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今度は推しをお守りします!
儀式
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ヴィヴィアンお師匠様は優しく教えてくれるが、詰め込み方が容赦ない。
私は大量の本を渡されて、聖騎士団の部屋に戻ってきていた。
「あら、今日は随分と本を持っているのね」
美声が届いて、私は机に本を投げ出して飛びつきたくなる衝動を抑えつつ、声の主に振り向いた。
「アナスタージア様~」
私の推し令嬢。アナスタージア・バティーニュ様が声を掛けてくれた。
推しの推しかと思えば、そうではなく、リュシアン様と結託し、お互いに婚約話が出てこないよう恋人のふりをされている方だ。
別の男性を想っているというアナスタージア様は、絹のような長く美しい金髪と宝石のように輝く青の瞳を持つご令嬢で、王の側近をしているお父様の反対を押し切り、聖騎士団に騎士として入団された。
私の癒し。……だけでなく、本当に癒しの力を持っている、戦う癒し担当である。
前戦に出ることもある聖騎士団に入るには苦労があっただろう。それに負けぬ強さのあるアナスタージア様は、お茶会で着るようなドレスではなく、聖騎士団の制服を着ていた。
白を基調にした濃い紺の上着に金刺繍。襟元は大きく、裾が邪魔にならないように後ろだけ長い。パンツは白で黒のブーツが決まっている。
(いつ見ても素敵です!!)
聖騎士団は紺の制服なのだ。私は補助役というおまけの立場なので、同じ制服は着ていないが、紺色のマントは支給されている。同じ色をまとえるのは嬉しい限りだ。
アナスタージア様は紺色の制服もマントもとても似合っている。たまらない。
「よだれたれてるわよ」
「はっ。推しを見てつい。じゃなくて、ただいま知識を脳に溜めているところなのです。暗黒期がリュシアン様の力まで弱めると知らなくて、ごにょごにょ」
「あら、知らなかった? まあ、そうよね。普通だったら暗黒期で力がなくなるなんてことないんだし、見た目からでは分からないもの、知らなくて当然よ。それで、魔術師様から本をお借りしたの? 暗黒期における、多種族への影響?」
アナスタージア様は、私が持っている本のタイトルを読み上げる。
「そうなのです。今、頭に詰め込んでおります。ところで、リュシアン様はまだいらっしゃらないんですか?」
聖騎士団が集まる部屋はいくつかあるが、ここは書類を裁く執務室である。
私は呪いを見分ける仕事を持っているが、それ以外はただの一般人なので、呪いに関する仕事がなければ勉強か事務仕事となった。
リュシアン様は聖騎士団団長なので普段団長室にいるのだが、団長室はこの執務室に繋がっているのでこの部屋を通ることが多かった。しかし、本日はまだ見ていない。
「団長は忙しいんだよ。部屋に戻ってこないんだから、誰かに呼ばれてんだろ。それくらい分かれよ」
偉そうに推しとの会話に入ってきたのは、聖騎士団に今年入ったばかりの新人騎士、ギー・オリヴィエである。
少し赤みのある金髪で、ちょっぴり大きな瞳はオレンジの入ったキャラメル色。身長はそこまで高くなく、まだ子供から大人になったばかりのような細身の体をしている。
新しい聖騎士団の服はぴかぴかで、まだ成長を見込んでいるのか少し大きく見えた。
黙っていれば女の子のような可愛さがあるような気もするが、口を開けば私を馬鹿にするか否定ばかりしてくる男だ。
リュシアン様に憧れて聖騎士団に入ったというこの男は、私にとって同じ推しを持つ同士であり、ライバル。
つまり、敵。
「ギーギー。私はアナスタージア様と話しているのです。ギーギー。静かにおし」
「んだと!? この変態ストーカー!!」
「ストーカーじゃありません! リュシアン様が通れば視線が勝手に動くのです。推しのためならどんな時でも気配に気付く。推しのオーラが強くて抗えないのです。推しこそ最高!」
「それをストーカーって言うんだよ!!」
