群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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207 ー宮ー

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 どんよりな空と同じく、理音の心の中もどんよりよどんでいた。

 頭がすっきりしないのは、何も鈍色の空のせいだけではない。息を吸い込めばため息が出て、隣にいたレンカに怪訝な顔をされてしまった。
「体調でも悪いの?」
「いえ、最近ずっとお天気悪くて、気が滅入りますね」
 たまに夜中空を見上げても雲が厚く覆っていることが多い。ほんのり大小の月明かりが見えることがあっても、すぐに雲に隠れてしまう。あれでは星が流れても元の世界に帰れるかわからなかった。

「冬はずっとこんな感じなんだって。暖かくなるまでは雲ばかり。雪空か雲か、どちらかだね」
「そうなんですか…」
 日光なくて植物死に絶えないのだろうか。冬でもお日様がない国は確かにあるが、それでは気が狂いそうだ。自分は気が狂う。怒鳴り散らすかもしれない。夜空に。さっさと星見せてよ。
 理音が部屋の窓から空を見上げると、レンカも見上げる。
「空を見ているともっと寒くなるよ。早く終わらせて部屋に戻ろう」

 本日はウの内大臣から贈り物があったとかで、使わない物を倉庫に入れることになり、そのお掃除をしていたのだ。倉庫と言ってもそんなに汚れているわけではない。何せウの姫様が後宮に入って間もないからだ。それなのにもういらないものが出るのも何だかなあと思うが、使わないものはしばらく置いてから女官たちに下賜されるらしいので、皆はうきうきの倉庫整理らしい。
 むしろこんなに早く新しいものが来るのは他ではないそうだ。調度品やら服やらだが、さすがお父さんが有力者だけあるのだろう。レンカは鼻高々に、他の姫とは違うからね。と言った。

 レンカと二人きりで仕事は初めてだ。レンカはいつもユエインといるイメージがある。髪型はルーシと同じで後頭部にお団子ひとつで髪をまとめている。前髪が一直線で眉毛が見えるくらい短く、眉をはっきりとさせていた。個性があるのはそれくらいで、雰囲気としてはやはりルーシたちと似ている。
 身長も理音と変わらないくらいで、本当に似たような雰囲気の子たちを集めている気がした。雰囲気が違うのはユイとジョアンだけだ。下働きに近い女官の集め方がそのようになっているのだろうか。
 レンカの性格はすっきりした感じで、眉のはっきりとリンクしている。言葉遣いが少し男の子っぽいなと思うのは、セイリンの言葉遣いに似ているからだろうか。

 丁寧に包まれた調度品の箱を端に追いやって、上から白の布をかける。埃除けだ。調度品の箱も表面に花柄の模様が描かれているので、汚すわけにはいかないらしい。運ぶ時に見目がよく見えるように模様が描かれているそうだ。
 床を拭いた雑巾と水の入ったバケツを持って、理音は外廊下に出る。レンカは重い扉を閉めて鍵をかけた。
「お水外捨てて来ます。鍵、早めに返した方がいいでしょうから、先戻ってください」
「いいの?ありがとう。リンって結構力仕事好きだよね」
 好きと言うか、それしかできないと言うか。曖昧に苦笑いをして、理音はバケツを持ち上げた。その辺に汚い水は捨てられないので、井戸の近くにある下水に捨てる。捨てる場所が決まっているのである。

 後宮はお庭も剪定されているので結構美しい。そこに汚れたお水を捨てればそれは問題になってしまうのだ。さすがに姫の住まう棟の近くで、じゃぱーんと汚水を捨てるわけにはいかない。
 なので、うんしょうんしょと言いながらバケツを井戸近くまで持っていき、近くにある石が組まれた正方形の小石が敷き詰められている場所に水を流す。それがどこに流れるのか分からないが、ここに汚水を捨てるのがルールだ。下水はしっかりしているので、ゴミが残るように小石が敷き詰められているのだろう。

