断罪されるヒロインに転生したので、退学して本物の聖女を目指します!

オレンジ方解石

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35.アリシア

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 夜明け前。天幕を焼いた炎は鎮火した。
 消火に駆けまわった兵士達はへとへとで座り込んでいたが、幸い、死者は出ずに済み、怪我人も私の聖魔力で全員、癒すことができた。
 アベル・マルケスの行方は知れない。火事の騒ぎにまぎれて逃げおおせたのだ。
 予想はしていたが、やはり悔しい。あそこでしっかり捕まえていられれば、デラクルス嬢に対する強力な反撃手段にも取引材料にもなっただろうに。
 だが今は、それ以上の大問題が起きていた。
 文書が失われたのだ。
 百五十年前のセルバ地方の国境線を記した記録。こちらは無事だったが、当時のブルカン城伯がイストリア皇帝に「ブルカン城伯領を譲る」と約束した宣誓書。
 これが見つからないのだ。
 ものがものだけに、どちらの文書も野営地でもっとも大きく丈夫な貴人用の天幕に保管され、周囲をノベーラ兵とクエント兵士にとり囲んで守られていた。セルバ辺境伯やクエント侯子、両国の宰相や文官達も一日の大半を天幕内で過ごして、寝る時も文書を収めた箱をとり囲んで交代で休みながら、相手が文書を盗んだり燃やしたりしないか互いに見張っていたという。
 火事の時も、貴人達はいっせいに、まず文書の無事を確認し、それから箱を抱えて天幕の出口に向かった。
 火の手は異様に早く、貴人達の最後の一人が脱出した時には、巨大な天幕のほぼ全体が炎に包まれて、貴人達の寝巻きにも火が移り、消火にあたっていた兵士達は慌てて水をかけて、貴人達が頭からずぶ濡れになって一息ついた頃には、宣誓書は消えていたのである。
 国境線の記録は無事だった。宣誓書だけが見つからないのだ。
 いそいで兵士に捜索を命じると、近くの天幕の裏で、空になった箱が転がっているのが発見された。心臓を背後から短剣で一突きされて絶命した、ノベーラとクエントの文官一人ずつも。
 聖神官が襲われたことも、その場に居合わせたルイス卿その他の兵から報告され、宣誓書の紛失との関係は不明ながらも、大規模な、そして徹底した捜索が行われた。
 野営地からは誰一人離れることを禁じられ、外から癒し目的にやってくる村人達も、今回は片端から追い返される。
 貴人や文官達はむろん、一兵卒にいたるまで身体検査と持ち物検査を行い、ノベーラ側の持ち物はクエント側が、クエント側の持ち物はノベーラ側が調べまでしたが、それでも発見には至らなかった。

「宣誓書は何者かに盗まれた可能性が高い。だが、誰が、何のために」

 貴人達は汗を額に、何度も呻き合う。
 そもそもあの宣誓書の存在を知るのは、ごく一握りの貴人と聖神官のみ。野営地の一般の兵士達は存在すら知らない(彼らは「国境線の記録が見つかったらしい」と噂しているだけだ)。
 ノベーラとクエントの宮殿には朝一番に早馬が飛ばされ、報告をうけたノベーラ大公とクエント侯及びその重臣達は、そろって仰天する。
 捜索範囲は野営地の外にまで広げられたが、これといった手がかりは見つからず、さすがに「これ以上は探しても無駄では」という空気がただよいはじめた、五日目。
 事態は再度、急展開した。
 それぞれの宮殿からそれぞれの元首の使者がやってきて、それぞれの宰相に主君からの命令が伝えられる。
 二国間の貴人はふたたび、新しく張られた天幕にこもって三日三晩話し合い、四日目の朝、晴れて両軍の兵士達に、両国の宰相閣下から戦争終結の決定が宣言されたのである。
 百五十年に渡る、国境をめぐるセルバ地方の領土争い。その終止符だった。
 兵士達はノベーラ、クエントの区別なく歓喜の声をあげ、隣にいる仲間達と抱き合って涙をにじませる。私も思わず、大きな荷物から解放された気分を味わっていた。

「宣誓書が見つかっていないからな」

 そう、説明してきたのはバルベルデ卿だった。
 夕方。夕食前の慌ただしい空気にまぎれて、私とルイス卿は人気のない天幕と天幕の影で、バルベルデ卿の話を聞く。

「盗人の正体がわからない以上、イストリアの間者による工作の可能性も否定できない。万一、宣誓書がイストリアへ渡れば、イストリア皇帝がブルカン領主に立候補してくる可能性がある。その前に解決してしまおう、ということで話がまとまった」

