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役に立てるのならば 〜仕事を辞めることになった、その後の自分ができること〜

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『市街地に、熊が現れ……、』

「いやねえ。どこもかしこも、最近多いこと」
 ばあばがテレビに向かって話しかける。その声に起こされて、寝そべっていた自分は顔を上げた。

「怖いわねえ。いやんなっちゃうわ」
 ばあばは編み物をしながら、お茶をすする。前に編み棒を湯呑みにぶつけてこぼしたので、編み物をしながらお茶を飲んだりするのはやめた方がいいと思う。

 そう言う前に、ばちん、と編み棒の先っぽが湯呑みに当たった。
「危ない! はー。危なかったわ」
 湯呑みはお尻を上げて転げそうになったが、なんとか堪えて元の位置に戻った。ばあばがホッと安堵のため息をつく。

「またごろごろして。お前はいつも転がっているな」
 ばあばが再び編み物を始めると、じいじがやってきて、自分を横目で見ながら嫌味を言ってきた。
 事実なので黙っていると、ばあばが、いいじゃないの。と庇ってくれる。

「ゆきちゃんは、昨日遅くまで働いていたんだもの。家にいてもよく聞こえたわ。一生懸命働いていたものねえ」
 ばあばの言葉に、ジンとした。大きく頷いて、じいじを睨みつけると、鼻で笑うように口端を軽く上げ、踵を返して行ってしまった。
 ばあばは困ったような顔をしつつ、気にすることないわよ。と自分に声をかける。



 昨日、この付近にも熊が出た。
 ほとんど毎日のように目撃情報はあったが、それでも人に攻撃することはなかった。
 大抵は大声を出せば逃げていくし、犬を連れ歩く人も多いので事なきを得ていたのだが、昨日だけは違った。

 畑仕事を終え、帰路につこうとする老人に向かって、茂みから飛び出してきたのである。
 幸い、襲われた老人の命に別状はなかったが、腕に大きな傷を受けてしまった。
 その時、たまたま通りかかった自分が大声を上げ、熊を追い払ったのだ。
 熊を追い掛けるべきかと考えたが、それよりも老人の怪我の方が心配だ。自分は人を呼びに行き、老人の危機を知らせた。

 ばあばの言う、遅くまで働いていた。には、語弊があるわけだが、老人は自分が助けに入ったことを、とても感謝してくれたのである。

(ただ、散歩してただけだけどさ)

 自分は、引きこもりのように何もせず、のんびり惰眠を貪っている。
 前は嘱託として、警察の仕事を行なっていた。しかし、体調を崩し働けなくなってしまったので、ばあばとじいじの家に厄介になっているのだ。
 今ではたまには運動をと、朝と夕には散歩へ行く程度。
 少しくらい動いた方が良いとばあばが言うので、散歩をするようになったわけだが、その途中、偶然、熊が茂みから走り出すのに気付いたのだ。

 それでも、感謝されるのは嬉しい。
 胸を張って家に帰ったが、じいじには穀潰しだと思われているのだろう。もっと早く助けられなかったのかと怒られた。
 もちろん、ばあばは無事で良かったと心配してくれたが。

 じいじが、自分のことを好きではないのだと気付いたのは最近だ。
 食事を多く食べる自分に驚いていたので、エンゲル係数を上げたと思っているのだろう。それは間違いないので、反論はできない。そして、特に役に立つでもなく、何をするでもなく、昼間からごろごろしているのだから、じいじが自分を嫌いになるのは当然だった。

 自分だって役に立ちたいが、得意なことなど何もないので、何ができるのかというところである。
 ため息混じりで、のっそりと立ち上がる。ごろ寝ばかりしているせいか、最近お腹が重いような気がした。
 せめて、もう少し散歩の時間を増やした方が良いだろうか。しかし、医師から、あまり散歩を増やさないようにとも言われている。
 適度が良いそうだ。なんとも難しい。

「あら、ゆきちゃん。お散歩に行くの? あまり遠くへ行っちゃダメよ。まだ熊がうろうろしているんだから」
 老人を襲った熊は、まだ捕まっていない。

 ばあばの言葉に頷いて、自分は家から出る。外は晴天で、秋だというのにやけに暖かい。
 紅葉も遅く、じいじが庭の柿がすぐに熟れてしまいそうだとぼやいていた。
 今も枝切りバサミと脚立を持って、庭という名の、開けた山に植えられた柿の木を切りに行った。
 背が高くなりすぎたので、実を取るついでに、枝を切るのだ。
 じいじは脚立を設置して、柿の木を見上げる。

