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なち

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第一章

来たりし者 2

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 ゲオルグにとってツカサの様子は気がかりであったが、彼にはもう一つ、杞憂があった。
 自分の留守中の様子をハンナに尋ねた時、彼女はセルジオ・アラクシスの登城を告げていた。
 ゲオルグの隠居する領地は、既に息子であるセルジオに譲っている。領主であるセルジオも従兄弟としてティシアの成人を祝いに登城する予定ではあったが、それにはまだ二月早かった。この時期に登城したとて、セルジオに用は無い。
 ゲオルグ一家は極力、政に関わるべきではないのだ。彼らの存在は、リカルド二世の治世に影響を及ぼし過ぎる。だからこそ王都アレクサを離れた遠方の領地を賜り、アレクサには近寄らぬよう心がけていた。
 そのセルジオがゲオルグに続き領地を離れたとなれば、それなりの理由がある。
 それならばゲオルグが優先すべきは、ツカサではなくセルジオだった。
 広間に一人残されたゲオルグは大きく嘆息すると、近衛を呼ばわってグランディア城を離れた。

 ゲオルグがアラクシス家別邸へ帰り着くと、予想通りセルジオの来訪が告げられた。執事から彼が執務室へ居る旨を聞き、首肯一つ返して執務室へ足を向ける。
 ノックもせずに扉を開けると、執務机にかけていた男が顔を上げる。
 細い銀縁の眼鏡の奥、生真面目な瞳が二、三度瞬いた。
「お戻りでしたか」
 ゲオルグの次男、セルジオは、祖父――つまりゲオルグの父王に良く似ている。それはすなわちゲオルグ自身にも似ている、という事だが、武人のようにがっしりとした体躯と長身は、ゲオルグにとっては父を思い出す要素だった。セルジオのかける眼鏡が、父王のつけていたそれと同じものである事が最たる理由だろう。
 くっきりした二重瞼の下の茶色い瞳と、厚めの唇はゲオルグの妻、ユーリの血だ。
 執務室、と名がついていても、この別邸に仕事が持ち込まれる事は無い。無駄に大きな年代物の執務机があるだけの、手狭な空間だ。座すべき場所は、セルジオが座る椅子のみだった。
 父親に席を譲りかけた息子を、ゲオルグは片手を持ち上げることで制した。
 その後は、執務机の角に腰掛ける。
 身を捻るようにして己を見つめてくるゲオルグの真意を、セルジオはすぐに理解した。引き出しを開けて葉巻を取り出すと、それをゲオルグに手渡しながら話し始める。
「陛下には既にご報告申し上げましたが、ジィンの所在が知れません」
 すかさずマッチを擦れば、眼鏡のレンズに炎が映って消える。
 ゲオルグは一瞬吸い込む息を止めたが、すぐに沈黙で先を促した。
「一月前、ジィンは学友の家に招かれ、そこへの滞在を院に許可されたようです。何でも仲間内で自主研究をするという事で――行き先はエディンバ領でした。近侍にはマティウス他二名を連れていったそうです。最初の二日は、ジィンには珍しく真面目に勉学に勤めていたようですが、」
 一息で言い切ってから、セルジオも葉巻を口にした。二つの紫煙がくゆりながら、天井付近で溶けていく。
 その様を見上げるセルジオは、僅かに眉根を寄せた。
「マティウス等には下剤を盛り、学友には口止めをし、そこを抜け出したのが三日目の深夜。六日目に動けるようになったマティウスが足止めを振り切って連絡を寄越したのが、その十日後です。減棒ものですが、我が家に辿り着いた時のマティウスの窶れ具合は同情を禁じえぬものでした。私はその日に領地を発って、四日前にアレクサへ参りました」
 ゲザイ、と呟いたゲオルグがこめかみを押さえる。
「何でもジィン自ら調合し、己で試したそうですよ。そういう事には精力的なのだから、まったく……」
 セルジオは、最早呆れた口調を隠さない。机をノックしながら続ける言葉は嘆息交じりだ。
「ジィンの捜索は、見ての通り。足跡を辿った限り、一応王都へ向かっているようですがね」
「他には」
「ご想像の通り、ラシーク王子が一緒です」
「……」
「バアルにも連絡致しましたよ。返応はまだですが、大使にはいい顔は勿論されませんでした。あちらも一緒に捜索に当たってます」
 戦神バアルを奉る、武勇の国、バアル。大陸の最南に位置する熱砂の国は、グランディアの友好国ではある。戦離れして久しいが、その武力は今尚脅威だった。
 そのバアル国の王子、ラシークは数多居る国王の子息の十二番目で、ゲオルグの息子ユージィンと同様、学術国家と名高いラングルバードに留学中の身だ。
 幼少より友情を育んできた二人は、留学先の学院でも行動を共にしている。
 そして、その二人が学院を抜け出す――等という事態は、けして初めての事では無かった。
 ほとんどはユージィンの先導だが、この二人の無鉄砲に、ゲオルグもバアル国王も頭を痛めている。名門貴族の子息を数多預かる学院でも、同じ事だ。
「この所大人しくしていると思ったが、アレに責任感を求めるのは無駄か」
「そんなもの皆無だから、ラングルバードにやったのでしょう」
「……その通りだな」
「ラシーク王子が一緒ですから馬鹿な真似はしないでしょうが、今後ジィンを国外に出すのは同意しかねます」
「――そうだな」
 誰に似たのか奔放な性の末子を、誰も彼もが甘やかしてきた。年の離れた兄姉然り、両親も、ユージィンの無邪気な笑顔の前には我儘を許してしまう。その結果、彼からは責任能力というものが抜け落ちてしまったのだ。
 教育場として名高いラングルバードの学院に入れても、それは変らなかった。
「捜索隊には見つけ次第連れて戻るよう命じています。その後は父上に、きつくお灸をすえて頂きましょう」
「わかった」
「何にしても、父上が戻られたなら良かった。私は明日にでも、領地に帰ります」
「忙しないな」
「片付いていない案件がありますのでね。ジュリも迎えねばなりませんし、母上のご機嫌も取りませんと」
「……そうか」
 セルジオの口から娘と妻の名が出た事に、ゲオルグは苦笑した。ジュリことジュリスカは他家に嫁いだ娘だが、彼女もティシアを祝うための上都の前に実家を訪れる予定であったし、一人領地に残されている妻のユーリは、自身だけが田舎に置いてきぼりにされている状況を快く思っていないだろう。
 揃うと姦しい二人に付き合っていられるのは、ゲオルグの家族ではセルジオだけだった。
「だが――帰宅は明後日にしろ。明日、紹介したい者がいるのだ」
 ゲオルグは領地に残してきた妻の顔を振り払うように、一際長く煙を吐き出した後――ゆっくりと視線をセルジオに向けた。
 再び目を瞬かせ、驚いた風を装うセルジオは、冗談めかした口調を発す。
「まさか、愛人等とは申しませんね?」
 それに今度はゲオルグが驚いた顔を返し、次いでにやりと笑う。
「あながち間違いでもないな」
 驚愕に見開いた目にわざとらしく吐き出された煙が染みて、セルジオが見えたのは、父の愉悦に満ちた口元だけだった。



