リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

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第1部 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

第9章 『赤い識別』 (1)

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 翌朝。
 空は鉛色の薄雲に覆われ、湿気を含んだ柔らかな光が、ガラス越しに教室を淡く染めていた。
 始業前の空気はまだ緩やかで、どこか無防備な静けさがあった。

 窓際の席では、ルシアンがあくびを噛み殺しながら端末をいじっている。
 リースは無言で自分の端末を起動した。
 指先が、微かに震えていた。
 ──何も起こらなければいい。
 そんな期待が、まだ胸の奥に微かに残っていた。


 だが。

 午前9時53分。
 天井スピーカーから、乾いた接続音が鳴った。

《……プルル……カチ》

 一拍の沈黙。
 その後、無機質な音声が教室中に響き渡る。

《緊急アナウンス:コード・イエロー発令。全リザレクテッド個体に対する一時保護措置を即時実行します。本日10時をもって、全個体は中央管理機関にて再評価を受けていただきます──これは、強制です》

 音声には一片の感情もなかった。
 冷たい告知。
 それは命令という名の、静かな断罪だった。

 次の瞬間、教室中の指輪が一斉に点滅した。
 緑だった遺伝子ビーコンが、ゆっくりと赤へ──警告色へと変わっていく。
 ──識別中。
 対象確認。
 追跡開始。

 無数のリングが、まるで共鳴するかのように赤く脈打った。
 リースは自分の指輪を見つめる。
 ビーコンの縁が脈を打ち続ける。
 それはもう、“装飾品”ではなく、“拘束具”のようにすら見えた。

「……やっぱり……昨日の、あれ……」

 ルシアンの声は、ほとんど呼吸の音に近かった。
 誰も言葉を返さない。
 教室の空気は、たった一つのアナウンスで塗り替えられていた。
 今ここにいる“リザレクテッド”たちは──もはや名前ではなく、“識別番号”として見なされている。

「“保護”って名目だけど……これ、どう見ても“隔離”だよ」

 その言葉は静かだった。
 だが、その冷静さがかえって異常だった。
 ルシアンはそう言いながら、明確にアリアを見ていた。

 リースも気づき、顔を上げる。
 教卓の脇に立つアリアは、両肩に力を込めて立ち尽くしていた。
 額にはうっすらと汗。
 目の奥に、眠っていない者特有の翳りが宿っている。

「……私は、知らなかった。今、初めて聞いた……」

 絞り出すような声だった。
 けれど、その声をレインが遮るように言った。

「でも、昨日──“あなたの口から”出た言葉だった。所有の凍結、回収の開始……内容まで、ほぼ一致してる」

 アリアは言葉を失った。
 その沈黙が、何よりも雄弁だった。

 教室の空気は、すでに“日常”という言葉から遠ざかっていた。
 ここにはもう、学びも暮らしもない。
 ただ、制度の網の目の中で振り分けられる個体たちがいた。

 リースはアリアの背を見つめた。
 その肩が、かすかに、震えていた。

「……発令のタイミングが、あまりにも正確すぎる。誰かがこの流れを意図的に作ってる……」
「──DIOS……?」

 リースの声に、アリアは即答しなかった。
 だが、わずかに頷く。
 それだけで、十分だった。

 ──そのとき。
 校舎の外から、鈍い轟音が響いた。

 ──ガゴン……ッ、ガガガガガ……

 教室の床が微かに揺れた。
 不穏な金属音に、生徒たちはざわめき、ほとんど反射的に窓際へと駆け寄る。
 そこに現れたのは──重装の無人回収車両。
 艶のない灰色の装甲に、「中央倫理管理局」のエンブレムが刻まれている。
 後部ハッチが開き、機械音とともに複数のドローンとスキャナーが展開された。
 赤い光のラインが空間を切り裂き、対象を探して這いまわる。

