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202 ー女官ー
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「ほら、これ当てて」
ルーシがわざわざお湯をつけた布を絞って渡してくれた。ありがたい。それを目に当てて目元を温める。
「寒くて顔色悪いから、クマあると顔が暗く見えるわよ」
女官としてだらしない顔はしてはいけないと一喝される。なるほど、そんなところもお姫様の名誉に関わるのだ。
女官たちもお姫様より目立ってはいけないので、派手な装いはしていない。その代わり色などが統一されて誰がどのお姫様の女官なのかわかるような服装になっている。その中で例えば髪型がおかしかったり妙な化粧をしていたりすると、そのお姫様が悪く言われてしまう。
結局お姫様についている者たちは、お姫様の品位を下げないような努力が必要なのだ。今までのことを思い出して、理音は少々目を逸らした。ヘキ卿のところでも気をつけよう。
目を温めて顔をしゃきっとさせたらいつも通りゴミをゴミ置き場まで持っていく。これは日課なので理音の仕事だ。今日はゴミが少なかったので一人で持っていく。
途中シーニンの花壇が近いので、ちょっと寄っていくかと道を変えた。前見た時に少しだけ蕾が見れたのだ。そろそろ咲くかもしれないのでお水をあげたい。
近くに井戸があったので入れ物だけ持っていく。桶で水を汲んでも運ぶものがないので必要なのだ。
ゴミ置き場の近くにある井戸で水を汲み、花がある場所まで歩むと、遠目からでも少しだけ花が咲いているのが見えた。
オレンジ色の花で、菊っぽい葉の花の方ではなく、別の葉の花が咲いている。見た感じカレンデュラに似ているが、どうだろう。カレンデュラだと水はあげない方がよかった気がする。
お隣の菊のような葉を持っている草にだけお水を少しだけあげて、カレンデュラにはやめておいた。お水のあげすぎで腐らせるわけにはいかない。
寒くなる前に種を植えたのだろうか。寒い時期でも花は咲くだろうが、雪が降っても咲く強い花のようだ。最近雪は降っていないが、人の通らない草木のある場所だと、まだ雪が氷のように積もったままだ。
「あら、咲いているのね」
座り込んで見ていると背後から声が届いた。見上げると花束を抱えた、少し膨よかな女性が立っている。着物の色は紫だが模様があり上掛けをかけていた。その上掛けにも模様があり、身分がツワやジョアンのような部下を持つ女性の服装に見えた。
理音は急いで立ち上がり後ろに半歩下がり頭を下げた。知らない女官なんてわんさかいるわけだが、少々歳をめした方の女官に失礼はまずい。それこそお姫様に迷惑がかかる。
「気にしないでちょうだい。お水をあげてくれたのね。花が咲いてよかったわ」
ちろりと上目遣いで見遣ると、女性はほんのり笑顔を見せた。年齢は五十代くらいだろうか。丸めの顔に目尻や首にシワが見える。髪は結び後ろでまとめられきっちりと髪を結っていた。
女性は持っていた花束をそっと木の根元に置くと、こちらに振り向いた。
「彼女の知り合いかしら」
彼女と言うとシーニンだろう。だが、直接は知らないので、花を植えていたことを聞いていただけと答えると、それでも水を与えてくれて嬉しいと目を綻ばせた。
この人は、もしかするともしかするのだろうか。
「ウの姫の女官、リンと申します」
「ああ、ごめんなさいね。ルファン様の女官、スミアよ」
やはりフォーエンのお母さんについている女官だ。この人がシーニンに植物の種を渡した。だからここに花が植えられたのも知っていたようだ。
「この花はルファン様の宮でも植えているのよ。こちらの方が咲くのが早いのね。日が当たりやすいからかしら。いつも寂しそうにしていたから種を分けてあげたのだけれど、亡くなったと聞いてねえ」
その話は耳にしているらしい。後宮に住んでいるのかよくわからないが、シーニンをよく見かけていたのだろうか。
「その話は聞いているかしら?」
問われて頷く。自分の耳に入るくらいなので、他の女官も知っているはずだ。
「悩んでいたようだから、よほどお思い詰めていたのね」
スミアは悩みを聞くほど会っていたらしい。だから花の種を与えたのだろう。しかし花が咲く前に彼女は死んでしまった。ここから逃げることを望みながら。
「残念なことだわ」
