハイ、チーズ」
 
 いえい。死んだ魚の目のような───と比喩されるような目力の無さと、ぴくりとも笑わない表情筋で、目の横にピースサインを出す。
 沙苗ちゃんの紹介してくれた男の子の中でも、ひときわ人懐こくて親しくなったのは、これまた長谷川くんと同じ1組の湊月(みつき)くんだった。まあ、人懐こさも人一倍だけれど、礼儀のなさも人一倍だ。基本的に、私のことは珍獣だと思っているらしい。
 
 12月に差し掛かって、本格的な寒さが襲ってきている。元々体温の高い私は、そんなに冬は苦手では無いけれど、少し風邪気味なこともあって、朝から体の震えが止まらなかった。
 行きたい志望校が少し特殊なこともあって、夏から冬にかけて目まぐるしいスケジュールで動かなければならなかったからか、常に緊張状態が続いていた。それこそ、長谷川くんのことを見つめる時間が以前の半分以下に減るくらいには。
 志望校側からの思いの外早い回答に、安心して気が抜けたのもあるのかもしれない。合格通知のメールを受けとってからというもの、頭痛もするし身体もだるい。
 少しでも暖を取ろうと、移動教室で音楽室に向かう冷えた廊下を歩く私の体には、折りたたみブランケットが巻きついていた。
 
「⋯⋯ごめん野口、ちょっと通して」
 
 1組の入口で湊月くんに捕まってそのまま話していたから、邪魔だったのだろう。湊月くんの苗字が聞こえて、その声が長谷川くんの声で、あ⋯私邪魔になっているの? ───ごめんね、長谷川くん。
 ぐるぐると視界が回って、私の視界は突然に真っ黒に染まった。

「しの? おい、しの、大丈夫か?」

 必死に名前を呼ぶ湊月くんの声が、遠くの方で聴こえる。

「湊月⋯くん⋯大丈夫。ちょ⋯と、ねむ⋯い」
「───志野原さん、保健室行こう」
 
 足が浮いて、宙を舞う感覚がする。
 そのまま、私の意識は遠い世界へと旅立っていった。
 
 
 
「んっ⋯は、何⋯んんっ」
 
 目が覚めて耳に入るのは、女性のあられもない声だった。
 眠る前より、だいぶ意識はクリアで。だからこそ、声の主が自分で、誰かの手が制服の内側を這っていることにすぐに気がついた。
 
 ───だれ。やだ、怖い⋯!
 
 さわさわと触れる手は、ひどく優しい。胸の突起に指先が触れる度に、腰のあたりがぎゅっと重くなる。
 
「やめて⋯何、誰なの⋯?」
 
 その手を止めて、後ろから抱きつかれたような形で眠っていたもう一人を確認するために、首を後ろに向けて振り返る。そして固まって動けなくなった。
 眼鏡を外して目を瞑り、規則的な呼吸を繰り返すのは、何度目を瞬かせても長谷川くんだった。
 
「⋯ん⋯、あれ⋯志野原さん。起きたの?」
「手ぇ!」
「てぇ? ⋯⋯ええ⋯? なんで?」

 カーディガンとブレザーは丁寧に畳まれて、ベッドの足元に置かれている。Yシャツのボタンは全て開けられていて、ブラジャーのホックだって外されてしまっている。
 そのままブラジャーの隙間から、長谷川くんの手が胸あたりをずっとさすっていたのだ。その事を叫ぶように指摘すると、やってる真っ最中の本人が疑問を呈し始めたのだから、頭を抱える他ない。

「⋯眼鏡殺すわ!」
「血の気が多いよ、さな」
「なんでそんな冷静なの!? さらわれたのよ、みほが!」

 という殺気にまみれた沙苗ちゃんの声と、窘めるような穏やかな和泉くんの声が保健室の入口から聞こえて、パーン! と開け放したスライドドアの鈍い音が耳に入る。
 慌ててふたりしてベッドから起き上がり、お互いの衣服の乱れに視線を投げる。何故か私と同じくらいに乱れた長谷川くんのYシャツ。そしていわゆる社会の窓と呼ばれるところも全開になっている状態だ。
 なんとなく気まずい雰囲気が流れ、視線を合わせることも無く衣服を整える。
 
 なんの遠慮もなく、ベッドの周りを囲むカーテンが開かれて、お互いにそっぽを向きつつ同じ空間にいる私と長谷川くんを見た沙苗ちゃんは、「⋯⋯はぁ? 何この空気。やったの? やったのね? ⋯っっ、クズ!!」と長谷川くんの首元に掴みかかっていた。
 その後に、「触られたの? どこを? 教えて、上書きしたげる」と鼻息を吐き出しながら私の制服に手をかけるものだから、和泉くんが顔色を青くして後ろから羽交い締めにしていた。
 
 寒気は無くなったけれど、それでも体調が悪いのは変わらない。予想外すぎる展開に頭痛までしてきたような気がする。

「⋯いいから。出てってくんないかなみんな、私寝るから」

 再びベッドにもぞもぞも戻りながら手でシッシッと追い払う素振りを見せると、3人は気まずげに視線を合わせて去っていった。入れ替わりで会議終わりらしき資料を抱えた保健の先生が入ってくる。

「あら、まだちょっと顔が赤いわね。早退する?」
 
 それは、体に触れられていたり、長谷川くんの胸元を見て興奮したからです───とはさすがに言えないまま、私は静かに頷いた。

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