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174 ー事実ー
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「よく冷やした方がいいです。熱があるみたいだ」
理音はジャカからもらった布を後頭部に当てがった。当てているとすぐにぬるくなってしまう。随分熱を持っているようだ。
「ギョウエンさんと一緒にいたので、気付いて助けに来てくれるかどうか。それより、この匂い、臭すぎじゃないですか」
甘い匂いが気分を更に悪くさせる。部屋中に充満した甘い香りは、いつまでも嗅いでいると吐き気さえしそうだ。頭痛のせいでなおさらそう思うのかもしれない。
「香がきついんです。薬草も混ぜてありますから、独特の香りが」
おかしな薬草じゃないだろうな。麻薬とか麻薬とか。そんなのは勘弁である。
「ここに来てから、どれくらい経ってますか」
「まだ鐘は鳴っていません」
それならば二時間は経過していない。バラク族のいる山までの距離を考えると、あの市場にいた時間から三、四時間程度だろうか。
「なら、とっとと出ましょう。ここにいると鼻がバカになる」
理音は揺れる頭を押さえながら、窓に手をかけた。鍵はかかっていない。開くと二階で、下は人気のない中庭だった。
「窓から、ですか?」
「廊下から出て見つかるより楽ですよ。出口はどっちですか」
「方向は、このまま、北になりますが」
ジャカは窓の先を指差した。見えるのは庭園、建物、奥は山の中らしき木が見える。山の木が見える場所まで距離がある。
「めんどくさいな。本当にめんどくさい」
「リオンさん…、申し訳ありませんっ」
ジャカは突然床に這い蹲り頭を地面に擦り付けた。頭痛の中、そんなことされてもすぐに反応できない。
「僕のせいで、巻き添えに」
巻き添えになるような行動をしたのはこちらだ。ギョウエンの言う通りあの場所で動かなければ良かったのだろうが、落ち着いて待っていられる性格ではなかった。
「私は、ジャカさんに聞きたいことがあったんですよ」
「聞きたいこと?」
「ウルバスを殺した方法について」
ジャカは跪いたまま、ぎくりと身体を強張らせた。
「あれの使用方法を知っているのは、ジャカさんだけですか?他にいませんか?」
「ぼ、ぼくは…」
ジャカは身体を震わせる。
糾弾されることを恐れているのだろうが、それは自分がすべきことではない。どんな経緯があるか全てを知っているわけでもないのに、その話をしても仕方がないのだ。
「私はレイシュンさんにあの木は燃やせと言いましたが、レイシュンさんが本当に燃やすかわからないんです。他に使用されては困ります。だから、教えてください。同じやり方を知っている人は他にいませんか?」
犯人の話をしたいのではないが、ここで肯定したら殺したことを肯定することになる。ジャカもそんな返事ができるわけないとわかっているが、これは確認しなければならない最重要項目だった。
レイシュンが悪用せずとも、他の誰かが悪用する可能性がある。それは阻止したい。
「リ・シンカや、セオビは気付いていませんか?あの木は簡単に人を殺せるんです。他の誰かが知っていることはありませんか?」
ジャカはふるふると頭を左右に振った。いきなりそんなことを問われて理解がおいつかないのか、否定しているのかわからない。
「薬草を調合するジャカさんならわかりますよね。エンシさんは純粋に病に倒れる人のために庭園を手掛けたんでしょう。あの庭園はそのために造られているのに間違いありません。けれど、あの木だけは違います。エンシさんが誰かを殺したかったのかはわかりませんが、あれを残してはならない。そして、その部位も使用方法も知られては駄目なんです」
「なぜ、そんなことを…」
ジャカは蒼白な顔で言った。唇は紅で鮮やかな色をもっていたが、顔色がひどく悪くなっていく。
「悪用されては困るからですよ」
「悪用…?」
