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正常な現代文
世界の本質を掴む①
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世の中には「霊」という概念が蔓延し、広く信仰されているが、見たことがある人は少ない。しかし、「本当に霊は存在するか?」という疑問に対して答えを導くのも容易ではない。
よって今回は「霊」という概念の本質を明確にする為に、何故それが存在するのかを論理的に綴っていくことにする。
まず、本議に入る前に、「そもそも霊は存在するのか」について触れておこう。
~part.1~「そもそも霊は存在するのか」
まずは「霊の存在」の中でも、「特定の人物にだけ見える」という現象を「科学」という視点で論じる。
光の反射が無ければ対象を見ることはできず、対象が見えるならば光の反射が存在する。よって霊は光の反射を必要とし、故に反射する為の物体が存在する。反射後に届く光が網膜へ届き、物は見えるようになるから、光の反射が確認された時点で、霊が目視できるのが事実になる。
しかし、それだと一人に見える霊は全員に見えてしまう。
従って、「特定の人物に見える」という現象は、「霊」により決まるのではなく、それを見る「観測者」によって決まるということになる。
つまり、「観測者」の視覚機能、すなわち脳の信号が関係していると思われる。見間違え以外の「霊」の観測は、考えられるとすれば、その人物の緊張状態やその場所(多くは古い場所か?)のマイクロ波などによる脳の信号の誤作動によって発生した視界を「霊」と認識しただけだといえるだろう。
しかし、「霊」を信仰している人々にそれを言っても仕方ない。『そもそも「科学」にも間違いがあるし、「科学」で説明できないことがあるから、「霊」が「科学」で説明できない可能性があることは当然である』と、考える余地があるからである。よって、私がそれを否定できないが限りは、私も「霊」の信仰者と同じレベルの「科学」の信仰者に成らざるを得ない。
よって、「科学」では無く、「不可思議さ」を以って説明しようと思う。
まず、「死者」が「霊」となって観測されることは不可思議であることを示す。
まず、なぜ服を着ているのか?そもそも「霊」という概念があったなら、服を着ていない時代から存在したと考えるのが妥当である。では何故服をいつも着ているのか?何故裸の古代人の霊は居ないのか?
何故中絶された胎児の霊は居ないのか?
何故人間よりも圧倒的に多い虫の霊は出てこないのか?
大昔に死んだとされる子供の霊が居ると言われている以上、死んだときの状態が保存されると考えて差し支えない。一方で、酷い殺され方をされた人間が怪我をしたまま出てくることがあれば、灰になりながら死んでいった人間は灰がくっついて出てくることは無い。怪我も焼かれることも同じように人間を抉るのに、なぜその影響が出てきたり出てこなかったりするのか?
そう、これらから分かるように、霊という存在はガバガバなのである。
よって、読者の中で「霊」を本気で信じている人は、少なくともこれらの疑問を跳ね返すだけの、矛盾の無い理論を構築する必要がある。
「霊」と会話できる人は、「霊」から名前と好物と誕生日と住所と死因を聞いてみて欲しい。記憶力が無ければ、「霊」なるものを騙り続けることは出来ないだろう。
写真に変な「霊」が見える人は、その霊が見える位置のセルを拡大して、同じ色をした何の変哲もない別のセルと比較させてみて欲しい。細工でもしない限り恐らく違いは分からないだろう。
人の後ろに霊的な「オーラ」が見える人は、人を少し高い壁に隠した状態で、その壁の向こうから立ち昇る、その人から発せらたオーラの色を見分けてみて欲しい。音で判別しない限り人がいるかさえも分からないだろう。
次に、「最もらしい霊の噂」が何故存在するのかの本質を話す。
~Part.2~「最もらしい霊の噂」
最もらしい霊の噂は、実は「真実」であることがある。それは、「霊が存在する」という馬鹿げた結論を導くのではない。
結論をいえば、「最もらしい霊の噂」は単なる「偶然」により引き起こされたものである。
しかしそれに対し、「そんな偶然が何度も起きる確率は、確率論ではあり得ない。それは超現実が引き起こした現象だ。」と反論した人は多いだろう。
