リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

文字の大きさ
101 / 162
第4部 Wreath Infinity 感情チップを作ってみたら、人気者になった

第4章 『感情の所有権』 (3)

しおりを挟む
 放課後の校庭は、まるで音を忘れたように静かだった。
 セレナは一人、木陰のベンチに座っていた。
 手の中には、小さな記録端末。
 授業で使われた感情チップ──《E-FL12:孤独》の教材音声を、何度目かの再生中だった。

「……誰にも言えなくて、でも、忘れたくなかったの」

 耳に馴染んだはずの声が、今日はどこか違って聞こえた。
 言葉が“音”ではなく、“重さ”を持って届いてくる。
 胸の奥が、少しだけ、きゅっと鳴った。

 そのときだった。
 ふいに、隣に誰かが腰を下ろす気配。
 セレナが顔を上げるより先に、穏やかで、どこか乾いた声が届いた。

「……それ、懐かしい声だね」

 振り返るとそこにいたのは、長い青みがかった髪に、やや疲れた瞳の女性。
 制服ではなく、シンプルなジャケット姿。
 けれどただの大人ではないことが、一瞬で伝わってくる。

「……あなた、誰?」

 セレナの問いに、その女性は少し笑って首を傾げた。

「私? うーん……そのチップの“中身”かな」

 その言葉に、セレナの目が見開かれる。

「……リース……?」
「そう。本物の」

 静かに、風が吹いた。

 セレナはしばらく言葉を探し、やがてぽつりと漏らした。

「このチップ、ずっと授業で聞いてたんです。“悲しみの教材”って。でも……なんか、変だなって思って」
「どんなふうに?」

 リースが問い返す。
 セレナは真っ直ぐに視線を向けた。

「先生は“よくできた学習素材”って言ってた。でも、私には……“誰かの気持ち”そのものに聞こえたんです。だから、ちょっと怖かった」

 その言葉に、リースはわずかに目を細める。

 驚きと、そして少しの安堵が、そのまなざしに宿った。

「……それでいいんだよ。怖くて、正しい。本物の感情って、綺麗にパッケージされてない。音じゃ伝わらないものが、“声の外側”に残ってる」

 セレナは、手の中の端末をそっと閉じた。
 電子音が止まり、空気の静けさだけが戻ってくる。

「じゃあ……今、あなたが言ってるこの言葉は……?」

 リースは、静かに微笑んだ。

「これはね、チップじゃない。ただの雑談。“今の私”が、“今のあなた”に話してる。ね? すごく当たり前のことでしょ?」

 セレナはしばらく黙ったあと、少しだけ前のめりになって尋ねた。

「……“本物の感情”って、どうすれば分かるんですか?」

 リースはすぐには答えなかった。

 代わりに、空を見上げるようにしてから、ぽつりと口を開いた。

「たぶんね──“チップにしようと思わない気持ち”が、本物なんだよ」

 言葉は、音よりも深く胸に落ちた。
 その横顔は、どこか寂しげで、それでも確かに生きていた。


 リースは、小さな部屋の隅で、膝を抱えていた。
 カーテンは閉じられたまま、照明も落ちている。
 ただ、壁に埋め込まれたクロックパネルだけが、一定のリズムで時を刻んでいた。
 部屋の中で、生きているのは“時間”だけだった。

 彼女の前に置かれていたのは、一枚の記録チップ。
 かつて誰にも見せるつもりのなかったもの。
 W∞がまだ「実験」と呼ばれていた初期、密かに記録されていた最古の感情ログ。

起源ID:未登録
構成タグ:不安定・非対話・未構造化
備考:視聴注意/自己挿入非推奨

 表面には、手書きで小さなメモが残されていた。

「FL0.0 ─ 孤独(初期)」

 “使うな”と書いたのは、自分だった。

 リースはそっと指を伸ばし、震える手でチップを拾い上げた。

 指先が、かすかに冷たい。

「……これだけは、絶対に誰にも渡さなかったのに」

 独り言のような声が、部屋の中に溶けて消える。
 そして彼女は、右耳のアウラリンクへとチップを挿した。

 読み込み音が響いた瞬間、空気が変わった。
 音のない爆発のように、圧が部屋全体を覆う。
 視界が崩れた。
 白く霞んだモノクロームの空間。
 ノイズに歪む光。
 その中央で、誰かが泣いている。