そのことを知って花束を持ってきたのだろうか。普通皇帝の母親は宮に住んでいると言う話で女官もこちらには来ないと言っていた。もしかしたら情報が遅く伝達されたのかもしれない。シーニンが死んでからかなり経っている。
スミアは悲しげに言いながら目を眇めた。思うところがあるのか、そこから離れようとしない。
どうしようか。このまま離れていいだろうか。少し迷う。いつまでもここにいてむしろ邪魔かもしれないので、そろりと半歩下がる。
「あら、お仕事中だったのでしょう。ごめんなさいね」
半歩下がったのに気付かれてしまった。スミアに謝られてこちらも恐縮する。仕事中に水をあげにきたのは自分だ。
「いえ、すみません。お邪魔かと思いまして」
「ふふ。あまりこちらの者たちと話さないのよ。私を見ると皆逃げてしまうから」
そんなカミングアウトされても返答しづらい。ルファン様が皇帝の母親で、その皇帝の母親についている女官だから避けられるのか、それともこの人が怖かったりするのか。けれどルファン様の話が出ると微妙な雰囲気になったので、皆が関わりにくい存在なのは確かだ。
「外に出ようとして亡くなった人は二人目だわ。残念なことね」
ため息混じりだったがスミアが言い切った言葉に、理音は顔を上げた。
「噂ではないんですか?」
言って、まずいことを聞いたかと思い直した。スミアは静かにこちらを横目で見たからだ。
「こちらでは噂になっているのかしら?」
「…幽霊が出ると言う噂を聞きました」
「そう…」
スミアは花の方へ向き直すとそれを眺めながら沈黙する。聞かなければよかった話題のようだが、この女性はその噂をよく知っているのだろうか。
「古い話なのよ。私も聞いたことがあるわ」
ため息混じりだがどこか悲しげで、スミアはぽつりと話し始めた。
「許嫁のいた姫が後宮入りするのは良くあること。後ろ盾のある方は皇帝陛下の御渡りがあるのも当然。後宮に入れば、余程のことがない限り外に出られることはないでしょう」
後ろ盾がある者、つまり父親が有力者の場合、皇帝は手を出さなければ立場が悪くなるらしい。ナラカがウの姫が相手になると言うことはそう言う意味だったのか。拒否できるかは皇帝の立場によって難易度があるようだ。
後宮に入った姫の中に、恋人がいる者がいた。その姫が恋人に会うため外に出る。あのトンネルを通った後亡くなった。スミアの話は聞いた話と同じだ。古い話と言うが、皆の言う通り十年ほど前の話なのだろうか。
「当時、その姫のお相手は、とても若く能力のある方だったそうよ。将来のある許嫁だったとか」
「将来のある人ですか…」
有力者の息子だったのだろう。皇帝相手でどうにもならなかったのだろうが、後々に尾を引きそうな話だ。まあその皇帝も暗殺されたのだろうが。
スミアは目を細めにして澄ますように一度口を閉じる。微妙な間が語りを真実と思わせた。
「皇帝陛下に近い場所でのお勤めをされている方のご子息だったの。ご婚約だけだったからと引き裂かれたそうね。けれど後宮に入内しても陛下の手はなく、安心されていたところ、御渡りの話が入り、姫は外に出ることを決断されたとか」
当時のことを知っているのか、スミアの情報はルーシから聞いた話より若干細かい。
その姫は亡くなった。しかし、フォーエンはその事実はないと言っていた。もしかしたら揉み消したかもしれないとも言っていたが、スミアはその話はどう聞いたのだろうか。
「噂ではその抜け道を通る者を恨むとか。その道で夜な夜なすすり泣きが聞こえるそうです」
理音が聞いた噂を口にすると、スミアはクスリと笑んだ。若干バカにするような、呆れの混じった笑みだ。
「後宮の者たちは暇を持て余して何でも自分たちの楽しみにしようとするのよ。誰もがここで幸せになれるわけではないから、憂さを晴らすの。わたくしも同じね」
そう言ってスミアは表情を緩やかなものに変えた。まるで仮面を被るように、固まった微笑みを讃えて。
「さあ、そろそろお仕事に戻りなさい。長くいては怒られるでしょう」
さっさと戻れと暗に言われて、理音は頭を下げてその場を後ろ足で下がると、踵を返した。
あまり、深く関わらない方が良さそうな人だ。ツワとは違う迫力のある人だった。こちらの身分を詳しく聞かれても、良くない気もする。
理音は言われた通りさっさとその場を下がった。後ろから見られているのではないかと言う、怖さを感じた。睨まれているような気がしたのだ。
