群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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48 ー笑顔ー

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 何だかんだで、小河原といると面白い。
 面白いとは主に小河原の反応についてなのが失礼だが、それでも理音には楽しかった。
 気が紛れるのだ。それすら失礼だろうが、日々募っていくフォーエンへの想いを少しでも和らげられることは、別のことに集中することだった。

 一人でいると、どうしても考えてしまう。
 思い出さないようにしているのに、どうしても思い出してしまう。

 人といるとそれが格段に減る。たまにぽろりと思い出してしまうが、それでも少なくなるのだ。
 殊に小河原は理音にとって、興味を持ち始めた男だった。
 ちゃんと付き合う方向で考え始めた理音にとって、それが好都合であることは間違いない。


 春にしては少し汗ばむ暖かさで、理音は小河原の手を引いて先へ進んだ。
 動物園なんて小学校の遠足以来で、ほとんど園内を覚えていない。マップを片手に、あっちやこっちを見て回った。
 動物の写真を撮りつつ、こっそり小河原の写真も収めておく。無論気づかれて照れられたが、何となくこの日を収めておきたかった。


「要くん、あっちあっち」
 小河原は理音の行きたいようについてきてくれる。
 行きたいところはないのか問うたら、気になったところがあればすぐ声をかけてくれると言うので、自分の自由にした。
「鳥いっぱい」
 サギのような鳥がいる。
 さすがに黄色はいない。あの庭で見た鳥はいなかった。いても違和感ないだろうが、同じ鳥は見受けられなかった。
 近くに五重塔も見られて、何だか懐かしく思えてくる。あちらの塔は朱塗りの艶やかな塔ではあったが、こちらは渋く黒に近い暗めのものだ。

「理音…?疲れた?」
 ふいに問われて、理音は顔を上げた。
 また別のことを考えてしまっていた。かぶりを振ってその鳥を写真に収める。
「結構、歩いたね。少し休憩しようか」
「そだね」
 疲れたように見えてしまっただろうか。
 気を遣わせてしまったかもしれない。

 小河原は、照れて恥ずかしがって赤面する以外は、極端に冷静な男だった。
 それは最近知ったわけだが。


 理音に関わることで舞い上がることはあっても、他はしっかりと下調べやリサーチを行い、周りの状況確認も判断力も別人のようにしっかりしていた。
 まあ、カップル破局の伝説は知らなかったようだが。
 それはさておき、理音の調子の悪さもよくわかっているのである。
 理音がずっと体調を悪くしていることを、小河原が問うてきたことがあったのだ。
 何か深刻な病気とかがあるのか、心配だけれど口にしてはいけないのかと、理音に直接聞けなかったらしいのだが、つい先日問われたわけだ。
 寝不足のことだが、それを話したこともない、クラスも違う小河原に気づかれるとは思わなかった。
 大体元気がない。なんて、近くにいる者でも気づかないことはざらなのに。
 しかし、小河原は前から気づいていたのだと、夏頃までは元気だったのではないかと言ってきたのだ。

 夏頃って付き合う前である。
 そのことに少し戦慄を覚えたが、まあ口にはすまい。
 とにかく、人を見ているわけなのだ。
 理音だから、よく見ているのかもしれないが、体調の良し悪しを話しもしないのに気づくような男であるとわかってから、色々なことを実はよく見ているのだと気づいた。
 なのでぼうっとどこかを見つめていたら、体調が悪いのか疲れているのか、すぐ想像するのだろう。

 座っているとアイスを渡されて、ついすぐ受け取る。
 ほしいとも言っていないのに、ほしいものがすぐに目の前にある。
 人の好みを知り尽くしている。
 侮れない。

「今、どこまで来たかな。マップ見せて」
 アイスを食べながら、理音はマップを手渡した。小河原は水を飲むだけで、アイスは口にしていない。甘いものは好きだと言っていたのだが。
 理音から小河原に触れたり、琴線に触れることを言わない限り、小河原は別人のように静寂をまとった。
 雰囲気が変わるな、と感じるのだ。

 いつも照れている顔しか見ていないので気づきにくいのだが、思ったより精悍な顔をしているのである。
 一年初めの頃に比べたら、大人になったのかもしれない。この横顔を見ている限りは、女の子に見えなかった。
 じっと見ているとじりじり赤くなってくるので、別人の小河原は、すぐに知っている小河原に変わってしまう。

「な、何?」
 見ているのがばれたらしい。
 そんながっつり見ていただろうか。
「ん?要くんて結構男前だよね」
「えっ!?」
 心外。と顔に書いて赤面してくれる。
 うん、それがなければ。

「まあ、まあ、どっか行きたいとこあった?」
「や、えと、結構来てたなって、もう少しで一周しそう」
「あら、もう?急いで回りすぎちゃったかな。久しぶりの動物園だったから、テンション上がっちゃって」
「俺も久しぶり」
 それはどのくらいの久しぶりなのか、聞いていいだろうか。
 いや、やめておこう。彼女はいないと言っていたので。
「あ、垂れてるよ」
 コーンからアイスが溶けて垂れてきていた。服についてしまってアイスにかぶりついてそれを防ぐと、小河原が急いでティッシュをくれる。
「ありがろ」
 アイスを口に咥えたままである。
 怒られるわ、これ。誰にとは言わないが。