ギーはギーギーうるさい。他の聖騎士たちは鍛錬が終わった後、各々自分たちの担当している事件を調べたり現場に行ったりしている。新人聖騎士も付いていくのだが、ギーはアカデミーでの成績が優秀らしく、書類仕事も担当していた。
リュシアン様に近い場所で働けると言って二つ返事をしたらしいが、元メイドの私がいると知って目くじらを立ててくる狭量な男だ。
「二人ともうるさいですよ。リュシアン様は王に呼ばれています。そろそろ戻ってくるでしょうから、ギーはその書類をさっさと仕分けして、レティシアさんはその本を片付けてから手伝ってください」
聖騎士団副団長、ベルトラン・ラエネック。
きらりと光る銀縁眼鏡。眼鏡の中で青灰色の瞳がキロリと光る。さらさら黒髪を邪魔そうに耳にかけ、眼鏡を上げて冷静に叱ってきた。
推しのアナスタージア様の推しであるベルトラン様。アナスタージア様と両想いっぽいのに、どうにもくっつかない、根性なし……ゲホゴホン、もとい恥ずかしがり屋さんだ。
「リュシアン様は王とお話しすること多いですよね。他の騎士団長さんもそうなんですか?」
「リュシアン様は聖騎士団団長だし、王の信頼が厚いから特別ね。それに、聖騎士団は騎士団の中でも一番上の立場であるから、リュシアン様から他の騎士団団長に通達することもあるのよ」
「そんなことも知らないのかよ」
アナスタージア様の説明に、ギーがギーギー言う。私はそれを無視して、アナスタージア様のお話を、耳を大きくして拝聴した。
そうこうしている間に、リュシアン様が戻ってくると、町で起きた事件を調べるために外出することになった。
推しとの外出。それは調査。
「あの家だな。おかしな獣の死体があったそうだ」
「やあねえ。家の中に獣の死体だなんて」
おかしな獣の死体が家の中に放置されている。呪いの関係かもしれないため、ヴィヴィアンお師匠様が同行し、私は勉強を兼ねてご一緒した。
王宮にいる魔術師は皆忙しく、お師匠様はその中でもトップレベルの忙しさなのだが、私の師匠ということもあって時間のある時に付いてきてくれるのだ。
他の聖騎士たちと、新人聖騎士ギーを伴い、私たちは城から出て町の一角にある空き家へやってきた。
空き家の周囲は城の警備騎士たちが警備をしていた。聖騎士団の紺の制服を見ると警備騎士たちは顔を引き締め、頭を下げてくる。紺色のマントの私には塩対応だが、紺色の制服には羨望の眼差しを向けた。
聖騎士団は管轄が決まっておらず、特異な事件だとされればどこにでも顔を突っ込める特権があった。剣の腕だけではなく魔法に特化した者たちが所属しているので、エリアの垣根がないのだ。
(今更だけど、すごい人たちとご一緒させてもらってるのよね)
外はもう真っ暗で、街灯が仄かに付いているだけ。まだ昼を過ぎてさほど経っていないのに、暗くなりすぎだ。リュシアン様の銀髪がいっそう明るく見える。
人気のない場所に建てられている空き家は小さな戸建てで、部屋は床も朽ちているところがあり、踏み抜いて穴が空いているところもあった。かなり古そうだ。
人が住まなくなってどれくらい経っているのだろう。長い間放置されていたようで、埃や蜘蛛の巣どころか、雨水でも滴っているのか柱や天井の腐敗がひどい。
「匂いがすごいですね」
「獣の死体が腐っているんです。子供たちがそれに気付いて騒いでいたらしく」
私が鼻を摘みながら言うと、丁寧に説明をくれた。町を警備する自警団の方だ。
家にあったのは獣の死体だが、魔法を掛けたようなおかしな痕跡があるらしい。呪いが掛かっているのではと自警団が警備騎士に通報し、聖騎士団に依頼を出したそうだ。
奥の部屋に進むと臭気はひどくなり、腐ったような匂いと獣くささを感じた。
板張りの床に転がっているものがある。死体は動物のようだ。鹿のような、頭部にツノのある動物である。しかし、その地面には魔法陣が描かれ、獣を生贄にしたかのように儀式でもしたような跡があった。
「生贄を使った、何かの魔法でしょうか?」
「そのようね。まあ、随分と大きな獣を使ったこと」
「何かを召喚したような雰囲気だな」