 人間というのは、共通の敵を前にすると団結しやすいようだ。まして己の利益がかかっているとなれば、なおのこと。「そもそも」とバルベルデ卿は付け加える。

「クエント侯国内でも、エルネスト候子は停戦支持派らしい。ノベーラ兵の捕虜を丁重に扱って送り返してきたのは、そのあらわれだ。そこへクエント兵捕虜の大半が、処刑どころか、聖神官の癒しをうけて戻ってきたので、より停戦派が力を増したんだろう」

 バルベルデ卿はさらに推察を述べる。

「あの真珠も、工作の一環だろうな。野営中、ソル聖神官がクエント側の兵士や村人も癒して、クエント側にもノベーラ側にも支持者がいると察し、あえて兵士や村人達の前で高価な真珠を贈ることで、ノベーラ側に友好的な印象を演出したんだ」

 言われてみればたしかに、あの金茶色の髪と瞳の侯子殿下は、ここ数日でノベーラ兵達の間でも『気さくで温厚な王子様』の印象イメージが浸透している。
 そのイメージが、より休戦や停戦への期待を強めていたふしがあるのは否定できない。

は存外、油断できない人物だな」

 バルベルデ卿はぼそっと呟く。

「とりあえず国境線は、神殿地下から発見された記録に従ってさだめられることが決定した。どちらにとっても無難で説得力のある決定だ」

 淡々とした物言いに、私は訊いておかずにいられない。

「あの、バルベルデ卿はいいんですか? 国境線の記録については、手に入れられたのはバルベルデ卿が本を手放してくれたからです。卿が発見者になることもできたのに」

 将来、文官として宰相の父親を支え、最終的には次期宰相の可能性もあるバルベルデ卿にしてみれば、若い頃の大きな手柄とすることもできたはずだ。
 けれどバルベルデ卿は「かまわない」と、無造作に手を振った。

「下手に私が発見者になって、出所を問われるのも困る。国境地帯で、ノベーラとクエント、両国の有力者が発見した、これが一番無難で文句のつけにくい状況だ。私は、あの図書館長と面識を得たことが一番の収穫だ」

「…………そうですか」

 バルベルデ卿は最後に「にやり」と笑むと、さっさと行ってしまった。
 ある意味、無欲な人物なのかもしれない。少なくとも今回、デレオン将軍とエルネスト候子に手柄を譲って、後悔している様子は見られなかった。
 だが私は少々すっきりしない。

(なんか、大きな借りを作った気がする…………)

 翌日。正式な公文書が作成されて、二つの国の宰相がそれぞれの主君の代理として署名し、印章を押す。
 誰もが停戦を歓迎したわけではない。

「何故、今さら停戦なんだ! 百五十年前の記録など、どうでもいい、無効だろう! クエント兵を皆殺しにして、セルバ全域をノベーラのものにする!! それでこそ、死んでいった我が師や弟や戦友達も浮かばれるというものだ、俺達にはその力がある!!」

 そう、タルラゴ卿のように主張する者もいたが、両国元首の決定である。
 戦争は終結し、私も兵士達もみな、生き延びた喜びをかみしめ心から安堵し、神に感謝の祈りを捧げたのである。





 ちなみに、ささやかだが、変化がもう一つ。

『アベル・マルケスに短剣で襲われかけた時、トキがかばってくれたの。ありがとう』

 交換日記の返事は、ただ一言。本の紹介文でもなく『返済しろ』でもなく。

『どういたしまして』

(会話っぽくなっているのは、これが初めてかも)

 私は無言で日記を抱きしめた。





 心残りもあった。
 アベル・マルケス。
 あの男に殺されかけるのは、これで二度目だ。天幕に放火したのも、おそらく彼だろう。炎の蛇を操る彼には容易なはずだ。
 これ以上、あの男を放置することが良くないことは、私も重々理解している。
 けれど私は、彼の名前は誰にも告げずにいた。
 アベル・マルケスのうしろには、ノベーラ大公国屈指の名門貴族デラクルス公爵家がいる。
 彼が私を殺そうとした確たる証拠があれば、公爵家はさっさと彼を解雇、放逐して自分達は知らぬ存ぜぬを貫くだろう。しかし証拠がなければ、責められるのは私のほうだ。
 デラクルス嬢を次代聖女に就けたい公爵家は、ここぞとばかりに私を嘘つき呼ばわりして、私と大神殿を失墜させようと画策するだろう。

