群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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177 ー処分ー

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「あまり、近寄らないで」

 フォーエンを引き連れて毒の木のある棟までやってくると、理音は毒の木を指差した。

 周囲には監視の兵士がいたが、自分の顔を知っているため一度睨まれる。しかし、特に何も言われることなく木の側まで近寄れた。
 フォーエンのことを分かっているのだろう。後ろから来たフォーエンを見て、びくりとすると頭を下げてすぐに端に寄った。ハク大輔だと思われていても、ハク大輔も大物のはずだ。

「この木だけか?」
「私が全部の棟を見た限り、この木だけ」

 フォーエンは毒の木を前にして、その木をじっくりと眺めた。近寄りすぎて何かあっては困ると、出来るだけ近寄らないように理音が遮る。
「近寄らないでって。ダメだよ」
 ここで何が起きることはないと思うが、念のためだ。この木の毒は笑えない。

 フォーエンは木を見つめた後、周囲を見回した。物珍しそうな顔は出さないようにしているようだ。兵士がいるからだろうか。
「植物が多い場所だな。作りも珍しい。建物の中にこれだけ植物を植えるのは、初めて見た」
「温室になってるんだよ」
「おんしつ?」
 メジャーではないと、フォーエンは微かに眉を寄せた。やはり他の人がいる前だからか、表情は無表情のままだ。
 それは何だ?の目線を寄こして、いつも通り睨んでくるのはデフォルトである。

「温度調整できる建物の事。こんな大規模じゃなくてもできるんだけどね。天井から光が入って熱もこもるように作られてるし、壁に断熱材とか使ってるのかな?温泉熱も使ってるらしいよ。近くの温泉からお湯を引いて、お湯で建物内を温めてるんだって。結構画期的だよね」
 理音が指差す天井を、フォーエンだけが軽く見上げた。ナミヤやアイリンたちは周囲に目を配っているだけだ。警備として動いているのがよくわかる。

「確かにこちらの建物は暖かさが違うな。建物内にある庭園には全て施されているわけか」
「作るの大変だっただろうね。温泉って供給パイプに硫黄とかこびりついちゃうから、整備必要って聞くけど」
 確かパイプを掃除しなければならないはずだ。そうでないとパイプ内に異物がこびりつき、通りを止めてしまう。

 フォーエンはすっと無表情になる。そして鋭い眼光がこちらに届いた。その顔はわからないことがあった顔だ。
 どこがわからなかっただろうか。
「硫黄?火山とか温泉とかで出る黄色っぽいやつ。パイプは、山からここまで包みたいのでお湯を通すための物。熱が冷めないように届かせるから、地下に埋めてるのかね。下水の技術でも応用してるのかな」
 こちらは古代ローマ帝国のように下水がしっかりしている。トイレなど垂れ流しではないのだ。
 お菓子を作るのにキッチンで水をカメから汲んでいたが、洗い物をする時はシンクからの下水があったのである。まさかの技術だ。
 下水処理が行われているのかは知らないが、汚水は目に見えないところへ流れていった。
 その技術があれば供給パイプも問題ないと思う。温度調整については何とも言えないが、相当高温なら問題ない。

 フォーエンの顔は再び無表情だけになる。わからないなら、わからないと言ったらどうだろうか。部下がいる手前、絶対言わないだろうが。
「冬場でも暖かくできる温泉熱を使うのは合理的だよね。植物も季節の違う花を咲かせるし、熱帯の木も枯れずに育つ。この木は、豪雪地で育つ木じゃない」
 大雪で育つことはないだろう。雪で閉じ込められるような土地で、実をつけることはない。
 しかしこの場所なら可能だ。エンシは南の国から、わざわざ苗を手に入れたのだろう。

「昔、皇帝陛下のお医者さんやってた、エンシさんって人が中心になって作ったんだって」
「エンシ…。シ・エンシ氏か」
「シエンシシ?わかんないけど、昔の皇帝陛下のお医者さんだって」
「知っている。治せない病はないと言われた男だ。ここにいたのか…。死んだと聞いていたが」
 さすがに皇帝陛下に仕えていた医師だ。フォーエンも知っている。
「十年くらい前に殺されたみたい。この木使って。エンシさんがこの木を植えたらしいんだけどね」

