群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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42 ー失ったものー

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「理音、目覚ましうるさい!さっさと起きなさい!」

 徐々に大きくなる歌声の、サビが二度目を回る辺りで、母親が階下からがなった。

 寝ぼけた頭で、枕元のスマフォの目覚ましを止める。
 大きなあくびを一つ、それから、ただぼうっと窓の外の空を見上げた。

「あったかいな…」


 季節は既に冬を過ぎ、新学期が始まっていた。
 さっさと起きて制服を着て、とっとと学校に行かねばならない。だが頭がぼうっとして、動きが鈍い。
 最近ずっと、しっかり眠れないのだ。
 十二時には寝て四時頃に目が覚めて、それからぐだぐだとベッドで寝返りをうちまくり、カラスが鳴く時間帯になると、焦って早く寝なければと羊を数え出す。
 そろそろ眠くなって、さあ寝るぞと言う時間に、目覚ましが鳴る。
 その音が、夢なのか現実なのかは、よく聞かないとわからない。
 遠くで聞こえる音楽の、聞き慣れたサビの部分に入って、ああ、今聞いている音楽って何だっけ、とサビを反芻し、それが二度目のサビだと気づいた辺りに、母親が起こしにくる。と言うルーティンが出来上がりつつあるほど、眠りが悪い。
 早く眠っても四時頃に目が覚めてしまうのだから、全くタチの悪い不眠である。
 なので、今日も授業中に大きなあくびを一つ二つ、教科書を読めばうとうとと、昼食後は爆睡だった。




「ああ、やばー、さっきの英語、全部寝てた。誰かノート貸して」
「あんた、寝息たてて寝てたよ。周りめっちゃ笑ってたから」
「うえ、ほんとに?」

 五時限目は魔の時間だ。
 お腹がいっぱいのすぐあとに、聞いているだけの授業なんて、寝ろと言わんばかりである。
 先生自体が真面目に教える気がないので、教科書を読んでその訳をそのままうつすだけの授業なのだから、身も入らない。あの先生の授業では、起きている人の方が少ないのではないかと思う。

「五限、井上はやばいよね。あいつの声って小さいし、また眠たくなるんだよね」
「わざとすぎるよ。みんな寝てても放置だし」
 井上先生の英語の授業は、不運にも午後が多い。眠ってくださいとお願いされているようだった。
 理音は友人たちの会話中ですら、あくびをする。

「つかさ、あんた最近眠そうだよね。もう、ずっとじゃん。いい加減まじで不眠で病院行けば?トータル何時間寝てんだよ」
「ちゃんと寝れてるの、三時間くらいかなー。ベッドに入ってからごろごろしてて一時間は経ってるし、四時頃目覚めちゃって、ごろごろして、だから、やっぱ三時間?でもそれで夢も見てるし、しっかりと眠れてない」
「やばいじゃん、まじで。肌に悪い」
「肌すか」
「肌だわ」
「ねえねえ、帰りさー、あそこのカフェ行こうよ、イケメンいた」
「今日いるかな」
「毎日行くわ」
「そこでバイトしろよ」

 放課後に、友人たちと軽くおしゃべり。
 友人はリップを塗り直してどの化粧品がよかったやら、新しいマニキュアが出たやら教えてくれる。休みの日には、フェスへ行こうと約束する。大好きな優くんのチケットも手に入れて、学校生活はわかりやすく、中学とは違った一段階別の物にと変わった、大人な雰囲気を持ち始めている。

 あの旅行から半年。
 季節が変わり、ずっと着ていたブレザーを脱ぐ季節になってきていた。
 


「東雲さん」
 廊下に出ればすぐに声をかけられて、理音は知った声に振り向いた。
「今日、部活行く?遅くまでいるかな?」
「終わる時間わかんないから、帰るの待ってるよ。小河原くん帰る時間まで、部室にいるし」
「え、や、でも、悪い」

 一緒に帰りたい。照れて否定するくせに、そう思っているだろう。頰をほんのり赤らめた男、小河原要は冬休みの合宿で話すようになった。否、付き合うようになった人である。
 理音は全く、申し訳ないが、同学年でいつも彼の教室前を通るにも関わらず、もう三学期に入る少し前の冬休みに告白をされるその時まで、名前どころか顔も知らなかった方である。
 が、合宿中同じ日に学校で寝泊まりした縁でか、ひょんなことから付き合うことになった。

 きっかけは彼の告白によるものであるが、告白されて、どちら様ですか?と問うたのを側で聞いていた友人にこっぴどく怒られて、謝ってこいと言われて謝りに行き、では友達としてから始めませんか。で譲歩していただけた、なんちゃって彼氏である。
 身長は理音よりかろうじて高く、友人曰く、サッカー部の可愛い子で有名よ!くらい可愛い子であって、正直本当に失礼であるが、妹みたいな存在だ。
 今の所、男友達と言うよりは、女友達に近い。

 小河原はサッカー部に入っているわけだが、外でえっちらおっちらマラソンをするサッカー部の傍らで望遠鏡を配置し、まだ夕方にもならない時間に月を見て遊ぶような天文部員たちが、彼らと言葉を交わすことは全くない。これっぽっちもない。
 しかし、たまたま天文部と合宿日が同じで、なぜか小河原は理音のことを知っており、夜中許可を得て屋上で星を見ている時に、よりによってそんな場所で時間をとらせ、天文部員が皆影で隠れて聞いている前で、理音に告白をしてくれたのだ。