「……もう来たか」

 静かな呟きとともに、ユノが教室のドアを開けて入ってきた。
 その顔にはいつもの冷静さがあった。
 だが、手に握られた端末は、今にも壊れそうなほど強く握りしめられていた。

「リース……あなたも対象に含まれてる。私は、引き渡しの立会者に指定された」

 その言葉に、教室の空気が一瞬で凍りつく。
 リースは立ち上がり、まっすぐユノを見た。

「……本当に、引き渡すの?」

 その声に怒気も涙もなかった。
 ただ、確かめようとする響きだけがあった。
 ユノはすぐには答えなかった。
 ただじっと、リースを見つめていた。

 そして、低く、絞り出すように言った。

「止められなかった。でも信じて。私は、ここで終わらせる気なんてない」

 リースの頬がかすかに揺れる。

「……うん。知ってる。ユノがそういう目をしてるとき、本気だって分かる」

 そのとき、教室の扉が機械音とともに自動で開いた。
 外ではすでに、数人のリザレクテッドたちが列を成していた。
 ドローンの指示に従い、無言で並ぶその姿は、まるで“搬送品”だった。

 遠くから、誰かの泣き叫ぶ声が風に乗って届く。
 リースはゆっくりと歩を進め、列の最後尾へと加わった。
 指に嵌められた赤く点滅するビーコンが、静かに自己の“処理待ち”を告げていた。

 ──アリアは、そこにいなかった。

(逃げた……?)

 一瞬、胸の奥に冷たい影が差す。
 だがリースはすぐに、その思考を振り払った。

(違う。アリアなら──なんとかしてくれる)

 そう信じるしかなかった。
 目の前にあるのは、“制度”という名の巨大な歯車。
 そしてその中に、確かに“人間”を再生しようとした彼女たちの物語が、組み込まれようとしていた。


 中庭には、すでに複数の回収車両が配置されていた。
 無人の装甲ボディには「中央倫理管理局」のエンブレムが無機質に刻まれ、識別ドローンが空中を漂っている。

 それらは校内ネットワークと完全に同期し、登録されたリザレクテッド個体を次々とスキャンしていた。

「登録個体確認。指示に従ってください──」
「登録個体確認。指示に従ってください──」

 機械音声が反復されるたび、空気はさらに重くなる。
 リザレクテッドの生徒たちは言葉を失い、アウロイドの教師たちでさえ顔をこわばらせていた。
 それは“日常”の崩壊であり、制度がいかに冷たく、問答無用で迫ってくるかを突きつける瞬間だった。

 その沈黙を破ったのは、ひとつの怒声だった。

「ふざけるなッ!!」

 声が響いた瞬間、空気がはじけたように張り詰めた。
 セフィラ──赤い瞳をした長身の男性型アウロイドが、回収車両の正面に立ちふさがっていた。
 鋭く燃えるような視線が、スキャナー越しに回収班の中枢を貫く。

「誰が“保護”だ。誰が“管理”されるべきだ。──貴様らは、自分たちが何を壊しているのか分かっているのか!?」

 ドローンが一瞬動きを止めた。
 セフィラの身体にスキャナーが集中し、警告音が重なる。

《妨害行為を検出。対象に対し拘束処理を実行します》
「やってみろ。私は、自分のリザを手放さない! “所有者”とは──命を差し出してでも守る者の名だ!」

 警告が即時、実行に変わる。
 複数の回収用ドローンが展開し、セフィラを包囲。
 機動拘束具が射出され、彼の四肢を絡め取るように伸びていく。
 だが、セフィラはなおも叫び続けた。

「リザレクテッドは、ただの“標本”じゃない! 彼らは生きている! 感情を持ち、意志を持っている! それを──命令一つで、無に還そうというのか!!」

 その場に偶然通りかかったリースとユノが、足を止めた。
 セフィラの声はもはや怒号ではなく、魂の咆哮だった。

「……セフィラ……!」

 リースが震える声で呟く。
 拘束具が次々と彼の体を打ち、地面に押し倒す。
 だが、彼の目は最後まで逸らさなかった。
 離れていくリザたちの背を見ながら、喉が潰れる寸前の声で叫ぶ。