リュシアン様が嫌そうに口にする。獣の頭部を台に置き、体はその前に置いてある。
魔法陣は五芒星が描かれており、その五つの角にお皿を置いて、草や木の実などが入れてあった。
「雄鹿でしょうか。こんな町中に、夜にでも運んだのかな……」
ギーは口元をハンカチで抑えながら呟く。吐き気を我慢しているようだ。確かに匂いはひどく死体が腐りかけているため、匂いを嗅いでいると気持ち悪くなりそうだ。
黒の個体。死んでどれくらい経っているのだろう。虫も湧いているので見目は良くない。その中でも目の迫力がすごかった。
ギョロリとした目玉は赤黒く濁り、今にも飛び出しそうだ。しかし、他に何かないか良く確認しなければならない。
私は匂いを我慢して、ランプを照らし、その死体を凝視した。
「お師匠様、これ、何ですか? 目のところの糸みたいな。呪いじゃなさそうですけれど」
「良く見付けたわね」
飛び出しそうな目の中に何かがある。充血しているようにも見えるが、細い糸のようなものが目に絡んでいた。しかしそれはけぶっており、はっきりと形を成していなかった。
「暗黒の気が残っているのよ」
「暗黒の気、ですか……?」
朝丁度そんな話をした。呪いの力を増幅させたり、魔獣の力を増やしたりすることがある。暗黒期に膨れ上がる、負のエネルギーだ。
うねうねと白目の中でうごめいて、虫が動いているみたいで気味が悪い。
「これが見える人も少ないのだけれど、レティシアちゃんは優秀ね」
「では、これは暗黒の力を得るための儀式か?」
「そうね。古い魔法だわ。暗黒の力を得るための古い魔法よ」
「暗黒の力を得る……、ですか?」
「レティシアちゃんは勉強中ね。暗黒の気を操ることができる者がいるのだけれど、できない者がこうやって魔法陣を使って暗黒の力を得るのよ。生贄を使っているから間違いないわ」
「暗黒の力か……」
「あんたは近寄らない方がいいわよ。暗黒の力は嫌いでしょう」
ヴィヴィアンお師匠様がリュシアン様をしっしと追い払う。リュシアン様はその仕草にぴくりと眉を上げた。
「この程度で影響など受けない」
暗黒の気は精霊の力を弱らせる。お師匠様の話では、弱い精霊だと死んでしまうこともあるそうだ。
リュシアン様は大したことではないと首を振るが、ヴィヴィアンお師匠様は近寄らせないように立ちはだかって追い立てた。
「暗黒の気は消しておかないと、死体に集まって増えちゃうかもしれないわ。これだけは浄化しておくわね」
言いながら、さっと手をかざすと、鹿の目玉からもやが消えた。
ヴィヴィアンお師匠様は軽くなでるようにしただけだ。それだけで呪文を唱えることなく霧散してしまった。
「どうやったんですか?」
「浄化は暗黒を祓う力がなければできないのよ。軽くなでてあげればぱっと消えちゃうの」
「簡単に言うが、ヴィヴィの言うことを鵜呑みにするなよ。暗黒を祓う力を持つ者はほとんどいない。その中でもヴィヴィのレベルは最高級だ」
リュシアン様が口を挟む。なるほど、ヴィヴィアンお師匠様だからこそできる技で、簡単にできるものではないようだ。
呪いとは違うため、私には方法が分からない。勝手に集まってきた悪い気を払うとなると、別の力になるのだ。
「どうも素人が行った儀式みたいね。呪いの形も古いし、手際も悪い。魔法陣も汚い描き方ねえ」
確かに床に描かれた魔法陣は歪んでいる。かろうじて線は繋がっているが、不慣れな感じは否めない。
(魔法陣の文字も汚いわ。描き慣れていない方の描き方ね)
「それで、何をしたかまで分かるか?」
「分かんないわあ。一時的に暗黒の力を得て何をするかなんて。ただ、この大きさの獣を生贄にしたのだから、高望みはしたようね。生贄の大きさや量によって、暗黒の力を手にする時間や質が変わるのよ。とりあえず、ここで私たちができることはもうなさそうね。リュシアン、暗黒の力を悪用した者がいないか調べるといいわ」
「分かった。まずは警備騎士に周辺調査を行わせる。町中に鹿を搬入したやつを調べれば何か出てくるだろう。他に何か痕跡がないかこちらで調べておく」
リュシアン様の言葉に聖騎士団が動き出す。結局私はただ付いてきただけで、お勉強のための授業を受けにきたようなものだった。
