群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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114 ー看病ー

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 どことなく不思議な香りが鼻腔をつく。
 それは、何かの香りに似ている気がした。香水やアロマではなく、お香の類に思える。
 お墓で香る線香とは言わないが、焼いて香る匂いだ。

「こちらへ」
 廊下に立っていたコウユウは、お化け屋敷の案内人のように佇んでいた。
 廊下の板を音も立てずに踏んで、一つの大きな扉の前に理音を連れた。
 匂いに誘われたようだった。香りはこの扉からする。
 ゆっくりと開かれた扉に、理音は一瞬むせそうになった。香りが扉の中から溢れ出てきた気がしたのだ。煙があるわけではないが、匂いがこもっていたようだ。開いた扉によって風が流れていく。

「これ、何の匂いですか」
「祈祷の香です」
 納得の香りなわけである。こんな香りがきつい部屋にいたら、体調なんて逆に悪くなるだろうに。
 部屋の中から声が聞こえる。歌のような何かだ。
 男が一人、何かの祭壇のような物の前で何かを唱えている。これが祈祷だろうか。そこから煙が出ていた。お香を焚いての祈祷だ。

「お静かにどうぞ」
 入った部屋はまた豪華なものだった。調度品もさるものだが、天井の細工がすごい。時間があれば眺めていたいほどだが、それよりも促されて入った奥の部屋に見えた寝台に目がいった。フォーエンだ。
 走り寄って近付けば、理音は言葉を飲み込んだ。
 フォーエンは寝台の中、ひどく苦しそうにして眠っていた。暑いのか汗をかいている。そっと頰に触れれば、ひどい熱があることがわかった。

「いつから熱を?」
「四日ほど前に」
「四日?四日も経ったのに、この熱なの?」
 首元に触れれば、その熱さが高熱だと気づく。三十八度はあるだろうか。
「皇帝陛下は、意識があることはありますか?」
「ほとんど朦朧とされております」
「吐いたり、下ったりとかは」
「食物を口にされると、吐き出してしまうことがあります」
「食事は?最後にしたのはいつ」
「昨日、夕方に果物を少し召し上がっただけです」
「薬は?」
「口にされてもすぐに吐き出してしまいます。お口に合わないのかと。果物は吐いたりはしてません」
「水分を最後にとったのはいつ?」
「今朝方」
 これは想像以上にひどい。そして何よりこの環境だ。
「窓を開けて」
「は?」
「窓を全部開けてください。部屋の空気が悪すぎる。あとこの匂い、逆に体調が悪くなる、すぐ消してください。それからあの祈祷、他でやってもらってください。うるさいし、これ以上ここにいたらあの人にもうつる。それから、」
 理音は持ってきたマスクを口につけた。羽織を脱いで窓を開け始める。

「それから、コウユウさんも鼻と口を布で抑えて。風邪は口腔感染するから息してるだけでうつるんで。あと、お湯を大量に沸かしてください。それと、飲み水を一度沸騰させたもの、砂糖と塩を用意してください。あと、冷たい水を桶に入れて持ってきて。それから、水袋ってありますか。水を入れて押しても水が出ないもの」
「ございます」
「それ用意してください。できればこの、枕くらいの大きさの」

 フォーエンが頭に引いている枕を指差して、次の窓を開けにいく。
 窓はいくつもあって、開けば香りとこもった濁っている空気が外に出ていくのがわかった。
 この空気では風邪菌が蔓延していることだろう。ここにいれば簡単に風邪にうつりそうだ。

「それから、氷って手に入りますか」
「…ございます」
「氷を桶に入れて持ってきてください。大きいようなら、砕く道具もお願いします。あと、果物で柑橘系、酸っぱい味の物ありますか」
「ございます」
「飲ませるので、持ってきてください。その入れ物と潰す容器、金属の器、あとかき混ぜる物。あと何だ、あと、布を。枕を包めるぐらいの大きさで、肌触りのいい物を一つ。それと、濡らしても問題ない布をいくつか」
「…承知しました」

 理音は言うだけ言うと、再びフォーエンの首元に触れた。気にせず布団の中に手を突っ込む。それにコウユウが声を上げた。理音がいきなり布団をひっぺがえしたからだ。

「何を!」
「かけすぎですよ。汗がひどい。着替えさせてください。汗も拭って、じゃないと体が汗で冷えるんです」
 理音は祈祷中の香を皿ごと掴むと、祈祷師が憤慨するのも気にせず外に持って行った。
「早く着替えさせて」

 さすがにそれの手伝いをしたら怒られるだろう。
 部屋の外にいるからと、開けた窓を空気が入るように開けたり閉めたりする。何をやっているのかと言う顔を祈祷師にされたが、それはこちらの台詞である。