誰がとは言わない。これも最悪の場合を考えただけのことだ。けれど、有り得ないこともない。
「殺し方がまだ気づかれていないのなら、それは今後も気づかれてはならないんです」
食べ物に入れるとか、何かに仕込むとか、やり方はどうあれ、あの毒を使えば何でもできる。
しかしレイシュンはそれがわからない。どの部位を使って、どうやって行えばいいのかわかっていない。あの木に毒のなる部分があると思い込んでいる。
実際は、全てが毒で、今回ウルバスに使用されたのが、実であることを知らない。
今現在、実が生る時期ではない。ジャカはどこかに実を保管していたのである。
「必要と考えれば実ができるまで育てるでしょう。実ができてもそのまま育てます。あの実を使えば証拠も残さず、暗殺が可能だから。それを、レイシュンさんに知られたくない。おそらく、レイシュンさんはその方法を知りたがっている」
「そんな、こと…」
「私のただの勘ですが、そうでなければ私に毒を探させる意味がないんですよ。あの木は燃やせと伝えても、まだ燃やされていません。どの部分が毒になるのか、知らないからです」
そうでなくとも、燃やさない理由はない。そう言えばジャカは肩を下ろした。
毒殺を疑われているのではなく、毒の使用方法を悪用されることを恐れているとは思わなかったようだ。予想外の話に耳を傾ける気になったのだろう。ほっと息を吐いて理音と目を合わせた。
「リオンさんは、王都からいらっしゃったと伺っていますが、それを調べるためだったのですか?」
「…いえ、ただの偶然ですが、毒の件は皇帝陛下にお知らせします。そんな毒があることを、彼が知っているのと知らないのと、随分違うと思いますから」
風邪一つで右往左往する医師たちに知らせても仕方がないが、そんな方法が行われる可能性は伝えておきたい。
植物園で見学し、祖父から見聞きし、専門書をよく読んでいて良かったと思う。祖父が買ってくれた分厚い高額の本が、こんなところで役立つとは思わなかった。
「バラク族が知っている可能性はないですか?バラク族も南から来て、植物に詳しいと聞いています」
「知らないと思います。僕があれを知り得たのは、倉庫にその記述のあった木札が残っていたからです」
ジャカは倉庫の片付けで、厳重に封されていた木箱を見つけた。床の板を外した下、保管されていた木箱の中にあった実と木札が全てを記していた。
「エンシ様が埋めたのだと思います。そこには皇帝に対する恨みの書がありました。手を切り落とされたエンシ様は足で筆をとったと言います。お世辞にも綺麗な手ではなかったので、おそらくエンシ様だろうと」
ここでその木を育てても、皇帝に会うことなどないだろう。それでも恨みを持ち続け、殺す手立てを考えていたのか。それとも、殺すための毒を持つことで、心を保っていたのだろうか。
「エンシ様の手紙には、実を使う方法が記されていました。噛み砕くだけで殺せる。食べ物に混ぜて殺せればいいのにと。しかしそれが行えないことはわかっているので、その実はここに埋める。誰かあの皇帝を殺してほしいと」
気持ちの拠り所を作るために、毒を持ち続けた。誰かが行ってくれるなど、本当に望んでいたかはわからないが、恨みは大きなものだったのだろう。
「見つけた時は、どうしていいのかわからなくて、そのままにしておきました。そのあとすぐに庭で実のなるあの木を見つけて、どうしようかと考えていたんです。でも…」
ウルバスが現れて、悪びれもなく声を掛けてきた。
「許せないと思いました。何も気づかないで、僕たちに声をかけてきたんです。一人で逃げて、それなのにのうのうと生きているのが、許せなかった」
だからジャカはウルバスに恨みを募らせていった。リ・シンカがウルバスに会うことがあり、そこでも気づかれることがなかった。ジャカの女装は姉にそっくりなのだそうだ。
「バラの花を、持ち帰りましたよね。けれどあれに棘はなかった。渡す時に誰かが間違って触れたら危険ですから、棘ではないと思っていましたけど、意味があったんですか?」
