群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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190 ー抜け道ー

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「後宮での仕事は慣れたか?」

 夜になって現れた男、フォーエンは冬使用になったふんわりした触り心地の長椅子に腰を埋めた。

 午前に会ったばかりだが、話をするのはあれ以来である。あれ以来!
 本人全く気にしていないと言うより、全く記憶にないのではないだろうか。

 細目で口を尖らしてみると、怪訝な顔を向けてきた。理音の不満げな顔の意味がわかっていない。腹立つな。

「慣れたって言うほど働いてないけど、今の所問題はないよ」
 仕事と言っても、姫に会わないので、基本部屋の掃除やゴミ拾い。置物のお皿を拭いたり、長椅子を整えたりと、客室清掃のバイトをしているようだった。
 女官て、いつもこんなことをしているのだろうか。

「お姫様に会ってないから、まだ問題は起きてない」
「…その感想はどうなんだ?」
 会ったら問題を起こすのか?と眉尻を上げてくる。
 失礼と思わず失礼をして、怒られる可能性は無きにしも非ずじゃないですか。

「ウの方の姫は外には出てこない。女官たちはお前の歳と変わらないくらいだろう。環境は緩いはずだ」
「緩いのか…」

 他の女官はもっとてきぱき働くのかもしれない。彼女たちはジョアンがいないと、結構のんびりしている。
 それならば随分と楽な場所に働きに行かせてもらっているのだ。今回も甘えさせてもらっているわけなのか。
 何だかなあ。と思いつつも、緩くないとやらかす可能性があることを思い出す。何かやってしまうことを考えると、緩い場所でなければフォーエンとしては安心できないのかもしれない。納得した。

「今日は大地が揺れたが、問題なかったか?」
「地震?全然平気。でもみんな結構驚いてたね。こっちって地震あるって聞いたけど、それほど多くないのかな」
 ユイはたまにある程度だと言っていた。しかし、結構な人数が建物から出てきていたので、回数としては少ないのではないだろうか。日本と比べるのが間違っているかもしれないが。

「数年に何回か、年に一回あるかくらいだな」
 それは少ない。だとしたら驚くのは当然なのだろう。震度二程度で、腰を抜かすくらいだ。
「昔大きな揺れはあったが、最近はそこまでのものはない。さほどの揺れではなかったが、外に出ていただろう。驚いて出ていたのではないのか?」
「外が騒がしかったから出ただけだよ」
 目が合ったと思ったが、やはりこちらに気づいていたようだ。挨拶をしないで睨まれていたわけではないと思う。

「大地が揺れた途端、悲鳴を上げ始めたからな」
 丁度、グイの姫に会っている時に地震があったらしく、部屋の中は大騒ぎだったらしい。あの揺れでそこまで驚いたのか。
「女官の一人が気を失うほどだった。最近女官が一人死んでいるので、心が弱くなっているせいもあるが」
 噂の逃げ出した女性のことだろう。理音は、ふうん。と返して、気にしていない素ぶりをした。皇帝から逃げた話など、微妙すぎてやらかす自信がある。

 フォーエンはその心知ってか、理音をじっと見つめてくる。
 まだ何も言ってないよ。皇帝から逃げた女官の話知ってるよ。とか言ってないよ。

「この後宮には呪いがあるそうだ」
 聞いたことのあるフレーズがきた。フォーエンは珍しく長椅子の背もたれにもたれると、小さく吐息を天井に吐く。
 やはりその話らしい。どうやらグイの姫に話を聞いたようだ。
 知らないふりをしても仕方ないので、理音は聞いた話を始める。

「…聞いた。昔後宮から逃げた女性が、外に出てすぐ死んだんでしょ。その死んだ現場ですすり泣きが聞こえるって。そこでまた女官が倒れてたとか」
 言うと、すぐに起き上がる。
「耳が早いな。後宮内では噂になっているわけか」
 たった三日ほどで耳にしているのだから、女官たちは皆知っている話なのではないだろうか。

 外に出ることを許さない幽霊が、外に出ようとした女官を呪い殺した。
 怪談話と称して、グイの姫の女官が外に出たために死んだと噂をする。外分のいい話ではない。わざと広める女性もいるだろう。妙な噂でグイの姫を陥れたい者がいるかもしれない。ここは後宮だ。
 そう思ったことを素直に口にすると、フォーエンは意外そうな顔をした。そんな推測をするとは思わなかったらしい。失礼な。