私は大量の本を渡されて、聖騎士団の部屋に戻ってきていた。
「あら、今日は随分と本を持っているのね」
美声が届いて、私は机に本を投げ出して飛びつきたくなる衝動を抑えつつ、声の主に振り向いた。
「アナスタージア様~」
私の推し令嬢。アナスタージア・バティーニュ様が声を掛けてくれた。
推しの推しかと思えば、そうではなく、リュシアン様と結託し、お互いに婚約話が出てこないよう恋人のふりをされている方だ。
別の男性を想っているというアナスタージア様は、絹のような長く美しい金髪と宝石のように輝く青の瞳を持つご令嬢で、王の側近をしているお父様の反対を押し切り、聖騎士団に騎士として入団された。
私の癒し。……だけでなく、本当に癒しの力を持っている、戦う癒し担当である。
前戦に出ることもある聖騎士団に入るには苦労があっただろう。それに負けぬ強さのあるアナスタージア様は、お茶会で着るようなドレスではなく、聖騎士団の制服を着ていた。
白を基調にした濃い紺の上着に金刺繍。襟元は大きく、裾が邪魔にならないように後ろだけ長い。パンツは白で黒のブーツが決まっている。
(いつ見ても素敵です!!)
聖騎士団は紺の制服なのだ。私は補助役というおまけの立場なので、同じ制服は着ていないが、紺色のマントは支給されている。同じ色をまとえるのは嬉しい限りだ。
アナスタージア様は紺色の制服もマントもとても似合っている。たまらない。
「よだれたれてるわよ」
「はっ。推しを見てつい。じゃなくて、ただいま知識を脳に溜めているところなのです。暗黒期がリュシアン様の力まで弱めると知らなくて、ごにょごにょ」
「あら、知らなかった? まあ、そうよね。普通だったら暗黒期で力がなくなるなんてことないんだし、見た目からでは分からないもの、知らなくて当然よ。それで、魔術師様から本をお借りしたの? 暗黒期における、多種族への影響?」
アナスタージア様は、私が持っている本のタイトルを読み上げる。
「そうなのです。今、頭に詰め込んでおります。ところで、リュシアン様はまだいらっしゃらないんですか?」
聖騎士団が集まる部屋はいくつかあるが、ここは書類を裁く執務室である。
私は呪いを見分ける仕事を持っているが、それ以外はただの一般人なので、呪いに関する仕事がなければ勉強か事務仕事となった。
リュシアン様は聖騎士団団長なので普段団長室にいるのだが、団長室はこの執務室に繋がっているのでこの部屋を通ることが多かった。しかし、本日はまだ見ていない。
「団長は忙しいんだよ。部屋に戻ってこないんだから、誰かに呼ばれてんだろ。それくらい分かれよ」
偉そうに推しとの会話に入ってきたのは、聖騎士団に今年入ったばかりの新人騎士、ギー・オリヴィエである。
少し赤みのある金髪で、ちょっぴり大きな瞳はオレンジの入ったキャラメル色。身長はそこまで高くなく、まだ子供から大人になったばかりのような細身の体をしている。
新しい聖騎士団の服はぴかぴかで、まだ成長を見込んでいるのか少し大きく見えた。
黙っていれば女の子のような可愛さがあるような気もするが、口を開けば私を馬鹿にするか否定ばかりしてくる男だ。
リュシアン様に憧れて聖騎士団に入ったというこの男は、私にとって同じ推しを持つ同士であり、ライバル。
つまり、敵。
「ギーギー。私はアナスタージア様と話しているのです。ギーギー。静かにおし」
「んだと!? この変態ストーカー!!」
「ストーカーじゃありません! リュシアン様が通れば視線が勝手に動くのです。推しのためならどんな時でも気配に気付く。推しのオーラが強くて抗えないのです。推しこそ最高!」
「それをストーカーって言うんだよ!!」
ギーはギーギーうるさい。他の聖騎士たちは鍛錬が終わった後、各々自分たちの担当している事件を調べたり現場に行ったりしている。新人聖騎士も付いていくのだが、ギーはアカデミーでの成績が優秀らしく、書類仕事も担当していた。
リュシアン様に近い場所で働けると言って二つ返事をしたらしいが、元メイドの私がいると知って目くじらを立ててくる狭量な男だ。