「あれはただの印です。館に戻った際に部屋に飾り、わかりやすくしてほしいと」
なるほど、忍び込んだ時の目印だったわけだ。
部屋は一階。部屋まで入り込む警備を緩めてジャカの侵入を許し、部屋の場所を教えててもいくつもある部屋のどれかはわかりづらい。そのため花を窓に一輪置いて、印とした。
「窓から侵入し、粉末を小麦で包み、自ら、…飲ませました」
理音は愕然とした。何て危険なことをするのだろう。
ジャカは口移しで飲ませたのだ。小麦で練ったものでコーティングしたとは言え、自分で口に含んでは、粉を舐める可能性がある。自分の身も危険にさらす行為だ。
それも覚悟だったのだと、ジャカは項垂れる。
姉を殺した犯人ではなく、見捨てた男をそこまで恨んだ。目に見えてわかりやすく、姉を見殺しにしたからなのだろうか。
ウルバス本人が犯人を招き入れたのだから、殺された形跡がなければ殺されたと気づかないだろう。
粉であれば毒の吸収も早かったはずだ。ジャカを招き入れるために警備も近寄らせていなかったウルバスは、誰にも気付かれずに死亡した。
しかし、レイシュンはすぐに犯人に思い当たり、何の毒が使われたのか想像した。
「今日、バラク族に連れられたのは、毒について気づかれたからですか?それとも別に理由が?」
「…それは。僕が、この屋敷に来ることを、拒否したからです」
そう言うことか。理音は納得して、しかし安堵のため息をついた。毒に気付いているのはレイシュンだけだ。
「問題は他にもあります」
「他?」
ジャカは実の毒しか知らないのだろう。
ジャカの方法で高位の人間を狙うのは難しい。
相手が高位でなく、毒味をするような人物でなければ、食べ物に混ぜるだけでいい。実を口にすれば数時間で死亡する。
高位であれば難しい。噛み砕くことなく口にすれば、遅効性になるのか知らないが、毒味が死ぬことになるだろう。
問題は、それ以外の殺し方だ。
他の部位で殺す方法を知っていれば、高位でも殺せる。
「実以外に殺し方を知っている人はいませんか?死に方は若干変わりますが、他の部位でも人は殺せます。そうすれば、毒殺以外の方法が行える」
ジャカはふるふると頭を振った。蒼白な顔は呆気にとられて、言葉も出ない。
「知りません。僕は、実を使うことしか」
「殺す方法なんていくらでもあるんですよ。使う部位によっては、皇帝陛下を殺すことも容易なんです。毒殺は難しくても、針で刺すだけでも殺すことができる」
それを知っている人間はいないのか。問うとジャカはかぶりを振った。
リ・シンカもセオビもそれは知らない。それに安堵して理音は窓から階下を見下ろした。
「それならいいです。とっとと逃げましょう。私がここに来たことに気づけば、レイシュンさんは間違いなくここを襲いますよ」
「え?どういう意味ですか?」
「私は王都から来て、レイシュンさんに保護されているんです。私が誘拐されたと知れば、此れ幸いとセオビを罰せられます」
誘拐することを想定していたのかはわからないが、これはレイシュンにとって好機だ。セオビを罰することができれば、芋づる式にリ・シンカも陥れられるかもしれない。レイシュンならばそれくらいやりそうだ。
「ついでに言えば、毒の使い方を知っている私を、死なせる真似はしないと思います。けど、人質にされて足を引っ張るのはごめんなので、できるだけ出口に近づきましょう」
理音は言うと、ベッドのシーツを引っ張り上げた。二階程度、降りることは簡単だ。ただし普通の家より階高があるので、若干部屋から地面への高さはある。
「布団落とすのを、手伝ってください」
「わ、わかりました」
ジャカが布団を小さな窓から押し込むのを見て、理音はシーツをどこに結ぶか部屋を見回した。柵のようなものがないので、シーツをつたって地面に降りるのは難しい。
理音は舌打ちして椅子にシーツを巻きつけた。窓よりも大きな椅子だ。これをつっかえ棒代わりにしてシーツを引っ掛けるしかない。