「十年近く前に、遥か昔に作られた後宮からの抜け道を使い、外に出ようとした姫がその抜け道で倒れ、その後死んだと言う噂がある」
「十年近く前?」
 意外にそこまで古くない呪いだった。それからずっとすすり泣きが聞こえるのだろうか。まあ誰も聞いてないだろうが。
「その抜け道ではないかと言う場所で、グイの姫の女官が倒れている」
「倒れている…」
 理音が反復して口にすると、フォーエンは理音に視線を合わせた。
 どうやら、これは聞いてほしい話の一つのようだ。何でもわかるわけではないのに。
 フォーエンもレイシュンと同じような顔をしてくる。お前ならばわかるのではないか?と言う顔だ。

「倒れている女官に気づき、その女官を連れ戻そうとした兵士も数人、その場で倒れた。助けに行くこともできん」
「兵士も?それっていつの話?」
「兵士が倒れたのは三日前だ」
「それからずっと放置してるってこと?」
「近付くことができん」
「じゃあ…」
 死んでいるな。とは言わなかった。フォーエンもわかっているだろうが。

 フォーエンはもう一度息を吐いた。死んでいるのは確認しないでもわかるが、兵士たちも動かせないので、どうやって遺体をそこから動かすかもめているのだ。
 兵士がその抜け道に行きたがらないらしい。
 倒れる原因がわからない。しかもその道は死んだ妃がすすり泣くと噂されている場所。怪談話を信じる兵士たちは、恐れを抱いて動こうとしない。

「…抜け道なんてあるの?」
「あるようだ。後宮から抜け出る道をどう使っていたかは知らんがな」
 古くからあるのだから、今まで使われたことがあるのだろう。しかし十年近く前に妃が死んだ。その道をまた使おうとした女官が、その道で倒れた。
「倒れているのは女官と兵士だけ?」
 確か駆け落ちしようとしていたとか言っていたが、そこは違うのだろうか。
 そう思っていると、フォーエンはため息をついた。女官が倒れていたその先に、男も倒れているそうだ。女からは距離があるらしい。

「後宮にいる女の一人だ。逃げる者もいる。後宮は籠の中だからな」
 フォーエンは瞼を下ろして、ため息まじりに言う。
 後宮の人数はフォーエンがかなり減らしたそうだ。しかしそれでも人数はいる。逃げ出したい女性は少なくないと、淡々と語った。
 実際のところ、もっと減らしたいのだろう。
 結婚したい相手がいるのに、この狭い場所に閉じ込められる。それは古い因習で、フォーエンが何とかしようとしても、全てを撤廃するのは難しいのだ。

「それで、その倒れた人たちをどうやって運ぶか、困ってるのか」
「…そうだ。原因を知りたい。なぜ、倒れたのか」
 抜け道と言うのならば、壁を越えるのではないのだろうから、隙間のある場所があるか、もしくは道を潜るかだろう。
 この城は町から見れば小高い場所に位置しており、低い山の上に立っている。潜れば城壁すら抜けられるかもしれない。ただし、かなり掘ることになるだろうが。

「その道って、深いの?真っ直ぐ平坦じゃなくて、潜る感じ?」
「堀をくぐるほどではなければ後宮は抜けられない。地面を掘った形の抜け道だ」
 知らなかったが、後宮の壁の向こうは堀になっているそうだ。そうすると、かなり深く掘らなければならないだろう。間違ったら水が漏れてくる。
 だがしかし、そうだろうな、と理音は頷く。だとしたら考えられる原因は一つだろう。

「ガスでも溜まってるんじゃないかな」
「がす?」
「ガスの種類によると思うけど、火を送ったら、爆発するかなあ。消えるかなあ」
 相当のガスが溜まっていたら爆発するかもしれない。ガスの種類を見分ける方法は知らないので、火を放るのは危険だろうか。
 道になっているならば濃度も薄く、爆発などはしないだろうか。良くわからない。ガスが溜まっている中で死んでいるならば、濃度も高いだろうか。