 さすがに人数の多い場所なので、そう言った下水には力が入れられている。何となくそれを眺めて水がなくなるのを見届けると、理音はシーニンのお花を見に行った。ただの日課である。
 お花の育ちが気になって仕方がない。それは親が庭の手入れをするのと同じく、自分も庭で花を眺めるのが好きだからだ。冬景色でも花の咲いていると言う庭園に足を伸ばすことができないので、野花が育つのは見守りたい。
 そう思って軽く足を向けると、近くの渡り廊下を歩いている女性が目に入った。少しふっくらとした体型、ルファンの女官スミアだ。フォーエンのお母さんの女官だが、あまりこちらに来ないと聞いていたわりに、意外に見かける。

 どこで育てた物なのか、また花束を抱えていた。菊のような黄色や白の花びらの多い花だ。こちらに背を向けているので良く見えないが、近寄って挨拶をするのもまずかろう。フォーエンの母親の女官だが、ユイは近付かない方が良さそうな雰囲気を出していた。
 理音は見ないふりをしてウの姫の棟に戻ろうとした。別の渡り廊下にユイが歩いているのが見える。ユイはフォーエンの部下なのだろうが、午前はウの姫の棟にいた。午後はどうしているか知らないが、いつもウの姫に仕えているのだろうか。彼女も謎な存在である。
 彼女に声を掛けようと手を上げた瞬間、後ろから声が聞こえた。

「あら、あなた。よく会うわね」
 耳に届いた声はスミアだ。後ろを振り向くと、彼女はこちらを捉えている。理音はすぐに頭を下げた。間違いなく自分に声を掛けたのだろう。スミアが近寄ってくる足音が耳に入った。
「外仕事が多いのかしら?いつも外にいるようね」
「掃除をしておりましたので、水を捨てに参りました」
 って言って方向微妙に違うんだよな。と頭を下げたまま思ったのだが、もう遅い。シーニンの花を見るついでにスミアを見つけて、明らかに避けようとしたのがバレたかもしれない。
 スミアは、一度間を置いた。その間、めちゃくちゃ怖いんだが。

「なら、仕事は終わったのかしら。花を供えに行くので、いらっしゃい」
 スミアは言ってすぐに踵を返してしまった。理音の反論は許さないようだ。少し遠目にいるユイに振り向いて、軽くジェスチャーでスミアに付いていくと示すと、ユイに通じただろう。頷いてくれる。
 それに頷いて返し、理音はスミアを追った。渡り廊下を過ぎると、シーニンの花壇へ歩んでいく。前も花壇に花を手向けていたが、習慣にしているのかもしれない。

 スミアは花を木の根元に置くと、静かに佇んだ。手を合わせたりはしないようで、行儀良く両手を前で組んでいる。黙祷なのか、地面へ視線をおろしていると、ふっと頭を上げた。
「この寒さで枯れてしまっているわね。最近また少し寒くなったから」
 シーニンが植えた花はしなだれていた。茎や葉も茶色くなっている。冬咲きの花でも咲き終えれば枯れるものだ。春になればまた咲くだろう。
「小さな花で可愛かったです。また咲きますよ。種ができて増えるといいですね」
 少しばかりこの辺りは寂しいので、花が増えればいいと思う。木々は防風林のような役割があるのかもしれないが、別に足元に花が咲いていても問題ない。そう言うと、スミアは理音をまじまじと見やった。まずいことを言っただろうか。

「植物の種はもう少し渡したのだけれど、まだ植える時期ではなかったのでしょうね」
 シーニンは冬でも咲く花をちゃんと植えたようだ。冬を越えれば別の花の種も植えるつもりだったのだろう。スミアは悲しそうに呟きながら、ふっと笑った。
「いらっしゃい」
「え?」
 スミアは再び言ったっきり進んでしまう。ついてこいと言うことだろうが。これ、またまずいんじゃなかろうか。
 ユイはスミアに付いていく理音を見ていたので、遅くなって戻っても怒られることはないだろうが、相手はスミアだ。フォーエン関係者と話すのは避けるべきである。
 しかし、こちらに拒否権はない。