 初めは罰ゲームなのかと思った。
 だから言ったのだ、どちら様ですか?
 彼にとって相当な衝撃を与えたらしいその言葉は、彼を涙目にさせた。
 あれ、本気だった?と思った時には、告白したことを謝られた上に、ダッシュで逃げられたと言う、女子のような告白劇、小河原が女子ポジション、と言う世にも奇妙な告白がなされたので、泣かした責任を取るために、友達として付き合えたらな。の関係を始めた。 
 そのため、どうにも女子扱いである。
 そして本当に可愛らしい子で、そろそろ頭を撫でたくなるくらいには、妹扱いをしている。

 何せ、会話が女子だ。
 どこどこの新しいメニューの飲み物が可愛くて、甘くてお美味しい。だの、ショップ前のマネキンが着てる服が可愛くて、理音に似合うよね。だの、コンビニの何とか言う商品のおもちゃが可愛くてほしい。だの。話してるお前が可愛いわ。と突っ込みを入れたくなる会話ばかりなのである。

 あわよくば一緒に行かない?
 みたいなところはないのが、彼の可愛さが本当の可愛さである理由であるが、お前それじゃダメだろう。と理音が気になるほどで、なら一緒に行こうか。と誘ってみれば、まるで尻尾と耳がぱたぱたするように喜んでくれるので、少しはまりつつはある。
 まあ、やはりそこは妹扱いでの可愛さなわけだが。

 そんなわけで、おままごとのようなお付き合いは、かれこれ始めて一ヶ月は経った。
 今の所、妹扱いから男友達扱いになる予定がみえないが、一応はうまく続いている。


 部活が終わるまで部室で待ってるよ。と約束し、理音は別校舎の二階にある、小さな部室へ入った。
 天文部の活動は、週一である。
 あっても集まって何かやるわけでもなし。主に土日に、プラネタリウムや近くの天文台に行くだけで、活動と言う活動はない。たまにマニアックな情報誌を手に入れて、読み漁ることもあるが、大抵がお遊びであった。
 その週一の活動日である今日は、来年度新入生勧誘の出し物を決める日である。
 去年は、先輩方がギリシア神話のコスプレをして出てきたことを思い出す。
 あれはやりたくない。とは言え、所詮数分与えられた時間内での勧誘である。そこまで大がかりなことはしないと思いたい。
 今日の会議は終わりの時間が読めないのだが、小河原の部活が終わる頃までには終わるだろう。


「はー、何か今日、あったかいですよねー」
 西日の当たるこの部室は、閉め切るとすぐに熱がこもる。
 小さな部室に物置も兼ねているので、人が数人入れば部屋は急に暑くなった。
「もう三月だしねー。東雲、今日もノート持って来てる?新しい映像手に入ったから、メールであげるよ」
「え、ほんとですか。持ってきてる。持ってきてる」
 一つ先輩の阿形は、髪をかき上げながら自分のタブレットを開くと、慣れた手つきでタブレットを動かして、理音のノートパソコンへメールを送った。

「昨日送ろうとして、忘れてたからさ。今見てよ。結構すごいのだから」
 映像とは、もちろん星の映像だ。
 阿形は知り合いに天文学を専攻する大学生がいるので、そのルートでデータを回してくれる。
「スマフォじゃさー、映像重いから。やっぱノートとかじゃないと。しかし、スマフォもタブレット無くすなんて、痛いことしたよねー。新しいの買わないの?」
「…そうですねー」
 返事を、どう返すか、理音は言葉を飲み込んで、乾いた笑いをしてみせた。

 スマフォもタブレットもない。
 行方がわからない。
 どこへ行ったのか探すだけ探したが、見つからなかった。

「今年も同じとこ行くんだから、今度はなくすなよ」
「先輩も来んですかー?」
「行くかよ。私は受験だ」
 ですよねー。と一年一同にして頷く。

 夏前に三年生は引退だ。
 来年度、理音たちは二年生となり、夏の終わり頃には一年生を引き連れて、同じ場所で星を見るだろう。
 今後の天文部存続のためにも、新入部員勧誘の催しを何にするのか考えるのだ。

 ダウンロードされるデータを眺めながら、阿形の持つタブレットを見やる。
 理音と同じタイプのタブレットだ。
 そこまで新しい物ではなく、理音は親から譲り受けた物だった。
 それを以前なくしたせいで、替わりに古いノートパソコンをもらった。あまり性能はよくないが、それでもタブレットよりは容量があるし、重さもさほどではないので、これを持ち歩くことにしたのだ。
 スマフォは前の代の物を使っている。画面が小さくなって使いづらいのだが、まだ何とかなっている。新機種が来月出る予定なので、そちらを買うか検討しているが、今の所は古いタイプのスマフォのままだ。

 スマフォとタブレットは、あの旅行でなくした。
 どうしてなのか、考えることはしたけれど、答えのない問題に考えるのはやめた。

 ただあの二つのデバイスは失い、替わりとでも言うように、手に入れた物があった。
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