「濃度によっては爆発するかもしれないし、燃やすのは怖いよね。下に溜まるガスって何だったかな。プロパンが下だっけ?どっちにしても、助けるのは難しいと思うよ。空気を吸わないで行けるほど近い穴なの?」
「…私にわかるように説明しろ」
 フォーエンは眉を寄せた。説明しろと言われると、つい唸ってしまう。

 理音は近くの棚に置かれている燭台に近づくと、火を消すための蓋を手に取った。柄杓みたいな形で、火に被せて消すのだ。
「例えばね。火を消すのに蓋をするじゃない?そうすると火が消える。これって、蓋に火がくっついて力で消しているわけじゃないのね」
 燭台に蓋をすると火が消えて、煙が流れる。

「そもそも何でろうそくが燃えるかって言うと、燃やす物がろうそくだとすると、燃やす働きを持つものが、酸素っていう目に見えない気体ってものなの」
 理音は言葉を選んで説明する。元素などの名称が確立していない状態で説明がとても難しい。
「ろうそくに火をつけても、酸素っていう気体がないと燃えないのよ。その酸素は燃えちゃうと別の気体に変化しちゃうの。で、こうやって蓋をすると、燃やす働きを持つ酸素が、この蓋の中で燃やす働きのない気体に変化しちゃうから、火が消えちゃう」

 フォーエンは眉を寄せたままだ。こんな話で理解できるだろうか。
 自分でわかっていてもわかっていない場合があるので、説明していると本当に合っているのか、不安になってくる。
「酸素って言うのは、人間が吸う空気で、火と同じで、ないと息ができなくて死んじゃうし、吐いた息は燃えない気体に変化するの。そうすると例えばね、完全に密閉された部屋で、空気が外に漏れないようなところに人がいて、そこで火を焚き続けると、酸素が燃えて少なくなっていく。自分も息をしているから酸素が減っていく。吸う酸素がなくなっていくと息苦しくなっちゃう」
 わかるかなあ。
 理音はタブレットで絵を描きながら、その図がイメージできるように説明する。

「それと似た感じでね、その抜け道っていうのは、多分下に潜るような道になっていると思うんだけど、そこには酸素じゃない気体が集まっちゃってるんだと思う」
 洞窟のような絵を描き、気体の層がわかるように線を足す。
「気体の中でも、人に害を与える気体があるんだけど、それが抜け道に蓄積されていた場合、酸素を吸うつもりがその有毒な気体を吸っちゃって、死んじゃうこともあるの。歩いている内に、倒れちゃう。倒れちゃったらもう死んじゃうよね。そこから出ないと、息ができないから」
 フォーエンの眉間のシワが深く刻まれた。わからなかっただろうか。

「鉱山とか掘るのに、掘ってる最中急に人が死んじゃう事件とかないの?それと同じなんだけど。良く鳥とか使ってその場所を調べたりする」
 炭鉱でカナリヤと一緒に入り、カナリヤが死ねばガスがあると判別する方法がある。そういった事故を防ぐ方法は、こちらではないのだろうか。
 問うと、フォーエンは小動物を使って山を掘る方法は行われていると言った。
 納得したように頷いたが、やはりわからないことがあると、考えるような仕草をする。

「この地面に、別のきたいが集まることがあるのか?」
 急に出てきた酸素じゃない気体。それがどこから出てきたのかがわからないと質問してくる。優秀な生徒だ。
「地面から噴き出してきたんだろうね。ガス…、気体って色々種類はあって、地面に埋もれているものがあるから。天然の気体が地面の中にあって、それが何かのはずみで漏れた。そうしてずっと蓄積されて、その気体が満たされている状態になったんだと思う」
「助けるには、そのきたいを吸わなければいいのか?」
「そうだけど…」
 酸素ボンベでもなければ難しいと思う。息を止めて人を運ぶことなんてできるのだろうか。それに静電気でも起きて発火する可能性は否めない。

「そのままにはできぬ」
 それはそうだろう。しかし、呪いだ何だので恐れをなしている者たちが、呼吸なしで助けに行ける距離なのだろうか。

「新鮮な空気を送って、ガス濃度を下げればいいんだろうけど、方法がねえ。それで、その場所って、どこにあるの?」

 理音の言葉に、フォーエンは難しい顔を向けた。
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