リザレクテッド:人類再誕 所有された人間だけど、自由に生きる方法を探してみる

花篝 凛

文字の大きさ
102 / 162
第4部 Wreath Infinity 感情チップを作ってみたら、人気者になった

第5章 『わたしの中の祈り』 (1)

しおりを挟む
 リースは、もう一度だけW∞の残骸を訪れた。
 かつて、無数の“自分”が漂っていた仮想空間。
 今はアクセス制限のかかった、音の消えた廃墟にすぎなかった。

 歪んだコード。
 欠損した記録。
 削ぎ落とされた対話のログのなかで、それでも“痛み”の断片だけは鮮明だった。

 リースは、無言で端末に手を添える。
 その表面に、わずかに反応の熱が戻る。

「……ねえ。君たちは……何を残したかったの?」

 それは問いではなく、祈りに近かった。
 崇められ、売られ、恐れられた感情たち。
 リース自身もその渦のなかで、何度も壊れかけた。
 それでも今、自分はここに立っている。
 誰でもない“私”として。

 その背後で、控えめな足音が響いた。

「……リースさん」

 振り返ると、そこに立っていたのはセレナだった。
 かつて、授業でリースの“孤独”を教材として聞き、違和感を覚えた少女。
 今、その瞳にはもはや“学習者”の光はなかった。

 感情を、育てようとしている者のまなざし。

「あなたの声は、私を助けてくれました。でも──あれは“答え”じゃなかった。ただ……“入り口”だったんです」

 リースは、はっとしたように目を見開いた。

 セレナは一歩、近づいた。

「感情を“知る”ことと、誰かと“重ねる”ことは、きっと違います。私はずっと、それが分かっていませんでした。でも、今は違う。だから……“一緒に感じること”を、誰かに伝えたいんです。」

 その言葉に、リースは静かに目を閉じた。
 自分が、何かを教えるのではない。
 “共に歩く”ということ。
 かつての“感情の母”ではなく、ただの一人の“生きている人間”として。

 彼女は、そっと微笑みながら言った。

「……じゃあ、手伝わせて。今度こそちゃんと、誰かと“心を交わす”ことを──私も、やってみたい」

 二人の影が、仮想空間の静けさのなかで重なる。
 記録ではなく、命でもなく。
 感情そのものが、そこにあった。


 数週間後。
 新しい教育プログラム《共感実践層(Empathic Layer)》の試験運用が、静かに始まっていた。

 感情チップに頼らず、生徒同士の対話と創作だけで、「感じる」ことを取り戻す試み。
 この教室には、教材も指導端末もない。
 あるのは──「話すこと」「聞くこと」「黙って隣にいること」。

 そして何より、「沈黙を許す空間の余白」があった。


 その初日。
 教壇に立ったのは、リースだった。
 制服のまま、マイクも使わず、いつも通りの声で、生徒たちに語りかける。

「私は昔、“感情を与える側”だった。でも今日は──みんなと一緒に、“感じる側”になりに来たの」

 教室は静まりかえっていた。
 誰も何を話せばいいのか分からず、言葉のない時間だけが流れていく。
 でもその沈黙は、拒絶ではなかった。
 誰かの「最初の声」を、静かに待つ時間だった。

 やがて、小さく手が上がる。
 一人の少女が、少し照れながら口を開いた。

「この前、“怒られた”って言ったら……隣の子が、一緒に怒ってくれて。なんか……嬉しかったの」

 教室の空気が、ふわりと柔らかく揺れる。
 すぐに、別の生徒が笑いながら続けた。

「僕、“悲しい”って言えなかったんだけど……。君が“それって寂しいの?”って聞いてくれて。なんか、それだけで、ちょっと救われた」

 感情が、言葉を通して、隣に伝わっていく。
 チップも解析もなくても、ちゃんと届く。
 声と目と間合いがつくる、人と人の共鳴。

 リースは、教壇からそれを見つめて、静かに笑った。
 その場に生まれた温度は、かつてどんなデータでも再現できなかった“ほんものの手触り”だった。

(そうだ……私は、もう“与える”必要なんてない。ただ隣で、揺れて、感じて。一緒にいることだけで、もう十分だったんだ)