その人は「霊」だけでなく遍く「偶然」の「本質」を理解していない。
そう、霊に限らず「奇跡」は偶然発生するのは無く、膨大な行為によって発生した事実の内、皆にとって「奇跡」だと認識されたものが「奇跡」になるのである。
そして補足しておくと、膨大な事実の内の大半は「奇跡」と認識されることは無い為、「奇跡」以外が噂で広まることは無い。だから、「奇跡」が「奇跡」に見えるのである。
もし仮に、「ある霊能者が2人以上の名字を当てた」や「霊能によって犯人が特定された」などの事実を基にして「霊」を信じているのであれば、それが「広まった噂」の類であることを肝に命じておく必要がある。
次は漸く本題であり、「霊の本質」について綴る。
~Part.3~「霊の本質」
前段落で散々「霊」は存在しない、などと豪語していたが、実は「霊が存在するか否か」は全く問題では無い。
有効活用できれば、それで良いのである。(何故そう言えるのかは最後に説明するから、取り敢えず先を読んでみて欲しい)
子供の成長の為、心の安寧の為、支配の為に有益ならばそれで良い。
実は「一度も会ったことが無い赤の他人の名字を霊能によって当てる」のではなく、「頭の回転が早い為に顔のパーツの法則性を見抜いて相手の名字が分かる」だけだったとしても、有益ならばそれで良い。
実は「霊能によって」ではなく、無意識の内に膨大な記憶から匂いと顔を結びつけ、犯人の顔と犯行現場をなんとなく察することができるだけだったとしても、有益ならばそれで良い。
そう、これらの事象に、「嘘」だと言っても仕方ない。それは解釈こそ違えど役に立っていることには変わりないし、それを信じる人に「あれは何かのトリックだ」と言って説得しても、何の意味も無いし、それを信じている人がそれで納得しないのは明らかである。それ故に『「霊が存在するかどうか」の重要性は「有益か否か」の重要性に先行される』のである。
一見どうでも良さそうな結論に見えるが、世界を理解するにあたって欠かせない「本質」の一つである。
───筆者が敢えて前に2つの段落を加えたのは、「超現実」から発生した過激な思想によって不益を被るかもしれない身の周りの人々を守る為に、読者に「超現実」を打ち破る手段を得ていて欲しかっただけなのである。
よって今回は「霊」という概念の本質を明確にする為に、何故それが存在するのかを論理的に綴っていくことにする。
まず、本議に入る前に、「そもそも霊は存在するのか」について触れておこう。
~part.1~「そもそも霊は存在するのか」
まずは「霊の存在」の中でも、「特定の人物にだけ見える」という現象を「科学」という視点で論じる。
光の反射が無ければ対象を見ることはできず、対象が見えるならば光の反射が存在する。よって霊は光の反射を必要とし、故に反射する為の物体が存在する。反射後に届く光が網膜へ届き、物は見えるようになるから、光の反射が確認された時点で、霊が目視できるのが事実になる。
しかし、それだと一人に見える霊は全員に見えてしまう。
従って、「特定の人物に見える」という現象は、「霊」により決まるのではなく、それを見る「観測者」によって決まるということになる。
つまり、「観測者」の視覚機能、すなわち脳の信号が関係していると思われる。見間違え以外の「霊」の観測は、考えられるとすれば、その人物の緊張状態やその場所(多くは古い場所か?)のマイクロ波などによる脳の信号の誤作動によって発生した視界を「霊」と認識しただけだといえるだろう。
しかし、「霊」を信仰している人々にそれを言っても仕方ない。『そもそも「科学」にも間違いがあるし、「科学」で説明できないことがあるから、「霊」が「科学」で説明できない可能性があることは当然である』と、考える余地があるからである。よって、私がそれを否定できないが限りは、私も「霊」の信仰者と同じレベルの「科学」の信仰者に成らざるを得ない。
よって、「科学」では無く、「不可思議さ」を以って説明しようと思う。
まず、「死者」が「霊」となって観測されることは不可思議であることを示す。
まず、なぜ服を着ているのか?そもそも「霊」という概念があったなら、服を着ていない時代から存在したと考えるのが妥当である。では何故服をいつも着ているのか?何故裸の古代人の霊は居ないのか?
何故中絶された胎児の霊は居ないのか?
