群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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136 ーフォーエン 番外編2ー

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「ばたーとなまくりーむと言うものが、こちらにはなかったようで」

 ツワは報告で、それをどうやって作るか、方法は知っているが本当に作れるのかを、一人自問していたと伝えてきた。
 リオンが思いつくまま動くのを、ツワは側で見張っていたのだろう。報告に感情などのせない彼女だが、どこか笑いを堪えている気がした。

「作業はとても円滑で、作り慣れているようでした。包丁捌きも見事で、料理人が呆気に取られておりましたので。けれど、材料もですが、道具もなかったため、その代用品を使用した分、苦労されていたようです」

 リオンの持つ物はこちらではまず無いと言って過言ではない。何から何まで揃えるのにリオンが慌てふためくのが目に浮かぶ。まずは準備をして、と始めたその準備がままならなく、時間を掛けたようだ。

「料理をし始めれば、作り方を料理人が気にするほどで、むしろ熱心にリオン様の料理に見入っておりました。くれーぷを作るついでに、わたくしたちにも別の物を作ってくださって。皆、喜んでおりました」

 どうやら、試作品を作る傍、別の物も作ったらしい。それを下賜するのはうまい方法だ。料理人でもない者が調理場に入り込み、勝手に道具を使うなど有り得ない。しかし、新しい料理を料理人に教え、美味な物を作る方法を伝えるならば、恨まれることはない。

 また、女官たちも女性だ。甘い物は好むだろう。リオンが作る物を不審に思っても、口に合えば話が変わる。余程上手くいったのか、ツワの雰囲気が柔らかなところから想像がついた。
 無論、リオンはそんな計算など全くしていないだろう。側にいれば与えるのが容易に想像できる。皇帝である自分に、美味だと料理を口元に運んで勧める真似は、リオンしかしない。


「ただ、全てをお一人で行うのに慣れていらっしゃるのでしょう。使われた道具なども自ら片付けられて、料理人たちが面食らっておりました」
「…ああ…」

 ツワから聞いていたが、リオンは自分で服を着、元々持っている自らの服も手で洗うそうだ。それだけでなく、寝所の片付けや食事の片付けもしようとしていた。さすがにそれはツワが注意したようだが、軽く片付けようとするのは直さないらしい。すぐに女官たちが寝所を直すのだから良いと言っても、どうにも綺麗にしなければ落ち着かないと、形だけでも直そうとする。

 側に仕える者がいなければそんなものだろうと思っていたが、リオンが特別なのだとツワは考えていた。


 言葉遣いや所作は、ある程度恥ずかしくないように注意をしている。外で自分の隣に座る際、最低でも知っていなければならないからだ。

 平民の子なのか、貴族の子なのか、どちらなのかリオンはわからない。けれど、当たり前の食事の仕方や勉強に対する姿勢などは、平民の子とは思えないと言う。
 貴族のように躾けられているようで、けれど言葉遣いや所作はさほどでもない。しかし、注意をすれば直そうとし、勉強も見ればすぐに覚える。暇があるからか復習も好んで行う。

 そのくせ男の格好で働くことに全く抵抗感がなく、宮仕えの子供との喧嘩で脅した挙句優位に立つのだから、平民感が拭えないのだと、ツワは困惑したようだ。


 そもそもこちらに来て右も左も分からない状態で、商人の娘の側仕えになっているのだから、適応力は高いだろう。それを考えれば、リオンは頭の固い貴族に向いていない。

 リオンが貴族のようにも思えるのは、リオンの話からすれば、リオンは教育の水準がこちらよりずっと高い場所にいただけなのだ。
 それを口にはせず、ツワがリオンに対してどんな印象を持っているかを注意深く探る。


 ツワにリオンを不審がられては困る。あんな適応外の者に仕えられる忍耐力のある者など、後宮で見付けるのは難しい。
 後宮は他の者たちを蹴落としながら、自分の価値を上げなければならない場所だ。側仕えの水準も高くなければならず、主人に対してもそれが要求される。主人が悪ければ、側仕えが悪く言われるからだ。


 側仕えにも家名はある。その家の名を汚すことは良しとしない。仕えている主人が悪いことを理由に、父親やその親族まで下に見られる。
 今はまだいい。リオンが何者なのか公表していないが、現在唯一、自分に近い妃の位置にいる。そのリオンに仕えていれば周囲から探られても、自分の寵愛を受けていると答えれば黙らせられる。

