リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

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第4部 Wreath Infinity 感情チップを作ってみたら、人気者になった

第10章 『救助』 (2)

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「生殖衝動──情動波形、発生せず」
「脳波反応、拒絶指向性。チップ抽出不能」

 静寂が、神殿のような施設全体を覆った。

 教団の信者たちは、沈黙の中で硬直していた。
 “融合”という神聖な儀式が、感情の不発により瓦解した瞬間だった。
 それは彼らにとって“感情の否定”ではなく、“神そのものの否定”に等しかった。

 無表情の仮面が、低く静かに告げた。

「……感情は、命令によって芽生えるものではない。だが、“笑い”──それは、最も不意打ちで、最も深層に触れる情動」
「次段階へ移行」
「“笑い”の抽出プロトコル、起動」
「対象への刺激資料:《A.N. Private Log》」

 リースは、ぐったりとしたまま目を細めた。

「また……変な記録、再生する気?」

 そのとき、指を鳴らす音が響いた。
 画面の隅に控えていた白衣の人物──アリアが、前へと歩み出る。

「朗読者:原著者本人」
「“笑い”の自然発生を誘発するため、無意識下の共鳴を使用」

 アリアの手には、一束の紙。
 リースの目がわずかに揺れる。
 見覚えがあった。
 あれは──アリアの秘密日記。

「まさか、それ……アリア……っ」

 アリアは何も言わなかった。
 ただ少し顔を背けながら、震える指で一枚目のページをめくる。
 そして、読み始めた。

「《第6日目。リースが教室で居眠りしていた。寝顔、戦闘力高すぎて死亡》」
「…………」
「《その後、給湯室で湯気を見つめてた。あれは哲学。たぶん湯気になりたかった》」
「ちょ……アリア、やめなって……!」

 だがアリアは止まらない。
 むしろ赤面しながらも、声を震わせながら続けた。

「《第9日目。廊下で後ろから見ていたら、リースの髪の毛の揺れが完全に物理法則を無視していて好き》」
「読まなくていいって言ってるのに!!」
「《でも声をかける勇気はなかった。なぜなら今日の私は前髪が事故ってたから》」

 リースの表情が、完全に崩れた。
 怒り? 困惑? 羞恥? 全部が混ざったような感情が顔に浮かぶ。

「《第12日目。リースの“あくび”が自然発生して、それがあまりにも人間味にあふれていて愛》」
「うぅぅ……! ほんとにやめてよアリアあああ!!!」

 アリアの声も限界だった。
 裏返りそうになりながら、それでもなお読み続けた。

「《第15日目。リースの袖がちょっと長くて、指先が隠れていた。はい、好きです》」
「……っぷ、ふ……あはっ」

 リースの喉から、ついに笑いが漏れた。
 それは爆笑ではなかった。
 けれど、長く張りつめていた空気がはじけ飛び、緊張という名の仮面が剥がれ落ちた一瞬だった。
 彼女は肩を震わせながら、俯いたまま小さく笑い続ける。

「……バッカじゃないの……アンタ……それ、書いた上に、今、読むとか……っ」

 画面の中のアリアは、しかし構わずページをめくる。
 声がかすかに裏返る。

「《第17日目。リースが“また寝坊した”と言っていたが、その理由は昨晩遅くまで音楽を聴いていたため。律儀なくせにだらしない、最高》」
「ははっ、うっわ……もう……っ!!」

 リースが顔を上げた。
 目尻は潤み、頬には大粒の涙が浮かんでいた。
 だがそれは悲しみではない。
 溢れ出たのは、こらえきれないほどの“笑い”だった。

「も、無理……やめて……笑い死ぬから……! ははっ、はっ……!」

 教団の神殿めいた静謐な空間の中に、リースの笑い声が響き渡る。
 空気が揺れた。
 あまりにも人間らしく、あまりにも自由な音だった。

 リースは、肩を上下に波打たせながら笑い続けた。
 呼吸は乱れ、目元は涙で濡れ、口元はもう制御不能。

「……アンタ、なんでそれ全部記録してたの!? 監視日誌!? 恋愛報告書!? 誰に提出すんのそれ!? 倫理委員会!?」

 アリアはすでに全身が灼けるような羞恥に包まれていた。
 耳の先まで真っ赤になり、リースの笑いがひとつ響くたび、羞恥が体内を逆流していくような感覚に襲われていた。

 それでも彼女は、笑った。
 自嘲混じりに、涙の出るほどの思いを込めて。
 だが、その一方で、信者たちは仮面の奥で淡々と観察を続けていた。

「笑い反応、臨界到達。感情波形、最大強度」
「心拍上昇、呼吸リズム異常。頬筋活動:上限突破」
「チップ生成、開始」

 背後の装置が唸りを上げ、排出口から小さな結晶体が転がり出た。
 だが、それはこれまでのどのチップとも違っていた。

 不規則に脈打つ輪郭。
 見る角度によって色と輝きが変わる、虹彩のような光。
 分類不能なエネルギーを孕んだそれは、まさしく──「笑い」だった。

「“笑い”の感情チップ、完成」

 無表情の仮面が、それを恭しく掲げようとした、その瞬間──

「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」

 画面の外からアリアが叫んだ。
 声が反響する。
 仮面たちが動きを止める。
 リースも目を見開く。
 アリアは、拳をぎゅっと握りしめ、耳まで真っ赤なまま前へ出た。

 リースが「え?」と顔を上げた瞬間、アリアは白衣の内ポケットに手を突っ込んだ。
 銀色に光る小型のテイザー銃──躊躇もためらいもない、その手つきは完全に本気だった。

 照準は、ホログラムを映していた巨大スクリーン。

「恥ずかしすぎて記録とか無理だからッ!!」

 ──バシュッ!!

 鋭く放たれた青白い電撃が、空中を裂くように走る。
 次の瞬間、スクリーンが火花と共に爆音を立てて吹き飛んだ。
 壁に張り巡らされていた記録ラインが切断され、空間を支配していた“神聖”が一気に崩れる。

「記録装置損傷!感情ログ、断絶!」
「供給ライン遮断!情動抽出プロセス、強制終了!!」

 信者たちが一斉に動揺し、仮面越しにざわめきが広がる。

 アリアは肩で息をしながら、テイザー銃を振り上げて叫んだ。

「再生なんかさせるかあああああっ!! 二度と流すな!そのログ、いますぐ燃やせ!灰にしろ!地球から消せッ!!」

 その横でリースは──もう限界だった。

「ぷっ……あっははははっ! だめだっ……もう、無理っ……アリア、それ……あんたが一番面白い……っ!!」

 彼女は腹を抱え、肩を震わせて笑い続けた。
 頬は涙で濡れ、息は上がり、笑いが止まらない。

「笑うなあああああああああああ!!!」

 真っ赤な顔で絶叫するアリアに、神殿の空気が完全に吹き飛んだ。

 混乱の中、信者たちはなおも混線したまま、崩れたプロトコルを修復しようと“笑いのチップ”を掲げようとしていた。
 だが──それはもう、神でも聖典でもなかった。
 ただの、笑いすぎて生まれた“副産物”だった。

「“感情”を崇めすぎるからこうなるんだよ。記録?格納?チップ? 全部、バカらしい」

 アリアが呟くように言うと、リースがにやりと口角を上げて返した。

「うん。ていうかさ……あんたが一人いれば、感情の8割はだいたい何とかなる」

 笑いながら、二人は視線を交わす。
 目の前の教団も、チップも、すべてが茶番に見えるほどに──“人間らしさ”が、そこにはあった。
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