群青雨色紫伝 ー東雲理音の異世界日記ー

MIRICO

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234 ー子供ー

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 雷が鳴り響いた。
 激しい音に紛れて人が動く物音がする。こんなに雷と雨の音がひどいのに、ばしゃばしゃと動く人たちの音が耳にできるのだから、大勢が動いているのだろう。

 外が騒がしいと思ったら、どかどかと廊下を大股で歩く音も聞こえた。
「まだここにいたのか!早く城へ戻れ!皇帝に怪しまれる!」
 勢いよく扉を引いた音と、聞き覚えのある声が耳に届く。焦ったような男の声音で、激しく動揺しているようだった。

「もう気付かれていますよ。皇帝は理音を大切にしていますから」
 答えたのは小河原だ。男の声とは違った落ち着いた声に、誰の声かすぐに気付く。
「子供だと思って拉致したわけではないんでしょう。皇帝が援助している者を連れて何も気付かれないと思ったんですか?」

「これ以上ウーゴの葉が生えてくれば、皇帝の頭をすげ替えた時に非難をあびる。皇帝が貴族たちに認められることは避けるべきだ」
「だから、理音を連れて?そのせいで皇帝がこの場所を突き止める。既に目を付けられているのに、わざわざ自分が犯人だと発言するような行動をしたんだ。皇帝が動くのは当然でしょう」
「よくも、落ち着いていられる身分でないのはお前だぞ!」

 何かを投げたか、ばしりと音が鳴った。耳元近くにそれが跳ね返り頬に当たる。
「眠っているんです。やめてもらえますか?」
 丁寧な言葉だが冷えた声だ。小河原の別の面が男と対峙している。
 相手の男はマウォだろうか。瞼を上げて状況を確認したいが、どうにも重くただ耳を傾けることしかできなかった。

「例え気付かれても、こちらは戦う用意をしている。皇帝がこちらに来る気ならば、その子供は人質として使う」
「半信半疑ながら皇帝に知識を与える子供だと警戒し、拉致したと思えば人質ですか?計画性がなさすぎて、反乱が失敗に終わるのが目に見えます」
「気に入っているならば皇帝の座についてから側に置けばいいだろう。口答えをするな。お前が今生きていられるのは、私が手助けしてやったからだと言うことを忘れるなよ」
「俺を助けてくれたのはあなたの妹ですよ。あなたじゃない」
「その妹も、お前のせいで死ぬことになるだろう」
 マウォが嘲笑するように言った。小河原が黙ったのを聞くと、助けてくれたファリアには恩を感じているのだ。

「ソウ州侯の協力は得られなかったんでしょう?彼は俺にすぐ気付きましたから」
「ソウは勝ち目があると気付けばすぐに戻ってくる」
「では、勝ち目がないのでしょう」
 冷淡な言葉に、今度はマウォが黙った。

「…万が一に皇帝がここに攻め入ることがあれば、ファリアとリーレンも犠牲になることを覚えておくんだ。お前の軽はずみな行動は全てあの二人に降り掛かる」
「軽はずみな行動をしたあなたに言われたくない。理音を拉致した時点で、あなたの勝敗は決まった」
「その子供は後々必要になる。城に戻る気がないのならばその子供を見張っていろ」
「そのつもりですよ」
 小河原は淡々と言葉を返す。短い沈黙の後にマウォの足音が遠ざかる音が聞こえた。それからすぐ、とたとたと小さな足音が近付く。

「おとうさま。入って良いですか?」
「…構わないよ。おいで」
 まだ幼い子供の声に、小河原は優しく応えると、小さな足音が近付いてくる。
「おやすみなんですか?ご気分がわるいんですか?」
「ずっと眠っているんだ。伯父さんに無理に連れてこられたから、体調も戻らない」
「やくとうをもらってきますか?」
「眠る前に飲ませたから、大丈夫だよ」
「そうですか」

 子供の声は小河原の近くから聞こえた。隣に座ったのか、小さな気配はすぐにわからなくなる。
 小河原が動くと、額にあったタオルが取られた。熱がまだあるらしく、新しい濡れタオルが額に置かれる。
「おじさまと、けんかしたんですか?おじさまおこってました」
「喧嘩などはしていないよ。一方的にイラついているだけだ。彼女が起きたら一緒にこの村を出よう。お母様も連れて。ここにいると伯父様のイライラがうつってしまう」
「お出かけするんですか?」
「そうだよ。旅の用意をしないといけないね」
「旅ははじめてだから、うれしいです」
「そうー」

 敬語を使い続けるが、会話は親子のそれだ。リーレンと言っていたがシヴァ少将には男の子がいるのだ。まだ拙い話し方で幼いが、聡明そうな言葉遣いをしている。
「おかあさまが、泣いているんです」
 ふと、リーレンが言った。少しの沈黙の後、布の擦れる音と髪を撫でる音が聞こえる。
 雷と雨がおさまってきたのか、そんな仕草の音も聞き取れた。
 リーレンは小河原をシヴァ少将だと信じているのか、嫌悪感は感じられない。

