群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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44 ー小河原要ー

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「ごめん、待たせて!」

 ベランダに走って寄ってきた男、小河原は急いで来たのだと、ブレザー片手にシャツのボタンを段違いでかけてやってきた。
「ボタン、違ってるよ」
 可愛いやつだな。と声には出さない。
 掛け違ったボタンを直してやろうとすると、小河原は飛びのいて真っ赤になった。
「ご、ごめん。うわ、俺恥ずかしいっ」
 いや、可愛いよ。
 赤面の小河原は、理音以上に女子だ。
 ちょっと触れようとしただけで飛びのく純情な心が、ひどく愛らしい。
 ただ、すぐ謝るのが気になるのだが。

「新入生勧誘の出し物、決まったの?」
 まだ照れて頰に紅を乗せたまま、小河原は焦るように会話を変える。
 コスプレが決まったことを告げると、ぱあっと笑顔になった。ぱあっである。花開くみたいな笑顔だ。
「東雲さん、女神とかやるの!?︎」
 なぜそうなった。
 そんなものはやる気はない。やりたくない。
 どうだろうとごまかしておく。
 やるものは決まったが、誰がやるかは決まっていない。
 ただ大体の中でその話は出たので、自分がやることはなさそうだと安堵はしている。
 自分は制作に回るだろう。作れるかは謎なのだが。
「縫い物なんて、できるかなって。やるのはね、わかりやすく惑星にしようかって言ってたけど、それも難しいと思うのね」
 何せヘルメス、ヴィーナス、マルス、ゼウス、サタン、ウラヌス、ネプチューンだ。
 どれをやるのか楽しみだが、どう表現するのかは、まだ考えていない。

「俺のイメージだと、露出高い感じだけど。男は胸出てるっていうか。古代ローマっぽい感じだよね」
「そうだね。ヘルメスとか、鎧着てるイメージだよね。マルスと、ウラヌスか。ウラヌスは男の格好の前に、無理あるけど」
「何で?ウラヌスって、何なの?」
 素朴な疑問である。
 ギリシア神話やローマ神話を一般的に知っているレベルはこの程度か、と納得してしまう。
「今ので、どこまでわかった?」
「えっと、ヘルメス、ヴィーナス、ゼウス、サタン、かな。ネプチューンは、ネプチューンって言うか」
「マルスもわかんない感じか。そっか。軍神アレスって言った方が、わかるのかな」
「え、わかんない」
「そうかー。ギリシア神話、マルスはローマ神話だけど。そうだよね、私も星勉強して、そう言う神話も知ったくらいだし、知らないよね。えっとね、ウラヌスって星空の神様って言うか、天空の神様でね、全宇宙をまとってるの。星や銀河を体に持つ、宇宙の神様」
 星を統べる王。体に星々を内包するほどの巨体。マントに星でもつけて表現できるかな。と一人考える。
「天文部って、そう言うのも勉強するんだー」
 すごいねー。を顔に書いて、小河原は素直に感心する。
 この子、こんなに汚れてなくて大丈夫なのかしら。など余計な心配をしつつ、合わせて笑顔で返してみる。

 小河原と一緒にいると、どこか花畑で話しているような感覚になる。
 それが小河原とこのまま付き合ってもいいかもな、と思い始めているところなのだが。
 付き合うと言っても、一緒に帰るくらいなのだ。
 まだ一カ月、されど一カ月。
 なのに、出かけたこともない。
 小河原が平日は部活、土曜も部活に塾。理音は日曜バイトと言う、お互い時間の合わない付き合いであるせいで、中々ゆっくり出かけることができないのも理由なのだが。
 だから小河原との付き合いはとてものんびりで、一緒にいると和む気持ちができるのを段々と感じている程度。
 その程度が、これ続けてもいいかな。くらいには上がってきている。

「そ、それでさ、今度の祝日、暇?よかったら、どこか行かない?プラネタリウムとか!」
 意を決して、小河原は来週末の休みにデートのお誘いをしてくれた。
 プラネタリウムをチョイスしてくる辺り、小河原はかなり理音に気を使っている。
 理音の好きなものをわかりやすく知っている小河原は、俺もそう言うの行ってみたくてと、さも自分が行きたいかのように誘ってくれるのだ。

 この子、何でこんなに私のこと好きなんだろう。

 正直疑問である。

 だが、ちやほやされて悪い気はしない。何せ初カレである。まだ彼氏らしいことのない彼で、男友達から始めようくらいの彼だが、それでも彼氏は彼氏だ。
 だから、勿論断る理由がなかった。
 むしろ気を使わせて悪いな、くらいの気持ちがあった。

「いいよ。そしたらさ、こないだ言ってた新しいカフェの限定メニュー、食べに行こうよ。あとケーキ食べたい。小河原くんケーキ好きだよね」
 尻尾を振って、ジャンプしたように見えた。
 小河原の喜びに、理音はやはり心が穏やかになるのを感じた。


 家には望遠鏡がある。
 祖父の物で父親が譲り受け、屋根裏に放置されていたものだ。
 古くて、性能は今売っているような物に比べたら全くよくないが、軽く月を見るくらいは問題ない。それをベランダに設置して、理音は月を眺めた。

 満月の今日は、特に大きく見えると言うブルームーンである。
 英語の、稀に、の意味を持つ、たまにしか見ることのできない月が、天で美しくその姿を見せていた。

 月は一つ。
 あの世界のように、二つあるわけではない。

 あの場所で、あれだけ映像や写真を撮ったのに、証拠隠滅のようにデバイスを失った。 
 せめてスマフォだけあれば、フォーエンの不機嫌顔を写した写真が残っているはずだったのに。とない物をねだってみる。
 フォーエンの写真が手元に残っても、ただ見るだけの存在になるだけなのだが。
 写真だけでもいい。彼の姿を見られるならば。思っても、それも許されなかった。
 写真一枚持っていても何か変わるわけではない。それを持っていたら、なおさら気持ちに整理をつけるのが遅くなるだけであろうが。

 こうして月を見ながら、またインターネットであの日の星の流れを探した。
 星の移動だ。何か手がかりがあれば、流星であった。
 行きも帰りも謎の流星を見ている。あれが流れると同じく、流されたように世界を移動しているように思えるのだ。
 山の上で見た流星の報告は、インターネットには載っていなかった。
 似たような物を誰か見ていないかも探したが、それに関わる話は一切見つからなかった。

 あの時自分が見た流星は、一体何だったのだろうか。
 あれ程流れたのだから、誰か一人くらい見ていてほしいわけだが、残念ながら天文部員すら見ていなかった。としたら、幻になるのだが。
 けれども、あんなに流れたのである。
 星のシャワーだ。比喩的ではない。本物のシャワーのように、後から後から溢れるように流れていった。
 それが現実ではなかったとは思えない。けれど、証拠が見つからない。

「やっぱり、あの流星がな」
 原因の一つであろうか。
 そうであっても、追えるものではなかった。幻の流星だ。調べてもどうにもならないもので、戻ってこれてよかったと喜ぶべきものだった。
 ふいに鳴ったメッセージ音が響いて、理音はそれを手にした。

「明日、楽しみにしてる、ね」

 今は、この恋になるかもしれない時期を、大切にすごすべきなのだろう。
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