何だろうな。気安いような雰囲気を出しているけれど、そこはベテランの怖さと言うか、ある程度までしか近づくことを許さないような威厳がある。質問もやはりまずかったのかもしれない。本人が話すのは構わないが、下っ端が話すのはルール上間違いである。
何せ相手は皇太后の女官だ。その辺の姫の女官とはレベルが違うだろう。
「まずったかな」
「あー、リン。どこまで行ってたの、遅いよ!」
小走りで部屋に戻ると、ルーシがめくじらを立てた。ゴミ出しにしては時間をかけすぎだと怒られる。
「すみません。ルファン様の女官の、スミア様と話をしていて」
「ルファン様の?」
問うたのは隣にいたユイだ。やはり接触したのはまずかったのか、ユイは眉根を寄せる。
「シーニンさんの花壇に水をやっていたら、後ろから来られて。献花をあげにきたみたいです」
「献花?花壇にあげにきたんだ。今頃耳にしたのかな」
「そうかもしれないわね」
その話はそれまでにしろと、ユイは掃除のための雑巾をこちらに渡してきた。ルファンの話はどうやらタブーなのかもしれない、ルーシもそれ以上は聞いてこず、バケツと雑巾を持って掃除を続ける。
「あの、一つだけ」
「何?」
もうその話はするな。そんな目つきでユイはこちらを睨んだ。しかし、聞いておきたいことがある。
「例えばなんですけど、皇帝陛下に一番近い有力者ってどなたになりますか?内大臣?」
「何言ってるのよ。陛下に一番近い方って言ったら、宰相でしょ?」
「宰相…」
「皇帝陛下の相談役をされる方よ」
ユイが捕捉してくれる。まだ会ったことのない人だろうか。宰相は聞いたことがない。
だが、
「宰相、か」
ユイとルーシは顔を見合わせたが、それ以上掘り下げる話ではないと判断したようだ。各々掃除をすると雑巾を持って動き始める。
宰相。その言葉、どこで聞いたかと言うと、ラカンの城だ。
皇帝陛下についていた宰相。その子供が後宮に入った姫の許嫁だった。
そして、その姫は死亡。外に出られそこで助けられたが、医師の処置も虚しく亡くなった。
有力者の娘である姫が後宮から逃げ出した。秘密裏でも娘を助けようとしただろうか。それとも許嫁が助けを求めただろうか。できるならば、腕のある医師に。
皇帝陛下の医師で腕がありながら、皇帝陛下以外の者は治療ができない。もしも助けを呼んで治療を行ってもらえなければ恨むだろうか。
宰相の息子。
「レイシュンさんか…」
なぜだろう。噂で嘘かもしれなくとも、その人物がしっくりときた。
ルーシがわざわざお湯をつけた布を絞って渡してくれた。ありがたい。それを目に当てて目元を温める。
「寒くて顔色悪いから、クマあると顔が暗く見えるわよ」
女官としてだらしない顔はしてはいけないと一喝される。なるほど、そんなところもお姫様の名誉に関わるのだ。
女官たちもお姫様より目立ってはいけないので、派手な装いはしていない。その代わり色などが統一されて誰がどのお姫様の女官なのかわかるような服装になっている。その中で例えば髪型がおかしかったり妙な化粧をしていたりすると、そのお姫様が悪く言われてしまう。
結局お姫様についている者たちは、お姫様の品位を下げないような努力が必要なのだ。今までのことを思い出して、理音は少々目を逸らした。ヘキ卿のところでも気をつけよう。
目を温めて顔をしゃきっとさせたらいつも通りゴミをゴミ置き場まで持っていく。これは日課なので理音の仕事だ。今日はゴミが少なかったので一人で持っていく。
途中シーニンの花壇が近いので、ちょっと寄っていくかと道を変えた。前見た時に少しだけ蕾が見れたのだ。そろそろ咲くかもしれないのでお水をあげたい。
近くに井戸があったので入れ物だけ持っていく。桶で水を汲んでも運ぶものがないので必要なのだ。
ゴミ置き場の近くにある井戸で水を汲み、花がある場所まで歩むと、遠目からでも少しだけ花が咲いているのが見えた。
オレンジ色の花で、菊っぽい葉の花の方ではなく、別の葉の花が咲いている。見た感じカレンデュラに似ているが、どうだろう。カレンデュラだと水はあげない方がよかった気がする。
お隣の菊のような葉を持っている草にだけお水を少しだけあげて、カレンデュラにはやめておいた。お水のあげすぎで腐らせるわけにはいかない。
寒くなる前に種を植えたのだろうか。寒い時期でも花は咲くだろうが、雪が降っても咲く強い花のようだ。最近雪は降っていないが、人の通らない草木のある場所だと、まだ雪が氷のように積もったままだ。
「あら、咲いているのね」