 ゲオルグがアラクシス家別邸でセルジオと四ヶ月振りの再会を果たした頃、グランディア城の一室では、ウィリアムが何度目か知れぬため息をついていた。
 奥で執務に精を出す国王陛下がちらとも視線を寄越さないので、その嘆息が次第に大きくなる。
 しかしやはり、リカルド二世はそれを悉く無視した。
 書類の上を淀みなく走る筆の羽根を何とはなしに見つめながら、ウィリアムがついに言葉を投げる。
「あのー陛下ー」
 いやに間延びした呼びかけに、応える声は無い。
「陛下ってば」
 少し声を大きくしても同じ。
「陛下ー? 聞こえてます?」
 ぴくりとも反応を示さないリカルド二世に対し、それでも聞こえているものと理解し、ウィリアムは勝手に話を続ける事にする。
「ティシア王女の結婚の事ですけど、どうするつもりなんですか?」
「……」
「あんな条件出してみても、結局ルーク・クラウディで決まりなんですよね?」
「……」
「ツカサ様、どうなるんですか?」
「……」
「ツカサ様と結婚させるつもりなら、あんな条件出す必要無いですし。というかもう、そこから既にオレには理解不能なんですが」
「……」
「第一最初から、ルーク・クラウディをジェルダイン領に左遷したのって、ウージの対処をさせるつもりだったからなんですよね?」
 リカルド二世の様子に変化は見られない。それでも、我が意を得たり、と、ウィリアムは逸った。楽しげに、謎解きを始める。
「そもそも、陛下が異世界人の召喚を許可された所からオカシイと思ってたんです。信じてもいないくせに何でそんな無駄な儀式をさせるのかって。召喚したらしたで、ツカサ様には目も向けないし、態度は最悪。何のつもりかと思ったら、ルーク・クラウディにわざわざ報告までする始末」
 ウィリアムの目には、リカルド二世の行動は不審過ぎた。だからこそ持ち前の記憶力の良さで過去を遡っている内に、ある可能性を見つけたのだ。
「陛下がルーク・クラウディのような有能な人間を見逃している筈がないですし? 本気の彼が味方になれば、これ以上無い事でしょう。そうなるようにジェルダイン領にやって、尚且つツカサ様の存在を利用して炊きつけて――陛下の思惑通りに事は進んでる」
 そうして、最初の問いに戻るのだ。
「そうなるとツカサ様は完全な被害者ですが、酷い言い方をすれば用無しです。その彼を――陛下はどうなさるおつもりで、茶番を続けているんです?」
「お前の言う通り、余は、有能な臣下は幾人でも欲しい」
 まるで正解を言い当てた褒美のように、やっとでリカルド二世は口を開いた。淡々と紡ぐ合間も手はけして止めず、秀麗な瞳は絶えず文書を追っている。
「だが、本気を出すまでも無く常に有能でなくば困る」
 そうして、聞いた事のある台詞が、今一度繰り返された。
「追い詰められなければ力を発揮できぬ臣下など、余は願い下げだ」




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