それから机を引きずり、扉の前に置いた。ちょっとした時間稼ぎだ。内開きだろうが外開きだろうが、入るのに少しでも時間をかけさせたい。
理音はジャカからもらった布を後頭部に当てがった。当てているとすぐにぬるくなってしまう。随分熱を持っているようだ。
「ギョウエンさんと一緒にいたので、気付いて助けに来てくれるかどうか。それより、この匂い、臭すぎじゃないですか」
甘い匂いが気分を更に悪くさせる。部屋中に充満した甘い香りは、いつまでも嗅いでいると吐き気さえしそうだ。頭痛のせいでなおさらそう思うのかもしれない。
「香がきついんです。薬草も混ぜてありますから、独特の香りが」
おかしな薬草じゃないだろうな。麻薬とか麻薬とか。そんなのは勘弁である。
「ここに来てから、どれくらい経ってますか」
「まだ鐘は鳴っていません」
それならば二時間は経過していない。バラク族のいる山までの距離を考えると、あの市場にいた時間から三、四時間程度だろうか。
「なら、とっとと出ましょう。ここにいると鼻がバカになる」
理音は揺れる頭を押さえながら、窓に手をかけた。鍵はかかっていない。開くと二階で、下は人気のない中庭だった。
「窓から、ですか?」
「廊下から出て見つかるより楽ですよ。出口はどっちですか」
「方向は、このまま、北になりますが」
ジャカは窓の先を指差した。見えるのは庭園、建物、奥は山の中らしき木が見える。山の木が見える場所まで距離がある。
「めんどくさいな。本当にめんどくさい」
「リオンさん…、申し訳ありませんっ」
ジャカは突然床に這い蹲り頭を地面に擦り付けた。頭痛の中、そんなことされてもすぐに反応できない。
「僕のせいで、巻き添えに」
巻き添えになるような行動をしたのはこちらだ。ギョウエンの言う通りあの場所で動かなければ良かったのだろうが、落ち着いて待っていられる性格ではなかった。
「私は、ジャカさんに聞きたいことがあったんですよ」
「聞きたいこと?」
「ウルバスを殺した方法について」
ジャカは跪いたまま、ぎくりと身体を強張らせた。
「あれの使用方法を知っているのは、ジャカさんだけですか?他にいませんか?」
「ぼ、ぼくは…」
ジャカは身体を震わせる。
糾弾されることを恐れているのだろうが、それは自分がすべきことではない。どんな経緯があるか全てを知っているわけでもないのに、その話をしても仕方がないのだ。
「私はレイシュンさんにあの木は燃やせと言いましたが、レイシュンさんが本当に燃やすかわからないんです。他に使用されては困ります。だから、教えてください。同じやり方を知っている人は他にいませんか?」
犯人の話をしたいのではないが、ここで肯定したら殺したことを肯定することになる。ジャカもそんな返事ができるわけないとわかっているが、これは確認しなければならない最重要項目だった。
レイシュンが悪用せずとも、他の誰かが悪用する可能性がある。それは阻止したい。
「リ・シンカや、セオビは気付いていませんか?あの木は簡単に人を殺せるんです。他の誰かが知っていることはありませんか?」
ジャカはふるふると頭を左右に振った。いきなりそんなことを問われて理解がおいつかないのか、否定しているのかわからない。
「薬草を調合するジャカさんならわかりますよね。エンシさんは純粋に病に倒れる人のために庭園を手掛けたんでしょう。あの庭園はそのために造られているのに間違いありません。けれど、あの木だけは違います。エンシさんが誰かを殺したかったのかはわかりませんが、あれを残してはならない。そして、その部位も使用方法も知られては駄目なんです」
「なぜ、そんなことを…」
ジャカは蒼白な顔で言った。唇は紅で鮮やかな色をもっていたが、顔色がひどく悪くなっていく。
「悪用されては困るからですよ」
「悪用…?」
誰がとは言わない。これも最悪の場合を考えただけのことだ。けれど、有り得ないこともない。