 持ってるからと言われて、咥えたものをそのまま渡す。
 だらしないの前にはしたない。
 さすがに理音も急いでウエットティッシュを出し、自分の足元を拭こうとした時だ。ころん、と何かがカバンから転げ落ちて、理音はそちらを咄嗟に掴んだ。
「あぶなーっ」
 替わりにリップやらクリームやらが地面に落ちたわけだが、それすらも小河原が拾ってくれる。
「ごめん。ごめんー。危なかった。割れるとこだった」
「香水?」
 そんな物はつけていない。
 けれど、少し香るだろうか、甘い匂いが。
「あ、やだ、垂れてる?」
 匂うわけである。蓋が少し外れて小瓶から液体が溢れていた。
 入れていた袋に茶色が滲んで、中を汚していた。そこから鉄の匂いを混ぜた、あの甘い香りが漂った。
 手にもついてしまって、つい舐める。

「え、」
 声を上げたのは小河原だ。舐めちゃって大丈夫なのか?の顔だ。
 香水舐めたら、それは唖然とするだろう。
 だが、これは香水ではない。

 全てを拭き取って綺麗にして、思ったより被害が少ないことに安堵すると、アイスをもらって替わりに小瓶を渡した。

「香水じゃなくてね。木の、蜜?」
「メープルシロップ?」
 似たような物だろうか。
 そんな物を、なぜ持ち歩いているのか、疑問に思われるだろう。小河原は微かに眉を顰めた。
 理音はとりあえずアイスを平らげようと、大口でそれを口の中に押し込める。押し込めてから、これがやってはいけないこと、と思い出す。
 もうやってしまったので、遅いのだが。

「それ、お守りなんだ。人に、持ってろって言われて、持ち歩いてるの。変な匂いするんだけど、何となく、ずっと持ってたくて」
 これの説明は難しい。
 蓋を取っていいよ、と香りを嗅がせると、なるほど甘い香りがすると、小河原は頷いた。
「舐めても平気は平気なんだけど。あんまりいい味じゃないんだよね。血の味に似てる」
「血って…」
 おぞましい物を持っていると思われたか。理音は苦笑いをした。

 血の匂いであると気づいたのは、宴の戦いのせいだ。
 辺りに匂う、生々しい匂い。あれに甘さを足したような、生暖かささえ感じる、粘るような香り。
「メープルシロップの、あんまりいい香りじゃない感じ」
「うん。少し癖のある香りだね。甘いけれど、確かに鉄の錆のような香りがする。舐めてみてもいい?」
「いいよ。でも変な味するよ」
 小河原は気にしないと手につけた蜜をペロリと舐めた。
 お腹とか壊さないか、少し心配になる。
「そうだね、口の中に残るかな。メープルシロップより濃くて、もっと原料のような」
 小河原の言葉に理音も納得する。精製していない、ままの蜜だ。飲みやすいようにしているわけではない。
「木に傷つけて、そのまま取った蜜だから、そうかも」
「これがお守り?」
 不思議なお守りだろう。実際、お守りであるわけではないし、ただ持っているだけだ。
「お守りにしてるだけ。でも、蓋開いちゃうと困っちゃうな」
 カバンの中で全て流れていたら、ショックが大きい。袋にティッシュをつめて蓋が開かないようにしておく。

「誰にもらったの?」
 静かな声が届いた。
 小河原らしからぬ、どこか冷えた声。
 笑顔で問われたのに、何だか咎められているように聞こえた。

「知らないおじさん。持ってていいですよ。みたいな。目の前で切ってもらって」
 それがお守りになるとはおかしなことだ。自分で言っていておかしい。もらったのは確かに彦星からで、けれど、それでお守りにしたわけじゃない。

「持ってろって言ったのは、別の人なの。もう、会う人じゃないんだけど、私に持ってろって、押し付けられたって言うか。その時はいらないなって思ってたんだけど、もう会わないと思ったら、持ってようかなって。もう、これしか、残ってないから」
 言って黙る。
 この説明は、小河原に変に取られてしまうのではないのか。

「外国の人だから、もう絶対会わないんだけどね!」
 言って、自分で傷ついた。
 もう、会うことのない人。
 事実を自分で口にすると、なぜ胸に残るのだろう。

「それ、男の人?」
 小河原はきっと、人の何倍も察知能力が高いのだと思う。

「そうだよ。でも、もう会うことない」
 小河原がそれを聞いて、何を考えたかはわからない。ただ彼は笑顔で返して、その後何も聞いてこなかった。
 だから、理音も何も言わなかった。

 それが自分の初恋の人で、今でも想っているなんて、言えるわけがなかった。



 結局、春休みの間、小河原にはほとんど会えなかった。

 会っても、バイト前や部活後の少しの時間を一緒に過ごすだけ。一日使って出かけられる暇はなく、あっという間に春休みが過ぎた。

 新学期、小河原とはクラスが違い。やはり前と同じように帰れる時は一緒に帰り、そうでない時はほとんど会えない付き合いが続いた。
 小河原はいつも通り、頬を染めて話をする。

 偽の笑顔を見せたのは、あの時だけだった。
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