何故人間よりも圧倒的に多い虫の霊は出てこないのか?
大昔に死んだとされる子供の霊が居ると言われている以上、死んだときの状態が保存されると考えて差し支えない。一方で、酷い殺され方をされた人間が怪我をしたまま出てくることがあれば、灰になりながら死んでいった人間は灰がくっついて出てくることは無い。怪我も焼かれることも同じように人間を抉るのに、なぜその影響が出てきたり出てこなかったりするのか?
そう、これらから分かるように、霊という存在はガバガバなのである。
よって、読者の中で「霊」を本気で信じている人は、少なくともこれらの疑問を跳ね返すだけの、矛盾の無い理論を構築する必要がある。
「霊」と会話できる人は、「霊」から名前と好物と誕生日と住所と死因を聞いてみて欲しい。記憶力が無ければ、「霊」なるものを騙り続けることは出来ないだろう。
写真に変な「霊」が見える人は、その霊が見える位置のセルを拡大して、同じ色をした何の変哲もない別のセルと比較させてみて欲しい。細工でもしない限り恐らく違いは分からないだろう。
人の後ろに霊的な「オーラ」が見える人は、人を少し高い壁に隠した状態で、その壁の向こうから立ち昇る、その人から発せらたオーラの色を見分けてみて欲しい。音で判別しない限り人がいるかさえも分からないだろう。
次に、「最もらしい霊の噂」が何故存在するのかの本質を話す。
~Part.2~「最もらしい霊の噂」
最もらしい霊の噂は、実は「真実」であることがある。それは、「霊が存在する」という馬鹿げた結論を導くのではない。
結論をいえば、「最もらしい霊の噂」は単なる「偶然」により引き起こされたものである。
しかしそれに対し、「そんな偶然が何度も起きる確率は、確率論ではあり得ない。それは超現実が引き起こした現象だ。」と反論した人は多いだろう。
その人は「霊」だけでなく遍く「偶然」の「本質」を理解していない。
そう、霊に限らず「奇跡」は偶然発生するのは無く、膨大な行為によって発生した事実の内、皆にとって「奇跡」だと認識されたものが「奇跡」になるのである。
そして補足しておくと、膨大な事実の内の大半は「奇跡」と認識されることは無い為、「奇跡」以外が噂で広まることは無い。だから、「奇跡」が「奇跡」に見えるのである。
もし仮に、「ある霊能者が2人以上の名字を当てた」や「霊能によって犯人が特定された」などの事実を基にして「霊」を信じているのであれば、それが「広まった噂」の類であることを肝に命じておく必要がある。
次は漸く本題であり、「霊の本質」について綴る。
~Part.3~「霊の本質」
前段落で散々「霊」は存在しない、などと豪語していたが、実は「霊が存在するか否か」は全く問題では無い。
有効活用できれば、それで良いのである。(何故そう言えるのかは最後に説明するから、取り敢えず先を読んでみて欲しい)
子供の成長の為、心の安寧の為、支配の為に有益ならばそれで良い。
実は「一度も会ったことが無い赤の他人の名字を霊能によって当てる」のではなく、「頭の回転が早い為に顔のパーツの法則性を見抜いて相手の名字が分かる」だけだったとしても、有益ならばそれで良い。
実は「霊能によって」ではなく、無意識の内に膨大な記憶から匂いと顔を結びつけ、犯人の顔と犯行現場をなんとなく察することができるだけだったとしても、有益ならばそれで良い。
そう、これらの事象に、「嘘」だと言っても仕方ない。それは解釈こそ違えど役に立っていることには変わりないし、それを信じる人に「あれは何かのトリックだ」と言って説得しても、何の意味も無いし、それを信じている人がそれで納得しないのは明らかである。それ故に『「霊が存在するかどうか」の重要性は「有益か否か」の重要性に先行される』のである。
一見どうでも良さそうな結論に見えるが、世界を理解するにあたって欠かせない「本質」の一つである。
───筆者が敢えて前に2つの段落を加えたのは、「超現実」から発生した過激な思想によって不益を被るかもしれない身の周りの人々を守る為に、読者に「超現実」を打ち破る手段を得ていて欲しかっただけなのである。
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