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食べ物に入れるとか、何かに仕込むとか、やり方はどうあれ、あの毒を使えば何でもできる。
しかしレイシュンはそれがわからない。どの部位を使って、どうやって行えばいいのかわかっていない。あの木に毒のなる部分があると思い込んでいる。
実際は、全てが毒で、今回ウルバスに使用されたのが、実であることを知らない。
今現在、実が生る時期ではない。ジャカはどこかに実を保管していたのである。
「必要と考えれば実ができるまで育てるでしょう。実ができてもそのまま育てます。あの実を使えば証拠も残さず、暗殺が可能だから。それを、レイシュンさんに知られたくない。おそらく、レイシュンさんはその方法を知りたがっている」
「そんな、こと…」
「私のただの勘ですが、そうでなければ私に毒を探させる意味がないんですよ。あの木は燃やせと伝えても、まだ燃やされていません。どの部分が毒になるのか、知らないからです」
そうでなくとも、燃やさない理由はない。そう言えばジャカは肩を下ろした。
毒殺を疑われているのではなく、毒の使用方法を悪用されることを恐れているとは思わなかったようだ。予想外の話に耳を傾ける気になったのだろう。ほっと息を吐いて理音と目を合わせた。
「リオンさんは、王都からいらっしゃったと伺っていますが、それを調べるためだったのですか?」
「…いえ、ただの偶然ですが、毒の件は皇帝陛下にお知らせします。そんな毒があることを、彼が知っているのと知らないのと、随分違うと思いますから」
風邪一つで右往左往する医師たちに知らせても仕方がないが、そんな方法が行われる可能性は伝えておきたい。
植物園で見学し、祖父から見聞きし、専門書をよく読んでいて良かったと思う。祖父が買ってくれた分厚い高額の本が、こんなところで役立つとは思わなかった。
「バラク族が知っている可能性はないですか?バラク族も南から来て、植物に詳しいと聞いています」
「知らないと思います。僕があれを知り得たのは、倉庫にその記述のあった木札が残っていたからです」
ジャカは倉庫の片付けで、厳重に封されていた木箱を見つけた。床の板を外した下、保管されていた木箱の中にあった実と木札が全てを記していた。
「エンシ様が埋めたのだと思います。そこには皇帝に対する恨みの書がありました。手を切り落とされたエンシ様は足で筆をとったと言います。お世辞にも綺麗な手ではなかったので、おそらくエンシ様だろうと」
ここでその木を育てても、皇帝に会うことなどないだろう。それでも恨みを持ち続け、殺す手立てを考えていたのか。それとも、殺すための毒を持つことで、心を保っていたのだろうか。
「エンシ様の手紙には、実を使う方法が記されていました。噛み砕くだけで殺せる。食べ物に混ぜて殺せればいいのにと。しかしそれが行えないことはわかっているので、その実はここに埋める。誰かあの皇帝を殺してほしいと」
気持ちの拠り所を作るために、毒を持ち続けた。誰かが行ってくれるなど、本当に望んでいたかはわからないが、恨みは大きなものだったのだろう。
「見つけた時は、どうしていいのかわからなくて、そのままにしておきました。そのあとすぐに庭で実のなるあの木を見つけて、どうしようかと考えていたんです。でも…」
ウルバスが現れて、悪びれもなく声を掛けてきた。
「許せないと思いました。何も気づかないで、僕たちに声をかけてきたんです。一人で逃げて、それなのにのうのうと生きているのが、許せなかった」
だからジャカはウルバスに恨みを募らせていった。リ・シンカがウルバスに会うことがあり、そこでも気づかれることがなかった。ジャカの女装は姉にそっくりなのだそうだ。
「バラの花を、持ち帰りましたよね。けれどあれに棘はなかった。渡す時に誰かが間違って触れたら危険ですから、棘ではないと思っていましたけど、意味があったんですか?」
「あれはただの印です。館に戻った際に部屋に飾り、わかりやすくしてほしいと」