座り込んで見ていると背後から声が届いた。見上げると花束を抱えた、少し膨よかな女性が立っている。着物の色は紫だが模様があり上掛けをかけていた。その上掛けにも模様があり、身分がツワやジョアンのような部下を持つ女性の服装に見えた。
理音は急いで立ち上がり後ろに半歩下がり頭を下げた。知らない女官なんてわんさかいるわけだが、少々歳をめした方の女官に失礼はまずい。それこそお姫様に迷惑がかかる。
「気にしないでちょうだい。お水をあげてくれたのね。花が咲いてよかったわ」
ちろりと上目遣いで見遣ると、女性はほんのり笑顔を見せた。年齢は五十代くらいだろうか。丸めの顔に目尻や首にシワが見える。髪は結び後ろでまとめられきっちりと髪を結っていた。
女性は持っていた花束をそっと木の根元に置くと、こちらに振り向いた。
「彼女の知り合いかしら」
彼女と言うとシーニンだろう。だが、直接は知らないので、花を植えていたことを聞いていただけと答えると、それでも水を与えてくれて嬉しいと目を綻ばせた。
この人は、もしかするともしかするのだろうか。
「ウの姫の女官、リンと申します」
「ああ、ごめんなさいね。ルファン様の女官、スミアよ」
やはりフォーエンのお母さんについている女官だ。この人がシーニンに植物の種を渡した。だからここに花が植えられたのも知っていたようだ。
「この花はルファン様の宮でも植えているのよ。こちらの方が咲くのが早いのね。日が当たりやすいからかしら。いつも寂しそうにしていたから種を分けてあげたのだけれど、亡くなったと聞いてねえ」
その話は耳にしているらしい。後宮に住んでいるのかよくわからないが、シーニンをよく見かけていたのだろうか。
「その話は聞いているかしら?」
問われて頷く。自分の耳に入るくらいなので、他の女官も知っているはずだ。
「悩んでいたようだから、よほどお思い詰めていたのね」
スミアは悩みを聞くほど会っていたらしい。だから花の種を与えたのだろう。しかし花が咲く前に彼女は死んでしまった。ここから逃げることを望みながら。
「残念なことだわ」
そのことを知って花束を持ってきたのだろうか。普通皇帝の母親は宮に住んでいると言う話で女官もこちらには来ないと言っていた。もしかしたら情報が遅く伝達されたのかもしれない。シーニンが死んでからかなり経っている。
スミアは悲しげに言いながら目を眇めた。思うところがあるのか、そこから離れようとしない。
どうしようか。このまま離れていいだろうか。少し迷う。いつまでもここにいてむしろ邪魔かもしれないので、そろりと半歩下がる。
「あら、お仕事中だったのでしょう。ごめんなさいね」
半歩下がったのに気付かれてしまった。スミアに謝られてこちらも恐縮する。仕事中に水をあげにきたのは自分だ。
「いえ、すみません。お邪魔かと思いまして」
「ふふ。あまりこちらの者たちと話さないのよ。私を見ると皆逃げてしまうから」
そんなカミングアウトされても返答しづらい。ルファン様が皇帝の母親で、その皇帝の母親についている女官だから避けられるのか、それともこの人が怖かったりするのか。けれどルファン様の話が出ると微妙な雰囲気になったので、皆が関わりにくい存在なのは確かだ。
「外に出ようとして亡くなった人は二人目だわ。残念なことね」
ため息混じりだったがスミアが言い切った言葉に、理音は顔を上げた。
「噂ではないんですか?」
言って、まずいことを聞いたかと思い直した。スミアは静かにこちらを横目で見たからだ。
「こちらでは噂になっているのかしら?」
「…幽霊が出ると言う噂を聞きました」
「そう…」
スミアは花の方へ向き直すとそれを眺めながら沈黙する。聞かなければよかった話題のようだが、この女性はその噂をよく知っているのだろうか。
「古い話なのよ。私も聞いたことがあるわ」
ため息混じりだがどこか悲しげで、スミアはぽつりと話し始めた。
「許嫁のいた姫が後宮入りするのは良くあること。後ろ盾のある方は皇帝陛下の御渡りがあるのも当然。後宮に入れば、余程のことがない限り外に出られることはないでしょう」
後ろ盾がある者、つまり父親が有力者の場合、皇帝は手を出さなければ立場が悪くなるらしい。ナラカがウの姫が相手になると言うことはそう言う意味だったのか。拒否できるかは皇帝の立場によって難易度があるようだ。
後宮に入った姫の中に、恋人がいる者がいた。その姫が恋人に会うため外に出る。あのトンネルを通った後亡くなった。スミアの話は聞いた話と同じだ。古い話と言うが、皆の言う通り十年ほど前の話なのだろうか。