 コウユウ以外に男がやってきて、フォーエンの着替えを手伝い始めた。ツワが廊下で立ち尽くしている。ここで待つつもりなのだろう。
「ツワさん、あなたも念のため布を顔に巻いておいて、それと度数の高いお酒ってあります?飲んだら喉が焼けるくらいで手につけたら冷えた感じのする、蒸留された高濃度のお酒」
「ございますが」
「それを消毒用に使うから、用意してもらっていいですか」
「消毒、でございますか」
「度数の高いお酒は消毒になるんです。着替え終わった?」

 男たちが出ていくのを見て、理音は我が物顔で部屋に入った。空気も若干良くなってきたか、いくつかある窓の一つを残して全て閉じる。

 しばらくすると、水やお湯を男たちが運んできた。お湯の入った桶は地面に置く。水蒸気で部屋が潤うことだろう。
 水の桶で布を濡らして絞り、かけられるところにかけると、コウユウが不可解な物でも見るかのような顔を隠しもせずしてきた。
「部屋の中が乾燥しすぎなんですよ。菌は乾燥が大好きなんで」
 説明してもわからないのかもしれないが、一応それを伝えておく。
 今度は飲み水の沸騰したものと、砂糖と塩が運ばれてきた。理音は手早く容器にお湯を入れ、砂糖と塩をそこに入れてかき混ぜる。

「確か塩二グラム砂糖四十グラムだから、これくらいで」
 それをぺろりと舐める。甘いししょっぱいし味は最悪だが、水分の足りない病人にはこれが必要だ。
「飲ませる気ですか」
「飲ませる気です。経口補水液って言って、病人に必要な水分補給になるんですよ。今私が舐めたから、毒なんて入ってません」

 コウユウが何を言いたいのかわかっている。たかが囮が一体何をするのか、身の程を知れだろう。そして何をやるのか気が気ではない。当然だ。フォーエンは皇帝陛下で、この国にいなくてはならない人なのだから。
 だからこそ、こうやって何とかしたいのだろうが。

「フォーエン、フォーエン。起きて」
「眠られているのだぞ」
「まともに食事してないんでしょ。起こして飲ました方がいいの。とにかく水分を取らないと、脱水症状になっちゃう」

 理音は無理にフォーエンの体を起こしてやると、枕をいくつものせて背もたれにしてやった。
 そのせいでフォーエンもさすがに目を覚ます。ぴくりと動いたまぶたの中に、濁った紺色の瞳が見える。その紺色の瞳はどこを見ているのか左右に揺れて、ぼんやりと理音の瞳に合わせたのだ。

「リオ…」
 最後まで声が聞こえない。喉がかすれているだろうか、浅く早い呼吸が言葉を発するのを邪魔している。

「フォーエン、ちょっと飲み物飲もうか。これね、甘いししょっぱいしだけど、体にいいから口にしようね」
 頷いたか、首を小さく揺らしたのを見て、理音はそっと口元に銀食器のグラスを寄せた。一口、二口、それだけで疲れたとフォーエンはやめてしまう。
「おいしくないでしょ。でも、我慢して飲まなきゃダメだよ。汗で水分が出ちゃってるから、体に水分が足らないんだよ。ゆっくりでいいからちゃんと飲も」

 グラス一杯は結構な量だ。フォーエンはほんの少しの量を、ちょびちょびと飲んでいく。全部飲むにはかなり時間がかかるだろう。
 そうこうしている内に、今度は氷が来た。

「コウユウさん、その氷、少しだけ砕いてください。その水袋に入れてもらっていいですか」
 突っ立ってるだけなら手伝ってもらう。理音は今、フォーエンに経口補水液を飲ましているので手があかない。
 コウユウは抵抗があるのだろう。けれど仕方なく手伝いに手を伸ばした。砕いた氷を水袋に入れていく。

「あ、そんなもので。それでそこに水を入れてください。枕にするんで、あまり入れないでいいです。余裕を持つくらいで」
「枕に、ですか」
「頭を冷やすんですよ。一番手っ取り早いですから。フォーエン、もうちょっとある。頑張って飲んで」

 何とか最後まで飲ませると、コウユウの作った水枕に布を巻いて、フォーエンの枕に差し替える。
 頭を上げて水枕にすれば、フォーエンは少しだけホッとした表情になった。

「冷たくて気持ちいい?」
 理音の言葉にただ頷く。

 理音はそれから氷水で布を濡らして、フォーエンの額に当てがあった。首元も冷やしてやりたいが、濡れた布では寝間着を濡らしてしまうのでできない。
 こういう時、貼って冷やす系の物があれば助かるのだが、文句は言えない。
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