 理音の言葉にフォーエンが口を閉じる。この毒を知っている者は、エンシ以外にいると言うことだ。フォーエンはそれに気づいたのだろう。
 しかし、エンシを殺した者が誰なのかはわからなかった。木札を捨ててエンシを殺した、その犯人は未だわからない。
「エンシさんを殺した人は、わかってないよ。十年の間この木はこのまま。でも、他に使い方を知っている人がいるかもしれない」
 だからこそ、この木は処分しなければならない。
 フォーエンは頷いた。すぐにやらせるとナミヤに目配せする。
 ナミヤから後ろの兵士に命じられ、一人がその場を去った。

「煙を吸っても死んじゃうかもしれないから、監視をつけて煙の方向を考えて燃やすか、誰も手に取れない川へ落とすかだね。お魚が死んじゃうから人がいない川。どちらにしても、根まで掘る時に葉や樹液に触れるとかぶれるし、粘膜につくと大ごとになるよ。切るのは危険」
「この高さの木ならば、数人で運べるだろう。切る必要はない」

 レイシュンがフォーエンを皇帝と知っていれば、フォーエンの命令を無視することはできない。木の処分ができることに安堵したが、ジャカの心配があった。
 木の処分がなされた後、ジャカがどうなるのか。考えたくもない。
 ジャカはフォーエンの身分が高いことをわかっているらしく、一緒にはついてこなかった。レイシュンがハク大輔と呼んでいたので、レイシュンと同じくらいの身分だと思っただろうか。
 そうであれば一緒に行動などできない。頭を下げて後ろ足で逃げる感じになりそうだ。
 この国で身分は絶対なのである。

 フォーエンは待っている間に、温室の作り方を詳しく聞いてきた。お勉強家フォーエン、お変わりない。
 ガラスが作られるのだから、簡易的のものなら簡単に作れると思う。
 フォーエン立ちっぱなしの温室講義に、真面目に耳を傾けてくる。温泉熱以外に地熱だとか燃料燃やし続けるとか、色々あるわけだが、こっちもそこまで詳しくない。知っている方法を端から話す。そんな話でもフォーエンにとっては新鮮なのだろう。
 言葉を漏らさず耳を傾ける。さすがである。
 この程度の知識でも、役に立てるのならばもっと勉強しておけばよかったと、毎々思うのだ。

 しばらくすると、レイシュンがギョウエンやお付きの人たちを伴いやってきた。来た途端、庭で地面にも関わらず膝立ちし、こうべを垂れる。
「ソウ・レイシュン。お呼びに馳せ参じました」
 レイシュンは頭を上げない。手を組んだまま頭を下げて、フォーエンの反応を待った。
 後ろにいたギョウエンやお付きの人たちは後ろで膝立ちし、同じように頭を下げている。

 今更だが、自分が話せるようになってフォーエンに出会った時も、皆が膝をついてこうべを垂れていたのを思い出す。
 これは絶対話さない方がいいやつだ。本当に今更だが、フォーエンと一緒にいる時は、問われない限り口を閉じておく。
 そうであろう、フォーエンがちらりとこちらを目線だけで見る。黙ってろ。の意だ。
 了解です。言われずとも黙ってます。
 理音はきゅっと口を閉じる。フォーエンがそれを横目で確認した。

「ソウ・レイシュン候。一連の事件の話は耳にしている。使用された毒物について、如何に処すか」
 フォーエンはレイシュンに向くと、静かだが深い声音で問うた。
 普段見るフォーエンではなく、舞台の上で無表情に一点を見つめる、皇帝のフォーエンだ。
「…処分方法については、乾燥させた後に焼却する所存です。リオン様より処理を承っております」
 レイシュンは微かに間を置いて、前に話した通りの話をした。