「あまり良くできなかったな。今年もヘタ虫が多かったし、実が少ない」
 じいじがぼやく。ヘタ虫は柿の実のヘタから侵入する虫で、実がしっかり大きくなる前に中身を食べてしまう害虫だ。
 冬の間、こもを巻いて防虫してはいるが、それ以外に手を入れていないので、虫がつくのは仕方がない。

 まずは下の方からと、じいじは狙いを定めて枝切りバサミを伸ばした。
 パチン。
 切っては枝を挟んだまま、ゆっくりと地面に下ろす。
 まだ実は完全に熟しておらず硬いため、草むらに転がしても気にならないと、次々に切っては下ろした。

 パチン。パチン。

 じいじの側に寄れば、邪魔だからと枝切りバサミのお尻で追い立てられる。
 仕方なく、じいじを背にして散歩に行こうと足を進めた時だった。

 スン、と鼻に何かを感じた。
 気のせいか。風が出てきたようで、一瞬感じた匂いは消えていた。
 周囲を見回しても何もない。やはり気のせいかと歩き始めると、ガサリ、と草むらに足を入れる音が耳に入った。じいじとは別の、重量のある踏み音だ。

 濃い焦茶色の、丸い体がのそりと動く。
 熊だ!
 じいじに一直線に向かい、走り出した。

 じいじはすぐに気付いて、枝切りバサミを熊に向けた。熊は一度怯んだが、その場でくるりと回って、もう一度突進してくる。
 じいじは動きが鈍い。熊は立ち上がり、身の丈が半分ほどのじいじに覆い被ろうとした。

「ゆき!!」
 じいじの叫び声がこだまする。
 自分は熊の足元に噛み付いていた。もんどりをうった熊が、足と一緒に腕を振り回す。
 じいじがそれを避けようと、転げて後ろに一回転した。

「おじいさん! ゆきちゃん!!」
 騒ぎに気付いたばあばが悲鳴をあげた。
 自分は、今度は熊の背中に飛びつく。けれど、動きが激しくて、飛ばされて地面に転がった。
 一回転して、もう一度飛び付かんと体重を後ろ足にかけると、ガンガン響く金属を叩く音がした。それに驚いた熊は、ぐるぐる回りながら茂みに逃げていった。

「じいさん、大丈夫か!?」
 隣に住むおじさんが、空の一斗缶と金槌を持ったまま走り寄ってくる。
 先ほどの金属音はこれか。熊は異様な物音に驚いて逃げてしまった。
 ホッと安堵して、自分はじいじに駆け寄った。腰を痛めていないだろうか。おじさんに引っ張られて、よろよろと立ち上がる。

「おじいさん! ゆきちゃん!!」
「大丈夫だ、ばあさん! 家にいろ!」
 ばあばが家から叫ぶように呼ぶと、じいじが問題ないと大声で返す。

「ゆき。歯は大丈夫か。あんなの噛んで、歯は取れなかったか?」
 おじさんが自分の口を広げて歯を確認する。あれくらいで歯は取れたりしないが、思ったより噛めなかったので、やはり顎の力は落ちているのかと肩を下ろした。

「ゆき、助かった」
 ボソリと聞こえた声に、自分は顔を上げる。今、自分に礼を言ったのは誰だ?

 じいじは既に背中をこちらに向けている。顔が見えないので、ついおじさんを見上げる。
 おじさんは肩を竦めた。礼を言ったのはじいじだ。

(じいじが褒めてくれた? じいじが褒めてくれた!)

「ゆき、嬉しそうだな。ご主人を助けるために熊に攻撃するなんて勇敢だ。さすが、元警察犬だな。じいさん、ゆきに感謝しろよ」
 おじさんが自分の頭をごしごしなでてくる。軍手をしたままなでられて、若干耳が痛かったが、褒められたようなので胸を張った。

 じいじはその言葉に、首だけこちらに向けて鼻の上に皺をつくったが、ばあばが呼んでいたのでその顔をやめた。
 じいじがばあばの方へ歩む後ろを、自分もついていく。

 ばあばとじいじと一緒に住むことになって、まだ数ヶ月。
 食っちゃ寝ごろごろ穀潰しと思われていたが、自分が役立てることを見付けた。

 自分の気持ちはまだ現役だ。
 ばあばとじいじに認められるべく、自分は番犬としてこの家を守ろう。

 自分がそう決意を露わにして吠えると、じいじがそっと頭をなでてくれた。
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