(たぶん今回もビブロスの力で、公都から国境地帯ここまで往復したんだろうな。そうなれば、アベル・マルケスにはたしかな不在証明アリバイができる。公都から国境まで往復するには、本来数日間かかるもの)

 ビブロスに頼めば、公都から国境までの移動は一瞬。アベル・マルケスがデラクルス公爵邸を離れていたのは、せいぜい私を襲った数時間だけだろう。彼が魔王に依頼した証拠が見つからない限り「そんな短時間で国境まで往復できるはずがない」と、一蹴されて終わりだ。事件が起きたのが深夜だったことも考慮すれば、彼の外出に気づいた者がいるかも怪しい。
 せめて、曲者の顔を見たルイス卿や兵士達が「アベル・マルケスだ」と証言できれば。
 けれど彼女らはアベルと面識がない。

(ソル大神殿長様ではないけれど、今は黙っておくほかない――――)

 私はひそかに肩を落としたが、このあと公都に戻ると、腹立たしいことにアベル・マルケスがあの晩、国境地帯にいた状況証拠が一つ見つかった。
 じゃがいもである。
 公都の大神殿に戻ると「デラクルス嬢が神からお告げをうけた」という体で『悪魔の芋』こと、じゃがいもの存在がノベーラ公太子や大公に報告され、デラクルス公爵領や大公領では急ピッチでじゃがいもの生産が進められている…………と、ソル大神殿長様から知らされたのだ。
 クエント侯国で観賞用の花として流行しはじめていたじゃがいもは、ノベーラ大公国ではほとんど知られていない。
 が、そこは有力貴族で聖女候補のデラクルス嬢と、大公家。彼らと誼を結びたい者達からの『ご挨拶の品』として『遠い異国から輸入された珍しい花』を贈られていたのである。
 デラクルス嬢は数少ないじゃがいもを様々に調理させ、試食した大公一家は「これなら新しい食材として通用する」と舌鼓を打ち、じゃがいもの量産と普及がその場で決定する。
 季節は、新年をひかえた冬の盛り。本格的な生産は来年の春からだが、まだじゃがいもの株がほとんど入って来ていない今の段階で、デラクルス公爵領と大公領のみ量産に成功すれば、二つの家は大きな利益を上げるに違いない。
 すでにクエント侯国と取引のある商人達が、じゃがいもの種芋や株の入手に奔走しているという情報もある。
 レオポルド公太子殿下は、

「さすが私のティナ。こんなに何度も、我が国に大きな恵みをもたらしてくれるとは、まさに君こそ正統な聖女だ」

 と大喜びし、貴族達の間でも、はや、

「新しい食材まで発見してしまうなんて、やはりデラクルス嬢こそ聖女に違いない」

 と、噂されているとかなんとか。
 私はひとまず国境地帯でじゃがいもを発見したこと、火事の夜にアベル・マルケスに殺されかけたことを、ソル大神殿長様に報告だけはしておいた。
 どちらもルイス卿やセルバ辺境伯、クエント候子その他大勢の証人がいるので、嘘を疑われることはない。
 ソル大神殿長様は「またか」と顔をしかめたが、大神殿長様も結論はやはり「今は黙っておけ」だった。
 いたしかたない、と私も頭では理解する。

(デラクルス嬢はたぶんニホンから転生してきた人だから、じゃがいも料理を知っていて不思議ではないし。アベル・マルケスがあの野営地でじゃがいもの話を聞いて、デラクルス嬢に報告したんだろうな。言い換えれば、彼があの野営地にいた証拠ではあるけれど…………)

 やっぱり腹は立つ。

(これって、原作のマンガではどうなっているの? やっぱり主人公の悪役令嬢が発見したことになっていた? だから世間では「デラクルス嬢がお告げを受けて発見した」ということになったの? だとしても…………)

 新しい食材が発見、量産されて食事の量が増え、飢える民が減るなら、喜ばしいことだ。
 けれどセルバ行きの件といい、私はこの先ずっと、デラクルス嬢や公太子に人生を左右されつづけるのだろうか。
 うんざりと、気が遠くなった。
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