 しかし、リオンの動向があまりにも規格外で嫌悪されるほどになれば、リオンの状況を口悪く言う者が出てくるかもしれない。

 到底姫とは思えぬ行動。外で働くことは口にせずとも、宮での過ごし方を他で話されたら、他の妃たちを活気付けることになるだろう。抑止力をなくせば側仕えたちが鞍替えてもおかしくないのだ。
 だからこそ、宮には少人数の女官、側に寄せる者はツワが許した者のみ。それを徹底させている。


 リオンは基本的興味がないことに、全くの無関心を決め込む。他でどう思われようが、自分が思わなければどうでもいいと言う態度がはっきりしている。女官たちが悪意を持って近付かない限り、リオンも話すことはせず、リオンの性格が知られることはない。

 リオンがこちらの言葉を話せなかった時に、ウーランのような他の妃が入り込んだ場合は話が別だが。


 あの時は麗仙宮に人を入れたことを薄っすらと流し、誰がどう反応するか見定めるつもりだった。それが後宮の妃であっても同じだ。

 リオンの役目は誰でも良かった。突如聖王院に現れた不可思議な存在をどうするか決めかねたため、その役目をリオンにさせた。
 話せないこともこちらにとって都合がよかった。何か問われても何も答えられない存在は使い勝手がいい。
 そんな打算でリオンを麗仙宮に閉じ込めれば、暗殺者の他に妃の一人であるウーランが入り込んだ。

 ウーランはそれなりの家柄を持つ妃の一人で、皇帝の座に就く前より顔見知りであったため、ツワの制止も聞かず麗仙宮に乗り込んできた。

 無論、それを想定してツワには入り込む輩への対応をさせておいた。
 麗仙宮に留まれるような者をどの様に扱うかを、自分が知るためだ。

 入り込んだ妃はウーランだけだったが、他の妃たちがウーランを唆した話は耳に入っている。
 ウーランは気が強く家名と父親を誇りに思っている分、乗り込んでくれば面倒を起こすと想定できた。しかし、自分にとって女同士がどう争おうと、正直どうでもよい話だった。

 自分が誰かを選んだ時に、周囲がどう動くのか、それを確認したかっただけだ。


 麗仙宮にウーランが入ったと聞いた時は、面倒だが念のため止めに行く素振りはするつもりだった。折角釣れた餌に、自分が相手にもしない者だと思われても困るのだ。

 だが、麗仙宮に着いた時、池に突き落とされるリオンが目に入り、さすがにやりすぎだと肝を冷やした。池の深さが浅いわけがない。透き通るほどの水ではなく、底には藻なども生えて足を取られれば命に関わる。泳げなければ尚更だ。
 だから急いで助けるよう命じるつもりだったのだが。

 その後のリオンの行動に、自分は目を丸くした。
 痛快な仕返しに、ウーランが泣いて逃げる様は妃としてあまりに滑稽で、自業自得と言う言葉がしっくりときたものだ。
 
 リオンは自分に縋り付いて泣くウーランを見ようともしない。着ていた服を絞り水を落とし、我関せずと片付け始める。
 肝が座っていると言うか、打たれ強いと言うか、自分の周囲に男でもいない、動じぬ精神を持った者だと感心したのだ。

 ウーランは恨みがましくリオンを罵ったが、この麗仙宮に無断で入り込んだことを他の妃に伝えたりはできないだろうとわかっていた。伝えれば自分の前で自ら池の水を被ったことを噂される可能性もある。それは妃の一人としてあるまじき恥となるだろう。

 噂をまけてリオンの格好だ。しかし、それを見たのはウーランとその女官たちだけ。外で着飾るリオンしか見たことのない他の妃たちは、そう易々と信じはしない。足を出して地面に座り込んでいたと言われても、信じられる妃はまずいない。
 自分がリオンの隣にいる限り、リオンの本当の姿に気付く者はいないのだ。 
 

 リオンを知る者は少なくていい。故に、外で働きたいと言った話を許した。部屋にいて大人しくできるわけがないのだから、外にいることで大人しく部屋にいる姫だと他の者たちに思わせることができると考えたからだ。