「当時、その姫のお相手は、とても若く能力のある方だったそうよ。将来のある許嫁だったとか」
「将来のある人ですか…」
有力者の息子だったのだろう。皇帝相手でどうにもならなかったのだろうが、後々に尾を引きそうな話だ。まあその皇帝も暗殺されたのだろうが。
スミアは目を細めにして澄ますように一度口を閉じる。微妙な間が語りを真実と思わせた。
「皇帝陛下に近い場所でのお勤めをされている方のご子息だったの。ご婚約だけだったからと引き裂かれたそうね。けれど後宮に入内しても陛下の手はなく、安心されていたところ、御渡りの話が入り、姫は外に出ることを決断されたとか」
当時のことを知っているのか、スミアの情報はルーシから聞いた話より若干細かい。
その姫は亡くなった。しかし、フォーエンはその事実はないと言っていた。もしかしたら揉み消したかもしれないとも言っていたが、スミアはその話はどう聞いたのだろうか。
「噂ではその抜け道を通る者を恨むとか。その道で夜な夜なすすり泣きが聞こえるそうです」
理音が聞いた噂を口にすると、スミアはクスリと笑んだ。若干バカにするような、呆れの混じった笑みだ。
「後宮の者たちは暇を持て余して何でも自分たちの楽しみにしようとするのよ。誰もがここで幸せになれるわけではないから、憂さを晴らすの。わたくしも同じね」
そう言ってスミアは表情を緩やかなものに変えた。まるで仮面を被るように、固まった微笑みを讃えて。
「さあ、そろそろお仕事に戻りなさい。長くいては怒られるでしょう」
さっさと戻れと暗に言われて、理音は頭を下げてその場を後ろ足で下がると、踵を返した。
あまり、深く関わらない方が良さそうな人だ。ツワとは違う迫力のある人だった。こちらの身分を詳しく聞かれても、良くない気もする。
理音は言われた通りさっさとその場を下がった。後ろから見られているのではないかと言う、怖さを感じた。睨まれているような気がしたのだ。
何だろうな。気安いような雰囲気を出しているけれど、そこはベテランの怖さと言うか、ある程度までしか近づくことを許さないような威厳がある。質問もやはりまずかったのかもしれない。本人が話すのは構わないが、下っ端が話すのはルール上間違いである。
何せ相手は皇太后の女官だ。その辺の姫の女官とはレベルが違うだろう。
「まずったかな」
「あー、リン。どこまで行ってたの、遅いよ!」
小走りで部屋に戻ると、ルーシがめくじらを立てた。ゴミ出しにしては時間をかけすぎだと怒られる。
「すみません。ルファン様の女官の、スミア様と話をしていて」
「ルファン様の?」
問うたのは隣にいたユイだ。やはり接触したのはまずかったのか、ユイは眉根を寄せる。
「シーニンさんの花壇に水をやっていたら、後ろから来られて。献花をあげにきたみたいです」
「献花?花壇にあげにきたんだ。今頃耳にしたのかな」
「そうかもしれないわね」
その話はそれまでにしろと、ユイは掃除のための雑巾をこちらに渡してきた。ルファンの話はどうやらタブーなのかもしれない、ルーシもそれ以上は聞いてこず、バケツと雑巾を持って掃除を続ける。
「あの、一つだけ」
「何?」
もうその話はするな。そんな目つきでユイはこちらを睨んだ。しかし、聞いておきたいことがある。
「例えばなんですけど、皇帝陛下に一番近い有力者ってどなたになりますか?内大臣?」
「何言ってるのよ。陛下に一番近い方って言ったら、宰相でしょ?」
「宰相…」
「皇帝陛下の相談役をされる方よ」
ユイが捕捉してくれる。まだ会ったことのない人だろうか。宰相は聞いたことがない。
だが、
「宰相、か」
ユイとルーシは顔を見合わせたが、それ以上掘り下げる話ではないと判断したようだ。各々掃除をすると雑巾を持って動き始める。
宰相。その言葉、どこで聞いたかと言うと、ラカンの城だ。
皇帝陛下についていた宰相。その子供が後宮に入った姫の許嫁だった。
そして、その姫は死亡。外に出られそこで助けられたが、医師の処置も虚しく亡くなった。
有力者の娘である姫が後宮から逃げ出した。秘密裏でも娘を助けようとしただろうか。それとも許嫁が助けを求めただろうか。できるならば、腕のある医師に。
皇帝陛下の医師で腕がありながら、皇帝陛下以外の者は治療ができない。もしも助けを呼んで治療を行ってもらえなければ恨むだろうか。
宰相の息子。
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