 スミアは地面近くに重心を置くような歩き方をした。それなのに足が早い。理音がその足に付いていくとやけに足音がするのに、スミアは静々と歩いている。よくある時代劇で見るような、普通に歩くとは違った歩みだ。
 後ろから付いていくのにスミアの真似をしてみるが、よくわからない。フォーエンとは違った歩き方である。フォーエンも足音をあまりたてない歩き方をするのだが、それとはまた別の歩みである。女性と男性で歩き方が違うのだろうか。
 スミアは無言のまま、どんどん知らない道へと進んだ。レイセン宮とは逆方向の、宮廷からも遠い方向だ。建物が少なくなり、庭園とも言えないような林にある渡り廊下を進んでいく。竹林のような、うっそうとした身長の高い木々が道を囲っている場所で、結構な距離を歩んだ。

 レイセン宮も他の建物から離れて造られており、石垣や庭園などで遮られた場所にある。だが、それとは比べられないほど離れた場所に移動している。
 どこに行く気なのか、そろそろ不安になって来た頃、それは見えた。
「カオウ、宮?」
 理音の呟きにスミアが小さく微笑んだ。
 見えたのは大きな赤い門。その門の上に看板があり、宮の名前が刻まれていた。豪華な看板だ。動物や草花が彫られ色彩美しく塗られている。日光とかで見るような精巧な彫刻が看板を飾っている。

 門には門番が数人槍を持って立っていた。門の側に小さな扉があり、そちらを門番の一人が開いた。
「お帰りなさいませ」
「今日はお客様がいるのよ。彼女も通してあげて」
 門番の男は頷くと、スミアが通った小さな扉に入るよう促す。入るのに一瞬躊躇した。こちらはバケツ持ちである。バケツを持ったまま、フォーエンの母親の宮に入っていいのだろうか。
 この宮の門番にお帰りなさいと言われるのならば、スミアは自分の働く宮に戻って来たのだ。ここは、ルファンの住む宮。フォーエンの母親が住んでいる宮に違いなかった。

 恐る恐る扉を潜ると、広く何もない広場に道が一本真っ直ぐに伸びていた。広い土地に砂利が敷き詰められ、そこに歩きやすい道が一本だ。そうして道の先に真っ赤な建物が建てられている。横長の建物で、大きな扉がいくつも並んでいた。造りがお寺や神社のように見えたのは、渡り廊下も何もないからだろう。
「さ、こちらよ」
 スミアは理音を促しながらも、一本道を進んでしまう。建物は広場にどかんとあるだけで、周囲は砂利。建物の奥深く後ろに木々が見え、それが三方を囲んでいた。今歩いて来た林のような木々がこの建物のある敷地をぐるりと覆っているかのようだ。

 これがフォーエンの母親の宮なのか。一人のためにこの館ならばかなりの広さである。理音のいるレイセン宮とは雰囲気が全く違うが、侵入者がいればすぐに気付ける造りだった。
 建物に入る扉は再び兵士に開けられる。その建物はただの門の役目のようで、円柱に支えられた広い空間だった。そこを少し歩いて奥の扉から出る。建物自体を門代わりにしているのだ。
「うわ」
 そこを抜けると今度は広大な敷地を使用した庭園だった。広い池や四阿があり、冬に咲く花々が咲いている。日本にある何とか園のように、規模が大きい。後宮内にも庭園はあるが大きさはここまでではない。レイセン宮にある庭園の広さとも違っていた。おそらく倍くらいある。

 つい声を上げてしまい、すぐに口を閉じた。スミアはちろりとこちらを横目で見たが、うっすらと笑っていた。特に注意はされなかったが、なぜだろう、好意的な笑みではないような気がした。どちらかと言うと、小馬鹿にしたような、嫌らしい笑みだ。

 スミアは何故自分をここに連れたのだろう。
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