 そう思った瞬間、リースは初めて、自分が「授業の一部」になった気がした。
 教えるでも、導くでもない。
 ただ感じ合う輪の中に立つ者として。
 この日から、《共感実践層》は小さく、でも確かに育ち始めた。

 “感情を学ぶ”ではなく、“感情でつながる”ための場所として。


 昼休みの屋上。
 うっすらと雲のかかる空の下、乾いた風が吹き抜けるたび、制服の裾がやわらかく揺れた。
 リースはフェンスにもたれかかり、ジュースの缶を指先でくるくると回していた。

「ここ、風通しがよくて好き」

 隣でそう呟いたのはアイカだった。
 紙パックの紅茶を両手で包み込むように持ちながら、ぼんやりと景色を眺めている。
 二人のあいだに流れる沈黙は、どこか居心地のいいものだった。

「ねえ、リース。感情チップって……どんな感じなの?」

 アイカがぽつりと口を開いたとき、リースは一瞬だけ目を見開き、それからまた空を見上げた。

「うーん……うまく言えないけど。“強制的に、自分に本気になる”って感じ、かな」

 アイカは少しだけ笑った。
 瞳を伏せて、小さく息をつく。

「私は電脳化されてないから、使えないんだよね。だからちょっと……うらやましいなって思うの」

 「え?」とリースが返すと、アイカは静かに言葉を継いだ。

「だって、みんな一瞬で気持ちを切り替えたり、元気になったりできるでしょ? 落ち込んだときに、チップ一枚で立ち直れるとか……便利だなって」

 リースはしばらく考え込み、くるくる回していた缶を握り直した。

「……たしかに、便利だよ。“怒るべきときにちゃんと怒れる”とか、“好きなときにちゃんと好きでいられる”とか……自分の感情にズレがないって、強いと思う」

 アイカはうんと頷きながら、ふと口を閉じた。
 すると、リースはふっとため息をついた。

「でもね。感情チップって、自由をもらえる分、責任も生まれるの」
「“自分の感情に従う自由”と引き換えに、“どんな気持ちになるかを自分で選ぶ責任”が課せられる」

 アイカはきょとんとした顔でリースを見る。

「……選ぶ?」

 リースは頷き、空ではなく、まっすぐアイカを見た。

「怒るチップを使うか、泣くチップを使うか、笑うチップを使うか。その選択は、誰かの指示じゃなくて、自分の内側が決めることになるの。それって、けっこう……重たいよ」

 少し間を置いて、リースは続けた。

「でもアイカ。あんたがチップを使えないってことは、どんな気持ちになっても、それは自分の中から生まれた“本物”ってことなんだよ」

 アイカは、ゆっくりと目を見開いた。

「……それって……」
「羨ましがることじゃなくて、ちょっと誇ってもいいことじゃない?」

 風が吹いた。
 アイカの髪がゆるやかに流れ、瞳に少し光が射し込む。

 彼女は少し黙って、それから静かに笑った。

「……うん。そうかも。ありがとう、リース」
「どういたしまして」

 ふいに、アイカがいたずらっぽく言った。

「でもさ、もしチップ使えるようになったら、最初は“怒り”を試してみたいかも」

 リースは驚いたように眉を上げる。

「なんでよ?」
「だってさ、リースの怒った顔って……ちょっとかっこいいんだもん」

 リースは肩をすくめ、小さく吹き出した。

「……それ、褒めてるの?」
「うん、たぶんね」

 空はまだ曇っていたけれど、風はあたたかかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~

黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった! 「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」 主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
 女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!  HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。  跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。 「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」  最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

処理中です...