なるほど、忍び込んだ時の目印だったわけだ。
部屋は一階。部屋まで入り込む警備を緩めてジャカの侵入を許し、部屋の場所を教えててもいくつもある部屋のどれかはわかりづらい。そのため花を窓に一輪置いて、印とした。
「窓から侵入し、粉末を小麦で包み、自ら、…飲ませました」
理音は愕然とした。何て危険なことをするのだろう。
ジャカは口移しで飲ませたのだ。小麦で練ったものでコーティングしたとは言え、自分で口に含んでは、粉を舐める可能性がある。自分の身も危険にさらす行為だ。
それも覚悟だったのだと、ジャカは項垂れる。
姉を殺した犯人ではなく、見捨てた男をそこまで恨んだ。目に見えてわかりやすく、姉を見殺しにしたからなのだろうか。
ウルバス本人が犯人を招き入れたのだから、殺された形跡がなければ殺されたと気づかないだろう。
粉であれば毒の吸収も早かったはずだ。ジャカを招き入れるために警備も近寄らせていなかったウルバスは、誰にも気付かれずに死亡した。
しかし、レイシュンはすぐに犯人に思い当たり、何の毒が使われたのか想像した。
「今日、バラク族に連れられたのは、毒について気づかれたからですか?それとも別に理由が?」
「…それは。僕が、この屋敷に来ることを、拒否したからです」
そう言うことか。理音は納得して、しかし安堵のため息をついた。毒に気付いているのはレイシュンだけだ。
「問題は他にもあります」
「他?」
ジャカは実の毒しか知らないのだろう。
ジャカの方法で高位の人間を狙うのは難しい。
相手が高位でなく、毒味をするような人物でなければ、食べ物に混ぜるだけでいい。実を口にすれば数時間で死亡する。
高位であれば難しい。噛み砕くことなく口にすれば、遅効性になるのか知らないが、毒味が死ぬことになるだろう。
問題は、それ以外の殺し方だ。
他の部位で殺す方法を知っていれば、高位でも殺せる。
「実以外に殺し方を知っている人はいませんか?死に方は若干変わりますが、他の部位でも人は殺せます。そうすれば、毒殺以外の方法が行える」
ジャカはふるふると頭を振った。蒼白な顔は呆気にとられて、言葉も出ない。
「知りません。僕は、実を使うことしか」
「殺す方法なんていくらでもあるんですよ。使う部位によっては、皇帝陛下を殺すことも容易なんです。毒殺は難しくても、針で刺すだけでも殺すことができる」
それを知っている人間はいないのか。問うとジャカはかぶりを振った。
リ・シンカもセオビもそれは知らない。それに安堵して理音は窓から階下を見下ろした。
「それならいいです。とっとと逃げましょう。私がここに来たことに気づけば、レイシュンさんは間違いなくここを襲いますよ」
「え?どういう意味ですか?」
「私は王都から来て、レイシュンさんに保護されているんです。私が誘拐されたと知れば、此れ幸いとセオビを罰せられます」
誘拐することを想定していたのかはわからないが、これはレイシュンにとって好機だ。セオビを罰することができれば、芋づる式にリ・シンカも陥れられるかもしれない。レイシュンならばそれくらいやりそうだ。
「ついでに言えば、毒の使い方を知っている私を、死なせる真似はしないと思います。けど、人質にされて足を引っ張るのはごめんなので、できるだけ出口に近づきましょう」
理音は言うと、ベッドのシーツを引っ張り上げた。二階程度、降りることは簡単だ。ただし普通の家より階高があるので、若干部屋から地面への高さはある。
「布団落とすのを、手伝ってください」
「わ、わかりました」
ジャカが布団を小さな窓から押し込むのを見て、理音はシーツをどこに結ぶか部屋を見回した。柵のようなものがないので、シーツをつたって地面に降りるのは難しい。
理音は舌打ちして椅子にシーツを巻きつけた。窓よりも大きな椅子だ。これをつっかえ棒代わりにしてシーツを引っ掛けるしかない。
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