 理音を様付けしてきたのは、自分がフォーエンに抱きつくような存在だと理解したからだろうか。皇帝と知っていれば、皇帝の妃の噂を肯定したことになる。
 レイシュンが、もしも皇帝に否定的な人ならば、自分の存在は後々フォーエンの面倒になるだろう。フォーエンはどうやってごまかすつもりなのか。
 まさかフォーエン本人が来るとは思いもしなかったので、フォーエンには今までのことを全て話しておかなければならない。もちろんフォーエンもそのつもりだろうが。

「燃やすには時間が掛かると聞いている。根から掘り出し、崖に捨てよ。これは勅命である」
「御意」
 はっきりとした指示に、レイシュンは頷いた。
 顔は見えない。こうべをさらに下げて、静かに叩頭する。その見えない表情が、どんなものなのか、理音にはわからなかった。

 レイシュンは顔を上げずに立ち上がり、顔を伏せたまま後ろへと下がる。ギョウエンたち兵士を伴い、その場から去っていった。



 毒の木の掘り出しは、その後すぐに行われた。

 鍬を持った者たちが土を掘り、木を簀巻きにして葉や枝に触れないように、根から掘り起こす。
 十年ものの植木だが、そこまで大きくなっていないのが幸いだ。さほど栄養の必要な植物ではないとは思うが、温室でも土地に合わなかったのかもしれない。
 フォーエンが見つめる中、レイシュンは無言で毒の木が運ばれるのを見ている。
 ギョウエンも近くにいたが、一度こちらを見ただけで、何も話すことはなかった。
 ここにはリンネもジャカもいない。兵士たちが木を運び、台車に乗せて数人がかりで運ぶのを、馬に乗ってまでついて見に行った。
 フォーエンは、確実に毒の木が廃棄されるのを確認する気だ。

「下ろすぞ」
 崖の上までたどり着くと、兵士たちは崖下に流れる川へ流すために、台車を斜めにする。
 木の重みで台車ごと転がりそうになりながら、兵士たちは板を使って簀巻きになった木を、崖から滑り落とした。

 ガラガラと音がして、すぐに音が止んだ。
 崖から離れた場所で、フォーエンの乗った馬に一緒に乗りながら、理音は木が水に落ちた音を聞いた。大きな音が崖下から響く。
 あの木が落ちるまでに距離があった。結構な高低差のある場所に川が流れているようだ。

 アイリンが崖から馬のまま下を確認する。頷いたのを見てフォーエンも軽く頷いた。
「待って。私も見たい」
 馬を翻そうとするフォーエンに、理音がフォーエンの腕を抑えて後ろに囁くと、フォーエンは一瞬目を眇めたが、そのまま崖近くへと近寄る。

 ナミヤとアイリンが一瞬緊張した。突き落とされでもすれば、崖下にフォーエンが真っ逆さまになる。
 自分だけ見ようとしたのに、フォーエンは御構い無しだ。ハク大輔の部下たちも緊張しながら、レイシュンやギョウエンが動かないように目の前を遮る。
 その緊張がこちらにも伝わる。

「あれで問題ないか」
 崖下が見える場所に来て、フォーエンは耳元で囁いた。

 崖はかなりの高所で、川は目がくらむほど下に位置している。流れが速いか、川の流れる音がよく聞こえた。
 川幅はあまりないように思えたが、木がほとんど川の中に入り、ずるずると水で押されている。
 川に流れた毒が魚を殺す可能性はあるが、ここで魚は取らないだろう。崖の高さがありすぎる。理音が流された川がこの川になるのだろうか。だとしたら、下へ流れれば流れるほど地面をえぐっているのだろう。
 川下には村などはなく、途中山から流れる水が滝のように流れて交わっていた。

「リオン」
「大丈夫だと思う。根が腐ればそれでいいから」

 これで毒は問題ないだろう。命がけであの木を取りに行かれたらどうにもならないが、植え直すのは無理だ。枝の数本を手にすれば殺せないこともないが、そうならないことを祈るしかない。

 フォーエンの頷きにナミヤとアイリンが馬を引く。レイシュンは無言のまま、ただフォーエンたちが城へ戻る後ろをついてくるだけだった。
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