《──うるさい、うるさい、うるさい、なんで黙ってるの、こっち見てよ、見てよ見てよ──》

 声はリース自身のもの。

 けれど、今の彼女ではもう出せないトーンだった。
 叫びとも言えない。
 崩れかけの思考が、形を成さずそのまま流れ出している。

(……こんなの……入れちゃダメだった)

 そう思ったときには、すでに遅かった。
 感情が、波のように押し寄せてきた。
 解釈する前に、飲み込まれる。
 足元がぐらつく。
 膝が崩れる。
 喉が詰まり、空気が入らない。
 涙が、止まらなかった。
 画面の中の“自分”が、囁くように言った。

《──一人になりたくなかったのに、私が一人にした──》

 再生が終わる頃には、リースは床に倒れ込んでいた。

 喉の奥が焼けるように痛く、呼吸はうまくできず、心臓の鼓動だけが騒がしく響く。

 ──これは、記録なんかじゃなかった。

 ──これは、まだ“終わってなかった”。

「……私、こんなのを……」

 ようやく言葉になったのは、数秒後。
 目の奥が熱く、真っ赤に染まっていた。

 自分が作り、自分が封じ、自分すら触れたがらなかった“感情の原液”──その過ちに、ついに触れてしまったのだった。


 ドアを開けた瞬間、ユノは空気の異変を感じ取った。
 音がない。
 灯りが落ちたままの部屋。
 機械の稼働音すら消えたこの空間で、ただひとつ響いていたのは、掠れた呼吸の音だった。

「……リース?」

 返事はなかった。

 寝室の扉をそっと開けると、そこにリースがいた。
 冷たい床に横たわり、天井をぼんやりと見上げている。
 長い髪は乱れ、瞳の下には濃い影が滲んでいた。

 右耳のアウラリンクには、見慣れないチップが差し込まれたまま。
 ユノの心臓が一拍、大きく跳ねた。

(まさか……)

 見覚えがあった。
 それはW∞の初期データ群──

 登録も構成もされていない、“むき出し”の感情ログ。

「……使ったの? それ」

 リースの目が、ゆっくりとユノの方へ向く。

 けれど、焦点は合っていなかった。
 魂だけが、まだどこか別の場所に取り残されているかのように。

「ごめん……ちょっとだけ、見てみたかった。……昔の“私”が、どれだけひどかったのか……」

 ユノは黙って隣に腰を下ろし、肩にそっとタオルをかけた。
 温度調整の切れた部屋の冷気で、リースの体はすっかり冷えていた。

「……ひどくなんか、なかったよ。あれは──必死だっただけ」

 リースは唇を噛みながら、かすれた声を吐いた。

「でも……見てよ。自分の感情を、自分で使って、壊れてるなんて……。……もう、私、何やってんのか分かんない……」

 震える手には、いまだチップのケースが握られていた。

 ユノはその手を、そっと自分の両手で包み込むように握った。

「……リース。あのとき、あなたが叫んだ声。どんなに整ってなくても、どんなに乱れていても──誰かが、それに救われたの」

 その言葉に、リースはゆっくりと目を伏せた。
 そして、ぽつりとこぼす。

「でも……私は、誰にも救われなかった」

 その言葉に、ユノはふっと小さく笑った。
 ほんの微笑み。
 けれど、それは確かな灯のように、静かに滲んだ。

「……今、私がここにいるじゃない」

 静かな部屋。
 音も、動きもほとんどない空間で、その言葉だけが、生きた証のように響いた。

 リースの目に、ゆっくりと涙がにじむ。
 今度の涙は、もうチップのせいじゃなかった。
 誰かが、“いまの自分”に触れてくれた──そのことに、ただ泣いた。
 ユノは彼女の髪に手を伸ばし、やさしく撫でながら、囁く。

「泣いていいの。今のそれは、あなたが“生きてる”って証拠だから」

 リースの小さな肩が、静かに震えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~

黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった! 「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」 主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...