「二人ともうるさいですよ。リュシアン様は王に呼ばれています。そろそろ戻ってくるでしょうから、ギーはその書類をさっさと仕分けして、レティシアさんはその本を片付けてから手伝ってください」
聖騎士団副団長、ベルトラン・ラエネック。
きらりと光る銀縁眼鏡。眼鏡の中で青灰色の瞳がキロリと光る。さらさら黒髪を邪魔そうに耳にかけ、眼鏡を上げて冷静に叱ってきた。
推しのアナスタージア様の推しであるベルトラン様。アナスタージア様と両想いっぽいのに、どうにもくっつかない、根性なし……ゲホゴホン、もとい恥ずかしがり屋さんだ。
「リュシアン様は王とお話しすること多いですよね。他の騎士団長さんもそうなんですか?」
「リュシアン様は聖騎士団団長だし、王の信頼が厚いから特別ね。それに、聖騎士団は騎士団の中でも一番上の立場であるから、リュシアン様から他の騎士団団長に通達することもあるのよ」
「そんなことも知らないのかよ」
アナスタージア様の説明に、ギーがギーギー言う。私はそれを無視して、アナスタージア様のお話を、耳を大きくして拝聴した。
そうこうしている間に、リュシアン様が戻ってくると、町で起きた事件を調べるために外出することになった。
推しとの外出。それは調査。
「あの家だな。おかしな獣の死体があったそうだ」
「やあねえ。家の中に獣の死体だなんて」
おかしな獣の死体が家の中に放置されている。呪いの関係かもしれないため、ヴィヴィアンお師匠様が同行し、私は勉強を兼ねてご一緒した。
王宮にいる魔術師は皆忙しく、お師匠様はその中でもトップレベルの忙しさなのだが、私の師匠ということもあって時間のある時に付いてきてくれるのだ。
他の聖騎士たちと、新人聖騎士ギーを伴い、私たちは城から出て町の一角にある空き家へやってきた。
空き家の周囲は城の警備騎士たちが警備をしていた。聖騎士団の紺の制服を見ると警備騎士たちは顔を引き締め、頭を下げてくる。紺色のマントの私には塩対応だが、紺色の制服には羨望の眼差しを向けた。
聖騎士団は管轄が決まっておらず、特異な事件だとされればどこにでも顔を突っ込める特権があった。剣の腕だけではなく魔法に特化した者たちが所属しているので、エリアの垣根がないのだ。
(今更だけど、すごい人たちとご一緒させてもらってるのよね)
外はもう真っ暗で、街灯が仄かに付いているだけ。まだ昼を過ぎてさほど経っていないのに、暗くなりすぎだ。リュシアン様の銀髪がいっそう明るく見える。
人気のない場所に建てられている空き家は小さな戸建てで、部屋は床も朽ちているところがあり、踏み抜いて穴が空いているところもあった。かなり古そうだ。
人が住まなくなってどれくらい経っているのだろう。長い間放置されていたようで、埃や蜘蛛の巣どころか、雨水でも滴っているのか柱や天井の腐敗がひどい。
「匂いがすごいですね」
「獣の死体が腐っているんです。子供たちがそれに気付いて騒いでいたらしく」
私が鼻を摘みながら言うと、丁寧に説明をくれた。町を警備する自警団の方だ。
家にあったのは獣の死体だが、魔法を掛けたようなおかしな痕跡があるらしい。呪いが掛かっているのではと自警団が警備騎士に通報し、聖騎士団に依頼を出したそうだ。
奥の部屋に進むと臭気はひどくなり、腐ったような匂いと獣くささを感じた。
板張りの床に転がっているものがある。死体は動物のようだ。鹿のような、頭部にツノのある動物である。しかし、その地面には魔法陣が描かれ、獣を生贄にしたかのように儀式でもしたような跡があった。
「生贄を使った、何かの魔法でしょうか?」
「そのようね。まあ、随分と大きな獣を使ったこと」
「何かを召喚したような雰囲気だな」
リュシアン様が嫌そうに口にする。獣の頭部を台に置き、体はその前に置いてある。
魔法陣は五芒星が描かれており、その五つの角にお皿を置いて、草や木の実などが入れてあった。
「雄鹿でしょうか。こんな町中に、夜にでも運んだのかな……」