「おかあさまがおとうさまに会いたがって泣くんです。だからおとうさまを呼びにきました」
「そうか。わかったよ。ありがとう」
「わたしはここにいてもいいですか?おとうさまの大事なおきゃくさまは、わたしが見ています」
「…なら、よろしく頼むよ。私の代わりに、彼女を見ていてくれるかい?」
「はい。まかせてください!」

 元気な返事に小河原が立ち上がったのがわかった。部屋を出て行ったのだろう、再び沈黙が訪れる。
 小河原がここから出ていく気ならば、さっさと自分が元気に動けなければならない。
 目を開けて、起き上がり、小河原に逃げる用意をしてもらわなければならない。村と言っていたので、イー州にある村なのだろうか。

 突然、ぺしり、と頬に暖かなものが触れた。それが頬を撫でてするりと離れる。
「おかおが、わたしのほっぺより赤い」
 その言葉につい笑いそうになってしまった。そのおかげか、瞼がぴくりと動く。
 部屋の中は蝋燭の火で灯されており、それを背にして小さな男の子がこちらを覗いていた。
 まだ、三才かそこらの、幼い子供が。先程の会話を聞いてもう少し大きな子供をイメージしたが、それよりもずっと小さい。

「お目ざめになりました?ごきぶんは、どうですか?」
「げんき…」
 話すと舌がざらりとする。思ったより眠っていたようだ。乾いた喉が声を掠れさせる。
 水欲しさにゆっくりと起き上がると、子供がはっきりと見えた。

 リーレンは栗色の髪をした男の子で、整った顔をしている。可愛い顔が小河原が照れる表情を彷彿とさせた。
 本当の親子ではなくとも、シヴァ少将の血を引いているのだから、小河原にそっくりでもおかしくない。むしろ激似である。

「おとうさまは、いま、おかあさまのところなので、わたしがお話あいてをいたします」
「丁寧に、ありがとう。リーレンくんで、いいのかな?」
「はい。リーレンともうします。おきゃくさまのおなまえを聞いて良いですか?」
「理音です。よろしくね」
 リーレンは口角を上げて満面の笑みを見せる。言葉遣いはしっかりしているが、頬はぷにぷにの愛らしい笑顔だ。
「お母さんとお父さんはどこにいるのかな?目が覚めたから挨拶したいんだけど、一緒に行ってくれる?」
「もちろんです。ごあんないします!」

 外に出るには少しだけ時間がいった。
 体調が完全に戻っているわけではなく、少しばかりのめまいが残っている。階段をおぼつかない足元でおり、壁をつたいながらゆっくりと歩く。
 リーレンは走ろうとしたが、理音ののんびりな動きに止まっては後ろを向き、確認しながら先へ進んでくれる。
 できた子供だ。自分があの頃どれほどの子供だったのか、あまり比べたくない。

 もし反乱に気付かれ小河原が罰せられることになれば、シヴァ少将の子供であるリーレンもそのままでは済まないだろう。
 実際、ヘキ卿の子供は妻と共に死罪になっている。

 小河原はファリアとリーレンを連れて旅に出る気だ。逃げる気があるのならば、さっさとここから出発したい。本当に罪に問われる前に、早く行動しなければならない。
 何で、体調なんて崩したかな。
 元気であれば、隙を見て逃げ出すことを、すぐに計画できたのに。
 小河原が旅に出ると言ったのだから、逃げるルートは調べているだろう。自分の知っている小河原はそれくらい確認しているはずだ。

「あれは…」
 外に出ようとしたら、男たちが俵のような物を移動させていた。部屋から聞こえた物音はこれだったか。頭に傘を被った男たちは雨も気にせず物を運んでいる。
 こちらに気付いても気にしないらしい。

 大量の俵は何の荷物だろうか。気になるのはあれが前にリン大尉の屋敷で見た、剣などを隠すために使ったカモフラージュの包みに似ていたからだ。
 あの中に武器を隠しているとか、あり得る話である。
 反乱の準備があるかもしれない。

 ヒューウォの話では薬草や食料を集めていたとあった。それが本物ならば問題ないのだが、ここにいてそれが事実だとは到底思えなかった。
 食料を藁で巻いた俵状の物で運ぶまではいいとしても、こんな雨の中、しかも雨晒しで運んだりするわけがない。
 自分をこの場所に連れた時点で、反乱の覚悟は持っていたはずだ。

「あめ、へりました。かさはいらないですね。良かったです」
「そうだね。風はまだ強いけれど」

 雷はまだ遠くで鳴っている。そのまま遠ざかるように、争いも遠ざかればいいものの、遠くで聞こえる号令や馬のいななきが耳に入り、その願いは到底叶うものではないと知ることになった。
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