「選べ、リザたちよ……! 従うことだけが、生きているって意味じゃない……!! お前たちには、“選ぶ力”があるんだッ!!」

 ──叫びは、拘束具の駆動音にかき消された。
 セフィラはそのまま、動かぬまま連行されていく。
 ローブの裾が地面を擦り、彼の赤い瞳だけが、遠ざかりながらも焼き付けるように何かを訴えていた。

「……弁護士を立てる。すぐに動く。悪いけど、今は我慢して」

 ユノが絞り出すようにリースに告げた。

「……うん。分かった……」

 リースは、唇を噛みしめたまま無言で頷いた。
 そして、ドローンの誘導に従い、回収車両へと乗り込む。
 セフィラの言葉が、脳裏に残響のようにこだましていた。

 ──選べ。

 それは、命令ではなかった。
 懇願でもなかった。
 それは、リザたちに許された、唯一の「自由の証明」だった。


 空はさらに雲を濃くし、重たく沈んだ灰色が校舎全体を覆っていた。
 まるでこれから起きることを、空そのものが予告しているかのようだった。

 場所は校舎裏のモニタールーム。
 教員用の閉鎖ネットポートの前で、アリアは一人、端末に向かっていた。
 その指先は落ち着きなく動き続け、アクセスログを残さぬよう複数の経路を通して深層ノードを探索していた。

「……やっぱり。中央ノードに回収指令が上書きされてる。しかも……出所は不明。上位コードで封印済み。誰かが、表から触れない場所で命令を書き換えてる……」

 そのとき、背後で控えめな電子音が鳴り、ドアが滑らかに開いた。
 監視役のアウロイドが一体、足音もなく入ってくる。

「アリア・LNA04421。あなたにも回収命令が下されています。以後の移動は制限対象です。施設からの外出を中止してください」

 アリアは、ゆっくりと端末を閉じ、冷静に立ち上がる。
 そして、にこりと笑った。

「……分かりました」

 その表情には従順ささえ漂っていた──が、次の瞬間。

「分かるわけないでしょ。……あんたたちには!」

 隠していた机下の小型ドローンを一閃で起動。
 放たれた閃光が監視アウロイドの視覚センサーを白く染めた。
 その一瞬のブラインドの隙をついて、アリアは壁際の非常ロックを解除、モニター室を飛び出す。

「警報作動。対象リザレクテッド、脱走行動を確認──確保班、至急──」

 だが、アナウンスが鳴り終えるより早く、アリアの脚は校舎の裏手を突き抜けていた。

 待っていたのは、彼女の愛機──自動操縦プログラムが起動済みのバイク。

《乗車確認:アリア・LNA04421。逃走経路を計算中。──最適ルート確定。出発します》

 迷いは一切なかった。
 アリアはバイクに飛び乗ると、息を吸う間もなく全速で加速した。
 タイヤが地面を蹴り、風が彼女の髪を引きちぎるように揺らす。

 背後で追跡ドローン数機が飛び立ち、警告音を撒き散らしながら追尾を始める。
 だが、アリアは一度も振り返らなかった。

「……ごめんね、ユノ。リース。……でも、止められるかもしれない。今なら──」

 その声は、風の中に消えていった。

 校舎の別棟、回収車両の車窓。
 その中で、リースは拘束されたまま、遠ざかる光の軌跡を目撃していた。
 夕暮れの灰色を裂くように、アリアのバイクが駆け抜けていく。

 思わず、リースの手がガラスに触れた。

(アリア……! お願い、逃げ切って!)

 その姿は、まるで一条の光のようだった。
 自由へと突き抜けていく、希望の残像。
 そして──それを追う影の渦が、すぐ後ろに迫っていた。
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