 とは言え、まさか子供と争いになり、死にそうになって、さらにあの髪型をされた日には、さすがに目眩がしたが。



「そろそろ、リオン様に妃としての教育を施した方が良いと存じます」
 思っていたことをツワに口にされて、苦虫を潰したような気分になった。

「お立場を鑑みれば難しいことはおありでしょう。陛下がどのようにお考えなのかわたくしに量ることはできませぬが、リオン様は特別なお方。妃としてのお立場を周囲に知らしめるためにも、妃教育は必要かと」

 周囲から妬まれているのだから、それに足を取られるような真似をするのは危険だ。ならば揚げ足を取られぬよう、リオン自身が攻撃されないよう、教育しろと言ってくる。粗を探されて困るのは自分よりリオンなのだ。

「廷内で働かれるリオン様は、自らの噂を耳にされることも多々あると存じます。ご本人に妃としての自覚がございませんので、右から左へと聞き流していることでございましょう。外へ出る時は気を付けなければならないと伝えておりますので、ある程度の所作は気にされると存じますが、それでもリオン様の常識とでは乖離がございます」

 ため息を出しそうになって、口をしっかり閉じることでそれを堪えた。
 リオンは甘んじて作法を学ぶだろう。必要であるなら真面目に行うはずだ。嫌そうな顔を隠しもせず、文句も言うだろうが、言われれば仕方なしにもこなそうとする。

 分かってはいるが。 

「妃としてのお仕事をお教えするつもりはございません。陛下はそれを望んではいらっしゃらないでしょう。ですが、所作と作法は、わたくしから教示したいと存じます」
 ツワは必要であると感じたのだろう。これは何かあったな。と思いつつも、自分に言わないのだからそこまで大きな話ではないと理解した。

 しかしリオンが何と言うか、頭が痛い。

 いつか注意させねばならぬ時がくる。けれど今はそれをするつもりがない。好きに行い、好きに感じればいい。自分が許されなかった自由に、彼女が望むのならば、今だけは手を出すつもりはない。彼女の思うように、動きたいように。

 そう思っていたが、ツワはもうやる気だ。お許しを頂ければと言いながら、自分が断らないことを理解している。

 妃教育は必要になる。自分でも感じていたことだ。ただその状況に、リオンは追いつかないだろう。後宮なのだからやれと言われてやるとしても、深く考えないことが想像できる。

 だからこそ、今からやってしまいましょうと言うツワも大概だが、いつかはやらせるつもりだったので、今やっても何も問題がなかった。

「蒼の聖王院より戻り次第、行うと良い。エンセイの元で働き始めている今はやめてやれ」
 その言葉にツワは恭しく首を垂れた。

 そう言えばエンセイにも同じことを言われたのを思い出す。

 真面目な顔をして、リオンの後宮での立場と対する作法を案じていた。その話のついでにエンセイの元に通わせると伝えれば満更ではない顔をしたので殴り倒してやりたくなったが、リオンを守る気があるのであれば良い。

 ラファレイもエンセイもリオンを受け入れたのが意外だった。特にラファレイはあれが何のためにここにいるのか知っているとは言え、後宮ではあるまじき存在であるのにだ。

 いいや、と頭を振る。それは自分も同じだ。

 初めて見た時、どこの服を着た小猿が来て、奇声を発したのかと思った。
 言葉が違うだけで話せるとわかったが、あまりに多くが奇抜で、何をどう突っ込めば良いのかわからないほどだった。それが、今では目が離せないほどになっている。

 これからリオンには大きな重荷を背負わせるだろう。
 衣食住を提供してもらっているから、やれることはやるよ。と呆気らと言うが、命の危険もある囮役をそんなからりと了承されて、こちらが心配になる。

 事はもっと重大なのだが、リオンはおそらく何も理解していない。当然だ。何の説明もしていないのだから。

 自分はリオンを自らのために引きずり込む。それを話しても、いいよ。と言うだろうか。言うわけがない。あれは自分の家に帰るつもりなのだから。

 帰ることを許さなければ、あれはどうするのだろう。
 それを考えて、考えるたびに、思考を放棄した。

 考えるだけ無駄だ。自分はもう、彼女を巻き込んでしまったのだから。
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