ギーは口元をハンカチで抑えながら呟く。吐き気を我慢しているようだ。確かに匂いはひどく死体が腐りかけているため、匂いを嗅いでいると気持ち悪くなりそうだ。
黒の個体。死んでどれくらい経っているのだろう。虫も湧いているので見目は良くない。その中でも目の迫力がすごかった。
ギョロリとした目玉は赤黒く濁り、今にも飛び出しそうだ。しかし、他に何かないか良く確認しなければならない。
私は匂いを我慢して、ランプを照らし、その死体を凝視した。
「お師匠様、これ、何ですか? 目のところの糸みたいな。呪いじゃなさそうですけれど」
「良く見付けたわね」
飛び出しそうな目の中に何かがある。充血しているようにも見えるが、細い糸のようなものが目に絡んでいた。しかしそれはけぶっており、はっきりと形を成していなかった。
「暗黒の気が残っているのよ」
「暗黒の気、ですか……?」
朝丁度そんな話をした。呪いの力を増幅させたり、魔獣の力を増やしたりすることがある。暗黒期に膨れ上がる、負のエネルギーだ。
うねうねと白目の中でうごめいて、虫が動いているみたいで気味が悪い。
「これが見える人も少ないのだけれど、レティシアちゃんは優秀ね」
「では、これは暗黒の力を得るための儀式か?」
「そうね。古い魔法だわ。暗黒の力を得るための古い魔法よ」
「暗黒の力を得る……、ですか?」
「レティシアちゃんは勉強中ね。暗黒の気を操ることができる者がいるのだけれど、できない者がこうやって魔法陣を使って暗黒の力を得るのよ。生贄を使っているから間違いないわ」
「暗黒の力か……」
「あんたは近寄らない方がいいわよ。暗黒の力は嫌いでしょう」
ヴィヴィアンお師匠様がリュシアン様をしっしと追い払う。リュシアン様はその仕草にぴくりと眉を上げた。
「この程度で影響など受けない」
暗黒の気は精霊の力を弱らせる。お師匠様の話では、弱い精霊だと死んでしまうこともあるそうだ。
リュシアン様は大したことではないと首を振るが、ヴィヴィアンお師匠様は近寄らせないように立ちはだかって追い立てた。
「暗黒の気は消しておかないと、死体に集まって増えちゃうかもしれないわ。これだけは浄化しておくわね」
言いながら、さっと手をかざすと、鹿の目玉からもやが消えた。
ヴィヴィアンお師匠様は軽くなでるようにしただけだ。それだけで呪文を唱えることなく霧散してしまった。
「どうやったんですか?」
「浄化は暗黒を祓う力がなければできないのよ。軽くなでてあげればぱっと消えちゃうの」
「簡単に言うが、ヴィヴィの言うことを鵜呑みにするなよ。暗黒を祓う力を持つ者はほとんどいない。その中でもヴィヴィのレベルは最高級だ」
リュシアン様が口を挟む。なるほど、ヴィヴィアンお師匠様だからこそできる技で、簡単にできるものではないようだ。
呪いとは違うため、私には方法が分からない。勝手に集まってきた悪い気を払うとなると、別の力になるのだ。
「どうも素人が行った儀式みたいね。呪いの形も古いし、手際も悪い。魔法陣も汚い描き方ねえ」
確かに床に描かれた魔法陣は歪んでいる。かろうじて線は繋がっているが、不慣れな感じは否めない。
(魔法陣の文字も汚いわ。描き慣れていない方の描き方ね)
「それで、何をしたかまで分かるか?」
「分かんないわあ。一時的に暗黒の力を得て何をするかなんて。ただ、この大きさの獣を生贄にしたのだから、高望みはしたようね。生贄の大きさや量によって、暗黒の力を手にする時間や質が変わるのよ。とりあえず、ここで私たちができることはもうなさそうね。リュシアン、暗黒の力を悪用した者がいないか調べるといいわ」
「分かった。まずは警備騎士に周辺調査を行わせる。町中に鹿を搬入したやつを調べれば何か出てくるだろう。他に何か痕跡がないかこちらで調べておく」
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王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
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